371.皆に愛されるわたくし
「で?何だっけ…誰にやるか?あたしは特に無いよ。自分で食えばいいし」
「そうですの…」
ロズリーヌは少し残念そうに言うと、最後に残ったシャロンへ期待に満ちた眼差しを向ける。膝上のソーサーとティーカップに手を添えたまま、シャロンはくすりと微笑んだ。
「私はダンとお友達と…医務室のネルソン先生ですね。」
「まぁ!そういえば叔父様だとおっしゃっていましたわね。」
「えぇ。殿下は差し上げたい方が決まっておられるのですか?」
「わたくし?そうね、まず出来上がりを皆さんと楽しみますでしょう?包んだものはラウルに分けてあげようかと思いますわ。」
「ラウル?…あ~あいつか。」
レベッカはラウル・デカルトの顔を思い浮かべ、納得したように頷いた。
同じ《剣術》初級クラスを受けているが、女子にキャアキャア言われている印象が強い。そういえば彼は王女付きだった。
「そういや、何で王女様はあいつを連れてん…です?兵士じゃないって聞いたけど。」
腕組みをして聞くレベッカを見やり、デイジーは「顔を見れば明らかでしょう」と思いつつ黙って紅茶に口をつける。
男であれ女であれ、権力者が美人を侍らせる事など珍しくない。実際、ロズリーヌも平然と「顔が良いからですわ」と答えた。
ゲームに登場しなかった人物の話とあって、シャロンも静かに耳を傾けている。
「あれは五年ほど前だったかしら。わたくし道で拾ったんですの。」
「ひ、拾った…」
「犬みてーだな。」
「お兄様達と街でお買い物をしていたのですけど、集まってきた方達の向こうに見知らぬモノが。わたくしが指をさしてあれは何かしらと言ったら、彼が逃げるから兵が捕まえて持ってきたのです。」
「やめてやれよ……」
レベッカが気の毒そうに呟いた。
五年前ならラウルもまだ十一歳の子供だ。王族を遠めに眺めただけで兵士に追われるとはとんだ災難である。
「貴女がた想像がつかないかもしれないけれど、当時のラウルはまぁまぁそれは汚くて。確か数日にいっぺん水浴びをして、ずっと同じ服を着ていたとか?わたくしそういった方を見た事がなかったので、かなり驚きましたわ。」
ロズリーヌと目が合い、シャロンはゆっくりと頷いた。
年端もいかない王族、それも王女が孤児院にすら入っていない子供に出くわす可能性は低いだろう。ましてロズリーヌは蝶よ花よ天使よと過保護に守られていた。
「わたくしもまだ、えぇと…そう、九歳くらい?でしたから。なんて汚い身なりなのでしょうとハッキリ言ったのです。」
哀れみや同情、嫌悪に好奇の視線が刺さる中でラウルは顔を上げた。
国王である父と兄王子達の庇護下で大切に育てられたロズリーヌを、ただ睨みつけるために。王女を怯えさせたら処罰があるかもなどと考えもせず、日頃の鬱憤も境遇への嘆きも怒りも、晒し者にされている事への反抗心も全て込めて。
憎悪すらちらつく少年の目を見て、ロズリーヌは薄青色の瞳を丸くした。
『貴方、果実のような瞳をしていますのね。』
『はあ?』
『よく見れば顔もいいわ』
『何を…』
『お兄様、わたくしこれ持って帰ります!そこの貴方、包んで荷台に乗せてちょうだい。早く!』
「――…なんて出会いから従者にしたのですわ。あぁ懐かしいですわね~っ!」
くぅ、と両目を閉じて頬をムニムニとやるロズリーヌから目を離し、カレン達三人はそっと顔を見合わせる。
子供相手に「包む」とか「荷台に乗せる」とかまるで人攫いのような言葉が出てきたが、突っ込むべきなのだろうか。
シャロンは一人気にした風もなく、微笑んで口を開いた。
「デカルトさんは、殿下とは気の置けない良い主従関係とお見受けしていましたが…そういった出会いだったのですね。」
「えぇ、えぇ!けれどわたくし――…そうね。ほんの一年前まで彼の名も覚えていませんでしたのよ。」
「名前も!?っ…」
つい声が大きくなったカレンが手で口を塞ぐ。
その反応も当然だと、ロズリーヌは顎肉の厚みを感じながら重々しく頷いた。
「わたくしは大層我儘な王女。ラウルは見た目が気に入っただけ、恭しく従ってくれていればそれでよかったのです。以前のわたくしなら、こうして皆さんとお話しする事もなかったでしょうね。ラウルも何匹か猫ちゃんをかぶって過ごしていましたわ。でないと、わたくし怒鳴って蹴ったり物を投げたりしましたから。」
「…想像できませんが、そんな事が……。」
デイジーが困惑の滲む顔で言う。
これまで見てきたロズリーヌは変顔や挙動不審な言動はしていても、人に暴力を働くような人間ではなかったはずだ。
レベッカは眉を顰めてロズリーヌを見やる。
「…んな話、あたし達にしてよかったのかよ。」
「過去は変えられませんもの。わたくし、お父様にもお兄様達にもそれはそれは大切にされました。馬鹿な事をと思うでしょうけれど、本気で信じていたのですわ。皆に愛されるわたくしの願いは全て、叶えられるものだと。他国でも同じだと、心の底から。」
「――…お考えが変わったのは、何かきっかけがあるのですか?」
シャロンに問われ、ロズリーヌは「もちろんですわ」と微笑んだ。
前世の記憶による別人の価値観、それがロズリーヌの感覚を変えた要因だが、なぜ記憶が蘇ったかまで辿れば彼のお陰であろう。
「わたくし元々、ロベリアへの留学を考えていましたが…事前にお伺いした時ご迷惑をお掛けして、その話は無くなったのです。案内を務めてくださった第三王子殿下……彼がきっぱりとわたくしを否定してくださったから、気付きになったと言えますわね。」
「そうでしたか…指摘してくださる方というのは貴重ですね。」
「えぇ、えぇ!本当に。わたくし、自国から出なければ永遠にあのままだった事でしょう。」
「へえー……。ロベリアって?」
「お馬鹿。隣国の一つよ。」
レベッカの疑問にデイジーがこめかみを押さえて頭を振る。カレンは「私もわからなかったけど黙っておこう」という顔でゆっくりと紅茶のカップを傾けた。
シャロンが空中に指で丸を描くようにしながら言う。
「ロベリア王国はツイーディアの西に位置する国ね。知識こそ人類の宝という教えがあり、図書館や学院はとても立派だそうよ。薬学と絡繰りの技術の高さが有名で、ホワイト先生もロベリアに留学して博士号を取得しているの。」
「ホワイト…ああ、いつもゴーグルしてる白衣のノッポか。薬学担当なんだっけ」
「植物学もだよ。レベッカはどっちも取ってないもんね…」
「貴女達、覚えておいた方がいいわよ。隣国の話は《国史》でも出るんだから。来月の前期試験にロベリアは出ないでしょうけど」
「げっ。思い出させるなよ…」
「現実逃避しても試験があるのは変わらないでしょ。」
ツンとしたデイジーにそう返され、レベッカはゲンナリした顔で紅茶の残りを啜った。
試験の存在にやや緊張して背筋を伸ばすカレンが隣を見やると、シャロンは穏やかな微笑みで二人のやり取りを眺めている。
――さ、さすがシャロン。きっと試験なんて余裕なんだろうな…。
流れでついとロズリーヌに視線を移せば、こちらは顔色が悪いようだ。話しかけたら「試験?そんな単語聞こえませんでしたわオホホ」とでも言いそうである。
カレンとしても王女殿下が学問に秀でるという噂は聞いた事が無かったため、声をかけるのはやめておいた。
「来週はサロンで勉強会をするのだけれど…レベッカ、もし興味があれば――」
「は、はあ!?嫌だよ、それ王子連中もいるヤツだろ?」
「えぇ、でも貴族に限定していないしレオやカレンも一緒よ。ロズリーヌ殿下も、デイジー様も。気が向いたらおっしゃってくださいね。」
デイジーは恐縮しつつ「予定を確認しておきます」と答え、ロズリーヌは先程までの顔色の悪さはどこへやら、目を爛々と輝かせて激しく頷いた。イベントを見守れるなら喜んで学ぶ構えである。
レベッカはしかめっ面のまま座っていたテーブルから床へ降りた。
休憩時間は終わりにし、冷蔵箱から生地を取り出していく。カレン達はこれから型抜き作業だが、焼き上がりを四角に切る予定のデイジーは別だ。天板に油を塗って生地を広げ、休憩中に予熱を済ませた石窯を開けた。
――夏だっていうのに何をわざわざ、暑いことをしているのだか。
ふと笑みを零しつつ天板を押し込んで石窯を閉め、デイジーは振り返る。
ロズリーヌはポンポコとリズミカルに丸い型を抜き、シャロンは数種類の型を使いながらも丁寧で速い。カレンとレベッカはというと…
「全然型の通りにならねぇ」
「そりゃ横にぐしってしたら崩れちゃうよ!真上に抜かなきゃ。こっち見て、ほらこんな感じで…」
「これちぎって伸ばしたら早くねーか?」
「か、形にこだわりがないならそれでもいいけど、大きさを揃えないと焼き上がりが」
「おらっ!」
「パンじゃないから!それは大き過ぎ!」
「あははは!菓子作るのも結構面白いな。泥団子作ってるみてぇ」
もう少し他にたとえはなかったのか。
苦笑してレベッカのテーブルへ近付いたデイジーは、ベタベタに生地の残骸がついた手となんだかザラついた焦げ茶の塊を見て真顔になった。
これはどう見ても。
「……泥団子ね。」
「だろ?」
「れ、レベッカ、お願いだから忘れないで。私達クッキーを作ってるんだよ」
「食えりゃ良いだろ。」
「真理ね。味は別として…一応、平たくしておいたら。」
「確かに」
納得したレベッカが生地に拳を振り下ろした。
カレンは自分の作業に専念する事を決め、黙々と型抜きをしていく。レベッカは自分で食べると言っていたので、被害は気にしなくていいだろう。
「できましたわ~!さぁて、わたくしが使う石窯は…どれでしたか。」
「左から二番目で…熱いですから、開けるのは私が。」
「まぁデイジーちゃん、ありがとうございますわ。けれどこれも経験……わたくし、自分でやってみたいと思いますの!」
「…で、ではこちらを…」
ちゃん付けを嫌がったレベッカの心情を今更噛みしめつつ、デイジーが苦い笑顔で耐火手袋を渡した。ロズリーヌは手袋を装着した両手を神に報告するがごとく高く掲げ、シャロンがぱちぱちと拍手を送っている。
「レベッカ、火加減は勝手にいじらない方が…」
「もっと強く燃やした方が絶対早く終わるって。いいだろカレンのとは別なんだから」
「…私は止めたからね……。」
もう知るまいと決めたカレンは首を横に振って言い、自分のクッキー生地が乗った天板をピールでぐいと石窯の中へ押しやった。
後は焼けるのを待つだけだ。




