355.得体のしれない男二匹
放課後の食堂、二階テラス席。
「授業しんど過ぎ……」
教科書やノートが広げられた円卓にて、ジャッキー・クレヴァリーは掠れた声を出した。
今日も薄紫の髪を三つ編みにして前へ流した彼はべったりと頬を卓につけ、半開きになった目と口がなんとも無様な潰れっぷりだ。中性的な顔立ちが見るも無残である。化粧と魔法で整えれば公爵令嬢にすら似せられる素材の良さなのに。
「ええい背筋を伸ばしたまえ!せっかく私達が見てやっているのだぞ!!」
着席していながらぐりんと大きく両腕を使ってジャッキーを指すのは、同じ一年生であるアルジャーノン・プラウズ。
ブロンドの長髪を斜めにカットした、鼻が高く色白な細身系男子だ。
「見てんのは俺らじゃなくてホレスだろーがよ…。」
頬杖をついてため息混じりに言ったのは二年生のマシュー・グロシン。
赤い癖毛の短髪で前髪を上げており、健康的に日焼けした肌はアルジャーノンと比べればその差は歴然としている。太い眉は彼の短気さを表すようにつり上がっていた。
「あ、あはは……ジャッキー、もう少し頑張ろうよ……。」
ポソポソ喋ったのは三年生のホレス・ロングハースト。
丸く整えられた茶髪は前髪が目に刺さりそうなほど長く、苦笑いする彼は困ったように肩を縮めている。年長にも関わらずこの場の誰より弱そうだ。
シャロン・アーチャー公爵令嬢に扮したジャッキーに騙されるという縁で始まった奇妙な友人関係は、今やこうして放課後の勉強会を開くまでに至っていた。
といっても同学年はジャッキーとアルジャーノンだけなので、主に自習をしながら質問があればホレスに教えてもらう会である。彼は座学なら学年でもトップクラスの成績なのだ。
「今日《剣術》あったんだもん……俺ちゃん疲れたわ」
「君は初ッ級だろう!?おまけに完全な初心者、せいぜい走り込みか素振りだったんじゃないのかね。」
「それがシロートにはきついんだって!つかダンさんもいるからサボれねぇし!」
「「サボるな!!」」
アルジャーノンとマシューが同時に突っ込み、教科書で顔を隠したホレスが「ひぃ」と弱々しい声を上げる。怒鳴られたジャッキーはけろっとしていた。
「イングリスせんせーは付き合いやすいから良いんだけどさ。そいや、アルジャーノンがやってる中級はお嬢様いるから見た事あるけど、マシューのとこは?やっぱ上級って超厳しい感じ?」
「あー…レイクス先生だからなぁ。トレイナー先生ほど口うるさくな……」
ここは個室ではない。
ハッとして青ざめたマシューは素早く辺りを確認した。食堂の見える範囲に彼女の姿はないようだ。安堵のため息をついて視線を前に戻す。
「態度だの私語だの言われる事はねぇけど、実戦的だから怪我人はよく出るぜ。」
「うげぇー」
「おい!舌を出すな意地汚い庶民がッ!何なんだその反応の仕方は!」
「おめーはいちいち腕ブン回すのやめろ、アルジャーノン!」
「ホレスは《剣術》取ってないんだよな?」
「うん……僕は弓の方が好き。秋の剣闘大会は観に行くけどね。」
学園内にあるコロシアムで開催される催しだ。
剣術、格闘術、体術、護身術のいずれか一つを取っている生徒なら参加できるが、実際の参加者は《剣術》の中級以上が殆どとなる。
「それお嬢様も出るって言ってたなぁ。アルジャーノン達も?」
「出るともッ!……しかし上位争いはもちろん上級クラスの連中だろうし、優勝も決まったようなものだな。我々の学年は殿下がいる。」
「上級って事は、マシューは去年優勝…」
「してねーよ、三位。」
「それでも凄ぇじゃん!そんけーするわ。」
「へへ、まぁな。」
マシューは満更でもなさそうに笑い、鼻の下を軽く擦った。
生家は宝石商で多少金を持っているとはいえ、平民の子が上位へ食い込んだ事実に当時は嫌な顔をする者もいたものだ。
「皆…剣闘大会もいいけど、先に前期試験だからね……?」
指をもじもじさせながらホレスが言った言葉に、ジャッキーとマシューが崩れ落ちる。
アルジャーノンだけは右斜め上に真っ直ぐ腕を伸ばし「わかっているとも!」と声高らかに返事した。八月も第二週に入り、試験はもう来月である。
「プラウズ家次男たる私は国史や法学なら問題ない!…が、神話学は少し詰めておきたいな。薬学の実技だけは……う~む。」
「なんだ、薬学ならお嬢様得意じゃん。教えてもらえば?」
「はっ!?そのような天国が!?」
「抜け駆けじゃねぇか!」
「ハッハッハッハッハ!ざァんねんだったなマシュー!君は二年だ、教えてもらうわけにはいかないだろう!?」
「ふ、二人共落ち着いて…シャロン様に死ぬほど迷惑だよ……!」
「「死ぬほど!?」」
愕然として聞き返すアルジャーノン達をよそに、ジャッキーはインクをちょいちょいと浸したペン先をノートにはしらせる。
勉強も運動も嫌いだが、試験の結果はアーチャー公爵家に渡ってしまうのだ。怒られたくない。赤点だけは回避した方が良いだろう。
教科書の文字を目で追って渋い顔をしながら、自分の三つ編みを指でぴろぴろと揺らした。
「お嬢様達はオペラとか観に行って、余裕あって羨ましいよなぁ。今日も王女様と感想会だとか言ってたし。」
「あの澄まし顔の従者を連れた太ましい王女殿下か……奇行が多いから私は近寄りたくないが、シャロン嬢はそうもいかないのだろうね。」
「ちょっと変わってるよなぁ。でも俺ちゃん知ってるけど、あの人歌声めっちゃ綺麗だよ。演奏も上手いし」
「ええ……?」
「本当かよ。」
ホレスとマシューは怪しむように目を細めたが、アルジャーノンは知っているとばかり指先で前髪をさらりと流した。
「ヘデラは自由と音楽を愛する国。伊達に王族ではないと言ったところか、その成績ならばトップだと私の耳にも入っているぞ。」
「ジャッキー……君、音楽の授業を?」
「んや、取ってない。聞こえるとこで昼寝してただけ」
「なんだよ!」
「ハッ、そりゃこんな庶民が音楽の高尚さを理解できるわけないだろう!?」
「できないのはおめーも同じだろ」
「失敬だな!楽器どもが私の指先に反抗するだけだッ!」
要は何も弾けないのだ。
大仰なポージングをするアルジャーノンを無視し、ジャッキーは思い返すように言う。
「魔法の宣言とかめちゃくちゃだし、お嬢様達に呼ばれると飛び上がるし、変な顔するし……」
とても一国の王女とは思えない変わった人だ。
「でもほんと、きれーな歌声だよ。」
◇
空には大きな月が浮かんでいる。
開いた窓辺に肘を乗せて、吹き込む夜風に目を閉じた。
オペラハウスでは襲撃事件こそ起きなかったけれど、カレンの《選択》は発生していたように思う。ロズリーヌ殿下が私にずっと何かを感謝していて、ちょっと謎が残ったものの……無事にイベントは終了した。アロイスさんがいてくれたかどうかはわからずじまい。
シナリオの流れで言えば、来週あたりにデートイベントがあるはずだわ。
週末に街へ出かけたカレンがどこへ行くかで、そこにいる攻略対象とばったり会う事になるのだ。
ウィルは前々から行きたかったらしいパット&ポールの何でも雑貨店、サディアスは本屋、アベルは路地裏で、チェスターはオペラハウスといった具合に。
「――…寝ないと。」
ぽつりと呟いて、誰も来はしない窓とカーテンを閉める。
首に下げたネックレスを外して、サイドテーブルに置いた。アメジストが部屋の灯りにきらりと反射して、小さな光を投げている。
ベッドに腰かけた私はつい、カレンは誰を選ぶのかなんて事を考えそうになって。考えても意味がないじゃないと苦笑する。
サブキャラの私にできるのは、彼女の選択と恋路を見守る事だけだ。
目を閉じて両手を組み、祈りへと意識を逸らした。
あの子がどんな選択をしようとも、その先に皆の幸せがあるように。
月の女神様、太陽の女神様。
そして我らが祖、天高く輝く六騎士の皆様に祈り申し上げます。
どうかその目に私達を映し、見守っ
「何、この子。」
えっ。
女性の声に驚いて目を開けると、私は粗末な木の床に座り込んでいた。
着替えた覚えのない制服のスカートから視線を上げ、愕然として目の前の光景を見つめる。
見知らぬ民家の中、四人の人物がそこにいた。
「……お?おぉ!アメちゃんじゃないか!」
私を見てこてんと首を傾げ、すぐに満面の笑みで駆け寄ってきたのは翡翠色の瞳をした女性。同じ色の髪は背中まで伸びている。
そう――ヒスイさんだ。
「また来たか。クク…タイミングが良いのか悪いのかわからん奴だな。」
鋭い歯を見せてにやりと笑うのは、レイモンド・アーチャー様。
座った椅子の背もたれに寄り掛かった彼は一つに結った白銀の髪に、帝国のジークハルト殿下と同じ白い瞳をしている。つり目なところも端正なお顔立ちもそっくり同じだ。
「…そ、うか。アメ……本当に不思議な子だ。」
テーブルから一歩離れた所に立つ金髪碧眼の男性はエルヴィス・レヴァイン様。
私のお父様…エリオット・アーチャー公爵が若返ったかのように瓜二つで……ああ、私はまた忘れていたのだ。
どうして皆様を覚えていられないの?
なぜこの夢を見るの?
わからない。
「えっと…み、皆様お久し振りです。」
「よく来てくれた!あたし達はようやくアンジェに会えたところなんだよ。」
ふらりと立ち上がった私にヒスイさんが抱きつく。
ぐしぐしと頭を撫でられながら、私はテーブルを挟んでレイモンド様達に相対する位置に立つ若い女性を見やった。長い黒髪を三つ編みにして体の前へ流し、右目は眼帯で隠されている。
初代国王エルヴィス・レヴァイン様。
初代アーチャー公爵、レイモンド様。
そこへ隻眼の「アンジェ」ときたら当然――初代ドレーク公爵、アンジェリカ様のはずだ。あまりに見覚えのある彼女の顔を、私はついまじまじと見つめてしまう。
「■■■!説明を……っ!?」
「そうそう、アンジェ。この子が来る時はあたしの名が呼べないんだ、何でか知らないけど」
「何言ってるの?そんな事あるわけ…」
「くは、今体験しておいて何を疑う?さっさと受け入れるのだな。」
「貴方は黙ってて!」
険悪だ。
アンジェさんは眉を吊り上げてレイモンド様を睨みつけ、自分より背の高いヒスイさんに視線を戻す。
前もそうだったけれど……六騎士は全員が血の繋がった兄弟であるはずなのに、だからこそレヴァイン家が失われた時は、五公爵家の中から王家を選ぶのに……そんな雰囲気は感じられない。
生き別れの兄妹が出会えた場面ではなさそうだった。
「■■■ッ!!」
「ヒスイと呼んでくれ、アンジェ。声が出るから」
「ああもう!大体どうしてこんな得体のしれない男二匹を連れてきたの。」
「二匹…」
エルヴィス様が呆然と繰り返した。そんな数え方をされた事がなかったんだろう。レイモンド様はさして気にした風もなく欠伸している。
「魔法がどうの言われてさ、あたしよりアンジェの方がよほど詳しいだろう?それに、赤い目の男を追ってるらしいぞ。」
「………え?」
予想外の言葉だったらしく、眼帯のない左目が見開かれた。
怯えたようにレイモンド様達を見て、胸元で拳をぎゅっと握り締める。
カレンによく似た彼女もまた、赤い瞳をしていた。




