366.ヘマはしません
パーシヴァルが去り、会議室には私とギルバート様だけになった。
エリオット様はおらず護衛騎士も廊下、こんな機会は滅多にないだろう。
「……陛下」
「何だ。」
「実際、帝国の皇子についてはどう思われますか。」
ジークハルト・ユストゥス・ローエンシュタイン。
現皇帝の息子であり自軍の将すら殺す暴虐皇子。昨年の女神祭においては親善試合の相手にアベル殿下を指名し、なぜか双子の王子殿下を「気に入った」と豪語した。
そして彼は、自分に盛られた毒がどこの物か気付きながらも、ソレイユの第三王子リュドを殺してはくれなかった。
噂通りの人物なら即座に手を出すと思ったが存外、理知的であったようだ。あるいは、暗殺に慣れ過ぎて些事と考えたのか。
エリオット様の娘シャロン・アーチャーの申し出も意外だが、陛下がそれを良しと言う事も予想外だった。元より、あのアベル殿下が帝国の人間相手にさほど敵意を向けていない事も不思議ではあったのだが。
私の問いに、ギルバート様はペンを置いて背もたれに身を預けた。
「彼は、気分任せのようでいて相手をよく見ている……苛烈だが、狂気に侵されてはいない。」
「信じて良い相手だと?」
「そこまではいかないな。あれはこちらの出方次第で変わるだろう。」
「次代に移る時、殿下達に手綱が握れるでしょうか。」
「手綱など元から無い。しかし悪くない付き合いができると感じている……少なくとも、今の皇帝よりはな。」
確かに、現皇帝よりは話のできる相手だと思う。
孤島リラへの訪問を許して良いものかは疑問だが……陛下は、国について判断を誤る事はない。
それに、リュド王子はジークハルト皇子を苦手としていた。
パーシヴァルですら彼を殺せなかった以上、女神祭という出入りの緩い時期には良いのかもしれない。
二月の事件。
パーシヴァルは正当防衛でリュド王子を殺すどころか、情けなくも息子達の助けがなければ死んでいたという。
ついでに人格の壊れた弟も奴自身に片を付けさせようとしたが、物事はどう転ぶかわからないものだ。誰の命も落とさずオークス家の力を削いだのだから、私にとってそう悪くはない結果ではあったが。
かの軍務大臣閣下にも倒せないならば余計、リュド・メルヒオール・サンデルスは潰さねばならない。
いずれ誰かが、ツイーディアで最も貴い星を狙えと依頼する前に。
あくまで、秘密裏に。
「ジョシュア、お前は次代の我が国をどう見ている。」
「……アベル殿下が治められれば、より強国として名を馳せましょう。」
「少しはウィルを見る目も変わったのではないか?」
わかっているとばかりに薄く微笑まれ、気まずさから目をそらした。
私が第二王子派である事は誰もが知っている。
今もそうだ。アベル殿下が治めた方が、軍事的な統率の取れた国になるだろう。魔法が使えないにも関わらず、かの方は既に騎士団の尊崇を集めているのだから。
次期国王に相応しいかを見た時、ウィルフレッド殿下はその器ではなかった。
嫉妬、羨望、劣等感、自己否定。
視野は狭いばかりで勘も鈍く、成長に期待をかけられる程ですらない。
妹にばかりかまけて使えないチェスター・オークス同様、いずれ消さねばならないかとすら考えていた。
アベル殿下が玉座につくにはどうしても、魔力を持つ第一王子が邪魔だからだ。
腐った果実に栄養を与える意味もない。
しかし。
「――…確かに、変わられました。」
他ならぬギルバート様の問いであるから、私は正直に答えた。
環境が変わってもあのままなら見切りをつけるつもりだったが、一年少し前だろうか。ウィルフレッド殿下はアベル殿下との不仲を乗り越えた。
様子見しても良いと思える程度には精神が成長した。
あの方はもう、アベル殿下が王になったとて腐りはしないだろう。
「ですが、玉座につくならまだ足りません。」
「忘れてやるな、あいつらはまだ十三の齢だ。」
「アベル殿下はとうに王の風格を身に付けておられます。」
「俺とてウィルと同じだ、一年の頃などただの子供だったぞ。」
「ギルバート様は入学以前より我が王でした。」
きっぱり答えると、ギルバート様は目を閉じて首をひねった。僅かに眉を顰めておられる。
私が頑固者だという事くらい、とうの昔に知っているのだ。
私の道が貴方が望まぬものでも構わない。
貴方の国こそ最強であると、世に知らしめるためならば。
「……頼むから、俺にお前を殺させてくれるなよ。」
「はい。そのようなヘマはしません」
金色の瞳を真っすぐに見返して言う。
私が誰に何を指示したなどと、証拠が揃って貴方のもとへ届く日は来ないだろう。永遠に。
「先程俺が言った事を覚えているか?お前もパーシヴァルも欠けてもらっては困るんだ。」
「私は欠けませんが、奴が先日息絶えかけたのは自己責任だと思っています。」
「誰もがお前ほど魔法の才があるわけではないぞ。」
「奴の怠惰です。」
「お前は本当にパーシヴァルに厳しいな…」
「あちらにふざけた態度を改める気があるなら考えます。」
ギルバート様は一つ小さく息を吐いてペンを手に取った。
私も作業に戻るべく手元の書類をめくる。パーシヴァルが会議で言い出さなければ、この仕事も無くて済んだものを。
「ジョシュア。お前の妻だが」
ギルバート様の視線は資料へ向いている。
完璧と称される美貌の国王陛下は、ほんの僅かな動揺もなく言い切った。
「次の春に首は無いかもしれん。」
「承知致しました。我が君」
◇
午前の授業を終え、身支度を整えた私はカレン達と共に食堂の個室へやってきた。
今日は皆でランチを取りましょうと話していたから、ウィル達もじきに来ると思うけれど……さて、どうしましょう。
私はほんの僅かに首を傾げて、週末の話を続けるレオへ目を移した。
「で、そいつが「この子を学園まで頼む」って。」
「…えぇと、カレンに似ていたという……?」
「そう。目ぇ合わねーしオドオドして大人しい奴だったな。髪ちょっと後ろで縛って、あのあれ…全部一緒くたのスカート履いてた。」
「……おそらく、ワンピースね。」
普段ならカレンからすぐ訂正が飛ぶところだ。
チラッとだけ彼女の方を見やると、カレンは真っ赤な顔で唇に人差し指をあてた。……きっと、頑張っておしゃれをしたのね……。レオに会うのは予想外だったのでしょう。
焦っているところにレオが別人と勘違いして、カレンだと名乗れず学園に着いた…というところかしら。
「カレンの姉ちゃんかって聞いたら違うって言ってたけど、そういや学園に何の用だったんだ?生徒にしちゃ全然見た事ないよな……」
「ぐふっ…!」
横から苦しそうな声が漏れ聞こえた。
ダンがブーツの紐を直すフリをして蹲ってから少し経つ。
そもそも、レオはなぜ気付かないのかしら。私が髪型を変えて登校しても、普通に私と認識しているはずだけれど…。
「レオは無事にその方を送り届けたのね。」
「おう。市場とか人多かったから、はぐれねーように手ぇ引っ張」
「の、飲み物ッ!」
いっぱいいっぱいな様子のカレンが声を上げた。
ぷるぷる震える指でレオの空っぽのグラスをビシッと指差している。
「飲み物持ってきたらどうかな!?」
「や、水差しあるしこれでい」
「たまには!野菜とか果物入ったやつ飲んだら!ね!!」
「お、おう……何だその迫力……」
レオは首を捻りつつも飲み物を取りに出て行った。
扉が閉まった途端にカレンは両手で顔を覆い、ハンカチでくぐもった笑い声が横から聞こえてくる。
「ぐっ、ぶはははは……!あはっ、げほげほ、ぶくくく……!」
「ううぅ……!ダンさん笑い過ぎだよ……」
「はぁ、はあ…っくくく……あいつマジで最高だな…」
「最悪だよっ!」
ぷりぷりと怒るカレンも可愛い。
ダンはようやく立ち上がってハンカチをポケットにしまった。できる事なら私もおしゃれした姿を見たかったわね……。
それにしても、レオが言っていた「茶髪のきれーな兄ちゃん」とは誰の事かしら。
二回目のデートイベントで変装した人はいなかったはずだけれど。ウィルとアベルは薄手のローブを着てフードをかぶっていたものの、茶髪ではないし。
「カレン、一緒にいたのは…?」
「えっとね、お店を出た後で怖い人に絡まれちゃって。ウィルフレッド様が助けてくれたの」
「ウィルが?」
「うん。ウィルフレッド様は変装してて…あ、シャロンには言っても良いって言われてるよ。」
「…そう……。」
ゲームのシナリオでは、カレンを助けるのはアベルだったけれど。
どうやら今回のイベントは結構変化があったらしいと、少し考え込みながら紅茶に唇をつけた。
「んで?レオとお手手つないで帰りましたってか?」
「そ、それはあっちが勝手に……!」
ノックの音がして、二人がぴたりと口を噤む。
私が返事をするとすぐに扉が開き、アベルとウィルが入ってきた。後ろでチェスターとサディアスが食堂の職員に注文を告げている。
「やぁ三人とも。こんにちは」
「こんにちは、ウィル」
「っこ、こんにちは……」
ダンは黙礼して、カレンは赤い顔でぎこちなく返した。レオ同様、ウィルにもおしゃれした姿を見られているせいかもしれない。
アベルにも挨拶をと思ってそちらを見ると、彼は目を細めてカレンを見つめていた。
金色の瞳がこちらを見て心臓が小さく跳ねる。びっくりした、と心で呟きながら笑顔を取り繕った。アベルは軽く頷いて自分の席に着く。
「あのっ、ウィルフレッド様…」
「うん?どうしたんだ、カレン。」
「土曜日の事を…内緒にしてほしくて……」
「もちろんだ。シャロン以外に言わないでほしいと頼んだのは俺だし」
ウィルが微笑んでそう言ったけれど、そこではないのよね。
予想だにしていないでしょうと思ってつい苦笑した。カレンが慌てた様子で手を横に振る。
「そうじゃなくてね、えと…レオが、私だってまだわかってなくて……」
「……、何だって?」
「カレンによく似た子に会ったと言っていたわ。学園に何の用事だったのだろうと、さっき不思議がっていたところよ。」
私が補足すると、ウィルは青い瞳をまん丸にして言葉を失った。
そうよね、変装ならまだしもね…。
「わーぉ。レオ君らしいっちゃ、らしいかも……?」
「…髪型と服装が違うだけでわからないのはおかしいでしょう。彼女と同じ色で同じ年頃なんてまずいませんよ。」
眉を顰めたサディアスが声を潜めて言う。
ある意味、それ程までにカレンの色を気にしていないという事だけれど。
戻ってきたレオは、皆が呆れた目で見てくるのでキョトンとしていた。




