385.続けた責任を、いつか。
休日の夕方。
ゆるく巻いたプラチナブロンドのポニーテールを揺らし、ロズリーヌはラウルと共に街の路地裏を歩いていた。のしのしと進む度に、髪を結う大きな白いリボンが跳ねる。
目当ての場所に辿り着くと、吹き込んだ風がラウルの緑髪をさらりと揺らした。
小さな空き地だ。
歩き通しでは体力がもたない事もあって、日差しがオレンジ色になったらここの壁際に置かれたベンチに座り、その日買ったおやつをかじってから帰るのが習慣になっている。
いくつかの小道に繋がるこの場所はほんの五メートル四方くらいの広さで、ある程度人通りがあるのか雑草は目立たず、ベンチに汚れもないので休憩するにはもってこいだった。
さっそく腰かけたロズリーヌが「ふう」と息を漏らす。
ラウルはチーズ串揚げを片手に一本持つと、残りのもう一本が乗った皿を主人へと差し出した。ロズリーヌが受け取って皿を膝上に置く。
「わたくしも、この程度の散歩なら余裕シャクシャクでこなせるようになりましたわね!」
「まぁ歩きですからね。」
「《護身術》でも身体を動かしていますし、ふふ……お肉の「お」が、「筋」に変わってきたのを感じますわよぉ……!」
「殿下。手をわきわきさせるのは、淑女的に止めた方が良いかと。」
「確かに!しまっときましょ。」
ロズリーヌは頬にえくぼをつくって微笑み、両手の指先を隠すようにキュッと拳にする。
それでどうやってチーズ串揚げを食べるのか。
指を伸ばしてはならないなど一言も言っていないが、拳同士で串を挟んで持ち上げようとチャレンジするロズリーヌを、ラウルはしばし黙って眺めた。
ちりん。
妙に響く鈴の音が聞こえて、二人は顔を上げる。
ほんの数メートル先にいつの間にか、一人の男が立っていた。
黒の長髪は後ろ半分をくるりと小さな団子にし、余った髪をそのまま垂らしている。
君影草を模った銀色の簪、顔の上半分を覆う猫面の目は闇に覆われ、動きやすそうな軽装の上から黒のマントを羽織っていた。
ロズリーヌが瞬き、軽く持ち上がっていた串が皿へ戻ってカタンと音を立てる。
「んまあ!アロイス!!」
「ふふ、こんにちは。ロズリーヌ王女」
「貴方って昼間も動けるんですのね。わたくしてっきり、夜行性だと思っ」
「殿下。」
「へ?」
ラウルが素早く立ち上がり、ロズリーヌを守るように片腕をかざして桃色の瞳を周囲に走らせた。アロイスが緩やかに口角を上げる。
きょとりとしたロズリーヌは無意識に串を指で摘まみ、ラウルの真似をして周りを見回しつつカリッとかじった。
――おいしッ!…ううん?なんだか…
「静か、ですわね?」
「噂に聞く、風の魔法による防音ですか。」
こてりと首を傾げたロズリーヌの前で、ラウルが問いかける。
建物の向こう、メインストリートから聞こえてくるはずの喧騒が無いのだと気付き、ロズリーヌも静かに立ち上がった。さらに串揚げをかじりながらも、表情は真剣そのものだ。
「防音ではないよ、それだと邪魔が入ってしまうからね。」
「何をしたんです」
「大丈夫ですわ、ラウル。……わたくしの懸念について、モグ。調査報告に、ング。来てくださったのでしょう?」
カリコリモチと串揚げをかじりながら言うと、ラウルが呆れたように肩の力を抜いた。
アロイスはくすりと笑って首を傾ける。しゃらん、と簪が鳴った。
年が明けた二月。
サディアス・ニクソンが薬を盛られ、魔力暴走の果てに第二王子を殺してしまう。
ロズリーヌの「懸念」は要約するとそういう話で、アロイスはそれを「少し調べてみる」と言ったのだ。
しかし期限を設けず連絡手段もなかった為、事件がまだ先の事とはいえ、どうしたものかとロズリーヌは困っていた頃合いである。
アロイスは「少し調べたけれど」と話を始めた。
「魔力暴走を起こす確率が高い増強剤としては、違法薬の《スペード》が有名なようだね。ロベリアの罪とも呼ばれている、即効性が高く、時折幻覚と錯乱をもたらすものだ。」
「それはヘデラにも資料がありましたわ!ただ葉っぱを噛むとかパイプで吸うそうですから、たぶん違いますわね!モグッ!サディアス様が自分からなさると思えませんもの。」
「殿下、それ一旦置きませんか。」
「私は構わないよ。」
遠慮せず食べると良いと言われ、ロズリーヌはありがたくチーズ串揚げを咀嚼した。呆れ顔のラウルも自分の分にガリッと噛みつく。熱い。
「そう、そこが問題だね。即効性という事は、君の懸念通りなら《スペード》の葉か燻した煙を、第二王子の目の前で摂取した事になる。どうだろう?」
「ありえまひぇんわね!ムグモグ。」
「うん。可能性はかなり低いだろう。だから除外として、もう一つ。」
アロイスが人差し指をぴんと立てる。
ロズリーヌは心の中で「ゲームの立ち絵と同じッ!」と叫んで凝視した。
「《ジョーカー》と呼ばれる幻の薬がある。無味無臭の遅効性で、ほぼ確実に魔力暴走が起こり、錯乱と幻覚症状が伴う。」
「ング!き、きっとそれですわ!そのせいでサディアス様は!」
「ただ作るのが相当難しい。材料を集めるだけで莫大なお金を必要とし、かなり正確に作れる薬師でなければ調合に失敗するとか。ジョーカーが登場する事件は、近隣諸国合わせてもこれまでに三件だけ……そこまで知るのもちょっと大変だったよ。」
「お金があれば全部解決ですわね?薬師なら腕の良いのを雇えばいいんですもの。貴族の中でもお金持ちが黒幕ということ?」
「ニクソン家に恨みを持つ貴族は多いよ。犯人探しがしたいなら王都へ行くしかないだろうね。彼の父親、ニクソン公爵の周りを探らないと。」
ロズリーヌはむぎゅっと眉根を寄せて唸った。
留学生である以上学園から離れるわけにはいかないし、公爵の周りを探るなど素人にできる事ではない。
かといってアロイスも、「報酬があるなら調べてあげるよ」と言い出す気配はなかった。
「ではやはり、サディアス様を守る事が重要ですのね……うう、無味無臭なんて卑怯ですわ。どうやって防げばいいのかしら。」
「うーん、厨房で食材が洗われる所から見張るとか?なんてね。」
「確かに!」
「殿下。無理です」
「くぅ!」
さすがに怪しすぎる。
それにもし何か起きてしまった場合、真っ先に疑われる事となるだろう。ロズリーヌはハンカチを噛みしめる心地で、チーズ串揚げの最後の一口をバクンと食べた。
――サディアス様が飲み食いするもの全てを見張るなんて、土台無理がありますわね。へばりつこうにもわたくしじゃ寮に入れないし、ラウルだってそこまで信用してもらえるわけありません。そもそもが他国の人間ですもの。サディアス様がそれくらい信じられるのなんて……アベル殿下ご本人くらいでは?でも万一を考えたら、彼こそ近付いてはいけませんわよね……。
「アロイス、その薬を作れる人ってどれくらいいるんですの?」
「さぁね、ツイーディア王国屈指の薬師は誰かと聞いてみたらどうだろう。違法薬の質問は警戒されるだろうけど、それくらいなら学園の先生も答えてくれるんじゃないかな。」
「……そうですわね。普通に聞く、という手段を忘れていたかも…」
串を皿に置き、顎肉を触りながらロズリーヌが考え込む。
二人からは見えない暗闇の中、アロイスは瞳をどこともない空中へ向けた。
――この街で言えばホワイト先生と……テオフィル・ノーサムも可能性があるかな。隠し部屋に随分と本格的な調合道具を持ち込んでる。後は…
公爵令嬢の姿を思い浮かべ、ゆっくりと瞬く。
彼女ならいずれ、ジョーカーと同じ効果を持つ《何か》を作れるかもしれなかった。
しかし恐らくまだ己のスキルに気付いていないし、彼女がやるなら副作用をつける必要がない。
強力な魔法を発動する為には何が必要かも知らないはずだ。魔法大国と呼ばれるツイーディアで何年も暮らしてきたが、アロイスは未だ、それを活用している者を見た事がない。
――…アンジェも、そこまでは伝えなかったという事なのかな。
「アロイス」
名を呼ばれて、ロズリーヌに視線を戻した。
ぷくりと頬を膨らませ、唇を尖らせた王女がこちらを睨みつけている。
「一つ、これだけは言っておきますわ。」
「何だい?」
「先日会った時、貴方はある意味幸福な終わり方だなんて仰いましたけれどね……未来を知らないから、そんな事が言えるのです。」
彼女にしては静かな、けれど強い声だった。
薄青色の瞳にはまるで見てきたかのような深刻さがある。懸念が事実だと確信している。アロイスは仮面の奥で目を細めた。
――…本当に何なんだろうね、ロズリーヌ王女。君は《未来視》じゃない。
「アベル殿下を失った皆様がどうなるか、この国がどうなるか、貴方は…」
「優しいね、君は。」
しゃらんと簪が鳴った。
他国の事情に肩入れするなんてと続けようとして、自分も同じかと口を閉じる。
『ハァイ、いらっしゃいませ!』
あの時、視界の端に見えたモノに気付かなければ。
サングラス越しに笑うアベルを見なければ。
シャロンが「お兄様」などと言うから、国王に隠し子がいたのかなどと余計な事を考えなければ。
故郷に置いてきた妹を思い出さなければ。
戸惑いを隠すうち、二人の会話に呑気な言葉を返さなければ。
アベルが自分の意識を保っていると、確信を得る前に刀を取り出していれば。
手遅れと信じて、シャロンの目の前ですぐに殺していれば。
愕然とするだろう少女を残して、姿を消していれば。
今頃とっくに、物語は終わっていたかもしれないのに。
「…約束通り少しだけ手伝ったから、もういいかな?」
「えっ!あ、それはちょっと待ってくださいな。わたくし他の伝手が何も、」
「騎士団は違法薬について調べてるようだよ。動いてるのは君だけじゃない」
ロズリーヌの目が驚愕に見開かれる。
一歩後ろへ下がったアロイスを引き留めようと唇を開き、けれど
「またどこかで。」
ちりんと鈴が鳴って、彼の姿は消えていた。
困り顔でラウルと視線を交わす間にざわざわと音が戻り、メインストリートからの喧騒が聞こえてくる。
皿に置かれた二本の串だけが、白昼夢ではないと伝えていた。




