374.予想通りの味
夕暮れのコロシアムに二人。
地面に座ったままのバージルは唖然としてレベッカを見上げた。
「――…何で君が…」
「立てよ。あたしに見下ろして喋る趣味はないんだ。」
「…う、うん。」
彼女はバージルの母親の上司、王国騎士団八番隊長の三女だ。
とはいえ家族総出の付き合いではないため、王都にいた頃も入学してからの五ヶ月近くも、一言だって話した覚えはない。
バージルはひとまず立ち上がった。レベッカの方が数センチ背が高い。
「えーと……ギャレットさんの娘さんだよね。」
「レベッカ。あんたはバージルだろ」
「うん。僕に何か…」
「さっきの試合見てた。」
仁王立ちで腕組みをしたレベッカが言う。
バージルはその雰囲気から説教じみたものが始まると察し、困ったように眉を下げて頭を掻いた。
騎士の息子なら真面目にやれという話だろうか。
吐いた時に観客席の令嬢から嫌悪の悲鳴が上がっていたから、そちらの話だろうか。レベッカはアーチャー公爵令嬢やターラント男爵令嬢と付き合いがあったはずだ。
「何なんだ、あれ。どうせ負けるだろって最初っから勝負捨てたのか?」
「そっちかぁ~…」
「クラス分け試験だって見てた。そん時から思ってたよ、何で手ぇ抜いてんだって。もっとマシにやれただろ!」
バージルはため息を吐いた。
普段はへらへらと苦笑していられるが、今日はシミオンから強めに詰められたばかりだ。他に人がいない事もあり、あれが全力だと作り笑いする方が面倒だった。
「あのさ……僕がどうしてたって、君には関係ないよね~。放っておいてよ面倒くさい。」
「はぁ!?適当やって痛い目見る方が面倒だろ!」
「そもそも、《剣術》取ってるのって親に言われたからなんだぁ。僕自身は正直やる気がないんだよ。」
「な…っふざけんなよ!そんだけ実力があんのに……」
他人の事で何をそんなに熱くなるのか、レベッカは手が震えるほど固く拳を握りしめている。
バージルは気だるげに片足のつま先で地面を掻いた。
「…剣を扱えたって、誰もが強くなりたいわけじゃない。僕はさぁ、戦うとかなしにのんびり旅するような人生が良いんだ。」
「んなの、旅先で何かあるかもしれねーし……あのクソ煽り眼鏡にだってゴタゴタ言われてたじゃねぇか!お前悔しくないのかよ!!」
まるで自分の事のように怒りをあらわにし、レベッカは鋭くバージルを睨みつけている。
悔しくないと言えば嘘だと、反射的にそう思ったバージルはふと瞬いた。
「――…今、なんて?クソあお…ぷっ、それまさかダ」
「うるせぇーっ!!」
「ちょっと!」
まさか拳で殴りかかってくると思わず、バージルは慌ててレベッカの腕をはらいながら後方へ一歩飛び退る。《体術》を受けているだけあって中々に早い拳だった。続けて鋭い蹴りが飛んできて咄嗟に腕でガードする。
脚を下ろしたレベッカは拳を構え、大きく息を吸った。
「宣言!」
「ええっ!?」
魔法攻撃がくると思ったバージルは焦ったが、レベッカの視線と拳の先は二人から離れた空中へと向かった。
「火がバンッて燃え上がる!」
レベッカが言い切った途端、ごうと音を立てて二メートルはあるだろう炎が燃え盛り、すぐに消える。
ぶわっと吹き渡る風に癖毛を乱されながら、バージルは呆然としてレベッカを見やった。彼女の髪もくしゃくしゃになっている。
「強くなりたいわけじゃないってのと、強くなりたくないは別だろ!!」
「――え、……えっ?」
突然の魔法という衝撃でまだ頭が働かず、バージルは聞き返しながら脳内でレベッカの言葉を反芻した。
何が言いたいのか、今そこに炎を出した意味は何なのか。未だ拳を解いてくれないが、もう一度殴りかかってくるのだろうか。
「手ぇ抜いてる理由になってないって言ってんだよ!旅の途中で魔獣にやられるかもしれねぇ、お前より強くて悪いヤツだって絶対いる!今テキトーやってどうすんだ!」
「えと……でもさ。ちゃんとしたらまた、お前も騎士になれっ、て……」
バージルが驚いた顔で自分の口を塞いだ。
ふらりと一歩後ずさり、ゆっくり手を離す。目を上げた先のレベッカは真っ直ぐにバージルを見ていた。
「んなモン、知るか馬鹿って言えばいんだよ。」
「………。」
彼女に言葉を返す事ができず、目を見開いたバージルは立ち尽くしている。
ずっと、誰かと戦う事は面倒で。
嫌で仕方なくて、夜に一人で身体を動かすのは心地よかった。
けれど思い返してみれば、昔は。
目くるめく動く相手が何をしてくるか楽しみで、どう懐に潜り込もうか、どうやって一撃あてようかとワクワクしていた。
幼いバージルにとって、剣術は遊び。
間違えると痛い時もあるけれど、大人達が笑顔で相手をしてくれる遊びだった。
しかし。
『よう、副隊長のトコの坊ちゃん。剣の稽古良い感じなんだって?』
『ん~?くるくるはたのしーよ。』
『あっはっは!楽しいって言えりゃあ上出来だよ!将来は騎士かぁ。』
『?ぼく、おとなになったらそとにいくんだぁ。』
『親子揃っては憧れだよなぁ。俺も息子には騎士になれって言ってんだ。副隊長もそうじゃねぇかなあ』
騎士の子は騎士になる。
腕が悪いならまだしも、剣術の才があるなら当然のことだと。誰だってそう言うと、もう顔も覚えていない彼は言った。
『……おうとのそと…きしは、なんなくていい。』
『いやいや、勿体ないだろ!騎士は良いぞ~坊ちゃん。女にモテ…るし、格好良くて誇り高くて――』
『でもぼくは』
『悪いこと言わねぇから!もっと強くなってさ…ああ、それで俺達の隊に来たら感動だなぁ。副隊長のためにも頑張れよ、坊ちゃん!』
――…あー……、そういえば、そんな事言われたな。母さんはなんて言ってたっけ…
『おかあさん』
『うんっ!?どしたーバージル!高い高いするかっ!』
『わっ』
『それー!』
『わああああああ!』
――違う。その日じゃなくて
『おかあさん』
『うん…?ごめんねー、今日ちょっと……ッ、大丈夫。へーきだよバージル。全然平気。どした?』
『……ぼくは、きしになるの?』
『…そう、だね……絶対なれる。お前は強いし、……騎士の子だ、から……も…』
『おかあさん?』
『………勿体、ない……。くかー…』
――……ああ、僕…そうだ。母さんにそう言われて結構、落ち込んだんだ。それからなんだかずっと、人前で鍛錬するのも試合するのも嫌で、面倒で……
誰かが見ていると思うと、実力を、騎士の適性を測られると思うと、気が沈んで投げやりな心が浮いてきた。
それは幼稚な反抗心だったのだと今更気付く。
バージルはがくりと膝をついて項垂れた。
「……あ~…なんか、恥ずかしくなってきた。」
「はあ!?な、なんでだよ?」
レベッカが驚いた様子で聞く。
目線を合わせようと屈んでみれば、バージルは片手で目元を覆っていた。
――王子に生まれたウィルフレッド殿下に聞かれたって、伯爵家のレイクス先生やホーキンズ様に聞かれたって、彼らの前でそんな理由が浮かぶわけもなかった。いや、そんな我儘を知られたくなかったんだ。あの人達は、僕以上に生まれを背負ってるんだから。
「……僕って…」
「なんだよ。」
「思ってたよりプライドが高くて、子供だなぁー……」
「はぁ?棒立ちしてボコられてゲロっといて、何がプライドだよ。つか、実際子供だろあたしらは。貴族連中は大人っぽいのが多いけどさ。」
「あはは……」
妙に久方振りに笑ったような気になりながら、バージルは手を下ろす。
屈んだせいで、レベッカの制服のスカートは土で汚れていた。彼女は全く気にした様子なく膝の上で腕を組み、裏表のない真っ直ぐな目でこちらを見ている。
「僕……のんびりするのが好きなんだ。でも短い時間なら、くるくる動いてやり合うのも楽しい。……うん。見えるとこで頑張ったら、周りがうるさくなると思って嫌だったんだ。」
「騎士になれって話か?」
「そう。今は言ってこない人も言うようになるかなって。」
「全部うるせーって言い返せばいいだろ。つまんねー手抜きより全然良い。」
「あはは、そうだよねぇ。そうしようかな…」
今日初めて言葉を交わしたのに、唐突に殴りかかり突然魔法を放つような女の子なのに、バージルは心に潜んでいた靄を吐き出せた。気付く事ができた。
親同士が相棒だという事は関係なしに、バージルはレベッカの気質を好ましく感じた。
――さっき、僕はホーキンズ様に……何で見せてくれなかったのって言いたかった。彼が剣を叩き落とす強い一手、あの素晴らしい剣筋をしっかり見られるって期待してたから。
誰かを傷つけるためでも、守るためでもなく。
ただ純粋に剣での攻防を楽しもうとする心がバージルにはあった。
それを押し殺して程々に負けようとしてきた自分は、皆の目にどう映ってきたのか。レイクスや王子達、嫌味を言ったダリアの顔を思い浮かべて苦笑する。
レベッカはそんなバージルを眺めていたが、ふと訝しげに眉を顰めて首を捻った。
「……ん?そんな事でやられっぱなしだったのか!?」
「いやぁ、やられっぱなし…ではなかったよ?僕だって結構防いだり…」
「お前っ……客席でどんだけボロクソに言われてたか!」
「そう?まぁ、あんまり戦えない人には、途中の攻防なんてよくわかんないよねぇ。」
「聞いてるあたしが苛ついたぐらいだ、大会で全員見返してやれよな。」
「あ~…大会。大会ね……」
「もちろん出るんだろ?上級の生徒がメインだって聞いたぞ。大体そこの奴が優勝するって。」
剣闘大会。
学園で年に一度行われ、そこで活躍した生徒は騎士団本部から声がかかる事もあるという。
バージルはこれまで出ないつもりだったが、「見返してやれ」と言ったレベッカが軽く拳を空中に突き出すので、なんとなく頷いてしまった。
「……うん。出ようかな」
「やったれ!第二王子は無理でもあの……眼鏡女には勝てよな。」
「あははは、そっか。確かに君って…ダリアさんの事、苦手そうだなぁ。」
「性格が合わねー。デュークは良い奴だけど。」
「……喋れるの?」
バージルが聞いたところで腹の音が鳴った。
そういえば昼食は吐いたなと考えていると、ガサガサと鞄を漁ったレベッカが何やらぐしゃぐしゃの包みを差し出す。
「クッキーやるよ。」
「え、いいの?」
「ちょっと焦げてっけど、食い物で作ったからたぶん食えるはずだ。」
一気に雲行きが怪しくなった。
味見をしていない手作りらしい事を察し、バージルが何とも言えない顔で受け取る。レベッカは「遠慮すんな」と笑って立ち上がった。
「じゃ、またな。バージル」
「うん。ありがとう、レベッカさん」
「さ、さんはいらねーよ!」
父親に似て真っ直ぐで豪快な人だ。
レベッカが聞いたら怒りそうな事を考えながら、バージルは去っていく背中を見送った。
ところどころ破けた紙包みを開くと、ちょっと焦げたクッキー……ではなく、気泡の跡だらけの黒い大きな円盤型の炭らしき物が、数枚に割れた状態で現れた。
じっと見下ろし、一番小さい欠片を口に入れてみる。ザリッと音がした。
「………、まっず……」




