370.初めてのお菓子作り
ドレーク王立学園女子寮西棟。
東棟と比べて高額なため、部屋を取っているのは貴族令嬢が殆どだ。故に、使ってよいとされる調理室が活躍する機会はあまりない。彼女達は基本、自分で料理をしないのだから。
しかし今日は第三調理室がひっそりと貸切予約され、エプロンをつけた五人の少女が揃っていた。
「材料は余裕を持って準備しているから、気兼ねなく使ってね。」
公爵令嬢シャロン・アーチャー。
瞳と同じ薄紫色の髪は編み込みを入れたシニヨンにまとめ、リボンのついたバレッタで留めている。柔らかく微笑む彼女の前で、テーブルにはきちりと手配された材料と道具が並べられていた。
「えっと……レシピも何種類かあ、ります。好きなのを!」
平民の少女カレン・フルード。
世にも珍しい生まれつきの白髪を肩より下まで伸ばし、後ろで二本の三つ編みに結っている。少し見開かれた目の赤い瞳は、今は緊張した様子できょろきょろと泳いでいた。
「……よ、よろしくお願いしますわ…。」
男爵令嬢デイジー・ターラント。
濃いブラウンの髪をいつも通り編み込んでポニーテールにまとめ、ちらとだけ端にいる人物を見やった黄色の瞳は困惑が滲んでいる。一体どう対応していいのかわからない。
「あたしカレンと同じのでいいや。チョコ?溶かせばいんだろ。」
騎士隊長の娘レベッカ・ギャレット。
ぴょんぴょんと跳ねのある血紅色の長髪を後ろの低い位置で結い、材料のチョコが入った箱を見下ろす瞳は灰色だ。首に黒のチョーカー、前髪につけた黒のヘアピンも髪色に合って強気な印象を与えていた。
「ハァ…ハァ……わたくしはシンプルなやつに…」
飛び入り参加王女ロズリーヌ・ゾエ・バルニエ。
艶めくプラチナブロンドはゆるりと巻いてポニーテールにし、大きな白いリボンは身体の震えに合わせてふるふるしている。ふっくらした頬に薄青色の瞳、血走った目はギョロッギョロッと挙動不審に他の四人を記憶に焼き付けていた。
――なんでわたくしがこんなペァラダイスにーっ!!?えぇ、えぇ!今日かしらとは思いましたからわたくし!廊下の角からそうっと遠い調理室の扉を眺めるくらいはしておりましたけれども!それがまさか!まだシャロン様達が入る前だったなんて!後ろから「殿下…?」と声をかけられ、ついうっかり「まぁ、お菓子作り!楽しそうですわね!」なんて言ったばっかりに!優しいシャロン様が仲間に加えてくださっところでどうしてレベッカちゃん達までいるんですのーっ!?
「それじゃあ、ロズリーヌ殿下はプレーンクッキーで、レベッカは私とチョコクッキーだね。デイジーさんは?」
「せっかくだしアーモンドかしら…」
カレンが用意したレシピメモをざっと読み、デイジーはアーモンドスライスが入った小瓶を手に取る。その隣でレベッカがチョコレートの外箱をバリィと引き裂き、飛び出した中身がシャロンへと飛んでいった。
「私は塩バタークッキーにするわ。」
そう言いつつ、シャロンは飛来したチョコレートを木べらでコンとボウルへ落とす。「あー悪い」と軽く謝ったレベッカをデイジーがすぱんと叩いた。
カレンはロズリーヌの視線を感じて緊張しながら薄力粉の袋を開ける。
「えっと、皆経験は無いって事だけど……基本的にね、レシピの通りにしたら大丈夫です、よ。私が考えたとかじゃなくて、ちゃんと本から写したものだし。」
「言っても材料が食い物なんだから、食い物しかできないだろ。」
「真理ね。」
「確認しながら作れば大丈夫だと思うわ。殿下、滅多にない機会ですし楽しみましょうね。」
「はひゃいッ!」
道具は調理室の備品が人数分揃っているため、五人はそれぞれ違うテーブルを占拠して作業に取り掛かった。
ロズリーヌが秤の目盛を慎重に見ながら薄力粉を乗せているのを見て、カレンは小さく頷いて隣のテーブルのレベッカへ視線を移す。
「分量はきちんとした方がいいから、レベッカは特に気を付けてね!」
「あーわかってるわかってる。」
「わかってない人の言い方よ、それ。」
呆れたように言いつつ、デイジーは卵を軽くボウルにぶつけて割った。
殻をゴミ入れに放り込んで視線を戻すと、黄身の崩れた卵には数ミリほどの小さな殻の欠片がいくつか混ざっている。
――まぁ、この程度は許容範囲よね。
特に取り出す事もなくカチャカチャと混ぜ始めたデイジーの後ろで、ロズリーヌは半分に割った卵の殻を使って卵黄と卵白を分けている。
ぽとりと小皿に落とされた卵黄を見て、隣テーブルのシャロンが「まぁ」と感心の声を上げた。
「とてもお上手ですね。初めてとは思」
「おほほほほ!え、えぇ!わたくし初めて!は、初めての挑戦で見事やってのけましたわ!!」
「ふふ、素晴らしいです。私も頑張らないと。」
「初めてのお菓子作り楽しいですわ~!ホホホ…」
片手を口元に添えてロズリーヌは笑う。
決して前世の記憶があるから楽勝というわけではないので。初めての挑戦で成功して嬉しいので、笑う。シャロンが自分の作業に戻ったのを確認してから、ほっと息を吐いて砂糖の計量に移った。
――ふう、危なかった。えぇとお砂糖は…あら、これだけ?もうちょっと入っていて良いのではなくて?そう、もう数十グラムくらい……ちょっと甘めの味を目指して…いいえ、もうちょっぴりくらい……
「んじゃ、宣言。火が――」
「待って待って待って!レベッカ、チョコは魔法じゃなくてお湯で溶かすの!そもそも切るのも雑だしっ!」
「小せぇ火でやれば大丈夫だろ?気ぃ付けて使うし。」
「そういう問題じゃ…えっと、お湯沸かすの手伝ってほしいな!私のとレベッカの。ね?」
カレンが苦労しているようだ。
シャロンは微笑ましく思いながら泡立て器で有塩バターをクリーム状にし、砂糖を分けて加えていく。
ゲームの彼女はこの作業を「結構手が疲れるのね」と評していたが、今のシャロンにはさして苦ではなかった。剣の振りでもナイフ投げでも手首を使う機会はあるし、腕の筋肉は言わずもがなだ。
――できあがったらダンにあげたいわね、いつも頑張ってくれているから。ウィル達は渡すタイミングを気を付けないと、人に見られると憶測を呼んでしまう。……私が作ったと言ったら、フェリシア様は驚くかしら。後は叔父様と……数が足りれば、ホワイト先生にも。今週はなんだか眠たそうにしていたし、お疲れなのかもしれない。
「振るい入れたら……あぁ、ここでアーモンドなのね。」
デイジーはレシピを指先でなぞり、落ち着いた様子でアーモンドスライスをボウルへ加えた。計った量はレシピよりいくらか少なかったが、大差ないだろう。
混ぜる度にパキペキとアーモンドスライスが割れていくが、割るなとは書かれていないし味には関係ないので気にしなかった。
「ふ~るっふふ~ん、ふんふん…らららら~♪」
突如として天使のごとき歌声。
デイジーが目を瞠って振り返ると、ボウルの中身をさっくりと混ぜながら歌っているのは勿論ロズリーヌだ。
歌詞のないただの鼻歌なのに心洗われる響きである。
「わーっ!お湯は直接入れるんじゃなくて大きいボウルだって言った!言ったのに!」
「な、なんだよ。溶かせばいいんだろ?」
「どれくらい入っちゃった?」
「そんなに言う程じゃないって。ほら溶けてる」
「うっ……!こ、これは…やり直」
「次は粉だよな。」
レベッカはボウルに向かって開封済みの薄力粉の袋を傾けた。もちろん計量していない。「大体重さでわかる」と言ってのけるレベッカは平然としていた。
もはや言葉も出ないカレンに気付き、振り返ったシャロンが後ろからレベッカのテーブルを覗く。
「――…。」
ボウルの中を見つめたまま一歩後退したシャロンは口元に手をかざし、カレンと目が合うと静かに首を横に振った。諦めた方が良いだろう。
カレンはロズリーヌの鼻歌が鎮魂歌のようにも思えてきた。もし味見を依頼されても断ろうと心に決め、自分の生地をしっかりと混ぜていく。
「らららる~っと、練り上がりましたわ!わたくしのザ・普通のクッキー生地ちゃんが!既においしそう!」
「普通が一番だよね……あっ、えとごめんなさい、綺麗に混ざってますね!」
「まぁまぁまぁ、ありがとうございますわ!敬語なんて今は気にしなくて大丈夫ですのよ。ぅへへ…コホン、一緒にお菓子作りを楽しむ仲間ですもの。」
「へぇ、随分気さくな王女様もいたもんだな。うちの王子連中とは大違」
「真に受けるんじゃないわよっ!」
デイジーが慌てた様子でレベッカに近付き、小声でツッコミを入れた。レベッカがガッシャガッシャとボウルの中身を混ぜる音でロズリーヌには聞こえなかったようだ。
それぞれ順に生地を作り終え、乾燥しないよう濡れ布巾をかぶせて冷蔵箱へ入れた。
上段に氷を置き、降りていく冷気で下段を冷やす造りだ。レベッカの生地だけは見るからに不穏な様相を呈していたが、カレンは何も見なかった事にして扉を閉めた。
しばし歓談の時である。
エプロンを外したシャロンは衣服に汚れがない事を確認し、調理室の端に置かれた布張りのソファへ腰かけた。
レベッカも窓辺に置かれた椅子にやれやれと座ろうとしたが、粉とチョコの残骸で汚れていたためデイジーがすんでの所で引き留める。
「茶ぁ出てくるとかさすが貴族寮…」
紅茶がなみなみと注がれたカップを見下ろし、レベッカが呟いた。
シャロンがベルを鳴らして現れた女性職員は皆の紅茶を淹れ、もう使わない道具を回収し、汚れた格好でテーブルに腰かけたレベッカをじろりと一瞥してから出ていった。
シャロンやロズリーヌが離席していれば嫌味くらいは貰ったかもしれない。
にまにまと頬を緩めたロズリーヌが咳払いし、四人を舐めるように見回した。最後に目が合ったのはデイジーだ。
「エフン…完成したら皆さんどなたか、殿方に差し上げる予定などはありますの?」
「私は一つの経験と思って参加しただけですので……カレン、貴女は?」
「とと殿方なんてそんな!あの…!お世話になってる人には、渡す…かもしれないけどっ。」
「んまぁ!お世話になってる方。いいですわねぇ~!」
自らの頬をモチモチと両手で包むロズリーヌの声は弾んでいた。
世話になっている、つまりよく付き合いがある、イコール最も多く《選択》した相手であり、好感度一位の攻略対象だろう。
ちなみにロズリーヌの前世の記憶によれば、もし複数人の好感度が同率だった場合の優先度は順番だ。
公式サイトのキャラクター紹介ページ――…ウィルフレッド、アベル、サディアス、チェスター、最後にホワイトである。
「レベッカちゃんは?」
「げほっ!!」
「どうなんですの?バー…ルニエはわたくしの家名っ!そう、わたくしロズリー」
「待、て待て待て!ごほごほ、ちょっ……あんたあたしをちゃん付けで呼ぶ気かよ!?」
「あんたって言うの本当にやめなさい!申し訳ありません、殿下!!」
咳き込んだレベッカはガチャンと音を立ててカップを置き、デイジーが慌てて駆け寄って頭を下げさせた。王女本人が無礼講で良いと言っても限度がある。
大丈夫ですわよホホホと上品に笑いつつ、ロズリーヌはじわりと背中に冷や汗をかいた。
――あああ危なかったですわ!バージル君とレベッカちゃんが今もう仲良しかどうかなんてわたくし知りませんもの!一緒にいるところ、見た事がないっ!!我が家がバルニエで良かったですわーっ!誤魔化しがききました!
「呼び捨て!呼び捨てで頼…お願い、します。殿下。」
横から物凄い形相で睨んでくるデイジーが面倒になり、レベッカはひとまず敬語を使う。今は一刻も早く小っ恥ずかしい呼び名から抜け出したい。
幸いにもロズリーヌは――なぜか親指をグッと立ててまで――「いいですわよ!」と元気に返事してくれたため、レベッカはほっと安堵の息を吐いた。
年末年始おやすみになります。
よいお年を!




