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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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368.派手に振ったな

 



 ホワイトの研究室を後にし、三人はしばし黙って廊下を進んだ。


 シャロンは何となしに胸元で手を握り、アベルは無意識に剣の鍔に触れている。

 どちらも視線は前ではなく相手と逆側の壁へ向いており、二人を後ろから眺めるダンは廊下に人気がないのを良い事に堂々と首を傾げた。


 いつもならシャロンが何か話しかけ、アベルが相槌を打っている頃である。

 シャロンがホワイトの所へ行くと聞きつけたアベルがすっ飛んできたかとダンは内心ニヤニヤしていたが、それにしてはシャロンの反応が変だ。


「……おめーら、何かあったのかよ。」

 声をかけてみれば、シャロンがぴくりと僅かに顔を上げた。

「いえ、特には…」

 と言いつつダンを振り返らずアベルの方も見ないので、何かあったらしい。ダンは短い灰色の髪をぐしゃりと混ぜ、大きくため息を吐いて二人を追い抜いた。

 空き教室の扉をガラリと開け、誰もいないのを確認して親指をそちらに向ける。


「廊下で待っといてやるからちょっと喋ってけ。扉開けときゃいんだろーが」

 二人が顔を見合わせ、先にアベルが教室内へと歩き出した。

 話すという意思表示をされてはシャロンも倣う他ない。彼女は少しだけ困り顔でダンを見やってから後に続いた。



 長机が並んだ教室で、アベルはダンのいる廊下から遠い窓寄りまで進む。通路側の席へ横向きに座ると、シャロンはその一列後ろへ静かに着席した。

 窓には薄手のカーテンが閉め切られているが、夏場の夕方とあってまだ明るく、光を足すには及ばない。軽く腕組みをしたアベルは考え込むように片手を顎へあてている。

 その横顔を見て、シャロンはそっと目を伏せた。


 ――話して来いと言われても。アベルがカレンに…その……迫っていたところで、私から言う事は何もないし、ひたすら気まずいのだけれど……いえ、お友達として何かこう、女性目線の話とかするべきなのかしら。


「…貴方が……研究室に来るとは、思わなかったわ。」

「俺からはダンが見えなかった。念のためだ」

 いるとわかってからも去らなかったが、シャロンはそこを深く聞きはしなかった。

 ただ僅かに眉を顰める彼女はアベルと目を合わせない。やはり怒っているのだろうと、アベルは苦い気持ちで見つめていた。


 ――私、また二人の邪魔をしてしまったのね……。アベルは…あんな事をしたなら既に、恋の自覚はあるのかしら?ゲームでは結構な鈍感だったし、私が見てきた中でも幾度か鈍そうな気配がしていたけれど。


 ちらり、少し顔をそむけたシャロンが横目で見据えてきて、アベルは内心僅かに焦った。

 なぜ焦りを感じるのかはわからない。すべきと思った事をしただけなので責められようと構わないはずだが、薄紫の瞳には呆れと諦念が滲んでいる気がする。


 果たしてこれまで、彼女にこんな目で見られた事があっただろうか。


「……貴方、自覚はあるの?」


 罪の意識があるかと問われているらしい。

 シャロンからそういった詰め方をされる事実に衝撃を受け、アベルの返事が遅れた。数秒の沈黙が流れ、黙るつもりだと思ったのか彼女は目をそらす。

 まずい。何がかはわからないが、まずい。


「…何の、とまで私から言うべきかは」

「流石に自覚はある。」

 アベルはシャロンを遮って早口に答えた。

 軽く脅しておこうと考え行動に移したのだ。突発的でない以上、当然自覚はある。


「そう……なら、良かったわ。」

 良かった。

 まさかの返しにアベルは瞬き、指先で軽く自分の腕を叩いた。


 「なら覚悟もできているのでしょう」とでも言われている気分だ。否、実際そう言われているのだろう。

 シャロンの前でカレンを脅せるかと言われればそれはもちろん避けるが、かと言って知られた時にここまで怒りを買うとは思っていなかった。

 動揺を押し隠して平静を装いながらも、つい言い訳めいたセリフが口から飛び出す。


「別に…立てなくなる程したわけじゃない」


 ――……、なんの話?


「もちろん道具も使ってない。」


 ――武器?…カレンの話は?


「君からは…もしかすると、首を絞めたように見えたかもしれないけど」


 ――カレンの話だったわ。


「…軽く押さえただけだ。当然、呼吸に支障をきたす強さじゃない。だから」


 そこまで言ってアベルは口を閉じた。

 だから何だと言うのか。

 零れた言葉の続きがわからず、再び沈黙が流れる。


 しかし説明すべき事はしただろうとシャロンを見やると、彼女は少しだけ困ったように首を傾げていた。瞳はアベルを避ける事なく、真っ直ぐに見つめている。

 どうやら説明の効果はあったらしいと、アベルは無意識にほんの微か息を吐いた。


「……どうして、カレンを脅したりしたの?」

「先日の件があったからだ。」

 街でカレンを助けた時の事を言えば、やはりシャロンは眉尻を下げた。カレンを可愛がっている分、思う所があっても簡単に口にできないのかもしれない。


「ウィルに気を付けさせるにも限度があると思った。彼女にも元から距離を弁えてもらいたい。…これまで以上に。」

「貴方は…あの二人が噂されると、あまり良い気はしない?」

「しないね。」

「そう…」

 いずれ、シャロンとウィルフレッドの婚約は公のものとなる。カレンとウィルフレッドの噂が残ることは即ち、兄を浮気者と言われる事だ。

 不快に決まっている。

 シャロンの相槌は言葉少なだったが、もちろん「そうよね」の意味だろう。一番嫌な思いをするのは彼女だ。


 ――それは嫉妬ではないのって……言うべき?言わないべき?自分で気付くのが一番だと思うけれど…


「貴方は…カレンの事が気になるの?」

「ウィルの友人の一人だ、当然ある程度気にはしてる。あまりに相応しくないなら下りてもらう」

「そういう事ではなくて……ほら。この前あの子に言っていたでしょう?君がくれる物なら嬉しいって。そういう…」

「覚えがない。いつの話だ」

 アベルが聞き返すと、シャロンはカーテンに覆われた窓を見やり、呟くように「訓練場で」と言った。

 カレンから手作りクッキーを貰った時の事だと。

 そこでようやく思い当たり、アベルは僅かに首を傾ける。聞こえたなら意味は通じたはずだが、彼女は何か聞き漏らしたのかもしれない。


「あれはお前の話をしただけだ。」

「私?」

「作ったのはお前にやるためだろうと思ったから、何でも嬉しいんじゃないかと言った。」

 アベル自身の言葉とでも思っていたのか、シャロンは目を丸くしている。

 それがどうしたと言うつもりでゆるりと瞬けば、彼女はハッとして少し気まずそうに視線をそらした。色白の細い手を片方、胸元で軽く握っている。


「……前にも私、貴方が廊下でカレンと手を…その…」

「俺が?それは本当に無い。見間違いじゃないのか」

「見間違い……」

 思い返すように目を細めるシャロンは納得がいかない様子だ。アベルは改めて記憶を辿った。カレンの手を握ったり支えた覚えは無いが、触れた事はあると思い出す。三ヶ月ほど前の話だ。


「彼女が落としたカードを拾って渡した。その時か?」

「…そうだったの。私てっきり……」

「君は?」

「私?」

 何か説明する事があったかしらとばかり、シャロンはきょとりとしてアベルを見つめていた。

 やはりこちらも危機感が足りないと思いつつ、アベルは「研究室に居た事だ」と返す。


「なぜ補習めいた事を?必要ないはずだ。」

「あぁ、あれは…そうね。」

「子爵から何か受け取って、随分親しそうに笑ってたけど。何なの」

 一拍置いて話し出すところだったろうシャロンに、アベルは続けて問いかけた。なぜか普段よりやや低まった声は早口になり、シャロンは不思議そうにしている。


「……?頂いたのはお菓子よ。傷薬は先生に頼まれて作ったから、そのお礼だと思うわ。」

「菓子。へぇ…あの子爵が君にね。」

「ふふっ。貴方の分がないからって、渡す時ちょっと気まずそうにされていたわね。」

 確かにあの時ホワイトはシャロンから目をそらしていた。

 しかし突然来たアベルの分が無い事など当たり前なのだから、理由はそこではないだろう。

 随分好意的に受け取るなとアベルは怪訝に眉を顰めたが、シャロンはなぜか微笑ましそうにくすりとはにかんだ。柔らかな眼差しは普段の彼女のものだ。


「貴方、先生の事少し苦手でしょう。」

「そんな事はない。」

「ああ見えて、結構お優しい方なのよ?」

 彼を優しいと評するのは如何なものかと思いながら、アベルは喉まで出かかった「ウィルの方が優しい」という呟きを飲み込んだ。わざわざ口に出さずとも、シャロンは自分の婚約者の方が素晴らしい人物であるとわかっているだろう。

 アベルは意識して力を抜き、こちらを見つめる瞳を見返した。


「シャロン」

「なぁに?」

 彼女の声は穏やかで、緊張は感じられない。

 それで充分だった。


「もう怒っていないか。」

「…貴方、私が怒ってると思っていたの?」

「違うのか?」

 なら何だったのかと僅かに首を傾ければ、シャロンは小さく苦笑する。


「正直ね……あの時、貴方がカレンに迫っているように見えたの。えぇ、と…脅しではなくって、」

「…俺が彼女に懸想して、強引な手に走ったと?」

「そう見えたわ。えぇ。だって貴方、あの子に何をしたかわかっている?」

「わかってる。」

 大した事はないと示すため、椅子に片膝を置いたアベルは机に手をついて身を乗り出した。シャロンの顎に指をかけて少し上向かせ、僅かに見開かれた目を見据える。

 距離はこれくらいで合っていたはずだ。


「これで――…」

 指を喉に押しあてたと言うつもりで、言葉が途切れた。

 シャロンの首を圧迫する気など全く無かったせいで、思ったより指をかけた位置が浅い。これでは本当にただ顔を上げさせただけだ。薄紫の瞳にはっきりとアベルが映っている。 


 ほんの数秒、まるで時が止まったかのようだった。

 絡まった視線は瞬くとようやく解け、アベルには目をそらしたシャロンの頬がほんのりと赤く染まって見える。

 恥じらうように目を伏せつつ、彼女は何も抵抗しなかった。アベルが勝手に触れる事を受け入れている。


 それは当然信頼関係によるもので、害される事は無いと確信しているからに違いなかった。当たり前だ。

 なのにアベルの頭でなぜか「一刻も早く離れるべきだ」と警鐘が鳴る。

 彼女の肌に触れた指を離さなければとそちらを見やれば自然――… らか うな唇が目に入った。


 ガタガシャン!


 指が離れた瞬間、強風がアベルを椅子へ叩きつける。

 何の前触れもない魔法で彼が視界から消え、目を瞠ったシャロンはつい「えっ」と声を漏らした。強風の余波で少し乱れた髪を手櫛で直しながら、立ち上がって一列前を覗き込む。


「だ、大丈夫?」

「………。」

 床から起き上がったアベルは片膝立ちになり、無言で椅子の座面に腕をついた。

 音を聞き付けたダンが扉からひょいと顔を出す。


「おい、今の音――……」

 立ち上がったシャロン、その前で床に膝をついたアベル。どこからどう見ても、シャロンが怪力でアベルを張り倒した所だった。

 つい真顔になったダンは瞬き、驚きと感心の混ざった声で言う。


「……随分派手に振ったな。お嬢」

「っ!?…違う。違うわよ?何でもないの!アベル、大丈夫?」

「問題ない。」

 アベルは淡々と答えて立ち上がった。

 シャロンが困っている。

 当たり前だ、「アベルが自分で風の魔法を使った」などと言えるわけがない。とにかく大丈夫と言い張るシャロンに促されてダンは廊下へ戻り、二人はそれぞれ座り直した。


「どうしたの?いきなり風を……貴方よね?」

 問いかけるシャロンは心配そうな面持ちだが、いつも通りだ。

 先程の妙に視線が囚われる感覚は何だったのかと、アベルは眉根を寄せつつ頷いた。魔法を使ったのは自分だが理由はわからないし、深く考えるべきではないと勘が告げている。その話題は早々に切るべきだ。


「驚かせて悪い。…とにかく、カレンには今後のために脅しをかけただけだ。そもそも、俺がそういった感情を抱く事はない。」

「……。」

 シャロンは言葉なしに頷いた。

 まだ表情に困惑が残って見えるのは、やはり「なぜ魔法を」という疑問があるからだろう。


 ――ない、と言い切るのね。攻略難易度が高いとはいえ、カレンと結ばれる可能性を知っている身としては何とも返しづらいわ。ゲームではイベントで全てアベルを選ばないといけなかったけれど、現実ではイベントがなくたって、幾度も会えるのだし……。


「脅した事で怒ってないなら、お前の態度がおかしかったのは何だ?」

 別の誤解をされてるだろうと言ったカレンの言葉が正しかった。

 それはわかったが、アベルが彼女に迫っているように見えたとして、一体何だと言うのか。僅かに首をひねって聞いてみれば、シャロンは呆れたように小さく息を吐いた。


「貴方が女性に迫るところなんて見たら、誰だって気まずいと思うわ。」




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