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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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388/524

386.一等星は空にいる ◆




『ノーラ』


 夜中、ぐらぐらと揺すられてあたしは目を開けた。

 眼鏡をかけて見えたのは、薄い水色で。


『フェリシア様…どしたんですか、こんな遅く……あれ?どうやって入っ』

『静かに。落ち着いて聞きなさい』

『んぇ?』



『アベル殿下が亡くなったわ。』



『………へっ……?』


 一瞬、なんて言われたのかわかんなかった。

 だって、聞こえた言葉はありえなくて。


『支度なさい。今すぐ』

『ま、待ってください。何で、なんでそんな、嘘ですよね?』

『急いで。……公式な場になれば、貴女、別れの挨拶なんて許されないのよ。』

『――…っ、あ、』

 じわっと滲んだ涙を瞬きで押し込んで、わけもわからないまま着替えた。

 フェリシア様の瞳が潤んで光ってたのが目に焼き付いて、そんな。じゃあ、嘘じゃない?

 嘘でしょ、それか、夢だって。


 震える足で、他の人を起こさないように廊下を急いで、寮を出た。


『シミオンはクローディア様を呼びに行っているわ。』

『さ、サディアス様は?フェリシア様、何で、何で殿下死んじゃっ……』

『………。』

 黙ってあたしの手を引くフェリシア様が、ぐっと力を込める。

 何が起きたか全然わかんなかった。


 だって、あの殿下よ?


 死ぬわけないじゃない。

 誰が殺そうとしたって死なないような、最強の王子様なのに。


 なのにあたし達は寒空の下、校舎の入り口で待ってたスワン先生と合流して。

 蒼白な顔をした先生に連れられて、嫌だ、嫌だ。

 こんな異常事態。


 まるで現実みたいで、嫌だ。


『フェリシア、ノーラ!』

『シミオ…』

 名前を呼びかけたフェリシア様が口を閉じる。

 シミオン君はクローディア様を抱きかかえて駆けてきた。クローディア様は真っ青で、両手を握り締めたまま固まって、こっちを見ない。


『……行きましょう。』

 フェリシア様はいつもみたいに背筋を伸ばしてそう言った。

 スワン先生が頷いて案内してくれる。廊下を進んでいくごとに騎士の姿が多くなって、皆暗い顔をして、あたし達を見やっては黙って目をそらした。


『来たか。……ここでちょっと待ってな。兄の方を連れてくる』


 憂鬱そうな目をした学園長先生がそう言って、シミオン君はゆっくりクローディア様を下ろした。

 まだあたし達を見ないクローディア様は、足に力が入らないみたいで。シミオン君の腕に掴まったままで、呼吸は浅かった。…とても、声をかけられない。

 あたし達だけの部屋で、前に立つフェリシア様が振り返った。


『皆、殿下のご命令は覚えているわね。』


 シミオン君が頷く。

 あたしは――…ああ、本当なんだって、思って、涙が零れた。

 はい、って頷くだけで限界で、眼鏡を持ち上げてぐいぐい袖で拭いて。嫌だ、嫌だ。



 ――嫌だなぁ、殿下。そんな事あるわけないじゃないですか!



 能天気にあたし、そう返したのに。

 絶対あり得ないでしょって思ったのに。



 ――だって、最強の王子様だもん。



 殿下、ねぇ。

 ちょっと笑ってくれたの、あたし覚えてるよ。



 ――それでもだ。ノーラ



 妙に落ち着いた声が、はっきり思い出せる。

 あたし何であの時もっとちゃんと…絶対生きてくれなきゃ困りますよって、言わなかったんだろ。

 長生きしてくださいねって、おじいちゃんおばあちゃんになっても皆で顔合わせて喋りましょうよって、約束ですからねって、言えばよかった。

 言えば、よかったのに。


『クローディア様。』

『…わた、くしは……信じない。信じません』

『もうこちらに第一王子殿下がいらっしゃるのよ。』

『信じない。あの方を、この目で見るまで……』

 夜道を怖がる子供みたいに、クローディア様が震えてる。

 先生がたやフェリシア様がこんな嘘をつくわけないってわかってて、理解してて、信じない。


 フェリシア様は目をぐっと閉じて少し俯いて、顔を上げたその眼差しは強かった。


『シミオン、クローディア様を座らせて。その有様ではかえって不敬だわ』

『…承知。』

『ノーラ、涙は後に。しゃんとなさい』

『ッ、はい……』

 入口に向かって立つフェリシア様の背中を見て、もう一回、目元をぐしぐし拭いて。

 ごくって喉を鳴らして、あたしはできるだけ姿勢を良くした。


 扉が開いて、第一王子殿下が姿を現す。

 遠目から見るといつもキラキラしてたのに、姿勢はいつもみたくぴしっとして見えるのに、青い瞳は随分と暗かった。

 フェリシア様が深く礼をして、あたしとシミオン君も続く。クローディア様もかろうじて少し頭を下げたらしいのが、衣擦れの音でわかった。


『この度は格別のご配慮を賜り、深く感謝申し上げます。第一王子殿下』

『…顔を上げてくれ。君達が、アベルの……』

『協力者であり部下でございます。改めてご挨拶を――』

『いい、後にしよう。……早く会いたいだろう。』

 第一王子殿下が、扉を開けたままにして部屋を出ていく。

 ほんの一呼吸おいてフェリシア様が、頭がじんじん痺れながら、あたしも。シミオン君がクローディア様を促す声を後ろに聞きながら、足を進めた。



 部屋の真ん中にぽつんと置かれた台に、高そうな布が敷かれてる。

 あたし、殿下が寝転んでるとこなんて見た事あったかなぁって、ぼんやり考えた。


 胸元まで真っ白な布で隠された殿下は、王族らしいかっちりした服を着てる。まるで寝てるだけみたいな、目を閉じただけなのに……


 ああ、動かないって――こういう事なんだ。



『う、ぁぁぁぁあああああ!!』


 クローディア様が泣き崩れる。

 慰めるとか抱きしめるとか何かしなきゃって思ったけど、あたしの足は床にくっついたみたいに動かなくて。


『知らない、こんな未来知らない!殿下、あぁぁ…わたくしは、わたくしが一番見なければ、知ら、ければっ、いけなかったのに……!』


 シミオン君が固く握った拳から血が流れて、ぽたりと落ちる。

 フェリシア様の後ろ姿は、静かだった。


 クローディア様がずっと、「嘘」って呟いてる。

 そうなら、よかった。


 動かない足を見下ろしてあたしは、何で動かないのよって心の中で喚く。

 拳でポンと叩いたら、全然弱くて痛くもないのに足がカクンとなった。折れちゃいそうな膝を伸ばして、一歩前へ。もう片方も、前へ。


 床に赤い血が垂れてた。

 固く握りしめて真っ白になった手を取って、振り向いたシミオン君の目を見る。

 黒い瞳があたしを捉えて、いつも真顔の彼が泣きそうに顔を歪めた。


『あたしっ……治癒、下手だから。』

『…ノーラ』

『だから、これ以上は駄目。』

『………。』

 頷いたシミオン君から手を離して、フェリシア様の隣まで。

 もう目を開けないんだろう殿下はなんでかちょっとだけ、穏やかに笑ってるように見えて。

 ふざけんじゃないわよって思う。

 何か言ってやりたくて口を開いたのに、言えなくて閉じた。


 殿下、ねぇ。

 何でこうなったかわかんないけど、でもさ。そんな顔で死なないでよ。

 あたし達が今どんな気持ちだと思うの。

 ちょっとは想像してよ、悪いなと思ってよ、殿下は置いてっちゃうんだよ、あたし達を。


『…クローディア様。もうよろしいですね』


 すっと姿勢を正してフェリシア様が聞く。

 床に座り込んで泣いていたクローディア様は、シミオン君の手を借りて立ち上がった。俯いたまま顔を見せないのは、最後のプライドなのかもしれない。


『……殿下の、ご命令通りに。』


 掠れた声。

 部屋の中で唯一あたし達の会話がわからない第一王子殿下が、怪訝そうにフェリシア様を見やる。

 あたし達は一斉に、深く頭を下げた。



『我ら四人今この時をもって第一王子殿下を主とし、仕えさせて頂きます。』



 自分がいなくなったら、兄へ同じように仕えてほしい。力になってほしい。


 それは随分と前に殿下が言った事だった。

 こうなった以上、それが最後に果たすべき命令で。


 頭を下げてたあたし達は……



 未来の国王陛下がどんな顔をしてたかなんて、知らない。





 ちょっとは切り替えたはずの気持ちは、持ち直そうとした心は、すぐに砕け散る。


 殿下を殺したのはサディアス様だったから。


 それも魔力暴走のせいで、薬を飲んでしまったせいで、本人はもう……死ぬ事を望んでる。

 あたしなんかじゃ面会は許されなかった。


 殿下の葬儀は学園の生徒だけの回でも人がたくさんいて、フェリシア様が言った通り。

 あたしなんかじゃ近くに行けなかった。


 ……涙って、出ないものね。

 葬儀になったらまた泣いちゃうと思ったのに。


 あたしがぼーっとしてる間に、乱闘騒ぎが起きていた。

 殿下を笑った生徒達がいて、真っ先に殴りかかったのは平民の子らしい。

 乱闘にはシミオン君も参加してて心配だったけど、王家を侮辱した方にこそ罪がある。騒ぎを起こしたのは問題でも、寛大な処分になるだろうってフェリシア様が疲れた顔で言っていた。


 パット達にもしばらく会えない。

 あのフェルが珍しく険しい顔を見せるものだから、なんだか余計に……現実なんだって、思い知る。


 嘘みたいなのに、現実味ないわねって思うのに、悪夢みたいなのに、現実だとわかってる。



 何でこうなっちゃったの?



 気付いたら寮の自分の部屋にいて、すっかり夜でもう寝なきゃいけない。

 眠って、明日になったらまた授業を受けて…


『……嫌だなぁ。』


 前に進まなきゃ。

 一番、ね?怒りそうじゃない。


 「僕が死んだくらいでなんだ」って、あっ、そんな事言われたらあたしは怒り返すけど。

 こっちの勢いにたじろぐ殿下を思い浮かべて、ちょっと笑う。


『…やだなぁ。』


 「俺がいないくらいでなんだ」って、うん、そんな事言うならあたし、笑って、


『えへへ……んとに、いなくなるなんて、思わないですよ……』


 目の奥がじんと熱くなって、鼻が垂れちゃいそうと思って、上を向きながら窓を開ける。

 冬の冷たい空気があたしの髪を揺らした。


『…はは……。』


 笑う形になってた口が、閉じて。

 唇の端っこが下がっちゃう。



 空にはひときわ、強く輝く星があった。



 見慣れてたはずなのにもう懐かしい、金色の光。

 とってもきれいで……口が勝手に開く。視界が滲んでいく。


『殿下』


 ああ、いなくなっちゃったんだって。


『殿下ぁ…!』


 あの空に、行っちゃったんだって、涙がぼろぼろ零れ落ちる。


『ぐずっ、うぅ…なんで、何で…?行かないでよぉ……!』


 最強の王子様なのに。

 絶対に負けない、あたし達の、殿下だったのに。


『いっぱい仕事振っていいから、苦手な科目も、お作法も、頑張るから……』


 なんにも意味ないってわかってるのに我儘を言った。

 もし誰かに聞こえても、星に届いたって、叶うわけがないのに。


『お願いだから、戻ってきてよ……』


 ぐちゃぐちゃに泣いて、喉が痛くて、みっともなく声を上げて、誰からも返事はない。

 フェリシア様も、サディアス様も、クローディア様も、シミオン君も。

 きっともう二度とあたし達は、前みたいに笑い合えなくて。


 けど、だからこそもう……これ以上失いたくないって、強く思った。


 そうして




 あたしの願いなんか、やっぱり意味がないと知る。




 サディアス様は殿下の護衛騎士に殺された。


 お父さんが、パットが、ポールが殺された。


 あたしだけシミオン君に助けられて、でもクローディア様はあたしを殺そうとした。


 そのクローディア様が目の前で殺されて、



 もう、何もわからない。





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