352.共感者が足りない
荒野が広がっている。
騎士を引き連れたカリスタとパトリックは剣を手に敵軍と向き合っていた。
これまでの戦いを感じさせるようにその姿は返り血や泥で汚れ、地面には敵も味方も幾人かが倒れて動かない。肩で息をする者や苦痛を堪えるように顔を歪めた騎士もいる中で、敵軍は不気味なまでに無表情だ。
曲ともつかぬ低く不穏な音が響いている。
パトリックが床を強く踏み鳴らし剣を掲げた。
「我が兄シオドリックの無念を晴らし、この地の平穏を今こそ取り戻す!」騎士隊長である彼の歌声は力強く、聞いた者の心を鼓舞する熱さがある。
膠着状態が終わりを迎える時だ。
「行くぞ!我らがツイーディアに勝利を!!」「「「おう!!」」」カリスタや騎士達が同時に声を返し、突撃していく。打楽器が激しく打ち鳴らされテンポの速い戦闘曲が流れ出した。
パトリックのひと薙ぎで敵兵は二人、三人と一気に後方の舞台袖へ飛ばされ、彼を狙って放たれる炎は騎士が放つ水が相殺する。剣と剣がぶつかり合い、身体に刃が触れれば赤い光が瞬き、風が騎士達を吹き飛ばし、降り注ぐ重い水の塊が敵兵をなぎ倒していく。
楽器が音色を強く響かせると同時にあちこちで魔法が激突し、人間が簡単に高く高く飛んで地面に叩きつけられ、動かなくなる。
カリスタは乱戦の中を縫うように、尋常でない速さで移動して敵を切っていた。
誰より早く駆けて味方を助け、時にパトリックと互いの隙を庇い合い、背中を預け、声を掛け合って部下に指示を飛ばす。そんな中――舞台の中央に赤い炎の塊が現れる。「離れろ!!」パトリックが叫ぶと同時騎士達は飛び退るのようにして離れ、ドンッと打楽器を含めた重低音が響いて周囲が赤い光と煙に包まれる。
煙が晴れると、見るからに立派な軍服に身を包んだ男が立っていた。
離れた位置で膝をついていたカリスタ達はよろめきながら立ち上がる。他の騎士や敵兵は今の攻撃で吹き飛ばされてしまったようだ。
男は挑発するように両腕を軽く上げて歌う。
「我が炎の前に倒れた敗者の名が聞こえたようだが、これしきで膝をつく貴様らに何ができると言うんだ?ははははは!終わらせに来てやったぞ、私がいる限り勝利など無いと思え!!」
カリスタが目を見開き、剣の柄を固く握り直した。「貴様が殿下を殺したのか!」「ああそうだとも!苦しみ悶える姿を見られなかったのは残念だがな!」愉悦を滲ませて笑う男にパトリックが飛び掛かったが、すらりと抜いた双剣の片方で容易く防がれてしまう。かなりの使い手らしい。
ギィン、と金属音を響かせて男とパトリックが距離を取る。カリスタも剣を構え、男から視線をそらさないまま地面を蹴った。
二対一の戦いが始まり、緊迫感のある性急な曲が掻き鳴らされる。
パトリックとカリスタは息の合った見事な連携を見せていたが、敵軍の男は時に顔を顰めうめき声を漏らしつつも上手く対処していった。二人がかりですぐ倒せないならば、今倒せなければ危ない。一人でも欠ければこの男に負けてしまうと、観ている誰もがそれを察していた。
男を挟んで向かい合い、パトリックとカリスタが頷き合う。
跳んで二人ともが視界に入るよう動いた男を追い、パトリックは雄叫びを上げながら突っ込んだ。剣戟の音が響き、男は火の魔法を放って位置を誘導しようとするが、パトリックは構わずに剣を振り下ろす。その右腕が炎に焼かれたとしても。
「ぐうっ!」浅い一撃が入り、男がようやく血を流す。
その隙にカリスタが背後へ回っていた。
男はそれでも咄嗟によく反応したが、体勢を崩したところを逃さぬ猛攻にあって守り切れない。
「仇を取らせて頂く!!」
楽器が一斉に鳴らされると同時にカリスタの剣が深々と男の胸を刺し貫く。
動きを止めた男の手から双剣が落ち、刃を引き抜かれるとあえなく崩れ落ちた。焦げてボロボロになった右腕をだらりと下げたまま、パトリックがふらつきながら歩いてくる。息を切らしたカリスタは慌てて駆け寄ろうとしたが、大丈夫だとばかり手で制止されて足を止めた。
倒れ伏した男を見下ろす二人のもとへ、傷を押さえながら走ってきた騎士が告げる。「第三王子殿下、第四王子妃殿下に申し上げます!……ッ敵軍、撤退を始めました!!」感極まったような歌声にしっかりと頷き、パトリックは左手で剣を鞘に納めた。
陰鬱な空気からようやっと解放されたように音楽が明るさを取り戻す。
「カリスタ、誇り高き我が義妹殿。此度の勝利は間違いなく貴女のお陰だろう。」「何を仰います、義兄様。貴方が隙を作ってくだされなければ…」「今の戦いだけではない、貴女はずっと俺より多くの敵を打ち倒し、常に前を見据えて皆を導いた。そう――…我らが月の女神の如く。」
畏れ多い事だと恐縮するカリスタを快活に笑い飛ばし、真剣な表情に戻った第三王子パトリックは歌う。
病に伏したナサニエルが王太子の地位を返上し、第四王子アーヴァインこそが次期国王として立太子される事を。王都から遠く離れた戦場でも、情報は届いていたのだ。
第一王子を喪い、第二王子は病に伏し、戦争の傷もすぐには癒えない。アーヴァインには国民の不安を払拭できるような輝きが求められる。
当然、その妻にも。
男爵家の生まれで貴族令嬢らしさなどなく、剣を振り回し敵の血を浴びてきたカリスタは俯いた。「アーヴァイン様はその心までもが美しいお方。国をあまねく照らし導く最上の星となれましょう。ですが私は……あの方と共に在る覚悟ならば常にこの胸に。しかし、皆に認めて頂けるかどうか。」
胸に拳をあて、悔しそうに顔をそむける。
しかしパトリックは自信を持てとばかり高らかに歌い上げた。
「何も気にするな、カリスタ。戦の間に父上へ進言していた。貴女に相応しい称号がある」
ゆっくりと舞台の照明が消えていく。
その間も明るい音楽は流れ続け、だんだんと楽器の種類が増え絢爛豪華なものへ変調していった。
ジャンッと掻き鳴らされた音に呼応して光が戻る。
豪奢な城のホールには多くの貴族が立ち並び、誰もかれもが喜色の笑みを浮かべていた。
中央に真っすぐ敷かれた赤い絨毯の上を、腕を組んだ正装の男女が歩いていく。アーヴァインとカリスタだ。
厳正な声がアーヴァインを王太子に、カリスタを王太子妃にと歌い上げ、拍手が起きる。
貴族達より上座には右手に包帯を巻いたパトリックと、椅子に座った状態ではあるがナサニエルも確かな祝福の顔で妻と共にいた。
「そしてもう一つ、カリスタ・レヴァインよ。此度の戦を終わらせた功績を讃え、其方に《剣聖》の称号を与える。」
ドレスに身を包んだカリスタが深く感謝するように頭を下げる。
貴族達の拍手はそのまま、アーヴァインを王太子として、カリスタを王太子妃として認める声だった。舞台の上から色とりどりの花びらが舞う。
少しだけ音を潜ませた拍手の中、王太子夫妻は笑顔で向き直った。
「長く待たせてしまいましたが、アーヴァイン様。信じて送り出してくれてありがとう、約束通り笑って戻りました。」
「私は貴女の強さを誰よりも信じている。誉れ高き《剣聖》、私の女神。これからも共に国を支えてくれないか」
「えぇ、もちろんです――この身が果てるまで。」
強く抱きしめ合った二人が顔を寄せ、口付けを交わす。
観客も交えた拍手と祝福の音色が響き渡り、ゆっくりと幕が下りていった。
「す、すごかったね……!」
カーテンコールも終わり、少し頬を染めたカレンが言う。
これは人生初めてのオペラを観終えて感激しているだけであって、決して幕が下りていくまでずっと目を閉じて口付けを交わしていた二人を、オペラグラス越しにしっかりと見届けてしまったがゆえの羞恥ではない。決して。
「戦うとこすげぇ迫力だったよな!?あそこまでとは思わなかった!」
「ふふ、そうね。魔法を発動するタイミングが少しでもずれたら大変だったでしょうから、完成度の高さがわかるわ。」
キスシーンなどまるで興味なかったろうレオと、まったく動揺が見られないさすがのシャロンである。
カレンはダンを見やったが、こちらは堂々と欠伸していた。共感者が足りない。
心臓のどきどきが落ち着かないカレンは、シャロンが緊張が解けたような安堵の表情でダンと視線を交わした事に気付かなかった。
「パトリックの腕とかさ、どうやったんだ?普通に燃えてたよな?」
「あっ、それ私も気になった!危ないなって…」
「燃えたように見せただけだったか、あるいは歌手の方が、自分に影響なく魔法を発動できる方だったかもしれないわね。」
「そんな事できるの?」
「えぇ。確かレベッカのお父様もそれができるはずよ」
「へえー!」
シャロンはよく知っているものだと、カレンは感心して頷いた。
そしてレベッカの父をほんの少しだけ見直す。
なにせ娘本人が「くそ親父」「王家至上主義野郎」「怪力馬鹿」などと言って憚らない上に、愛人が三人である。
騎士隊長で友人の父親とはいえ、カレンの中ではそんなにイメージが良くなかったのだ。レベッカが言うには、妻と愛人は仲良くゲラゲラ笑って暮らしているらしいけれど。子供としては「性格の違う母親が四人もいてめんどい」とか。
「いずれ国史の授業でもこの時代に触れると思うから、その時は今日見たものを思い出しながら受けると、覚えやすいかもしれないわね。」
「そっか、そうだね。勉強できる時が楽しみかも…!」
「た、楽しみ……?そうか……?」
「ケケ、てめーは楽しめねぇよなあ、そりゃ。」
結局最後までロクに台詞を聞き取れなかったレオは苦い顔だ。
四人が部屋を出ると、隣からウィルフレッド達もちょうど顔を覗かせた。ロズリーヌ達はそそくさと出ていったらしく、反対隣は既に誰もいない。
「先方から是非にという事で、今から歌劇団の方々と会えるよ。」
ウィルフレッドがさらりと言ったセリフでカレンは目を丸くしてピョンと跳び上がり、レオは素直に「すげー!」と喜んだ。
広く調度品も豪華な応接室へ通され、メインキャスト達が緊張した面持ちで現れる。まだ役の衣服に身を包み化粧もしたままの彼らは、顔見知りのチェスターが手を振ると僅かに安堵の笑みを漏らした。
第一王子の笑顔は畏れ多くなる神々しさだし、第二王子はいるだけで怖いし、平民の彼らにとって筆頭公爵家の令嬢の微笑みは高貴過ぎて、冷徹と噂の法務大臣の息子は冷めた目をしている。
パトリック役の歌手が代表して挨拶を述べる後方で、カリスタ役の女性歌手は可哀想なほど震えていた。
舞台上で見せた勇ましい姿はどこへやら、肩を縮めやや猫背になって挙動不審に視線を泳がせ、短く浅い呼吸を繰り返している。第一王子妃を演じていた女性が後ろから背中をペンと叩くと、直立姿勢でビョッと跳び上がった。
アーヴァインを演じていた歌手が柔らかく苦笑する。
「すみませんね、皆様。舞台以外じゃずっとこうでして。」
「それは意外だな…。」
「『嘘つきドルフ』では、アンジェリカ様を演じられていましたよね。今日も凛々しい歌声と見事な身のこなしで、とても素晴らしかったです。」
「――ッ!………!?」
「まあ!観に来てくださっていたんですね!?…と、言いたんでしょ?もう、ちゃんと声出しなさいよ。」
再び背中からペンと叩かれ、カリスタ役の女性は顔を真っ赤にしながらペコペコと頭を下げた。どうしても声が出ないらしい。
アベルがふっと笑い、場がどよめく。
「貴女は太陽の女神だよね?酒瓶のくだりは面白かったよ。」
「っはい!あ、ありがとうございます!」
ぺんぺん叩いていた女性が目を瞠り、慌てて頭を下げてカリスタ役の肩に頭突きした。二人がよろめいて笑いが起きる。
厳しそうな眉間の皺はどこへいったのか、第二王子ナサニエル役の歌手が満面の笑みで彼女の頭をがしがし撫でた。
「良かったな、オイ!あそこコイツのアドリブなんですよ!」
「髪ぐしゃぐしゃにしないでッ!」
「殿下、それでは俺がエルヴィス様を演じたのも観てくださったので!?」
第一王子シオドリック役が目を輝かせ、思わずといった様子で一歩前へ詰め寄る。アベルが頷く横でウィルフレッドがくすくす笑った。
「聞いたぞ、ふふ。なんでも酔っ払いをひょいと転がしたとか。」
「あっ……そ、そうですね。」
「ああ誤解しないでくれ、とても良いと思う。親しみやすい方が俺は好きだよ」
「殿下…!」
和気藹々とした時間は続き、歌劇団の面々はカレン達にも優しく、彼女の白髪を奇異な目で見る事もない。
頬を赤らめて一生懸命感想を述べるカレンを、シャロンは微笑ましく見守っていた。




