34.優しい護衛騎士
「人質にされたらしいね。」
私を真っ直ぐに見つめて、アベルが言った。
「……えぇ。ごめんなさい」
開きかけていた唇で、私は謝罪を口にする。
当然の追及だった。
『中途半端な足手まといはいらない』
彼はそう言って忠告してくれたのに、私はまさに、足手まといになってしまったのだから。
「近くにまだ敵がいたのに、他に気を取られて注意を怠ったわ。攻撃しない私が、彼らから見て襲いやすい相手だという事すら…わかっていなかった。足がすくんで動けないなら、せめて考えるべきだったの。自分がどうするべきかを。」
夜風がアベルの黒髪を撫でている。
笑うことも怒ることもせず、彼はただ私の言葉を聞いていた。
「ごめんなさい……私、とても弱いわ。だから強くなる。…次、もしまだ弱い私だったとしても。その時の自分にできる事を、きちんと果たせるようにしたい。」
剣も、魔法も、心の在り方も、身体の強化も、知識も、治癒だって。
私にはまだまだやれる事が沢山あるのだから。
立ち止まってはいられない。
目を背けてもいられない。
「前に進むわ。そして…貴方達を守れるくらい、強くなる。」
「――…そう。」
アベルは、口角を上げて笑った。
役立たずのくせに何をと言われてもおかしくないのに。お前のせいでウィルが怪我をしたと怒鳴られても仕方ないのに。
ただ私の言葉を聞いて受け止めてくれた、それが嬉しくて鼻がつんとしたけれど、瞬きをして我慢する。
しっかりしなくてはと手をきゅっと握ったら、ようやく私は、自分が彼の手を握りっぱなしだった事に気が付いた。どうりで暖かいはずだわ。
するりと手を離して、アベルが立ち上がる。
「そろそろ行くよ。」
「わかったわ。……来てくれてありがとう。」
「こんな夜中に?」
「ふふ。次は太陽が出ている間に来てくれる?」
「どうかな」
アベルらしい答えに笑ってしまう。
そこでふと、彼にまだ言うことがあったと思い出して、私は庭の一角を指さした。
「ねぇ、貴方が買ってくれた種を覚えてる?」
二人で下町へくり出し、花屋で聞き込みをした時のものだ。アベルは瞬いて肯定した。
「庭師にお願いして植えてあるの。花が咲くのはまだ先だけれど、その時は貴方にも見に来てほしいわ。」
「連絡してくれれば来るよ。」
「もちろん連絡するけれど、どうしましょう?貴方へのお手紙って、どれくらいで届くの?」
聞くと、アベルは軽く顎に手をあてた。
やっぱり検閲とかで多少時間はかかるのかしら。
「一日もあれば届くけど…アーチャー公爵は《中立》派とされてる。宛名はウィルと連名のほうがいいかもしれない。」
「…そっか、そうよね。」
驚いたけれど、それ以上に納得した。
公爵家の者が王子に手紙を出すとして、単に私達がお友達だからとは見てもらえない。特に私は娘だから…娘……
「……結構、その。ご令嬢からお手紙がくるの?」
つい好奇心で聞いてしまった。
まだ十二歳と言えど、早めに婚約する家もあるし、王子となれば人気もすごいはずだ。
途端に苦い顔になったアベルを見て、聞かなければよかったかもと少し後悔する。
「…まだマシなはずだ。僕達は子供だからね」
「そ、そうね。」
成人する頃にはもっと増えるのだろう。
その時は学園にいるのだから、直接渡しに来る子もいるかもしれない。
「ごめんなさい、引き止めてしまって」
「別に。じゃあね」
アベルがフードをかぶり、その横顔はベールが覆い隠してしまう。私は確かめるように彼の名を呼んだ。
「おやすみなさい、アベル」
「おやすみ。……君が強くなるの、期待せずに待ってるよ。」
そう言い残して、アベルは屋根の上へと跳び去ってしまった。
屋根からどうやって城へ戻るのか、馬はどこかにいるのか。少しは気になったけれど、窓から身を乗り出して探したりはしない。
窓を閉めて、カーテンを引く。
布団をしっかりとかぶって横向きに寝転び、枕に頭を沈めた。無意識に体の前に揃えていた両手は、右手だけやたら暖かい。
『期待せずに待ってるよ』
――待っていて、くれる。
不思議と、胸が暖まるようだった。
熱を持ったままの右手を抱きしめて、私はそっと目を閉じた。
◇
――時は、一時間ほど遡る。
大木に寄りかかったまま、ロイ・ダルトンは星を散りばめた黒い夜空を見上げていた。
彼にとって黒は非常に身近な色である。
護衛対象である第二王子も、同僚の女性騎士も、同じ髪色を持っているからだ。どちらも心に芯があり、容赦のない冷酷さがあり、愛がある。
それは彼にとって好ましい人間で、側にいて楽しいと思う事はあれど、不快に思った事は一度もない。
だから彼はいつも笑っている。
「護衛対象がアレでは大変でしょう」と金を差し出され、「まったくです」と受け取る時も。
「振り回されてご迷惑なのでは?」と伺うような目をよこされ、「実はそうなんです」とため息をつく時も。
「いなくなった方がいいと思いませんか。」と静かに問われ、「ですが私一人ではどうにも」と困り顔をする時も。
「手を貸しましょう」と笑みを浮かべた相手に、「何か良い計画でも」と唾を飲み込んでみせる時も。
可笑しくてたまらないから笑っている。
だってあまりに的外れで、滑稽で、無様だ。
「フフ」
つい声が漏れてしまって、ロイは口元に手をかざす。
足音がして振り返ると、フード付きのローブを着こみ、黒いベールで顔を隠した少年がこちらへ歩いてきていた。寄りかかっていた大木から身を起こし、笑顔を向ける。
「遅いものだから、もう来てくださらないかと思いましたよ。」
「時間には間に合うだろう。許せ」
ベールの向こう側で、少年もまた笑っている。
それを声色で判断したロイは機嫌良く恭しい礼をした。懐から取り出した縄の束を解くと、少年が両手を背に回してこちらへ向ける。
「貴方を縛るのも何度目でしょうか。私もすっかりプロの手つきです」
「だが頻度は減ったな。」
「私の忠誠心が認められてきましたかねぇ。」
わざとらしい冗談を言えば、少年がクッと笑みを漏らした。つられて自分もフフッと笑ってしまう。
後ろ手に縛り、足も身体もきちんと縛って、ロイは第二王子を抱え上げて歩き出す。
同僚の女性騎士が知ったらさぞや怒るだろうと、彼女が真っ赤になって声を荒らげるところを想像した。
彼女は忠誠心の塊であるから、第二王子を狙う輩は絶対にこんな話を振らない。その瞬間瀕死にさせられて騎士団の牢で目覚めるのがオチだ。
あの美しい黒髪に差した金のヘアピンが、第二王子への忠誠と敬愛の証だろう事は誰もが察している事実である。
「お待たせ致しました。」
汗を拭う素振りをしながら声をかけると、高そうな衣服に身を包んだ男が振り返る。随分とガラの悪そうな男達も一緒だ。
「ご苦労様です、ダルトンさん。まずは確認させてもらいましょうか。」
ロイが抱えた少年の顔は、ベールに覆われていて見えない。早速動こうとした男達を止めて、貴族の男はにっこりと作り笑いを浮かべた。
「もちろんです」
ロイも微笑み、少年の身体を地面へ降ろす。背中を支えてフードを脱がせば、少し癖のある黒髪の少年が眠っているのが見えた。
「絶対に顔に傷をつけるな」という条件を、ロイは見事に守っていたのだ。貴族がゴクリと喉を鳴らす前で、ローブを軽くめくってみせる。
少年の腰にあるのは、王子だけが持つ、この世に二つしかない剣である。
形だけ似せた幻の三本目が存在した事をこの貴族は知らなかったが、知っていたとしても、第二王子の顔を見間違えたりはしなかった。
「ハハ…やった、やったぞ」
今にも涎を垂らしそうなほど口元を愉悦に浸し、貴族の男は少年の前に膝をついた。
初めて見た時から欲しかったものだ。
見た目だけでなく、その気位の高さも気に入った。それをへし折って屈辱に塗れさせ、やがて服従する様が見たいと願った。
「これから教えこんでやる…誰がご主人様になったかを。」
舌なめずりをしながら、力なく投げ出された脚に手を伸ばした。ゆっくり撫で上げてやろうと、
「おっと、これは失礼!」
伸ばした手が地面に縫い付けられた――ロイの剣でだ。
彼は絶叫しようとした男の頭をもう片方の手で掴み、土を食わせるかのごとく地面へ押し付ける。
「私とした事が早まってしまいました。いえ、何分ちょっと不快過ぎて…ンッ、フフ」
咳払いで誤魔化せなかった笑みが漏れる。
周りで男達が臨戦態勢に入る中、手足を縛られたままの第二王子は目を開き、器用にも一人で立ち上がった。
「聞いていた話と違うぞ、ロイ。」
「失敬!私もまさか…ッフフ、そちらの趣味がおありとは。」
貴族の頭を押さえていた手を足に切り替えて、ロイも立ち上がる。男はバタバタと両足を動かしているが、貫かれた手はさすがに動かしたくないらしい。
その手首を踏みつけて剣を抜いた。
「あ゛ぁああ゛ぁッぶ、ぐぅう!」
「さて、宣言。」
絶叫する口を再び土に押し付け、ロイはまるで舞台の幕開けのように腕を広げた。
「風は貴方がたを逃がさない。そう、決して。」
森の木々を風が揺らす。
悲鳴と怒号を聞きながら、第二王子は冷静に自分の手の拘束を、続いて足、身体を縛る縄を切っていく。
男達の中の誰が使ったのか、大きな火の玉が二つほど第二王子の元へと飛んできた。
ロイは既に交戦中――というより、逃げる男達を追いかけて切り伏せている。仮にも護衛騎士であるのに、王子の危機にも戻ってくる気配がない。
魔力のない第二王子は、ただ己の剣を一閃させて火の玉を振り払った。剣が巻き起こす風で火など掻き消えてしまう。
その目には恐れなど微塵もなかった。
鮮やかな動きに、貴族の男は痛みも忘れてすっかり見とれている。地面に転がったままの自分へ冷え切った視線が向けられ、ドキリと心臓が鳴った。
「では、お前の番だ。」
剣が持ち上げられ、恐怖で心臓がますます煩くなる。
城で会った時に一瞥された時とは違う、こちらへじっと向けられる金色の瞳。目を離す事などできるはずもない、脳が歓喜に痺れていく。
自分を見ている。あの、美しき第二王子が。
他の誰でもない、自分を――
「あぁ、駄目ですよアベル様。」
呑気な声で止めたのはロイだった。
男達全員を地面に沈め、返り血が降りかかった団服もそのままに歩み寄る。
「そういう手合いだったんですから、ン゛ッ!フフ…貴方がやると、ほら。喜んじゃうかもしれませんよ?」
「そうかな。まぁ、任せる。」
「はい、任されましたとも。」
地面にへばりついている惨めな男を、ロイはにこやかに見下ろした。
「いやぁ、私でよかったですね。」
この場にもし、もう一人の護衛騎士が居合わせていたのなら。
ご主人様云々を口走った時点で、男の片腕は落ちていただろう。そんな不敬を彼女が許すはずは無い。
ロイは手を貫くだけにしてあげたのだから、とても優しい。
恍惚の表情が抜け落ちた男の顔は、怒りと憎しみで真っ赤になっていた。
「ふざ、けるな…お前ッ!私からさんざん、金を受け取っておいて!」
「もらいましたねぇ。ありがとうございました、もう賭博に使ってすっからかんですが。」
「なッ…!?」
目を見開く男の両腕をひょいと拾って、ロイはその背を片足で踏みしめた。長身の成人男性の体重が一点にかかる、それだけで男が苦しげに声をあげる。
そして気付く。
地面にうつ伏せになり、背中を踏まれ、両腕を背中側へ持ち上げられている、この状況が示す未来に――青ざめる。
「では取調室までご機嫌よう。心からのアドバイスですが、早めに意識を飛ばせば楽ですよ。さぁ頑張って!」
「お゛ァッ、~~~~ッ!!!」
気絶させるのではなく、気絶するまで痛みを与える。
つまりどれだけ自分が怒っていようとも、気絶すれば解放してあげるのだから――
やはり自分はとても優しいと、ロイは思った。




