375.失敗クッキー
《剣術》上級クラス特別授業の観戦を終え、レオとジャッキーは校舎の外通路を歩いていた。
「目がいくつあっても足んなかったなー!三組同時だぜ?」
「わかる。俺ちゃんマシューの試合しか見てなかったけど、目ぇ足りなかったわ。」
「ん?…それは単に追っついてないな。」
共に観戦していたアルジャーノンは「奴め!三年とはいえ没落一直線の男に負けるなど!」と斜めカットの金髪を振り乱して駆けて行き、昨日から不在にしているホレスは今日神殿都市から戻って来る予定だ。
ジャッキーは午前中シャロンが仲介したバイトをこなした為に眠く、レオは応援のし過ぎで空腹になったので、食堂で軽く食べてから訓練場で汗を流すつもりだ。
あんな熱戦を見ておいて今日訓練場に行かない訳がない、そう語った時ジャッキーがかなり引いた目をしていたが、レオはもちろん気付かなかった。
「あの黒髪の二年生!めちゃくちゃ強いぜ、別の人が相手だったらたぶんもっとすげぇ試合が見れたんじゃねぇかな。ちょーっと惜しいよなぁ!」
「ほーん……あれ?何か前のほう騒がしくね?」
薄紫の三つ編みを指でぴしりと弾いてジャッキーが言う。
瞬いたレオがそちらを見ると、進みづらそうに立ち止まっている何人かの生徒。隙間から貴族令嬢らしきヒラヒラした服が見えた。
「平民が作った物なんて!毒が入っているかもしれないでしょう!?」
「ちょ、ちょっとやり過ぎじゃ…」
「告げ口でもされたら私達、」
「うるさいわね!!」
聞こえてくるのは三人分の声だ。
恐らく他にも誰か平民がいると察し、ジャッキーは嫌そうに顔を歪めた。気が立っている貴族に平民が近付いてはならないのだ。
自分とレオは公爵令嬢と繋がりを持っているが、それ故に彼女と公爵家に迷惑をかける可能性も大きい。王都の屋敷で老執事に随分口酸っぱく言われた話だ。
「あー…何かモメてんね。校舎ん中通るか、レ――」
「おい、どうかしたのか!?」
「うぉい!……もー!」
突撃されては仕方がない。
ため息をついて、ジャッキーは後に続いた。立ち止まっていた生徒達が道を空け、見えた相手はカレンだった。
通路に膝をついていた彼女はレオの声に顔を上げ、赤い瞳を丸くする。
三人組の方は先頭にいる、淡い緑色の髪をした令嬢が先程怒鳴っていたらしい。嫌悪感も露わにカレンを見下ろし、フンと鼻を鳴らして女子寮の方角へ踵を返した。
後ろにいた二人は困惑の表情で顔を見合わせ、気まずそうな様子でそそくさと後を追っていく。
「大丈夫か!?」
レオがカレンに駆け寄り、ジャッキーは三人とカレンの間に落ちていた物を拾った。
手のひら一つでははみ出る大きさの紙包みだ。カレンらしくない質の良い包装紙だが、踏みつけられたのかひしゃげて土汚れがついていた。
生徒達は三人をやや遠巻きにしながら通っていく。
「彼女、最近ほんと機嫌悪いわよね。席でも苛立っていたし…」
「さっきのが気に入らなかったんじゃなくて?ホーキンズ様が、ほら…」
「美しい礼でしたわね。わたくしもああやって仕えられてみたい…」
ヒソヒソと聞こえてくる内容に耳を傾け、ジャッキーはぺろりと唇を舐めて記憶を辿った。
ホーキンズとは、試合をしていた黒髪の二年生の事だったはずだ。レイクスが授業終了の号令をかけた後、彼は観客席を見上げて片手を胸にあて、静かに礼をした。
女子達が歓喜の声を漏らし、顔を上げた彼の真正面を、黒い瞳が向いた先を確かめる。
シャロン・アーチャーはぱちりと瞬き、挨拶を返すように美しく微笑んだ。
当然、今度は野郎どもが騒ぎ始めたものである。
先ほどの令嬢が嫉妬を覚えても仕方ない。カレンにあたるのは間違っているけれど。
ふらりと立ち上がったカレンは制服のスカートをはたいて苦笑いした。
「ごめんね、あの…なんでもないから。」
「そんなわけないだろ。さっきの…」
「レーオ。人いるのに話しづらいだろーって。」
「あっ…そうか。わりぃ」
「移動しよーぜ!」
ジャッキーは普段通りの明るさでレオの背を叩き、紙包みの土汚れを自分の袖で軽く拭く。差し出すと、カレンはしゅんとした様子ながらも「ありがとう」と受け取った。
寮へ戻っていく生徒達の視線から外れるように、三人は校舎を通り抜ける。
中庭の隅にいくつか設置されたテーブルセットの一つへ落ち着くと、レオは自分の膝を軽く打ってカレンへ向き直った。
「それで、何があったんだよ?」
「えと…人が結構来るのが見えたから、ちょっと避けて通路の外側でやり過ごしてたんだけど……それがなんか、正門から来る人を待ってるように見えたみたいで。殿下達を待ち伏せしてるんでしょって言われたの。」
実際はむしろ逆だ。
最初に通ろうとした時、校舎からウィルフレッドが出てきたのを見てカレンは咄嗟に回れ右した。先日、変に噂されないようにとアベルに注意されたばかりだったからだ。
校舎の影からそっと見てみれば、彼に続くようにサディアスやアベル達も現れ、正門方向から駆けてきた数人の騎士と合流する。
あのまましばらく立ち話するのかもしれない、そう考えたカレンは一度寮に戻った。
ついでに幾つか小分けしていたクッキーの包装を思い切って解いてしまう。考えてみれば、約束もなしに行った先で友達が何人で一緒にいるかわからないのだ。広げて皆でつまんでもらえるようにすればいい。
シャロンがくれた包装紙の余りを使い、ゆっくり丁寧に包み直す。そうして再出発した矢先だった。
「すごい剣幕で怒鳴ってたよなー。俺ちゃんの経験的に、ああいうタイプは頭に血が上ってると人の話聞かない。」
「うん、そんな感じだった。これも中身聞かれて答えたら、殿下に渡そうとしてるんでしょって。違うって言ったけど信じてもらえなくて……」
「何が入ってんだ?」
「クッキーだよ。二人にお裾分けしようと思って」
「俺ちゃんも!?」
「うお、マジか!ちょうど腹減ってたんだ!」
途端に目を輝かせた二人にカレンが慌てて包みを引き寄せ、小さく首を横に振る。
「わっ割れてるだろうし、踏まれちゃったから…」
「そんなん気にするわけないじゃん!王子様達にあげんならともかく、こちとら平民だっての。」
「踏まれたっつっても直接じゃねぇしな。今食っても良いのか?」
「う、うん。」
カレンはおずおずと頷き、リボンでまとめていた包みを解いた。
焦げ茶色のチョコレートクッキーはやはり砕けていて、二十枚近くある中で無事なのはほんの数枚だけだ。それを見たカレンは少し眉を下げたが、レオとジャッキーは揃って「すげぇ!」と声をあげる。
「超きれーだし形色々あんね!いっただきまーす。」
「うまそうで余計腹減ってきた。俺これ!」
ぱくんと一口に放り込む二人を赤い瞳が交互に見た。
カレンが作ったクッキーは型抜きの時少し崩れてしまった物があり、出来栄えはシャロンが作った物の方が良い。おまけにこれは包装紙越しとはいえ、床に落とされた上に踏みつけられている。
「「うっめぇ~!」」
「そ、そっか。よかった…材料はシャロンが用意してくれたんだ。」
「おじょーさまが?へー、じゃ高級食材だ。」
「こういうの作れるってすげぇよな。んぐ、ほんとウマい。」
「まじで天才!って…俺ちゃんのまで食い尽くすなよ!?」
「悪ぃ、自信ねぇ」
「今からでも持っとけ!自信!」
「……ふふ」
小さく笑ったカレンに気付き、レオとジャッキーは顔を見合わせて笑った。ジャッキーが皿代わりになっている包装紙をずずいとカレンへ突き出す。
「ほら、三人で食おーぜ!」
「うん。…ありがとう、二人とも。」
「礼言うのはこっちだって。ありがとな、カレン!」
「俺ちゃんからもありが…と……?」
ふとテーブルに影が落ち、ジャッキーが不思議そうに振り返った。
同じようにそちらを見やったレオとカレンが驚いたように目を見開く。
百九十センチ近い背丈、右の前側と左の後ろだけまばらに白い黒髪。
黒で揃えたシャツとズボンに白衣、特徴的な赤いガラスのゴーグルの奥には鋭い瞳があった。《植物学》と《薬学》を担当する教師、ホワイトが機嫌悪そうにテーブルを見下ろしている。
カレンがそっと窺うように首を傾げた。
「ほ、ホワイト先生…?」
「……おまえ達、それは……」
ぼそりと呟いたホワイトは怪訝そうに目を細めて瞬く。
そして大きな右手をゴーグルにかけ、首元へと下ろした。赤い瞳と端正な素顔が露わになり、目を瞠ったカレンが言葉を失う。
「へ……?」
呆然と声を漏らしたのはジャッキーだった。
レオもきょとんと目を丸くしてカレンとホワイトを見比べる。似たような、どころではない。まったく同じ血のような赤色だった。
ホワイトは三人の反応などお構いなしに長い指でクッキーを指す。
「シャロン・アーチャーが作った物か?」
「…あ、いえ…私が。材料はシャロンが、あの。シャロン様が、用意してくださって、同じ調理室で……。」
「そうか…。」
考え込むように眉根を寄せ、ふと力を抜いたホワイトは横目でカレンを見やった。流し目のとんだ破壊力にカレンは小さく飛び上がり、ガタンと椅子が鳴る。
――せ、先生ってこんな格好い…じゃなくて、えっと……何で?赤い……私と同じ目、初めて見た……
「一つか二つ貰いたい。」
「え?こっ、このクッキーをですか?それくらい大丈夫ですけど…」
「では頂いていく。」
ホワイトは取り出したハンカチに割れていないクッキーを一つ、割れて半分になったものを一つ乗せて畳んだ。
今すぐは食べないのかとレオが不思議そうに見る中、ホワイトはゴーグルをぐいとつけ直して研究室の方へ歩き去っていった。声が届かない距離になってからジャッキーがレオ達に目を戻す。
「俺ちゃん、あの先生がゴーグル外してんの初めて見た。何かちょっと――…」
不気味だったよな、怖かったよな、などとはカレンの前で言えない。
そう気付いたジャッキーは曖昧に「あ~…」と声を漏らし、「びっくりしたな」と締めくくった。クッキーに手を伸ばしながらレオが軽く頷く。
「な!驚いた。カレンと親戚だったりすんのか?」
「そ、れは無いと思うけど……わかんない。でも、無いでしょ。先生は公爵家の人だよ?うちはおじいちゃんおばあちゃんだって平民だもん。」
「先祖の特徴がたまたま出るの、かくせー遺伝だっけ?それじゃね?俺ちゃんもコレ、母ちゃんとも死んだ親父とも違うし。」
ジャッキーが薄紫の三つ編みを摘まんで言う。
さくさくと咀嚼しながら、レオは割れていないクッキーを一枚、難しい顔のカレンへと差し出した。
「ん、ほら。先生まで欲しがった美味いクッキー!」
ニカッと笑うレオを見つめ、カレンは小さく息を吐いて力を抜く。
この赤い瞳に意味や由来があろうとなかろうと、彼は変わらず笑いかけてくれるのだろう。
受け取っただけでレオが嬉しそうに大きく頷くので、カレンはつい頬をほころばせた。
「もう……口に食べかすがついてるよ。」
「え?うぉ…ほんとだ」
「ふわぁあ、おやつ食って俺ちゃん余計におねむだわ……」
中庭に面した窓の一つ、北東校舎三階ホワイトの研究室。
椅子へ腰かけたホワイトの前で、テーブルには二種類のクッキーが並べられている。
片方はハンカチの上に置かれた何の変哲もないチョコレートクッキーだ。割れていない一つと、半分に割れたもの。後者を摘まんで口へ放り込み、ホワイトは視線を隣へ流した。
開いた包装紙には数枚のバタークッキーが置かれている。
その上に薄墨のような影の輪が一つずつ、けれどまったく同じ文言で浮かんでいた。ホワイトが一枚を手に取って立ち上がると、影はクッキーを囲うようにしてついてくる。
ゆるりと手首を回し、赤い瞳が文字を辿った。
《効果:疲労回復(微小) 発動不備:魔力不足》
影が揺らいで消えていく。
バタークッキーをぽいと口に入れて咀嚼しながら、寝不足のホワイトはソファへと倒れ込んだ。




