389.それはさすがにプレッシャー
前期試験二日目の午後。
私は《剣術》中級クラスの試験を受けるために訓練場へ来ていた。
初級クラスも離れた場所にいるわね……ダンは後期から中級へ移るつもりだから、ここで失敗はできない。かなり気合が入った様子で涙目のジャッキーを引きずっていくのを、レベッカが呆れ顔で眺めている。
ちなみに、授業を受けていない生徒が試験を見学するのは禁止。
デカルトさんの試験中ロズリーヌ殿下はどうされるかといえば、試験期間のみ自習室のうち四つに騎士が常駐するのだ。街の詰所から来て頂いていて、護衛を担う生徒が迎えに来るまでそこにいるのが暗黙の了解。
「試験の説明を始めます。皆さんにはこれから試験官と一対一、五分の試合をして頂き…」
トレイナー先生の凛とした声が響く。
シニヨンに結った薄紅色の髪、フレームレスの眼鏡にきりっとした表情。元は騎士団で小隊長を務めていらした先生は、お父様の一つ下で四十歳。ジャケットのウエストラインから下は波打つようなひだになっていて、髪を留めるバレッタは日によってデザインが違ったりと、厳しさの中に華やかさもあるお方だ。
そして、トレイナー先生の左右に一人ずつ。
……中級クラスは人数が多い、そのために試験官を増やす必要があるのはわかるけれど。
「各自、先日配った番号札は持っていますね。赤字で書かれた者は一から順に私とです。黄色で書かれた者はグレン先生と。」
「よろしくお願いしますね。」
「黒字で書かれた者は…ホワイト先生とです。」
「………。」
ふんわりにこりと笑ったグレン先生に比べて、ホワイト先生はいつも通り赤いゴーグルをつけたまま、軽く頷くだけに留まった。
トレイナー先生が言い淀んだのは果たして呼び方に迷ったのか、それとも――ホワイト先生がその手にぶら下げた鉈に、思う所があったのか。
温室の手入れに使っていた物に似ているというか、まさにそうみたい。土汚れがついているわ。
グレン先生はいつも通り金属製の長い杖を持っている。私の番号札は赤字なので、トレイナー先生と普通に剣同士の試合ね。
「…あの先生って《薬学》だろ?」
「図体はでかいけど、いつものっそりしてる印象…」
「ヘンテコな剣持ってるなぁ」
「剣じゃねーよ!鉈も見た事ないのか…」
誰も真正面から突っ込む気がないのか、ひそひそと小さな声のやり取りが聞こえてきた。
トレイナー先生は私語を嫌うので、彼女の授業では本当に微かな声で交わされている。とはいえ、今は私語が交わされるのもやむなしといった風で見逃してくださっているみたい。
眉間に刻まれた皺を見ていると、トレイナー先生自身もホワイト先生に問い質したい気持ちを押さえているのだとわかる。胸の前で組んでいた腕を解き、トレイナー先生は小さく息を吐いた。
「…では、分かれて始めましょう。グレン先生、真面目にお願いします。」
「嫌だなトレイナー先生、私はいつも大真面目ですよ。ふふふ」
「札が黒字の者はこっちに来い。一から順に始める。」
「あ、私の組は終わりから順にしましょうか!最後誰です?」
「グレン先生ッ!」
「はいはい、イチからやりましょう。」
ブロンドベージュの長髪をさらりと流し、グレン先生は金属杖でがりがりと地面を引っかきながら離れていった。拗ねた子供のようだけれど、口元はゆるりと微笑んでいる。
今日も今日とて金髪を斜めにカットしたプラウズ様が、ものすごく何か言いたげな顔でグレン先生についていった。
私とレオ、デイジー様はトレイナー先生。
チェスターとサディアスはホワイト先生。他の生徒達も含めて見ると、大まかに力量で分けられているようね。
クラス分け試験の時はほんの少しの応酬だった。
今回は五分もある――そう考えたけれど、いざ始まってみればあっという間で。
「…ここまで。」
「っ、ありがとうございました。」
息切れが言葉に混じらぬよう何とか一息に言って、礼をしてから下がる。トレイナー先生はすぐさま手帳に評価を書き込んでいた。
身体強化を使ったらもっとやりようがあったでしょうけど、試験で見てもらうべきなのは普段から身に付いている実力だ。魔力が尽きたとしても立ち回れるように。
もう一年以上筋トレしているし、ダンやレオには鍛錬に付き合ってもらって、私は確実に力をつけてきた。身体強化に頼らない地力もだいぶ上がったはず……高得点確実だなんて言えないけれど、それなりの評価を頂けているといいわね。
ガンと音がしてそちらを見たら、プラウズ様の剣がグレン先生に弾き飛ばされるところだった。
周囲には風の魔法が張られていたようで、横へ弾かれたはずの剣は空へと舞い上がる。誰もいない場所へ落ちていくそれから目を離し、残るもう一組を見やった。
ホワイト先生とサディアスが向かい合っている。
サディアスの剣は安定していた。
これまでの授業を振り返っても、彼がレオのように猛攻を仕掛けたり、チェスターのように搦手を混ぜる事は少ない印象だ。
攻めも守りも状況に応じて。基本の動きを完璧にこなすのは、言う程簡単では無いのに。
ホワイト先生はサディアスの攻撃を鉈で受け止め、はらい、時に踏み込んで守らせる。
意外と言っては何だけれど、きちんと審査されていらっしゃるわね…。
ゲーム内の試験はデフォルメされた静止画だった。まさかここでグレン先生やホワイト先生が試験官をしていたとは。
上級クラスはどうなったかしらと、遠く木立の隙間に見えるコロシアムの壁を見つめた。
三日目――《魔法学》。
筆記試験を終えたら、自分で選んだ魔法を二つ先生に披露する。
同じ魔法で発動の安定性をアピールしてもよいし、違う魔法で最適以外の属性や、異なる手法で創意工夫を見せてもよい。
「は~い、くるりらぽんっとね!気を楽にして挑んでくださいね~。(*^-^)」
私は水の魔法を木の的にあてて壊し、次に風の魔法で自身を浮かせ、円を描くように移動してみせた。軽く走るくらいのスピードにはなっている。
ダンは風による自身の加速と、苦手項目だった物体の浮遊。敢えて重い物を選んで、対象が吹き飛ぶ事のないようにしていた。
レベッカは風を使って飛びつつ、拳を突き出して火の魔法を連発。
キャサリン様は指揮するような動きで小さな灯火を十個ほど円形に並べて発動、移動させて一つの火へ。美しい魔法だったのだけれど……次に水の魔法を使おうとしたところ、踏み出した足を挫いて狙いが狂い――たまたま指が示した先にいたデュークが、滝行のようにずぶ濡れになっていた。
後でウィル伝いに聞いた話によると、「水ならいいか」と思って避けなかったのだそう。彼は雫を垂らしながら試験を受けていた。
チェスターは水の矢を複数同時に射出して的を壊し、二回目は風で浮いた状態から光の魔法を同時発動。
ウィルは空中に炎を浮かべ、風で巻き上げた木の葉を一枚ずつそこへ飛び込ませる。次に離れた的を光の魔法で目隠ししつつ、手の先から流れ出る、鞭のようにしなった水の魔法を打ち付けて綺麗な水飛沫をあげていた。
離れた的に対しては飛び道具のイメージがあったから、私は感嘆のため息をついてしまったくらい。
ウィル本人は「もっとスピードを出さないと、威力がな。」なんて謙遜していたけれど、一年の前期試験でこれができているのだから相当なものだ。
続く《服飾》は授業内で課題提出――刺繍、レース、服、装飾品など自由に選べる――を終えているため、後は簡単な筆記試験のみだ。
服飾文化の歴史、有名なソレイユ王国の絹織物、国内で養蚕が盛んなのは…など、常識と言えるレベルの問いから先生が授業で話してくださった事まで。
普段が実技メインの授業なので、《国史》や明日の《法学》と比べれば遥かに易しい。
さて、昼食の時間。私は食堂三階の個室でウィル達と合流した。
午後に試験がないカレンとレオは、ジャッキーやレベッカ達と一階で食べているらしい。私も《語学》と《弓術》は取っていないから、この後は明日の試験に備えるつもりだ。
「‘ まぁ、レイクス先生と一騎打ちを…… ’」
「‘ そうなんだ。まだ五人しかいないから、一人十分ちょうどでね。 ’」
昨日行われた《剣術》上級の試験についてウィルが教えてくれる。
中級ですら先生が一対一で審査してくださったから、そうじゃないかとは思っていたけれど。あのレイクス先生と十分間の試合……かなり体力を消耗しそう。
白身魚のフライをナイフで切りながら、サディアスがウィルとアベルを見やった。
「‘ 最近はバージル・ピューがやる気になったと聞きますが、いかがですか。彼は。 ’」
「‘ これまでとは段違いだ。力はそこまででもないが、今後かなり技術を磨けると思う。なぁ、アベル? ’」
「‘ 成長は見込めるかな。機転も利くけどまだ身体が追い付いてない……チェスター、もっと話しなよ。何のために全員コレで喋ってると思ってるの。 ’」
ちょっぴり冷ややかな目でアベルが聞く。
コレというのは勿論、ツイーディアの南西に位置するソレイユ王国の言葉だ。ずっとこうなものだから、私の横に座るダンはまったく話に入らず、ひたすら《法学》の教科書と睨めっこしている。
私はスプーンにすくったポタージュを口へ含み、ちらりとチェスターを見やった。彼は苦い顔で口を開く。
「‘ ……失礼しました。皆、流石だナト思う内に黙っタ。ははは… ’」
私達の中では唯一、チェスターが《語学》をとっているのだ。
《馬術》もしているオルニー先生が担当で、コクリコ王国とソレイユ王国の言語を選んで学ぶ事ができる。
各国を旅した経験のある先生は、王妃教育の一環で私に他国の文化について教えてくださる。雑談混じりにまた別の言語を話される事もあって、とても楽しい授業だ。
チェスターはお母様の母国語であるコクリコ語は問題ないけれど、妹のジェニーと同じでソレイユ語の発音が苦手なのよね。
聞き取りはしっかりできているし、筆記も大丈夫そう。あとは発音だけ。それも去年よりだいぶ良くなっている。
「‘ かなり話せているとは思うわ。 ’」
「‘ 皆のバッチリな発音聞いてサ!俺こんなもんで良いですって笑えないッテ! ’」
「‘ まぁ、これだけ聞き取りもできていれば、実技七十点はいけると思いますが。 ’」
「‘ サディアスは厳しいな。俺は、八十点は固いと思うが。 ’」
「‘ 相手が相手だ。もっとも重要視されるのは発音じゃないだろうし、それくらいはいくでしょ。 ’」
アベルがさも当然のように言って付け合わせの人参を口に運ぶ。
チェスターが「それ超プレッシャー」とでも言いそうな顔をしているわ。
ウィルが言った通り、私も八十点はいくと思う。サディアスは緊張によるミスを見込んだ評価。
そしてアベルが話したように、オルニー先生は完璧な発音を求めはしないでしょう。チェスターは早くアベル達の域に達したいという気持ちが強いみたい。《剣術》に置き換えると、私もその気持ちはとてもよくわかる。
「‘ …あの、プレッシャーなんデスけど…… ’」
言ったわね。




