353.くだらない真似 ◆
第二幕が終わってからウィルフレッド様達と合流して、オペラハウスの中にある小さなバーへやってきた。
今は「王子殿下御一行」の貸切なんだって。
皆でカウンター席に並んで座る。私の左隣はシャロン、その向こうにウィルフレッド様とサディアス様。右隣はチェスターさんで、その向こうにレオがいる。
飲み物をちびちび飲みながら話して、十分もしたら皆ちょっと自由だ。
ウィルフレッド様は壁にかけられた絵の傍へ行ってて、シャロンやサディアス様はそのまま席で考え事をしてるみたい。
チェスターさんはゆっくりしたかったのかテーブル席に移ってるし、レオは頬杖をついて寝ていた。
えっと、声をかけるなら今のうちだけど……
【 誰かに話しかけてみようかな? 】
私は――…お手洗いに行きたくなって、バーを出た。
道順はちゃんと覚えてるから大丈夫だよってシャロンに言ったんだけど……うぅ、ここはどこ。お手洗いには無事に辿り着いたのに、バーに戻れなくなっちゃった。
角を曲がる時に間違えたのかな?行く時に階段を上ったのは、お手洗いじゃなくて貴賓席に上がる時だっけ?あれ?お手洗いを出てから今まではどう通ったっけ。
辺りを見回しても似たような壁、似たような絨毯……「見覚えがあって、豪華」っていう感想しか出てこない。聞けそうな人どころか誰もいないしすごく静か。入っちゃいけない所に来てるとしたらどうしよう。もし私が迷ったせいで、シャロン達の迷惑になったら……。
心細くて涙が滲んでくる。
泣いても焦っても解決しないのに。
『う…』
『そこで何してる。』
『ぅひゃい!!』
ビックリして飛び上がったはずみでフードがぱさりと肩に落ちる。心臓がばくばく言うのを聞きながら振り返ると、不機嫌そうなアベル様がこっちに歩いてきた。
『あ、アベル様……』
『部外者立入禁止だ、何でここにいる。』
『どう、どうしてここに』
聞かれてるのは私なのに、来ないはずじゃなかったのって疑問が先に浮かんじゃって。アベル様はますます不機嫌に眉を顰めた。慌てて頭を下げる。
『迷いました!』
深く下げ過ぎてフードがぱさっと頭に戻った。
アベル様が短いため息を吐く。
『顔を上げなよ。ウィル達はどうしたの。』
『あの、貸し切りのバーがあって、私…お手洗いから戻ろうとして……』
『…こっち。』
『は、はい!』
踵を返して歩き出したアベル様に一生懸命ついていく。
ついて…早い!歩くのが早い……!
小走りになりながらついていくと、やっと廊下の先に見覚えのあるおしゃれな看板を見つけた。
ほっとした私に「僕がいた事は言うな」なんて言って、止める間もなくアベル様はいなくなってしまう。忙しいのにわざわざ送ってくれたのかな。
バーの扉を開けると、私を見たシャロンが「よかった」と微笑んだ。もう第三幕が始まる時間が近かったみたい。
アベル様の事は言わずに、迷った事を伝えて謝った。ウィルフレッド様は気にしなくていいって言ってくれたけど、やっぱり申し訳ないな……。
第三幕は戦うシーンから始まるだろうって、チェスターさんとレオが話してた通りになった。主人公達と敵っぽい兵達が向かい合っている。
『行くぞ!我らがツイーディアに勝利を!!』
『『『おう!!』』』
バンッて扉が開く音がして、私はついオペラグラスから目を離してそっちを見た。一階席の入口から飛び込んできたのはアベル様で、
『えっ?』
横から聞こえたシャロンの声に、視線を戻す。
舞台の上では歌手の全員がこちらを向いていた。表情まではわからないけど、手を伸ばしたり指差したりしている彼らから炎や風が、飛んで、え?
『火槍!!』
焦ったようなサディアス様の声が聞こえた。向かってきた魔法が彼が作り出した炎の槍とぶつかって、ドドドドッと激しい音を立てる。狙われたのは私達じゃなくて――隣のウィルフレッド様達だ!
『宣言、水よ守れ!』
狙いが外れてこっちに飛んできた炎をチェスターさんが防いでくれる。
悲鳴を上げて逃げ惑うお客さん達は出入口へ押しかけていた。アベル様はどうなったかと思えば、器用にも座席の背もたれを跳び渡ってあっという間に舞台上へ駆け上がる。彼はとっくに剣を抜いていた。
『ッ駄目だアベル、行くな!!』
ウィルフレッド様の声が聞こえる。
舞台には数十人もいるのに、真っただ中へ飛び込んだアベル様がみるみる赤く染まった。返り血だと思うけど遠過ぎてわからない。
ウィルフレッド様が必死に宣言を唱える度、アベル様を狙う敵が風で吹き飛ばされる。それでも敵が多くてウィルフレッド様を狙う魔法は絶えなくて、サディアス様が応戦しながら「下がってください!」と叫んでる。
『カレン、お前も下がれ!』
『あっ…』
レオに無理矢理引っ張られてようやくハッとした。
部屋の中を見ると、シャロンもチェスターさんもとっくに席を立って何か言い合っている。
『違うって!君達はここに――』
『駄目よ。残って押し込まれたらそれこそ人質にされるわ。貴方が一緒に私達を守って。』
『……そうだね。ごめん、そうだ。カレンちゃん平気?行こう』
『うん!』
私達が廊下に出たところで階段を駆け上がってきた人達がいた。
騎士なら良かったのに、来たのは黒い布で目元以外を覆った怪しい男三人。全員武器を持ってて、思わず鞄を抱きしめた。剣を抜いたチェスターさんとレオが前に出る。
『どきなガキども!』
『誰がどくか!』
『宣言、水の矢よ!――放て!!』
斬りかかってきた人をレオの剣が受け止めて、普段なら軽口を叩きそうなチェスターさんは真っ先に魔法を発動させる。二人に命中した。一人が仲間をレオに突き飛ばしてこっちに来る!
『…水よ、行って!』
いつの間にか、シャロンは自分の手元に水の塊を浮かべていた。
それは彼女の宣言に従って男の顔面へバシャンとぶつかって、目に入ったのか男がよろけて――わ、わ!
『え、えいっ!!』
『ぐあッ!』
なんかこっちに来たから思わず鞄を振り回してしまった。
鞄の角に何か固い感触がして、男が動かなくなる。私は目を離さないままピャッとシャロンにしがみついた。お、起き上がってこないよね?
『ひゅー☆やるねぇ、お嬢さん達!』
『そっち行かせちまって悪い、大丈夫か!?』
『えぇ、二人共怪我は?』
チェスターさんとレオもそれぞれ倒したみたい。
でももっと敵が来たらどうしようと思ったところで、騎士達が駆け上がってきた。一人は急いでウィルフレッド様達の部屋へ向かう。
そっか……この廊下を通してしまったら、ウィルフレッド様とサディアス様が後ろからも狙われてたんだ。
ウィルフレッド様がいる部屋から騎士が顔を出して、指で丸を作る。
『もう大丈夫です、お嬢様がたは一度部屋へお戻りを。』
『カレン、先に入っていて。カーテンよりこちら側にいてね』
『う、うん…』
シャロンは少し厳しい表情でそう言って、私は部屋に戻る。戦いの音はもうしてなくて、私はつい、シャロンの言いつけを破って劇場側へ駆け寄った。
だって、アベル様が心配だったから――…
血だらけだった。
赤く染まった舞台で、たくさんの人が倒れ伏した中で、照明に照らされたアベル様が剣を振る。
びしゃんと音がして血が飛んだ。怖くて怖くて、なのに綺麗で。彼が纏う雰囲気が普段とまったく違って……放っておけない。今すぐにでも近くへ行かないとって気持ちに駆られた。
カウンターテーブルによじ登って膝をつく。声が届くか不安だったから。
『アベル様っ!』
よかった、こっちを見てくれ――
『あっ!!』
プルプル震えながら手をついてたのが、安心したせいかガクッと滑った。血の気が引く。私はバランスを崩して劇場へ身を投げ出した。
『なっ――風、浮かせろッ!!』
サディアス様の叫び声だ。
ぎゅっと目を瞑った私の身体がグワンと浮いて回って、上下の感覚がわからなくなる。落ちてる?浮いてる?身体に風があたる感触しかわからない。
ガタガタ震えながら目を開けたら、そっと一階席の通路に下ろされるところだった。
貴賓席からサディアス様の怒声が聞こえる。ごめんなさい、ごめんなさい。シャロンにだって言われてたのに。足が震えてとても立てそうになくて、四つん這いになって浅い呼吸を繰り返す。
私、いま、死ぬところだった。
『はっ…はっ、はぁっ……』
『何のつもりだ。』
ひどく冷たい声がした。
顔を上げるために座り込んだ私を、いつの間にか傍に来ていたアベル様が見下ろしている。制服が裂けているのは裾ばかりで、赤いのは返り血ばかりで、彼自身は怪我をしていないようだった。
その事実にほっとしながらも、恐怖の方が圧倒的に強い。
『あ、アベル様――』
大丈夫かなと思って、ただそれだけだった。
なんにも考えてなかった私は伸ばされた手にびくりと声を詰まらせて、アベル様が私の胸倉を掴んで引き上げる。立てないのがわかってるみたいで、膝が床から離れる事はなかった、けど。
上から私を覗き込む金色の瞳は敵を見るかのようで、黒髪から滴る赤い雫が私の頬に落ちた。
『サディアスに魔力が残っていなければお前は死んでた。』
『っ……はい…』
『敵が潜んでいたら、お前を助けた隙にサディアスが狙われたかもしれない。敵が残っていない絶対の自信があったのか?誰かに言われて安心でもしたか。』
大丈夫とは騎士が言ってたけど、それはあの部屋にいるなら平気っていうだけだ。
私が劇場側に身を乗り出すのはもちろん、アベル様に声をかけるのだってあの騎士は想像だにしてなかったはず。考えたら…考えたら、わかる事なのに。じわりと涙が浮かぶ。
『くだらない真似をするなら二度と僕に近付くな』
嫌だ。
足に力が入らなくて、死にかけて、見た事ないくらい怒ってて、全部私が悪くって、すごく怖いけど、でも、アベル様と話せなくなるのは嫌だ。涙がぼろぼろ零れる。
『ごめ、なさい……私、あ、アベル様が、大丈夫かなって…それしか考えれなくて、危ないのわかったはずなのに……っごめんなさ、』
『何してるんだ!!』
ウィルフレッド様の怒った声がして、手が離された。
かくんと座り込んだ私は一生懸命涙を拭って顔を上げる。風の魔法でふわりと降り立ったウィルフレッド様はアベル様に詰め寄った。
『女性にする事じゃないだろう!彼女はただでさえ今、死にかけたんだ!!』
『それを怒って何が悪いの。ウィルの友人だろうが何だろうが、余計な邪魔をするならいらない。』
『お前…!』
『悪いけど後にしてくれる。僕は騎士と話す』
『っ待て、アベル!!』
『ウィルフレッド様!』
アベル様を追うウィルフレッド様を止めようと、ちょっと苛立った様子のサディアス様が追いかけていく。助けてくれたお礼を言わなくちゃいけなかったのに……。
ぽたぽた落ちる涙もそのままに俯いてたら、頬に優しくハンカチがあてられた。制服のスカートから視線を上げると、滲んだ世界に薄紫色がある。瞬くと涙が落ちて、困ったように微笑む彼女が見えた。
『シャロン……』
『もう…カーテンよりこちら側にいてって言ったでしょう?』
『ごめんね…』
『助かってよかったわ、本当に……』
そっと抱きしめてくれた彼女に縋った私は、自分に垂れた血がシャロンについちゃう事すら気付かなかった。
後でサディアスにお礼を言いましょうねって言うシャロンに、うんって頷いて。
『私が、よ、余計なことして……ちょっと考えれば危ないのわかったのに…アベル様に、く…くだらないまねするならちかづくなって……う、うぅ…』
涙がぼろぼろ溢れてしまう。
早く傍に行って無事か確かめたくて、ただ「大丈夫?」って聞きたくて、気持ちがはやって。落ち着かないといけなかったのに、冷静にならないといけなかったのに。
本当に馬鹿をしてしまった。
『大丈夫よ、カレン。』
くっついたシャロンの身体は温かい。
私の頭を優しく撫でて、彼女はきっぱりと言った。
『迂闊な事をしなければ良いの。』
『ぐすっ……、え…?』
『くだらない真似をするなら近付くなと言うのでしょう?では、そういう事をしないなら居ても良いはずよ。』
いいの?
私を睨んでたアベル様がそういうつもりで言ったとは、あんまり思えない……けど確かに、そう捉えられなくもない、のかな。
涙が引っ込んだ私の手を握って、シャロンはもう一度言った。
『大丈夫』
そっか……ううん、もしそうじゃなかったとしても、ここで座り込んで泣いててもなんにもならない。
目をぎゅっと閉じてぱちっと開いて、鼻をすする。ひどい迷惑をかけてしまったから、まずはきちんと謝らなくちゃ。
優しい友達の手を借りて、私はようやく立ち上がった。




