383.極秘令嬢シャロン・アーチャー
放課後に応接室へ来るようホワイト先生に言われたものの、指定された部屋はまだ鍵がかかっていた。
ちょうどよく廊下にはベンチがあったので、私が腰掛けダンは近くに立つ。時折通りかかる生徒に声をかけられ談笑していると、ようやっと階段からホワイト先生が姿を現した。
すぐ後ろに四十歳前後だろうか、たっぷりとした灰色の髪の男性――見覚えは無い。少なくとも平民ではなさそうな方と、付き人らしき男性。
さらに数人、護衛なのだろう人々が階段を上がって来る。
私は立ち上がって先生の方へ向き直り、礼をして微笑んだ。
「お待ちしておりました、ホワイト先生。」
「ああ。今開ける」
鍵を取り出した先生の後ろで、灰色の髪の男性と互いに軽く会釈する。先生が私を呼んだのはこの方と会わせるため?何者なのかしら。
「ラドフォード、おまえはここで待て」
「…承知致しました。」
私と目を合わせてからダンが了承する。
部屋に入ったのは私とホワイト先生、それに灰色の髪の男性と付き人の方の四人だけだ。ダンと同じく廊下に残るらしい護衛の一人が頭を下げる。
「では発動を解除し、我々は廊下で待機させて頂きます。」
「ああ。よろしく頼む」
閉じていく扉から視線を前へ戻すと――…
国王陛下とお父様がいた。
「そのままでいい」
咄嗟に立ち上がって礼を取ろうとした私を、陛下が軽く手のひらを向けて制する。
どうやらあの灰色の髪の男性が陛下で、付き人はお父様だったようだ。二人共護衛の、いえ、騎士の魔法で姿を変えていたのだろう。お忍びでいらっしゃったのね。
今年で四十一歳になられる陛下はアベルと揃いの金色の瞳をしていて、少し癖のある金の長髪を左だけ耳にかけている。
反対にお父様は短く整えた髪も鋭い瞳も銀色で、騎士が退室したせいなのか陛下の隣に堂々と腰かけていた。ホワイト先生はあまり長居しないつもりなのか、一人掛けソファのひじ掛けに座っている。
「身内だけと思って楽にしてくれ。久し振りだな、シャロン嬢。」
「ご無沙汰しております。国王陛下、お父様。女神祭の件では多大なるご配慮を賜り、深く感謝申し上げます。」
「いいさ、後は俺の息子達が上手くやるだろう。今日はその話ではない。」
「お前のスキルを確認しに来た。」
では何かしらと瞬いた私に、お父様が険しい顔で言った。
確認と言われても…入学以前、両親には既にスキルを明かしている。その時の事を思い返して内心首をひねった。
自身の筋力を魔力で補助できること。
対攻撃魔法の防御として、宝石に水の魔法を仕込めること。
『筋力の方は知っていたが、他にもあるのでは余計にお前のスキルがわからないな。』
『宝石をお守りに……う~ん、やり方は違うけれど、《加護》の亜種ではないかしら。』
同じスキルの名前をつけられていても、できる事が同じとは限らない。
たとえば《先読み》。
これは《未来視》とも呼ばれる未来を知るスキルだけれど、人によって「景色として見る」「音で聞く」「文章が浮かぶ」などの違いがある。
『片方だけならわかるが、どういう事だ?人に与えられるスキルは一つだ。』
『わからないわよ~。だってそれは、これまで確認されてないから、でしょう?』
楽しげに笑うお母様にお父様は難しい顔で唸って、珍しい事には違いないから公表は避け、信頼する人物にしか明かさないようにと私に言いつけた。
私にできるのは身体強化と、宝石でお守りを作ること。
ちらりとホワイト先生へ視線を移してみる。
考えるまでもなく、彼の前でスキルを使った事はないはずだ。なぜここにいるのだろう。陛下の前だからかゴーグルを首元へぐいと下ろし、先生は赤い瞳をこちらへ向けた。
「おまえに作らせた薬に魔法がかかっていた。」
「…魔法、ですか?」
「自然治癒力を高めるものだ。」
声が漏れそうなのを我慢した。なにせ陛下の御前だ。
でも、どういう事?
私にそんな魔法をかけた覚えはないし……第一、物質にかかった魔法なんてどうやって知るというのか。
知る方法が現代にあるのなら、ウィル達に返すカフリンクスにきちんと守りを込められたかどうかも確認できる?
ホワイト先生は腕組みをして話を続けた。
「しかし後日呼び出して作らせた物に魔法は無かった。キャサリン・マグレガーに聞いたが、授業で使うはずだった水を零されたおまえは、水の魔法で代用したそうだな。傷薬を作るために水を生み出した。」
「…はい、確かに。」
「先日くれたクッキーを作った際、魔法は使わなかったと聞くが…宝石にするように何か祈りを込めた記憶は」
「ちょっと待て。」
お父様がピリッとした声で遮る。
ホワイト先生がそちらを見やると、お父様はものすごく眉を顰めて先生を見返、いえ、睨み返した。
「ルーク……今、娘の手作りクッキーを貰ったと言ったか……?」
お父様。
今、そういう話じゃないわ。
陛下は真顔で口元に手をかざし、ホワイト先生が僅かに首を傾げた。
「シャロン。屋敷では…屋敷では作った事などなかっただろう……!?」
「はい。友人に習う形で…その、お父様?」
陛下の御前なのですがと、言ってよいものか。
ふっと息を吐いた陛下は美麗に微笑んでいる。…駄目だわ、どう思っていらっしゃるか全くわからない。お父様はすごい眼力で私を凝視している。
「なぜルークに……ま、まさか…」
「それは勿論、日頃お世話になっておりますから。毒味の上で殿下やサディアス様、チェスター様にも差し上げましたので、何も特別な事は…あの、スキルの話ですが。」
「ああ。」
話を戻そうとすれば先生が頷いてくれた。
私がクッキーに魔法を使わなかったというのは、恐らくあの日いた誰かに聞いたのだろう。
「祈りを込めたという程ではありませんが、生地を作る際に考えていたのは……先生がお疲れの様子だったので、少しでもお休み頂ければ、と……」
「確かに寝不足ではあった。おまえの事ばかり考えていたからな。」
「ぐッ!?」
「ルーク。言い方に気を付けないとエリオットが爆ぜるぞ」
「……どういう意味です、義兄上。」
胸を押さえて苦悶の声を漏らしたお父様が、ぼそぼそと「まだ早い」とか「もう少しよく考えなさい」と呻いている。
そんな事より、なぜ国王陛下にまでお越しいただく事態になっているのか説明してほしい。私はホワイト先生へ視線を戻した。先程の質問からして、恐らく間違いないだろうけれど。
「あのクッキーにも…魔法がかかっていたのですか?」
「《疲労回復》がな。」
薬と内容が違う。
「正確にはかけ損なっていたが、魔力が不足していただけだ。恐らくお前が自覚して行えば発動は可能だとおれは考えている。」
気付けば、私は胸元で両手を重ねていた。
どくりと鳴る心臓の鼓動を、服の下に隠したアメジストの硬さを感じながら唾を飲む。
陛下は金色の瞳で私を見据えていた。
「君は魔力を流す事で、己が身体や物質に何らかの効果を与えている。そうだな、《効果付与》とでも呼ぼうか。非常に応用の利くものである事は間違いない。」
危険だと、そう思った。
陛下が目を細める。
「…あぁ、察しが良いな。流石はエリオットの娘だ」
自然治癒力を高める?疲労回復?防御効果?
私は他にどれだけできてしまうのか。
何を作れてしまうのか。
「まさか」と思って、薬にまつわる会話が脳裏に蘇る。
『傷と魔力を回復……シャロン。何の話だ?』
『そんな秘薬があればこの世の宝でしょうな。』
お父様やランドルフに聞いてもわかるはずがなかった。
『傷をすぐに治すなどという馬鹿げた所業は魔法に限る。おまえの言う傷の範囲が、裂傷打撲熱傷…その種類を問わないなら猶の事だ。薬にそんな事はできない』
『夢物語のような効果だが、仮に存在する可能性を探すならスキルだろう。』
ホワイト先生。
貴方は、それが…
『アーチャー家秘伝の薬よ。どうか、これを持って行って。』
――そういう事、なのかもしれない。
陛下に言葉を返すべきなのに、声が出なかった。
嫌な汗が背中を伝う。
『仮にそのようなスキル持ちがいた場合、国に保護されるか魔塔へ極秘に幽閉される可能性が高い。スキル使用不可の制約を解除不能でかけるか――まぁそれが可能かは知らんが――あるいは、国王の信用が余程無い限りは、逃れられないだろうな。帝国にでも渡せば終わりだ』
国王の信頼。
もし制約をかけたなら直前にカレンへ秘薬を渡せるだろうか。
ウィルもアベルも幽閉を選ばなかった、私なら他国に嫁いでもツイーディアの不利になる事はしないと、そう信じて送り出してくれたのだ。
復活したお父様は考え込むように眉間の皺を深め、両手の指先を合わせて私を見る。
「シャロン。お前の能力については極秘となる。もしも広く知られた場合、その身柄一つで国家間のバランスが崩れるんだ。わかるな」
「…はい。」
「私の娘という以上に多大な価値があり、ツイーディアとしてはお前を…」
「そう。君を我が国の外へ出す事はできなくなった。街を出て大きく移動する際は必ず王家に相談してくれ。相手は俺の息子達でもいいが、様々な効果を付与できる事はまだ伏せるように。薬の事もだ」
「承知致しました。」
陛下から直接のお言葉は絶対の命令。
できる事ならウィル達にも話したかったけれど、私は大人しく頭を下げた。
「シャロン。たとえ良い効果であったとしても、お前が無自覚にスキルを使ってしまうのは問題だ。《薬学》の実技でも…手料理でも、何か作る時は周りに悟られないよう、これを使いなさい。」
「はい、お父様。」
差し出された黒水晶のブレスレットへ伸ばす手が、少し震えてしまった。
もし本当に効果を選べるなら、いずれは攻撃魔法すら仕込めるのかもしれない。
攻撃、防御、回復。
私一人の存在で戦争の勝敗が決する可能性がある。
実際にはできなくても、知られれば狙われるだろう。
お父様は大きな手で包み込むように渡してくれて、私の目を見て力強く頷く。大丈夫だと言うように。
不意に滲んできた涙を堪えて、頷き返した。
ブレスレットは金具をスライドさせる事ができて、それによって肌に黒水晶を接触させられる造りになっている。不要な時は肌に触れない方にしておけばいい。
「《効果付与》がされているかいないか、気になればおれの所へ持ってこい。調べておく」
「ありがとうございます。けれど……薬もクッキーも、一体どうやって…」
「おれにそういう伝手があるというだけだ。これも機密の内だが。」
「上手く扱えるまで、君にはルークの保護下で経験を積んでもらう。」
私と先生の会話を切るように、決定事項として陛下が仰る。
きっと、保護は監視でもあるのだろう。陛下は意味深にホワイト先生を見やり、目を合わせて頷いた。
星の輝きを持つ瞳がこちらを向く。
「話は以上だ、シャロン嬢。俺は君の成長を願っている。」




