388.投げられた経験
前期試験。
テストは四日間四時間目までを使って行われ、自分がとってない授業の試験と五時間目はお休みになる。
平然としてるシャロンや殿下達と違って、私は緊張して右手と右足一緒に出したりして。ダンさんに「何してんだ」なんてぼそっと言われ、うるさいなぁ!って思いながら、席についた。
だ、大丈夫。大丈夫!頑張ってきたもん。
始業の鐘が鳴る。
いつも通り赤いゴーグルをかけたホワイト先生が、すたすたと教室に入ってきて。
……先生の素顔を見た事がある人って、どれくらいいるんだろう。私と同じ赤い瞳をしてる事とか、あの…あの、すごい、格好良
「筆記用具以外はしまえ。試験用紙を配る」
はいっ!!
思わず返事しちゃいそうになって、ぐっと飲み込んだ。
一日目、最初は《植物学》。
私が受けてる中では割と得意な方だ。家の手伝いで色んな種類を育てたり見てきたし、興味もある。
ペンよし、インク残量よし、手の震えなし……回ってきたテスト用紙を受け取って、一枚手元に残して後ろへ。
うーん、やっぱり心臓がどきどきする。
「全員に回ったな。あと一分で開始だ」
言いながら、ホワイト先生はコツコツと長机の間を進んできた。
私の二列前で止まって端の席からインク壺の蓋を取り、内側からぺりっと何かを剥がす。……折り畳まれた小さな紙だ。
教室はシンとしていた。その席の生徒が固まって俯いてる前へ、先生はコンと蓋だけ戻して。
紙を白衣のポケットに入れて、何事もなかったかのように教壇へ戻っていった。
「では、開始。」
一斉に紙をめくる。
まずは名前を書いて……基礎知識の穴埋めから。わかる…うん、大丈夫。結構できてる気がする。
描かれた植物の名前や効果、毒性…記述問題。
えっと、この状況ならコセンソウを探して……後ろの方の席からゴツン!と「ふぐぅ!」って声が聞こえた。ロズリーヌ殿下がうっかり寝ちゃったのかもしれない。
この問題は…う~ん何だっけ、これ先生が授業で喋ってた気がする!
お、思い出せない……黒板に書いてない、話だけのやつだ……飛ばそう。
次は見た目が似てるけど効能が全然違う植物の……これはわかるね、特徴は――「四つ書きなさい」!?え!三つじゃなかったかなぁ…!あれ……?よ、四つ……うぅっ!
回答欄を全部埋める事ができないまま、授業終わりの鐘が鳴った。
「そこまでだ。ペンを置け――置かなければ撃つ。」
何を?
わかんないけど、慌てて置く音がいくつか聞こえたから、結構皆ギリギリまで粘ったみたい。
続く平民必修の《生活算術》を終え、私は死にそうな顔をしてるレオを引っ張って食堂へやってきた。シャロン達にとっては空き時間だったから、皆はもう揃ってる。
お昼ご飯のパンをちょっぴり急いで食べてから、次の《礼儀作法》に向けてシャロンと復習した。
平民でも貴族の対応をする仕事は沢山ある。騎士はもちろん、マシューさんの宝石店とか、レストランも、オペラハウスの職員さんもだし、仕立て屋さんとか、薬師も。
接する時気を付けなきゃいけないこと、最低限の作法、覚えておくと良い事を教えてもらえる授業だ。受けておいて損はないし、何なら下級貴族の生徒もいたりする。
レオはお師匠様…レナルド先生?に言いつけられて、授業を取ってるみたい。
張り切って臨んだけど、実技のところでちょっと緊張して声が裏返っちゃった…。
頭を下げた姿勢を保ってるうちに、だんだん「この角度でいいんだっけ?今背中伸ばせてるかな?」ってわかんなくなっちゃったし。
先生の合図で皆顔を上げたけど、眼鏡の女の子が勢いあまってよろけちゃってた。
「やっっっと身体動かす時間だぜ!!」
一日目の最後だ。
皆運動着に着替えて、私やロズリーヌ殿下は《護身術》、座学から解放されたレオはアベル様達と《格闘術》、シャロンやウィルフレッド様達は《体術》の試験になる。
「レオ、怪我しないようにね?」
「おうっ!全力でぶつかってくる!」
私が言った事、ちゃんと聞いて返事してる?
全力でコロシアムに走っていくレオを見送って、私は訓練場に急いだ。
テストは、襲撃者一名をうまくかわせるか。
布で仕切られたスペースがいくつか作られてて、中に襲撃者役の人が一人ずつ。順番待ちの生徒には中でどんな風に襲ってくるかわからないようになってる。
もちろん、真反対にいる試験官の先生からは丸見えだ。
捕まらずに三十秒逃げ切る、スペースの出口から逃げ出す、逆に相手を行動不能にする。それができるか、惜しい所までいくか、全然できないか…そのあたりを審査されるみたい。
途中、ロズリーヌ殿下のよく通る声とドシンって音、先生の笑い声が聞こえてきた。…何があったんだろう。
「げほっ、ごほっ、フフンフッ…!つ、次……(A;^_^)」
「やりましたわぁーっ!これぞ王女パゥワー!」
「くふっ、げほげほ!( ;´艸`)」
何があったか気になりながらも、私の番。
中にいたのはなんと、《剣術》初級クラスと《弓術》担当のイングリス先生だった。笑顔でひらひら手を振ってるけど、絶対無理!
「そんな顔すんなって、もちろん手加減ありありだ。」
「はっ…そ、そうですよね!」
「次の組始めますよ~。よーい…ドン!(*^-^)」
私は一生懸命逃げたけど追い詰められ、授業で学んだ事を思い出して何とか伸ばされた手をはじいたものの、呆気なく捕まってしまった…。
二十秒もいかなかったんじゃないかな?
う~ん、実戦って難しい……。そもそも、背の高い男性が敵として立ちはだかった時点で、結構怖かった。
そう思い返してたら、ジャッキーの「無理無理無理!」って悲鳴が聞こえてくる。
耳を傾けてみると彼はずっと叫んでて、でも叫んだまま終わった。……あれ?もしかして逃げきってる?
シャロン達の《体術》では体の好きなところに三つ、手のひらサイズの紙風船を括りつけて、生徒同士一人三試合の様子と、最後に幾つ紙風船が残ったかを審査されたらしい。
つまり試合に早く勝って、かつ、全部で九個の風船を守りきってたら、すごい。
レベッカは「勝てたけど五つ割られた」って悔しがり、デイジーさんは得意げに「私が割られたのは二つだけよ」と言っていた。どうやらレベッカは自分で割っちゃったのもあるみたいで……らしいなぁ。
「第一王子殿下は流石だったわね。全て守りきった上で早かった。」
「たぶんトップだろうな。次が大臣の息子か?割れたの一個だった。あと…そうそう。聞いて驚けよ、カレン!シャロン…様が、上手い事やったんだぜ。」
「シャロンが?」
「スペンサー伯爵令嬢、覚えている?前にシャロン様の顔を蹴った女。」
「――ああっ!」
もちろん覚えてる。
ウィルフレッド様が怒ったっていう、あの!私が手をぽんと叩いたら、レベッカが嬉しそうにニヤリと笑った。
「あいつの風船全部割った上で、自分は一個しか割られねーで勝ったんだ!」
「すごい!」
「そうよ、すごかったわ。あの女ときたら、けらけら笑っていたけれど。」
女の子だけど、確か《剣術》は上級クラスの腕前だ。
シャロン、頑張ったんだなぁ…。
二日目の一時間目は《国史》。
これはひたすらに暗記の力が試される。
シャロンやウィルフレッド様が解説してくれた流れを思い出して…えっと、この人は思想の問題で当時の法務大臣と対立……ペシオン山で戦ったのは、そう。シャロンのご先祖様だから、アーチャー公爵っと。
ふと顔を上げたら、前の方でジャッキーが机に突っ伏していた。
勉強会では、シャロンとダンさんと一緒のテーブルで頑張ってたけど……あの様子だと、駄目だったのかな?ほんのちょっと彼の背中を見つめて、ハッとした私は慌てて問題用紙に目を戻した。
二時間目の《薬学》は時間半分で座学と実技に分かれてる。
実技の直前、一瞬だけホワイト先生がシャロンと目配せしたような気がしたけど…気のせいかな?記憶を頼りにせっせと調合していたら、後ろから物音がして背中が濡れた。
振り返ったら、勉強会でレオに話しかけてたキャサリン様?が、盛大に転んでいる。机の上に。……机の上に転ぶって何だろう。
「他の者は黙って試験を続けろ。――…聞こえなかったか。続けろ」
皆が慌てて目をそらす。
ウィルフレッド様やシャロンが心配そうにこっちを見てたけど、ホワイト先生が来てくれたのを見て作業に戻った。キャサリン様は赤くなったおでこを押さえてぺこぺこ頭を下げている。…下げられても困るよ!?結構位の高いお嬢様じゃなかったかな!?
「ごごごごごめんなさいね!?わたくしの手が、手が滑って机に!」
「だ、大丈夫ですよ。水ですよね、濡れただけだし…」
なんてやり取りする間に机から転がり落ちたビーカーを、ホワイト先生の大きな手が空中で受け止めた。水の魔法であっさりと中を満たしてキャサリン様に渡し、作業に戻るよう告げる。
ゴーグルの赤いガラス越しに見据えられ、ピンと背筋が伸びた。
「どれぐらい濡れたんだ。」
「あ、えと…」
指で後ろを向くよう指示され、背中を向ける。
先生の手の甲が前触れなく濡れたところへ触れて、ビョッと飛び跳ねてしまった。後からダンさんに「魚みてーだった」と笑われて、ちょっと怒った。
風邪をひく程じゃないと判断され、作業を続けて。
テストを終えて食堂へ向かう道すがら、チェスターさんが魔法で温かい風を送って乾かしてくれた。……温かいのなんてどうやってるんだろう?
お昼を食べながら、そういえば昨日の《格闘術》はどうだったのか聞いてみた。
なんと、十歳くらいの子供を想定した人形を守りながら試合したらしい。もし勝っても、自分の人形にダメージを与えられてたら減点されていく。
守り方も人それぞれ。
レオはおんぶするみたいに背中に括りつけて、チェスターさんは後ろに置いて相手に近付かせないようにして、ダンさんは片腕に抱えて、時に上へ放り投げながらだって。
「な、投げるの…?子供によっては泣いちゃいそう。」
「怪我するよりゃ良いだろーが。」
「そうだけど…」
「いきなり投げられると、びっくりするのよね……。」
「シャロン??」
何でほっぺたに手をあててしみじみ目を閉じてるの。
経験が…投げられた経験が!?まさかという目でダンさんを見たら、「違ぇわ!」って突っ込まれた。
アベル様は眉根を寄せてサラダを食べている。
パプリカ嫌いなのかなって小声でシャロンに聞いたら、たぶん違うって言われた。今日の私、大体違うのかも。
午後が授業をとってない《剣術》と《音楽》でよかった。
「ね、レオ。そういえばアベル様はどうだったの?《格闘術》。」
「おう、人形は脇に抱えて。」
「うん」
「反対の手と足技で全員やられた。」
「……そっか……。」
アベル様の強さは相変わらずみたい。




