360.心臓によくない
「うーん……」
鏡の中から赤い瞳が見返してくる。
今日は学園がお休みだ。
午前中にちょっと自習もしたし、午後は街に出ようと決めていたんだけど……
「ど、どうなんだろう…これ…」
お母さんが送ってくれた真新しいワンピースの裾をちょっと持ち上げてみる。
明るめの灰色で端っこのレースや襟元は白くて、胸元は大きめのリボン。ピンクとか黄色は恥ずかしいから、あまり目立たない色なのは良いんだけど…それでもやっぱり新しい服を着るのは緊張する。
出かける前に誰かに見てもらおうかな。
でもどうだろう、シャロンはたぶん何でも凄く褒めてくれるし、そもそもまだウィルフレッド様達と一緒かもしれない。
レベッカは「いんじゃね?」しか言わなさそう。デイジーさん……は、服を見てもらうだけで呼ぶのはちょっと気が引ける。
「……だ、大事なのは勇気だよね。気合いだよ!うん。」
小声で言いながら拳をぎゅっと握った。
そしていつも三つ編み二つにしてる白い髪を、思いきってハーフアップにしてみる。……うっ……や、やっぱりいつもの髪型にしておこうかな?誰に会うわけでもないし……
そこまで考えて、むしろ誰かに会う時こそ新しい髪型にする勇気が出ないかもと思った。余計に緊張しそう。
……練習!練習だよ、今日は。おしゃれをする練習。
意識しすぎない方がいいよね、きっと。
前髪にお花のヘアピンをちょんとつけて、私は部屋を出た。
――…レオに、会いませんように。なんか…変って思われたら、いやだし……。
通りすがりの人達と目を合わせないようにしながら、正門を出て街まで歩いた。
行き先はいくつか思い浮かぶけど、まずどこに行こうかな。
雑貨店とか、この前のオペラハウスの辺りとか。大きな本屋さんとか、市場のお店をじっくり見てみる?それか、通った事のない道を行ってみるのも良いかもしれない。
【 どこへ行こう? 】
私は、パット&ポールの何でも雑貨店にやってきた。
ちっちゃい子が店員をしているけど、結構掘り出し物があったりして面白いんだよね。
木製の扉を開けるとカランカランとベルが鳴る。
「「いらっしゃいませー!」」
胸元に名前のバッジをつけた男の子が二人、笑顔で迎えてくれた。
確かまだ五歳と七歳だ。
「パット&ポールの何でも雑貨店へようこそっ!」
「ようこそー!あ、つよいおねーちゃん!」
「あはは…こんにちは、二人とも。」
相変わらずでつい苦笑いしてしまう。
私の白い髪は、二人からすると強そうに見えるんだって。全然強くないんだけどな…。「ごゆっくりー」と言われて、広い店内を歩き始める。
他のお客さんは男子生徒が一人来てるみたい。じろじろ見るものでもないから、私は気にせず棚を見ていく。
………、な…なんか、見られてる……?
気のせいかな、たまたま同じ列に来てからあの男の子、こっちを向いてる?何だろう、茶髪で眼鏡をかけた人なんて知らないと思うけど。柄を布でぐるぐる巻いた剣を提げてるしネクタイしてないし、ちょっと怖いから距離を保っておこうかな。
それとなく離れ…あっこっちに来る!まさか私に用があるの?何で?ど、どうしよう……
「カレンか?」
「え?」
驚きながら顔を上げると、眼鏡のレンズ越しに青色の瞳と目が合った。
わ、すごく綺麗な男の子……って、ウィルフレッド様!?
「やっぱりカレンだ!驚いた、今日は髪型が違うんだな?とてもよく似合ってる。」
「っえと、あれ…ありが、どっどうして……」
「ああそうか、俺は――そう、バーナビーだ。ふふ」
懐かしいだろう、なんて笑うウィルフレッド様は楽しそうだ。
さらさらの長い茶髪を結って体の前に流しているけど、もしかしなくてもウィッグなのかな。辺りを見回してもサディアス様はいない。
「去年と違って俺を知っている者が多いから、一人で歩くなら変装するよう言われてね。」
「そっか、危ないもんね…」
「君も買い物か?」
「うん。レターセットが無くなるから……後は、何か掘り出し物があるかなって。」
「ここは不思議な物が沢山置いてあるからな。わかるよ…見ていて飽きないし、下手をすると買い過ぎてしまいそうだ。」
「ウィル……バーナビーでも、そういう事があるんだね。」
「意外か?楽しかった日は記念を取っておきたくなるんだ。あれこれ保管し過ぎて注意されてからは、一応自制しているが」
そんな注意を受けるのもちょっと意外。お部屋はすっきり片付いてそうな印象なのに、結構物を増やしやすいタイプなのかな。
何かを懐かしむように目を細めて、ウィルフレッド様は軽く腕組みをした。
「特に昔、庭で見つけた枝を持ち帰った時は大変だった。」
「枝?」
「こっそりアベルの部屋に隠して…俺としてはお土産のつもりだったんだ。変わった塊がついていたから、珍しいと思って。探してみろと伝えるつもりがすっかり忘れて、翌朝大騒ぎになった。」
「それは……大変だったね……。」
王子様といっても、小さい頃にやる事は普通の男の子と変わらないんだなぁ。
アベル様は平気だったのかな?虫に悲鳴を上げるタイプには見えないけど。
レターセットを選びながら、ちらりと横を見る。
ウィルフレッド様は私じゃなくて、隣の棚に並んだ文房具をしげしげと眺めていた。どうしよう、今聞いてみても良いかな。
「あの…《体術》の授業、で……」
躊躇いながら口にすれば、彼はすぐ視線をこっちに向けた。
綺麗に整った細い眉を下げて、小さくため息を吐く。
「君の耳にも入ったのか。」
「えと、レベッカに聞いたの。デイジーさんとシャロンもいたから、大体の話はわかったんだけど…。」
「……シャロンは平気そうだったか?」
「手を抜かずに相手をしてくれるのは嬉しいって、言ってたかな。」
「そうか…」
少なくとも痛がったり怖がったりはしてなかったし、そんな風に伝わっちゃうのはシャロンが望んでないと思った。
だから、困った顔をしてた事は言わないでおこう。
「相手の人はなんて言ってたの?女の子だって聞いたけど」
「二度としないと約束してもらった。試合とはいえやり過ぎだったからな」
「…反省、してくれたんだよね。」
ちょっぴり眉を顰めつつ確かめるように聞くと、ウィルフレッド様は苦笑した。
「彼女も賢い人だから。口約束とはいえ、俺に対して明言した事を容易く破りはしないよ。」
「……そっか。」
反省してたとは言ってくれないみたい。
でもシャロンが平気そうで、ウィルフレッド様もそう言うなら……大丈夫、なのかな?まだちょっともやもやが残ってるけど、私にできる事があるかと言えばなんにもない。
「カレン。シャロンのためを思ってくれるなら、ただいつも通りに笑っていてほしい」
「…いつも通りに?」
「あぁ。君の笑顔は人の心を温かくする」
「そっ……!」
そんな事初めて言われたし、どう考えたって言い過ぎだ。
まっすぐに私を見つめてくれるウィルフレッド様から目をそらしてしまう。顔が熱い。シャロンといいウィルフレッド様といい、そういうところ、あの、心臓によくない!
「わ、私そんな事できないよ…」
「そうだろうか?少なくとも俺は君の笑顔がとても好きだし、」
心臓によくない!!
どんな意味だって、王子様が簡単に人に好きとか言っちゃダメなんじゃないかな!?
「シャロンも同じだと思う。よく君を見て幸せそうにしているからね。」
「うぅ…」
「あれ、顔が赤いな。大丈夫か?」
「だだだ大丈夫!」
「今日はそこまで暑くないと思ってたが…体調は?ふらつきはないか?何なら奥で休ませてもら」
「平気!平気だから!わ、私もう行くね!」
心配そうなウィルフレッド様を置いて、私はレターセットを持って会計へと急いだ。
遠目からこちらを見る彼に「また学園でね」と手を振ってそそくさと店を出る。カランカランとドアベルが鳴った。
「ふう……。」
店から何歩か離れたところで立ち止まる。
あんな堂々と褒められると照れて恥ずかしくなるって、誰か教えてあげてほしい。持ったままになってた財布とレターセットを鞄にしまって、まだ熱い顔を手で軽くあおいだ。
――でも、そっか。私……ウィルフレッド様が覚えてくれるくらい、笑えてたんだ。
本当に変わったなって、自分でも思う。
それも「信じられない」って戸惑う気持ちじゃなくて、ただ…「嬉しい」って。
この白い髪を隠すためにフードをめいっぱい深くかぶって、俯いてたのに。お母さん達が気にしないように、「全然平気」って言ってた嘘が本当になった。
……大事に過ごしたいな。
卒業したらもう、今みたいには皆と会えないだろうから。
考えたくない未来を想像しかけて、つい胸元でぎゅっと拳をつくる。
カランカランと音がした。
はっとして振り返ると、店を出てきたウィルフレッド様が私を見て軽く手を振る。……学園でねって言った手前、まだここにいたなんてちょっと気まずい。ウィルフレッド様は焦る私にあっさりと追いついた。
「次はどこへ行くんだ?俺でよければ送っていこう」
「え!?そんな、申し訳ないよ。」
「今の俺は君の友人の一人だろう?」
「う……そう、だけど…」
平民の私が王子様に付き添ってもらうなんて、本当ならとんでもなく畏れ多い……けど、寂しそうにしゅんとして「ダメか?」なんて聞かれると、とても断れない。ず、ずるい……。
ダメじゃないよと言ったら、ウィルフレッド様は輝く笑顔で頷いた。眩しい!
「では行こうか。」
「わっ…」
当たり前みたいに手を引かれて驚いた。
すぐ横に並んで歩く事になって…ちょっと近くないかな!?てっ、手もどうして…
「カレン。そのまま前を見ていて、騒がないで。」
「う、うん…?」
ウィルフレッド様が小声で言う。
チラッとだけ横目で見た彼は微笑みを浮かべたままだった。なのに少しだけ、笑ってないようにも見える。
「君は学外の誰かに会う予定が?」
「え…?ないよ。」
「そうか。では落ち着いて、声を出さずに聞いてほしい。三人組の男につけられてる」
「……!!」
思わず目を見開いた。
ウィルフレッド様が穏やかに注意してくれてたから、口は閉じたままでいられたけど。
つけられてるって…いつの間に?
「店の窓越しに、彼らが君を指差してるのが見えてね。急いで出てきた」
「私を……」
ウィルフレッド様の正体に気付いて狙ってるとかじゃないんだ。
びっくりして、怖くて、心臓がどくどくと嫌な音を立てる。前にアベル様に言われた言葉が頭をよぎった。
『君みたいな小柄な娘がそんな所にいれば、悪い大人は目をつける。』
あの時はシャロンの偽物を探すのに、建物の隙間に隠れてて。
アベル様と別で大通りの反対側から見張ろうかって言ったら、そう断られた。
――下町にいた頃は、人の目が怖くて…一人でいる時は警戒してたのに。いつの間にか気を抜き過ぎていたかもしれない。
悪い人から見れば、私はただの弱い子供なんだ。
シャロンみたいに剣を使えるわけでも、レベッカほど強気なわけでも、デイジーさんくらいピシッとしてるわけでもないんだから。
「大丈夫だ、カレン。」
どうしようって俯いた私を勇気づけるように、ウィルフレッド様が手を握り直してくれる。
そして、なんて事ないみたいに笑ってくれた。
「このまま歩いて、諦めないようなら巡回の騎士に伝えよう。」
「うん…面倒かけちゃってごめんね。」
「面倒なものか。それに君のせいではないんだから、謝る必要など無いよ。」
「ありがとう、…えと、バーナビー。」
「ふふ」
ウィルフレッド様が嬉しそうに笑う。
去年下町で初めて会った時の事を思い出して、ちょっぴりくすぐったくなった私も自然と笑えていた。




