361.まさに悪い例
道には他の人もいるし、このまま大通りに出ちゃえば諦めるかな?
と思ったんだけど……そうはいかなかった。
大柄な男が三人、強引に私達を追い抜いて立ち塞がる。きっとウィルフレッド様が言ってた人達だ。
「よう、デート中か?楽しそうだな。」
「悪い事はしねぇよ、ちょっと一緒に来てくれりゃいいからさ。」
「少し話すだけさ、いいだろう?」
にやにやと笑う男達は明らかにガラが悪くって、力仕事をしているのか荒っぽい事に慣れてるのか、腕はウィルフレッド様の倍は太かった。
一人が両手を組んでパキポキ鳴らしている。
無意識に後ずさった私を隠すように、ウィルフレッド様が前に立ってくれた。
「先を急いでいてね。通してほしいんだが、どいてはくれないか?」
「あ~、貴族のお坊ちゃんだなこりゃ。」
「その剣はお飾りか?お父ちゃまから使い方習わなかったのかなぁ?」
「抜く度胸もねぇなら、チビる前に有り金寄越せや!」
「……仕方ないな。」
ウィルフレッド様がため息混じりに呟く。
まさかお金を払うのかなとハラハラする私を振り返って、
「すまない、触れるよ」
そう言った。
意味を聞き返すより早く、ウィルフレッド様にひょいと抱えられる。
背中と膝の裏を支える腕は思いのほかしっかりしてて、危なげなくって。綺麗な顔がすぐ目の前に来て、身体がぴったりくっついて、頭が真っ白になる。
「宣言、風よ俺達を飛ばせ!」
「は!?待ちやが――」
男達の声が途切れた。
ううん、聞こえなくなったっていうか、風の音でわかんなくなったっていうか…
「あれ?」
「きゃあああー!」
私達はものすごい勢いで上空へ吹き飛んだ。
さっきまで目線よりずっと上にあったはずの建物の屋根が、自分の手に納まるくらい小さく見える。私は必死でウィルフレッド様にしがみついた。
「おかしいな。ふふ、ここまで高く飛ぶ気はなかったんだが……大丈夫か?」
「たかっ、高い!落ちる!落ちっ――」
「うん、しっかり掴まっていてくれ。大丈夫だから」
ちゃんと抱えてくれてるのはわかってても、私はつい身体を強張らせて悲鳴を上げる。ウィルフレッド様は朗らかな声で返して、風の魔法がふわりと和らいだ。
上昇が止まってそのまま、私達は浮いている。
私の心臓はばくばく鳴って、呼吸もすぐには落ち着かなかった。ウィルフレッド様のシャツをしわくちゃに握りしめてしまった手も、なかなか震えがおさまらない。
「は…っはぁ…はぁ…」
「カレン、ほら。見てごらん」
「な、なに……」
「海だ。」
魔法が安定してもこんな高さは人生で初めてで、いっそ人生で最後でもあるかもしれない。
おそるおそる顔を上げると、遠くに孤島リラを囲む果ての無い海が見えた。
深い青色。
太陽の光を受けてきらきら光ってて、港には灯台や船がある。
ちいさな人影は沢山動いてて、いくつかが私達を見上げて指差している気がした。黙って見つめる間に少しずつ呼吸が落ち着いて、ウィルフレッド様はじっとそれを待っていてくれて。
「……綺麗…だね。」
「ああ。この景色を守らなければな」
そっか。
ウィルフレッド様にとって、これは綺麗なだけじゃなくて……守りたいものなんだ。自分が、守るものなんだ。王都だけじゃなくて、国の全部が。
そんな事に今更気付いた私は、リラを見下ろすウィルフレッド様の優しい瞳をじっと見つめた。私達を包んでる空みたいに爽やかな青色。
このひとは、いつか――…
「うん?」
「あ…ごめんね、つい見ちゃって。」
慌てて目をそらした。
本当はちょっと距離も取りたいんだけど、今ウィルフレッド様と離れたら私は真っ逆さまに落ちてしまう。男の子に抱きかかえられてるせいか、とんでもない高さに浮いているせいか、心臓はまだ少しどきどきしていた。
「では降りようか。ゆっくり行くと目立つだろうが…急いで降りるのは」
必死で首を横に振った。
さっきみたいに叫んじゃうかもしれないし、気絶しちゃうかもしれない。特別高い所が苦手ってわけじゃないけど、こんな高いところは初めてだ。
全然平気らしいウィルフレッド様はくすりと笑った。
「ふふ、そうか。では姿を消しておくしかないな。」
「…図書室の時みたいに?」
「ああ。――宣言。光よ、壁となり俺達を覆い隠せ」
淡く光る透明な膜が私達を球状に包み込む。これでもう他の人からは見えてないんだろう。
図書室で隠れた時みたいに、サロンであの三人からシャロンの姿を隠しちゃった時みたいに。
ウィルフレッド様は私を抱えたまま、ゆっくりと滑空していく。
魔法を複数発動するのは、慣れてからじゃないと難しいってスワン先生が言ってた。それも二人分の重さを持ち上げる風の魔法と、人の目から隠せる光の魔法。私やレオじゃどちらか片方だって発動できないのに。
「ウィルフレッド様はすごいね。」
「俺が?」
「うん、だって魔法!難しいはずなのに、短い宣言でパッとできちゃって。」
「ははは、カレンにはそう見えるのか。これは慣れだな、俺は使い始めが早かったから。」
「もし同じだけ早く使い始められたって、私じゃできるようになる気がしないもん。だからやっぱりすごいと思う。」
「…ありがとう。」
だんだん屋根の高さに近付いていく。
噴水広場から少し港側へ離れた建物の裏手に着地して、ウィルフレッド様は私をそっと下ろしてくれた。
いくつかの小道に繋がるこの場所はほんの五メートル四方くらいの空き地で、意外と人が通るのか雑草も目立たず、壁際に一つだけ置かれたベンチは汚れもない。
「大丈夫か?」
「うーん…」
足はちゃんと地面についてるはずなのにまだちょっと浮いてるみたいな、変な感じだ。
思わず何度か足踏みする私を見て、ウィルフレッド様がちっちゃい子を見守るみたいに微笑ましそうにしてる。…足踏みはやめよう。
「ちょっと、周りがぐらーって動いて見えるかも?」
「ああ、なら無理はしない方がいい。眩暈でも起こすと危ないよ」
両手でくるりと空気を混ぜながら頭を右に傾けて、時計回りに動いて見える事を伝えた。
ウィルフレッド様が私の手を支え、ベンチに座るよう促してくれる。私達の周りにあったはずの光の膜はいつの間にか消えていた。二人掛けに私だけ座って。
「私…空をびゅんびゅん飛べなくても……卒業までにもうちょっと、魔法がうまくなれたらいいな。」
「なれるさ。君は努力できる人だから」
「あ、ありがとう…。いつか皆みたく落ち着いて使えるように、頑張るよ。」
私はすぐ焦ったり慌てちゃうから、発動できてもあっという間に風が途絶えたりする。
シャロンやレベッカに魔法を見せてもらったら、二人共さっきのウィルフレッド様みたいに平然としてて。あれくらい堂々とできたらかっこいいなってずっと思ってた。
「冷静さは確かに大事だが、人によっては《感情》を軸に使う事もできるよ。」
「感情?」
つい聞き返したら、ウィルフレッド様は苦笑して「サディアスは嫌がるやり方だが」なんて付け加える。
落ち着いて魔力をコントロールする余裕がない時は、考え過ぎて頭の中でこんがらがっちゃうより、何も考えず雑に発動しようとするより、強い感情を軸に――ひとつの指針にして使う方が、まだいい。っていう事らしい。
「例えば…そうだな。とにかく早く行かなければならない時。《風》で自身を加速させたいとして、宣言を唱えて咄嗟に「急いで」とか「早く」と口走る人は多いと思う。」
うんうんと頷いた。
加速は自分ではまだできないけど、ダンさんが使うところは見た事がある。もし私が使うなら、確かに「早く!」って言っちゃいそう。
「どうせ言うなら、魔力のコントロールに組み込むんだ。ただ呟くだけでは、「宣言」として言えていない場合があるからね。」
「あっ…」
「これだけ急く気持ちがあるんだと、だから速くなければならないと魔力に伝える事が大切だ。後は…カレンにそんな事があるかわからないが、恐怖や怒りで我を忘れそうな時も。コントロールを放棄するよりはまだ良いだろう。」
「……覚えておくね。」
お腹の前でぎゅっと拳を作った。
さっき怖い人に絡まれたみたいに、去年の女神祭でスリに追いつけなかったみたいに。これからも危ない時はあるかもしれない。
どっちも私一人じゃなかったから何とかなったけど……一人だったら、自分で何とかしなきゃ。
「ただ、口に出して言うという事は感情の吐露だから。元々調整が上手い者からすると、恥を晒すように思えるみたいだな。ふふっ。そんな事をしなくても思うままに調整できる、というわけだ。」
「でも今の話を聞いてると……恥ずかしいって思ってる場合かどうか…」
「そう、取り繕っている場合じゃない時はある。もちろん感情に支配されてはいけないから、状況によるけれどね。感情の昂ぶりは普段より魔力を多く引き出すという説もあるんだ。」
ウィルフレッド様は少しだけ目を細めて眼鏡をかけ直す。
そして私を振り返って、にこりと微笑んだ。
「普段使いするやり方ではないから、もしもの時に備えて一応、覚えておくくらいだな。」
「うん。覚えとく…ありがとう、ウィルフレッド様。」
「どういたしまして。具合はどうだろう?」
「大丈夫!だいぶ良くなったよ。」
立ち上がって笑ってみせる。
ウィルフレッド様は「それならよかった」と頷いた。…随分と高く飛んでたけど、そういえばあの時、本人も予想外みたいな事を言ってたような……?
「さっきは…すごい高さだったね?」
「まさに悪い例だな、俺が想定した発動内容から少し外れてしまった。やや気分が高揚したせいだと思う。」
「こ、こうよう…」
「ああいった輩に絡まれるだなんて…くっ、ふふふ。まるでアベルみたいじゃないか。」
そうかなぁ。
私はつい首を傾げたけど、入学式の日に先輩達を返り討ちにしたり、学園で野良試合を毎日挑まれてる事を考えると……確かに。ウィルフレッド様に比べたら、アベル様は断然絡まれやすいのかも。
「それに、友達を抱えて飛ぶのも初めてだった。」
「う……わ、私も、初めて。」
私はなんだか少し恥ずかしく思ったけど、ウィルフレッド様は特に気にしてないらしかった。
「お互い初めてだな」なんてはにかむ彼の笑顔はきらきらしてて、誰が見たって綺麗って言うと思う。
私は、純粋に友達として接してくれてるのがわかるけど……大丈夫かな。
王子様はあんまり、女の子にそういう事を言わない方がいいんじゃ……なんて改まって言うのも恥ずかしいから、ただ黙って頷いた。
「ひとまずメインストリートに出ようか。」
「そうだね。」
歩き出したウィルフレッド様から一歩分離れてついていく。
雑貨屋さんで会った時は驚いたけど、普段は二人でこんなに話せる機会なんてない。意外なところとか、知らない事とか、色々聞けて良かったな…。
友達としてまた少し仲良くなれたかも。
そう思いながら、私は前を歩くウィルフレッド様の背中を見つめた。




