380.足りない二つ
永遠の宝物庫と呼ばれる輝石の国、コクリコ王国。
その地下深くで今、二人の人間が対峙していた。
「“ 観念なさい、エストルンド!貴方はもう終わりです!! ”」
一人は第二王女、イェシカ・ペトロネラ・スヴァルド。
緩くウェーブした橙色の髪は乱れ、民に紛れるための質素な服も、あちこちが汗や泥、あるいは守ってくれた誰かの血で汚れていた。
もう一人はエストルンド侯爵。
高級な衣服はさぞ綺麗だったのだろうが今や見る影もなく薄汚れ、イェシカの光の魔法に照らされた顔には汗が滴っている。雇った手下は使い果たし、己だけになった彼は肩で息をしながら振り返った。手に抱えていた何かを高く掲げる。
「“ 殿下、どうせ終わるなら一緒に逝きましょうか。あんたも道連れだ!! ”」
「“ まさか……発破用の爆弾!?いつの間に! ”」
「“ 宣言!さぁ炎よ全てを―― ”」
ダァン!!
鼓膜を打ち鳴らす銃声。
爆薬を握り締めていた侯爵が悲鳴を上げて倒れ、血の流れる腹を押さえてのたうち回る。
「“ くそっ、燃えろ、火よつけ!何でだ、何で魔法が発動しない!?くそ、くぞぉおおお!! ”」
「“ はぁ、はあっ…… ”」
撃った反動で手が痺れ腕が痛む。
取り落としてしまいそうな拳銃のグリップを握り締め、イェシカはふらつきながら立ち上がった。こちらを睨みつけてくる侯爵を鋭い黄色の瞳で見据える。
「“ 黒水晶――我が国の民ならば、当然効果はご存知ですわよね。 ”」
「“ まさか魔力封じの弾丸……ふざけるな、違法だろうが!! ”」
「“ あら、大罪を犯した貴方がそう吼えるのですか。えぇ、我が国においてこれは違法ですわ。製造がね。 ”」
イェシカの目に涙の膜が張り、堪えきれずにぽろりと落ちた。
いざという時のためにこれを持っていて下さいと、そう言って笑ってくれた人を思い出して。
――結局わたくしは最後まで、貴方に助けられてばかりでした。貴方は、わたくしが巻き込んだせいで命を落としたというのに。
「“ ぐぅう…痛い、痛い!頼む治してくれ!治癒が使えない、痛い゛ぃいい!治してくれ、何でも言う、情報はいくらでも吐くから頼む!イェシカ殿下ぁ!! ”」
苦しみに喘ぐ侯爵は醜かった。
これまでこの何倍、何十倍もの血が流れてきたのに。
侯爵の手先からイェシカを守るため、どれだけの騎士が傷つき倒れたか、誰がいなくなったか、目の前の男はろくに知らないのだ。黒く煮えたぎるような怒りが胸の奥から沸き上がる。
「“ ……貴方みたいな……っお前のような、馬鹿のせいで!! ”」
「“ ひいい!助けてくれ、お願いします!金も宝石も返すからッ…! ”」
「“ どれだけの人が犠牲になったと思っているのですか!お前の命などでは、お金では、輝石では、何もとり返せないのに!戻ってこないのに!どうして、どうして……!! ”」
涙で滲む視界の中、イェシカは拳銃を構えた。
殺してやりたいほどに憎いと、その気持ちが湧き上がって止まらない。恐怖で腰が抜けたらしい目の前の男は無様に地面を這いつくばり、身をよじって逃げようとしている。
「“ お前など―― ”ッしんじまえ、くそやろぉがー!!」
「“ やめてくれぇえええええ!! ”」
再び銃声が響き、けれど弾丸は、突如二人の間に現れた水の塊に飲み込まれた。
イェシカは信じられない思いで目を見開く。
同じ魔法で守られた事があったから、まさかと希望を抱いたから。
急激に失速した弾が沈んでぽろりと地面へ落ちた。どく、どくと心臓の音を聞きながら振り返る。
「“ 間に合ってよかった……やぁ、心配かけてごめんね。 ”」
片目に血だらけの包帯を巻いて、ヴェロニカ・パーセルの肩を借りて、片足を引きずりながら、それでも彼は笑っていた。
呆然とするイェシカの横を誰かが通り過ぎる。
はっとして視線を戻せば、紺色の髪と瞳を持つ小柄な女騎士、コンスタンス・イーリイが泥まみれの身体で侯爵を縛り上げた。イェシカと目が合うとにやりと笑う。
「よう、お嬢ちゃん。死んじまえとはあんたも言うよーになったな!」
「“ イーリイ……貴女も、生きて…… ”」
「こらこら泣くなよ!置いてきたけどあんたのお付きも生きて…おい、ヴェロニカ!何とかしな!」
「“ 殿下、怪我人はおりますが我ら皆、生きております。伯爵殿もほら、この通り! ”」
「“ 危ない所だったみたいだね。君にそれを渡してよかっ――うぐ!! ”」
伯爵の折れた肋骨にトドメを刺し、イェシカは声を上げて泣き始めた。
帰り道でどれだけ仲間の死体を目にしなければならないかと、落石からイェシカを庇った伯爵は洞窟内の深い崖へ落ちてしまったから、下手をすれば見つかりもしないかもしれないと、そう思っていたのだ。
伯爵は激痛を堪えてなんとか彼女の背に手を回したが、ヴェロニカの支えが無ければイェシカごと地面に転んでいただろう。
辛うじて男の矜持を守る彼を放置し、イーリイは侯爵に止血だけして引きずった。
「んじゃ、後はこのオッサンに色々吐いてもらわねぇとな。鑑定石の盗掘に大量輸出――…行き先は、どこだったのか。」
◇
ブロンドベージュの長い髪が屋根の上に広がっている。
「レイクス、貴方どこまで知ってるんですか?」
休日の真昼間。
まるで天気を聞くような気軽さで、《魔法学》上級および《神話学》担当教師、フランシス・グレンはそう言った。
ごろりと仰向けに寝転がる彼の前には、白い雲がぽつぽつと浮かぶ青空が広がっている。菫色の瞳をひょいと横へ流せば、人一人分ほど離れた隣にあぐらをかいて座る男がいた。
いつ首を落とされても良いよう短く整った瑠璃色の髪、明るいグリーンの瞳。
上等な仕立ての白い上着を羽織り、腕組みをしたその男の腰には立派な剣がある。
《剣術》上級および《格闘術》担当教師、元王国騎士団一番隊長ユージーン・レイクス伯爵。
「何についてだ?」
「この学園の秘密です。」
「秘密か……思えばお前は学生の頃から、それを理由にあちこち忍び込んでいたなぁ。」
「当時から今もずっと、私より君の方が学園長先生に信頼されてるでしょう?」
「はっはっは、お前は日頃の勤務態度を改めるべきだぞ。」
レイクスがからからと笑った。
明るく爽やな声色だけれど、この男は酔っ払ったグレンを放り投げる時だって笑っていたので、無害とは限らない。
「ホワイト先生が管理してる地下の温室以外にも、隠し部屋があるんじゃないですか?」
「あるかもしれないな、緊急時用の通路なんかが。」
「避難とかはどうでも良いんですけど、残りの二つですよ。」
「恐らく俺の知らぬ話だ、グレン。」
「使えない同級生ですねぇ……」
渋面で呟くグレンの肩を拳で小突き、レイクスは「ちなみに何の話だ」と聞いた。
「それは勿論、アンジェリカ・ドレーク様が建てたこの校舎。」
両脚を軽く持ち上げ、グレンは屋根をゴゴン、と踵で叩く。
ドレーク王立学園の校舎は六角形だ。
六騎士――血の繋がった六人の英雄にちなんだものだと言われている。
「本来、八角形であるべきだと思いませんか?」
初代国王、エルヴィス・レヴァイン。
初代五公爵、レイモンド・アーチャー、グレゴリー・ニクソン、ハーヴィー・オークス、コーネリアス・マリガン、アンジェリカ・ドレーク。
彼らが共に戦ったのは、神の如き強さを誇った月の女神と、神の如き治癒能力を持つ太陽の女神だ。
「女神二人が足りないという事か。しかし女神像なら、お前が管理する教会にあるだろう?」
「兄弟六人にちなんで、神と呼ぶ程だった二人を脇に追いやったと言うんですか?一応偉人じゃないんですか、うちの国の。」
「そう拗ねるな、貶したわけじゃない。」
「まぁ六にしても良いとしましょう、兄弟ですから。しかしそれなら別途女神達にちなんだ二つ……何か二つが、あるべきではないのでしょうか。そんな事だから六騎士と女神達の不仲説を書く阿呆が出てくる。」
気に食わない論文だか学者だかを思い出したのか、グレンの眉間に深々と皺が刻まれる。
レイクスは学者ではないので、無論、そこまで重くは考えていない。
「女神はどちらも行方がわからないからな。血を継いだ者がいるのかどうかすら。考える者は出るさ。だろう?」
「気に食わないですねぇ……許可さえ出れば、地面全部ほじくってみるんですけど。」
「出ないな、それは。」
「許可なしで強行突破するには、貴方がたが邪魔ですし。」
グレンは深々とため息を吐いた。
レイクスは厄介だ。ゼロ距離だとグレンは魔法が使えないとよくわかっていて、とにかく第一に距離を詰めて即行で関節技を決めてくる。
――私が魔塔を辞めて学園に来てから、レイクスが来てしまうまでの二年……その間に学園長の留守を狙うなどしておくべきでしたか……いや、一瞬で掘れるわけもない。騎士団の邪魔も入ってしまうでしょうし、どの道無理がありましたね。はぁ。
「私が死ぬ前に、何とかして女神伝説の謎が解けないものか……。」
「そんな事を言って、解けたら解けたで、お前はまた別の謎を追い始めそうだがな。」
「一理ありますね。しかし私はつまるところ、絶対的強者というものに興味があるんです。だから女神様の謎が解けずとも、彼がもし……」
そこで言葉を切って、グレンは横を向いた。
こちらを見下ろすレイクスにニヤリと笑みを浮かべてみせる。
「第二王子殿下。あの身体能力は異常でしょう?」
「異常ではないさ、努力する天才だ。お前のような気分屋には異常に見えるかもしれないが。」
「もしも彼が強力な魔法を使えるようになったら……それはきっと完璧な存在で、支配者に相応しく……もし私が敬愛できる方がいるとすれば、そんな上位存在くらいでしょうね。」
そんなモノがいるなら、見てみたい。
男は言った。
第二王子が魔力に目覚めるためには、精神的苦痛とそれを埋める癒しが必要だと。苦難を経験し女神様の御言葉によって導かれてこそ、かの王子は絶対的な王として君臨する。
『ああ、女神様。この者にも貴女様のお姿を拝見する栄誉を……』
興味本位で誘いに乗ったグレンは、その時までは「噂通り頭のおかしい連中ですね」と考えていた。
しかし妙に身体がじわりと温まったかと思うと、不意に彼女が目に映った。
菫色の瞳を丸くしたグレンを、男が満足そうに笑って眺めている。
『――……貴女は…?』
気付けばそう呟いていた。
全身が白く輝く髪の長い女が、どこともない空中を見るようにぼんやりと佇んでいる。光のせいで顔がわからず、衣服は長い布をただ纏っただけのような有様だった。
こちらの声が聞こえているのかいないのか、彼女はただ静かに泣いている。
それがわかったのは涙の雫が光の粒となって落ちていくからだ。グレンは闇の魔法を発動させ、何も打ち消せなかった事で彼女が魔法による幻影ではない事を理解した。
『これで信じられただろう、こちらにおわすのは本物の女神様だ。』
『……魔力の無い者に、与える事ができると?』
『もちろん。』
グレンは輝く女を見つめたまま、考え込むように顎を擦る。
傍らの男は自信満々の様子だったが、神話学者の中でも特に自論信者であるグレンには、今更「影の女神こそが本物の女神」などという主張は通らなかった。
――これは恐らく、アンジェリカ・ドレークがその目に映したという「死者の魂」だ。
君影国への侵入、調査が叶わない以上、死者や魂についてツイーディア王国の知識は遅れている。未知の領域だ。
グレンは笑みを浮かべた。
未知とは可能性である。
未だかつて誰も成しえなかった、魔力持ちへの覚醒が成るのなら。
やってみせればいい。第二王子が目覚めるためならば、誰かしらが死のうと構わない。
『素晴らしい。えぇ、できる範囲で協力致しましょう。月の女神に愛された天才が、影の女神にすら愛されたらどうなるか……非常に興味がある。』
過去を思い返しつつ、グレンは大口を開けて欠伸をした。
今のところ結局、ろくに協力はしていない。第二王子はそう簡単に揺らいでくれそうもなく、グレンが協力するにはリスクの方が高いからだ。
未知とは未検証でもあり、危険を冒した結果「無理でした」では意味がない。仮に成功したとして、その時グレンは牢屋の中です、などという場合も意味がない。
「おや」
ぼんやり空を眺めていたグレンがぽつりと呟いた。
「大きなカラスですねぇ……」




