351.冷えた現実の話
休憩時間にウィルフレッド様達と合流して、アンティーク調に整えられた小さなバーへやってきた。
シャロン達がカウンターに座ったから、私とレオ、ダンさんはテーブル席の片方に座ってる。オペラハウスの中にあるここは、今は「王子殿下御一行」の貸切なんだって。
廊下で鉢合わせてウィルフレッド様が「もしよろしければ」と声をかけたから、もう一つの貴賓席にいたらしいロズリーヌ王女様達も来てる。
王女様、デカルトさんと一緒のテーブル席から血走った涙目で皆を見て、小さく震えてるけど……大丈夫かな。具合が悪いのかもしれない。
最初はウィルフレッド様とアベル様が、カウンター席で王女様を挟んで座るところだった。
でも深刻な顔で「死んでしまいます」って言うからシャロンが「殿下、それでは私と――」って、たぶん言いかけたのは「私と座りましょう」だと思う。
けど何でか、王女様はそっとシャロンの手を引いて、ウィルフレッド様とアベル様の間に立たせてしまった。席を譲りますって事みたいで、拒否もできずシャロンはそのまま座ってる。
「何か血ぃ吐いてたよな。あれ死ぬのか?」
第一幕もびっくりしたけど、第二幕も怒涛の展開だった。
首を傾げたレオはナサ…えっと、ナサニエル…が、第二王子っていう事はわかるみたい。歌声を聞き取れたんじゃなくて、たぶんパンフレットに絵が載ってたからだけど。
シャロンに聞いて知ってるのかどうなのか、ダンさんは「さぁ?」なんて言う。私はなんとなしに人差し指を空中で動かしながら口を開いた。
「わからないけど……カリスタが王妃様になるのは確かなんだから、アーヴァインは絶対に王様になるって事で…」
「じゃあ上の王子は三人とも死んだのか?」
「そ、そこまでは知らないけど!」
「ふっ……レオ、《王にならない王子は死ぬ》と決まったものではありませんよ。」
王女様達がいるせいでダンさんが敬語だ。
ニヤリと歪んだ目にはいつものダンさんが垣間見えてるけど、レオが落ち着かない様子で身じろいでる。
「カリスタとぱと…パトリック王子は戦争に行ったから、次はきっと戦うところだね。」
「迫力ありそうだよな。さっき建物がバーンってなったのも凄かったし。あれ本当にガラス割ってたよな?」
ダンさんが頷く。
あったかい風がこっちまで届いて、すごく現実味があって……ちょっと、怖かったな。アイスレモンティーの残りをちびちび飲んで、店内を見回してみる。
ウィルフレッド様は壁にかけられた絵の傍へ行ってて、サディアス様はそのままカウンター席で考え事をしてる。チェスターさんはダンさんと目が合って「あ」って顔をしたから、こっちに来て話すかな?
椅子から降りようとしたシャロンに気付いて、一足先に降りてたアベル様が手を差し出した。カウンター席の椅子はちょっと高いもんね。
シャロンが小さくはにかんでその手を借り、危なげなく床へ足をつけてお礼を言う。アベル様は軽く頷いて一人で廊下へ出ちゃった。
王女様はどうしたんだろう、テーブルに突っ伏してる。彼女に話しかけに行ったらしいシャロンが立ち止まって、きょとんと目を丸くした。
えっと、声をかけるなら今のうちだけど……
【 誰かに話しかけてみようかな? 】
私は立ち上がって、サディアス様の視界に入るよう、横からそっと覗き込んだ。
こちらに気付いた彼が瞬き、少し俯けていた顔を上げる。
隣の席を指して「座っていいですか」と許可を貰ってから、よいしょっと腰かけた。
「何ですか。」
「少しお話ができたらと思って……邪魔、しちゃいましたか?」
サディアス様がちょっと眉を顰めたから、慌てて付け足してみる。
邪魔ならそこに座る許可は出しません、だって。ここにいて良いみたい。ほっとしてカウンターに手を置いた。
「私に聞きたい事でも?」
「えっと…サディアス様は、劇を見てどうだったのかなって。火の魔法とかすごかったし。」
「第一王子シオドリックの死ですね。…劇中では深く語られませんでしたが、彼の護衛についていた騎士や文官も含め、多くの死者を出しました。百まではいきませんが」
「そんなに……!?」
王子様とお付きの人とで何人か亡くなってしまったのかなって、それくらいに考えてた。
さすがサディアス様は物知りだ。
「帝国側を入れれば倍近いですね。ナサニエルが「自軍の犠牲も辞さない」と説明していたでしょう。帝国軍が合成獣を所有するより前の時代ですから、捨て駒にされるのは当然人間でした。」
その事件で建物は全焼。
中にいた人達はそれが誰かもわからないくらい燃えてしまって、外で警備していた騎士達だけが生き残った。現地には亡くなった人々を弔う墓石が建てられて、王家の墓地にある王子様のお墓は空っぽで作られたんだとか。
「当時のニクソン公爵もそこで亡くなっています。」
「そうなんだ……サディアス様のご先祖様、だよね。」
「死んだ公爵の弟が継いだので、厳密には違いますが……似たようなものです。史実を元にした話で王家の周りとなれば、五公爵家の人間は大抵登場しているんですよ。パンフレットではそこまで詳細に書いていませんでしたが。」
じゃあ、シャロンやチェスターさんのご先祖様もカリスタ達の近くにいたのかな?
なんて風に思うと、歴史上の偉い人もちょっぴり身近に思えるから不思議だ。
「お兄さんが亡くなるなんて、つらかっただろうね。」
私には兄弟がいないけど……レオやシャロンが弟妹を可愛がる姿を見てると、もしいなくなったらすごく辛い思いをするだろうって事くらいわかる。それも病気とかじゃなくて、殺されちゃうなんて。
つい一瞬、絵を眺めるウィルフレッド様の背中を見やった。双子の王子様も、万が一の事なんて起きたら……残された人は、どんな顔をするだろう。
レオや皆が暗い表情で俯く姿を想像してしまう。
嫌だな、そんなの。
シャロンもひどく悲しむだろうと、彼女の後ろ姿が思い浮かんだところでサディアス様が言った。
「どうでしょう。当時、公爵の弟は苦しんだのか祝杯を上げたのか……それは私の知るところではありません。」
「祝杯って…」
「アーヴァインもそうです。シオドリックを庇ったのはパフォーマンスだったかもしれないし、倒れたナサニエルに実際は手を貸さず、床へ落ちるのを黙って見ていたかもしれない。」
そんな事ない!って、私が言ったのは心の中だけ。
だって、確かにわからない。
私はサディアス様より全然アーヴァイン達の事を知らないし、継承争いなんて実感のない言葉だし。
何より、サディアス様は眉を顰めたり口元を嫌味に吊り上げたりはしてなかった。
水色の瞳は考え込むようにカウンターの向こうを見てて、私に嫌な気持ちになってほしいわけではなくて、彼は本当にただそう思っただけなんだってわかったから。
だから頭ごなしに否定はしないで、ちょっと苦笑いになっちゃったけど「そうかもしれないね」って言った。
サディアス様がはっとしたように瞬いて、少し気まずそうに私を見る。
「…貴女は劇を楽しみに来たのに、邪魔になる事を言いましたね。」
「ううん、平気だよ。実際にあった事そのままじゃないのはわかってるし」
「……一般には、アーヴァイン達は腹違いの割に仲の良い兄弟だったと伝わっています。」
「腹違い?」
反射的に聞き返すと、サディアス様は目を閉じてほんの少し眉を顰めた。
私に怒ったというより、また余計な事を言った、みたいな顔。気にしなくていいのに。
「そういえば、女の人達が言ってたね。アーヴァインだけお母さんが違うんだっけ。」
「えぇ。他国の王女でした」
「王女様が…」
大きい声になりそうだったのを堪えて呟いた。
確かに王様のお嫁さんだったら、他の国の王女様が来たって全然おかしくない。
つい目を丸くしている私に、サディアス様がまた教えてくれる。
「王妃と側妃というものは諍いが起きやすいのですが、王立学園で友人同士だった事もあり、この二人もまた仲が良かったそうですよ。」
「じゃあ、その時の王女様……アーヴァインのお母さんも、留学してたんだね。」
平民の私からすると別世界の話なのに、今同じ部屋に王子様や王女様がいるものだからそう遠くない話に思えた。
目をやると、ロズリーヌ王女様は柔らかそうな頬にえくぼを作り、ハンカチで目元を押さえながらシャロンに感謝を伝えている。何があったんだろう。シャロンはピンとこない顔だし、デカルトさんは「ほっといて大丈夫ですよ」なんて言っていた。
シャロンがちょっぴり困っていると見て、ウィルフレッド様がそこへ合流していく。そっか、言うなればロズリーヌ王女様とウィルフレッド様が結婚するみたいな話なのかな?
「カレン」
名前を呼ばれて振り返ると、サディアス様はちょっと眉を顰めて神妙な顔をしていた。
水色の瞳を私からそらし、黒縁眼鏡を指先で押し上げる。
「アーヴァインの母がそうだったからと言って、……その二人が婚姻するとは限りません。」
うん!?
小声でポソッと言われた言葉にびっくりする。
あ、私がウィルフレッド様とロズリーヌ王女様を見てたからだ!慌ててコクコクと頷いた。
「だい、大丈夫だよ。サディアス様。わかってるから」
「なら良いのですが……変な噂など流さないように。」
「そ、そんな事しないです。」
「わかっています。念のために言ったまで」
「えっと…お妃様を二人も貰うなんて、アーヴァインのお父さん……当時の王様は《恋多き人》だったのかな?」
レベッカのお父さんはそうらしいけど。
奥さんと三人の……あ、愛人と一緒に暮らしてて、子沢山で、レベッカは七人兄弟の真ん中。知った時は冗談か本気かわからなくて口をポカンと開けちゃった。
「アーヴァインの母に熱を上げていたらしいとまでは聞きませんね。貴女には馴染みがないでしょうが、王侯貴族の婚姻など政略的な意味合いが大きいものですよ。互いに利益があっても相手を嫌う夫婦もいれば、互いに無関心な……はあ。」
「どうしたの?」
「…私と話すとこうなる。つまらないでしょう」
「えっ?」
何で急にそんな事を言うんだろう。
私が目を丸くして聞き返すと、サディアス様は怪訝そうに眉を顰めた。
「貴女も多少は結婚願望があるのでは?冷えた現実の話など聞きたくないかと。」
「ぅえっ!?わ、私はそんなまだ、かっ…考えてなかった、かな……!」
私が結婚なんて……顔が熱くなってしまう。
シャロンみたいにとっても可愛い子ならともかく私なんか、恋人どころか好きな人がいた事すらないのに!
「そうですか。まぁ、義務もありませんしね。」
真っ赤になって焦る私と違って、サディアス様は淡々と呟いた。
ああそうか、この人にとって結婚は「義務」なんだ。
公爵家の長男だもん、家を継がないといけないから。お嫁さんを貰って子供を産んでもらわないといけない。それはチェスターさんもそうで、王子様であるウィルフレッド様やアベル様も……王様になるんだったら、王妃様がいないといけない。
「えっと……結婚した人と、お互い大事に…尊重できると、いいよね。」
好き合った人と結婚できたらいいよね、とか。
結婚した人を愛せたらいいね、とか。
そんな言葉は「現実の話」をするサディアス様には、ちょっと夢見がち過ぎるかなと思って。一生懸命言葉を選んで、途切れ途切れになりながら言う。
「……そうですね。」
サディアス様はどうしてか、自嘲気味に小さく笑った。




