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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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378.この身はいずれ

 


 ドレーク王立学園三年、ホレス・ロングハーストは外通路の柱の陰に身を潜めていた。


 男子生徒の中でも華奢な部類に入る身体に、少し自信なさげに丸まった背中。目に刺さりそうなほど伸びた茶色の前髪は、すれ違う人と目が合いにくい利点があると本人は思っている。


 神殿都市サトモスの近くに領地を持つ侯爵家の四男であり、最近は一年のジャッキー・クレヴァリーとアルジャーノン・プラウズ、二年のマシュー・グロシンといった騒がしい友人ができた。

 夢のような時間を過ごした幻の恋人のため、涙目になりながら口論した事もあるけれど――普段の彼は基本的に、物静かで気の小さい男である。


「俺と二人では嫌ですか?ふふ、素っ気ない貴女も美しいけれど」

「……禁じられておりますので……」


 ゆえに、通路のど真ん中で女性を口説かれてはとても通行できない。

 放課後で人通りもすくないためか、男子生徒の方はここぞとばかり迫っていた。しばらくかかるのであれば、気付かれていない内にそっと後退して校舎へ入るしかないだろう。

 これから会うのは待たせたくない相手だと言うのに。

 ホレスは苦い気持ちになりながら少しだけ二人を覗き見た。


 ――あれ?あの子……


 女子生徒の長い銀髪は艶めいて美しく、華奢で儚げな美貌に色白の肌をしている。

 週末、神殿都市から孤島リラへ帰還する《ゲート》でたまたま一緒になった令嬢だ。同じ学園の生徒とはいえ、ろくに話した事もないので会話はなかったけれど。


 ディアナ・クロスリー。

 リラへ戻った後は当然ながら向かう先が一緒で勝手に気まずくなり、存外スタスタと歩く彼女から離れた後方を歩いた事も、彼女が軽薄そうな騎士に話しかけられていた事もきちんと覚えている。ホレスは急いでその後ろを小走りに通り過ぎたのだから。


「さすがは大神殿の誇る淑女!ですがご心配なさらずとも、密室ではありません。自習室の扉は半開きにだってできますから。いかがでしょう?」

「わたくしは……話しかけられると、集中ができませんので。」

「長話はしませんよ、あくまで勉強が目的ですから。」

「……意味も、意義も。感じられませんわ。」

「ふふ、これは噂通り難攻不落だ。」


 ホレスは胃が痛くなってきた。

 あの男子生徒は心臓が鋼鉄でできているのかもしれない。ディアナの表情に怒りや蔑みはなく、声色に苛立ちはなかったけれど、もしホレスがあんな辛辣なセリフを言われたら真っ青になって硬直するだろう。


 ディアナは――週末に見かけた時もそうだったが――ほとんど真顔で、細い眉だけが困ったように下げられていた。

 どうするのだとつい成り行きを見守っていると、男子生徒は紳士的に片手を差し出した。


「意味があるかないか、まずは試してみませんか?」

「はぁ……わたくしは拒否しています。」

「そこをなんとか。」

「………。」

「しつこい男はお嫌いで?」

「……しつこいという言葉は、悪口の一種です。」


 好ましいはずがなかろうと言っている。

 儚げな見た目と声に反して頑なだ。しかし男子生徒は楽しげに目元を緩めた。彼の生家の方が上なので彼女の態度は少々無礼なはずだが、そこは気にならないらしい。


「箱入りですね、お姫様。」

「わたくしは幾度も断りました。……まだ続くなら…宣言します。」

「おっと?落ち着いてくれないか、それは」

「風で飛んでいくの。」


 咄嗟に飛び退った令息へディアナの手が躊躇いなく向けられ、問答無用で突風が巻き起こった。通路の外へ向けて三メートルはありそうな高さに飛ばされたのを見て、ホレスが「えっ」と声を漏らす。

 あんな高さから落ちてもし受け身が取れなかったら骨折か、下手をすれば…


「宣言、風の揺り籠!――はは、またお会いしましょう!ディアナ嬢!」


 幸いにも彼は魔法が得意であったらしい。

 己の魔法で体勢を立て直すと、楽しげに笑いながら手を振って飛び去って行った。ホレスはぽかんと口を開けてそれを見送る。実力行使で拒否されてまだ狙うとは。

 通路に残ったディアナは困り眉のままため息を吐き、歩き出そうとした。

 その足が止まる。


「……ご機嫌麗しゅうございます、殿下。」


 美しい礼をした彼女の先にはまた別の男子生徒がいた。

 少し癖のある黒の短髪にぎらりと輝く金色の瞳、腰には王家にのみ許された星の意匠を持つ剣がある。第二王子のアベルだ。機嫌がよさそうには見えない。

 遅いかもしれないとは思いつつ、ホレスは慌てて柱の陰に引っ込んだ。


「顔を上げなよ。授業外の攻撃魔法は禁止だけど、君の認識は違うのかな。」

「……わたくしは、己の身を守りました。」

「へぇ。彼が君に危害を加えるところだったと?」

「………。」

「向こうは敢えて怪我して家ごと君を責める事もできた。…もう少し考えて行動する事だね。」

「…はい、殿下。」


 再び深く頭を下げたディアナを冷たい目で一瞥し、アベルは視線を前へ戻して歩き出す。

 ホレスはマズイと思ったが今更どうする事もできず、目が合った王子殿下から当然のように「来い」と目配せされて「ひぃっ」と小さな悲鳴を漏らした。やはりバレていたらしい。慌てて後を追った。


 足音が遠ざかってからゆっくりと頭を上げ、ディアナは二人が去った校舎の角を見つめる。

 そうしてぽつりと呟いた。


「お望みのままに。……この身はいずれ、貴方がたの物ですから。」


 ディアナの顔には喜びも、期待も、愉悦も、悲しみも、憂いも、苦痛も、何もない。

 全ては定められているとばかり、神託を告げるがごとく平坦な声だった。




 俯いてアベルの後に続くホレスは、関わりの薄い生徒からは牢へ向かう罪人のように見える。

 ひそひそと「殿下が連れてるの誰?」「どっかで見たような気も」「三年じゃなかった?」などと囁き声が聞こえてきて、ホレスはますます身を縮めた。

 四人席のテーブルセットが一つあるだけの小さなサロンに入り、椅子に座ったアベルがホレスに座るよう促す。


「侯爵は何て?」

「えっと…で、殿下が仰っていた二人組。いたそうです、たぶん…確かに。」

 ホレスの父、ロングハースト侯爵の領地は神殿都市サトモスに近く、君影国の旅人二人(エリとヴェン)が通る可能性があった。

 どうも騎士団の詰所には寄っていない事から、領民の信が篤い侯爵を頼り、誰かしらが見かけていないか調べてもらったのだ。


「こ、これ父から預かりました……。」

 ホレスは鞄から二枚の紙を取り出してテーブルに広げた。

 黒インクでペン書きしただけの人相書きだ。額に布を巻いた男の横には「大男、護衛?」と走り書きされ、もう一枚には髪を低い位置で二つ結びにした少女が描かれている。

 「喋りが独特、とても元気。」という走り書きから視線を上げ、アベルはホレスを見やった。びくりと肩を揺らした彼はオドオドと視線を彷徨わせながら口を開く。


「乗合馬車がぬっ、ぬかるみにはまったのを、たたた助けて頂いたみたいで……詰所の場所を聞かれ、近くの街にあるという話はしたそうなのですが……」

「騎士団には来てないね。行先を知る者は?」

「あの…雑談の中で商人が、途中に寄った貴族の屋敷で美しい小刀を見たとか話を……お、女の子の方がすごい勢いで食いついて、その、あれやこれやと聞いて、行ってしまったとか。」

「誰の事かな、それは。」

「ヒッ!すみません!」

 ホレスがびくりと肩を震わせて目を閉じる。

 アベルは慣れた様子で「怒ってない」と告げた。


「で、誰の屋敷?」

「そそそれが…商人ごと行ってしまって、わからず……す、すみません。一応、これ、その商人の人相書きとか、話聞いた人の聞き込み結果を、父がまとめさせたもので……」

「わかった。ありがとう」

「は、はい。」

 礼を言われるとは露ほども思っておりませんでした、という顔で目を見開くホレスを放置し、アベルは一階へ降りて外通路へ出る。


 本来なら神殿都市にいるアベルの護衛騎士、ロイ・ダルトンを侯爵の所へ行かせたかった。彼はエリ達に会った事があるからだ。

 しかし彼は神殿都市の詰所預かりとして失踪事件を調べており、偶然ながらロングハースト家の息子と縁ができた事もあって、アベルはホレスに頼んだのだ。


 声をかけられたホレスは驚いた時のカレンより高く跳び上がり、声は裏返り、脚はガタガタと震える有様だったけれど。

 先日アベルが彼のピンチを助けてやった事情もあり、予想よりは早めに落ち着かせる事ができた。

 鞄にしまった商人の人相書きを思い返し、アベルは顎に軽く手をあてる。


 ――知らない顔だったな。ノーラ達に覚えがあると楽なんだが……


「ん……?」

 ふと視線を感じて目をはしらせると、一階の窓辺にシャロンがいた。

 アベルは入った事がないが、《治癒術》の教室のはずだ。上げ下げ窓は開かれていて、こちらを見て微笑んだ彼女の声がよく聞こえた。


「我が国に輝く貴き金色の星、アベル第二王子殿下にご挨拶申し上げます。」

「古き英雄の血を引く淡藤の姫、アーチャー公爵令嬢。僕に何かご用かな。」

「ふふっ、お見かけしてつい。」

 楽しげにころころと笑うシャロンへ近付く。

 時間帯も、建物も、目線の高さも違うけれど、窓辺で会う彼女は変わらずアベルの来訪を歓迎しているようだった。それが少し、懐かしい。


「一人か?」

「レオがすぐ来るわ。ダンはイングリス先生の所なの。」

 アベルはちらりとシャロンの後ろを見たが、教室には他に誰もいなかった。物音一つしない。

 つい先程まで《治癒術》の先生がいたと言うシャロンは、どうやらウィルフレッドについて話していたらしい。


「今日は麻酔で眠らせたマウスに、ほんの五ミリもない薄皮一枚の切開創を作って治したのだけれど……ウィルがやったら、マウスが麻酔から覚めて飛び上がったのよ。」

「……わからなくはない。」

「まぁ…貴方、ウィルの治癒を受けた事があったの?」

 アベルが渋い顔で頷くと、シャロンは困ったように眉尻を下げて「痛いわよね、すごく」と笑った。

 彼女も幼い時に身をもって体験しているのだ。当時は、何が起きたかよくわからなかったけれど。


「ウィルはまだ気付いてないな?」

「えぇ。見てくれ、飛び上がるほど元気だ!…と、喜んでいたもの。」

「そうか……。」

「他の生徒もまだわかってはいないから、先生と今後の授業について話をね。」

 純粋無垢に笑う兄の顔を思い浮かべ、アベルは遠い青空を見上げた。

 本人に悪気は無いのだ、本当に。


「……あの、アベル?」

「何だ。」

「先日のクッキーは、お口に合いましたか……?」

 窓枠に腕をついて両手の指先を合わせ、どうしてか緊張した様子のシャロンが聞く。

 アベルは自室で食べたバタークッキーの味を思い返し、さらりと頷いた。


「うまかった。ウィルは涙ぐんでいたくらいだ」

「そう……よかった。」

 開きかけの花がふわりと花弁を広げるように、シャロンが微笑みを浮かべる。

 ウィルフレッドが喜んでくれた事が嬉しいのだろうと、アベルも目を細めて僅かに口角を上げた。

 兄夫婦は将来国を背負って立たねばならないが、私的な時間にはどうかいつまでも、穏やかに笑い合える二人でいてほしい。


 廊下からバタバタと騒がしい足音が聞こえ、アベルは立ち去ろうと一歩踏み出した。

 薄紫の瞳と目が合う。


「また明日ね。アベル」

「あぁ。…また明日。」




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