339.ジョディ・パーキンズという女
「あ゛~うざいな!いい加減諦めろや!!」
屋敷の廊下で襲い掛かってきた男の顔面に跳び蹴りをかまし、従僕の少年が怒号を上げた。
紺の髪と瞳、成人にしては小柄な彼女――現在護衛のために男装中のコンスタンス・イーリイは、ツイーディア王国の騎士である。
隠し通路のある部屋へ向かうため、イーリイは後ろに庇っていた長い茶髪の女性に手を差し出した。
「ほら行くぞお嬢ちゃん!」
荒々しい促し方をされても大人しく頷き、女性は細い手を乗せる。駆け出したイーリイの速さに眉を顰めた彼女の茶髪が揺れると、その下からちらりと橙色の髪が見えた。
鋭い黄色の瞳をした背の高い彼女は、イェシカ・ペトロネラ・スヴァルド。
このコクリコ王国の第二王女だ。
「“ イーリイ、他の方は大丈夫なのですか?先程の大きな音は… ”」
「何言ってっか知らないけどとにかく走れ!ここの主人だって剣持って戦ってんだ、全部あんたを無事に逃がすためってわかってるだろ!黙ってねーと舌噛むぞ!」
「……アナタ、喋る早い!ワタシ理解する、できない。」
「あーもう!あれだ!!……“ 王女尊き様!お駆けになってくれまし!! ”」
「わかるした。駆けっこ」
イーリイは「違う!!」と叫びたくなったが、イェシカが走るスピードを上げたので飲み込んだ。意味が伝わればいい。
王女の護衛としてツイーディアの騎士が派遣されて数か月経ったものの、通訳可能な騎士が仲間にいる事もあって、この二人の語学力はほんのちょっぴりしか上がらなかったのだ。
余所の騎士が王女に張り付くなど、元からついている近衛は嫌がるに決まっている。
しかし国内に敵がいるだろう事、ツイーディアにも深く関わる案件である事からイェシカ本人はあっさりと受け入れ、その決定を近衛が拒む事はできなかった。
ツイーディアの騎士を含めた警備体制の打ち合わせが整う直前、元いた近衛の中から襲撃者が出た事が決定打となり、今では残った近衛とツイーディアの騎士とできちんとした信頼関係も構築されている。
魔獣を生み出す鉱石――鑑定石の主要産地である、「永遠の宝物庫」コクリコ王国。
大量に取引する業者、帳簿や産出量を改竄している業者、裏取引。イェシカが積極的に深く深く調べる内に、父親である国王をせっついて議題に上げさせる内に、襲撃頻度が上がっていった。
安全のために一度王都から出て古馴染みの伯爵のもとへ身を寄せたものの、この有様である。
「よし、この部屋で変装だ。そこのクローゼットに入ってるヤツだからな」
「“ えぇ、わかっていますわ。手筈通りにここで変装ですね。 ”」
「は?……変装…着替え、は……あれだ。“ 貴女美しいになったですわ。 ”」
「……ありがと?」
「何で礼を?そんなボロっちい服がシュミなのか?」
首を傾げるイェシカにイーリイが怪訝な顔をしたところで、閉じたはずの扉がバターンと開いた。蝶番が破壊される。
咄嗟に短剣を抜いて構えたイーリイはしかし、すぐに剣を下ろした。
飛び込んできたのはベリーショートの茶髪にすらりと長い体躯、瞳は赤紫色の女性騎士だ。鋭い目をしていた彼女は二人の姿を認めると、途端にさっぱりした笑顔になる。
「“ おぉ!ご無事でしたかイェシカ様! ”」
「“ ヴェロニカ!貴女も無事だったのですね。 ”」
「“ もう逃げなくて大丈夫、制圧しました。伯爵様も中々のお手前でしたよ。 ”」
「“ 良かった…… ”」
「ちょっと。ニコニコしてないで説明しな。」
「イーリイ先輩、制圧完了です。広間へどうぞ」
片腕を伸ばして、ヴェロニカ・パーセルは二人を廊下へと促した。
破壊された扉と蝶番の事は今は考えない方がいいだろう。イーリイは「どうせ伯爵の金だな」と心の中で呟き、木片を踏みつけて歩き出した。
◇
「既に知っている者もいるかもしれないが――…以前この学園で教鞭をとっていた薬師、ジョディ・パーキンズが亡くなった。」
学園長シビル・ドレーク公爵の言葉に職員室が静まり返る。
全員が彼女に教えた教師か教わった生徒だった。
反応は様々で、《生活算術》《魔法学初級》担当スワンのように口元へ手をやる者もいれば、《薬学》《植物学》担当ホワイトや、医務室のネルソンは眉一つ動かさない。
《馬術》《語学》担当オルニーはまるで興味の無い様子でペンを回し、《剣術上級》《格闘術》担当レイクスなどは考え込むように眉を顰めた。
「懐かしい名前ですねぇ。」
《治癒術》《音楽》担当の老婦人が頬に手をあて、しんみりと呟く。
小さく笑ったのは《魔法学上級》《神話学》担当のグレンだ。
「ふっ、死因は何です?」
「グレン。不謹慎だぞ」
「失礼しました、ラムリー先生。」
悪びれた風もなく《国史》担当にそう返し、グレンは菫色の瞳をシビルに向ける。白地の正装の内側、黒いシャツに臙脂色のネクタイを締めた女公爵は物憂げな目で告げた。
「刺殺だ。強盗の仕業らしい」
スワンが息を呑む。
《弓術》《剣術初級》担当イングリスは黙って目を細め、《体術》《剣術中級》担当トレイナーは無表情に眼鏡を指先で押し上げる。
シビルは姿勢を正すと、重々しく言った。
「空へ旅立った彼女に、祈りを。」
ある者はただ目を閉じて、ある者は両手を胸の前で組み、ある者は椅子の背もたれに身を預けて天を仰ぎ、オルニーはふとこれまで看取った馬達を思い出して涙を滲ませた。
頬杖をついたグレンはどこともなく、自分の机に並んだ本の背表紙を眺めている。
――彼女、殺されたんですか。へぇ。
ジョディ・パーキンズと言えば、一般的には優秀な薬師だ。
王立学園を卒業した翌年には助手として舞い戻り、やがて自らが《薬学》《植物学》を担当する教師となった。
彼女に任せれば調合は間違い無しと言われた正確無比な腕を誇り、かといって傲慢さもなく、いつだって親しみのある笑顔を浮かべていたという。
『ゆ、許して…』
『はあ?誰に言ってるんです、貴女。』
頬に土汚れをつけたまま一生懸命に温室の管理をし、薬草に水をやり、生徒に声をかけられれば喜んで知識を与えた。
立入禁止区域に入ろうとした悪戯っ子にはとても苦い薬の材料や作り方、味と効果をレポート提出させたとか。
『わか、若気の至りだったの。悪い事だってわかってたわ』
『でも名乗り出なかったんでしょう?』
十八歳から四十二歳まで、薬師としても教師としても国に貢献してきた才女だ。
浮いた噂の一つもなく薬学にのめり込み、懸命に働いてきた。
『やめて……』
『その男爵令嬢、退学になって勘当されて修道院送りになった挙句――』
パーキンズ先生は優しい良い人だったと誰もが言う。
たまに転んで鉢植えを割っては大騒ぎしていたなんて、笑い話もある。
『気が狂って、叫びながら脱走したんでしたっけ?』
『やめてぇえ!』
『そこからずっと行方知れず。まぁ、誰も探してないんでしょうけど。』
王子だったギルバートも彼女から教えを受けた一人だ。
知識も豊富で思慮深く、信頼できる薬師だと――…
『可哀想ですねぇ。貴方が身の程知らずにも殿下に恋焦がれ、』
『う、うぅ……』
『憎い女をどうにかしたいからって、自分は悪者になりたくないからって。』
『ごめんなさ…私、あ、あぁあ……』
『哀れな令嬢に何度も何度も何度も何度も催眠をかけたんですよね?』
『嫌ぁあ!ごめんなさい、許して!ヴェラさん、ごめんなさい、ごめんなさい……!!』
幻影を振り払うように腕をバタつかせ、パーキンズの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚れていた。
他に人のいない薬学倉庫で、制服を着た若きグレン少年がにこりと微笑んでいる。ちょっとカマをかけただけでここまで暴けるなんて、なんとも無計画で馬鹿な女だ。
『わた、私、貴女を助けなきゃって、何とか休んで修道院まで行ったけど、でももういなくてっ』
『パーキンズ先生、もう嘘を吐かなくていいですよ。』
『嘘なんかじゃ』
『シノレネを使った催眠剤、何度も使うって事はいつか正気に戻るんですよね?』
『――…ち、違う』
『正気に戻ってもし、誰に薬を盛られたんだって気付かれたら?……貴女はそれが怖かっただけです。』
懺悔を聞いた神父が過ちを赦すように優しく、美しい少年が彼女を見下ろしていた。
ガタガタと震えるパーキンズは、修道院へ向かう馬車でも自分がずっと震えていた事を思い出す。思い出さないようにしていた、あの日の本当の目的。鞄に忍ばせていた毒薬。
ぼろぼろと涙が溢れ出した。
『今もまだ王太子殿下が好きで、嫌われたくないんでしょう?』
『……はっ、はっ…はぁっ、はぁっ』
『良い先生だと思われてたいんですよね。王太子妃の事はまだ憎いですか?』
『はひゅっ!ひゅっ!かひゅっ、げほっ…ぁ…!』
過呼吸を起こして身体を丸めるパーキンズの背中を、グレンは笑って軽く叩く。
まるで励ますように、嘲笑うように、慰めるように、理解させるように。
『本当に貴女は汚いですね。先生』
それが、ジョディ・パーキンズがフランシス・グレンに逆らえなくなった日だった。
グレンは知的好奇心のままに温室の立入禁止区域へ足を踏み入れ、時に生徒が手にしてはいけない薬草を扱う事もあったが、学ぶ態度は真面目で危険な事はしない。
最初は怯えていたパーキンズも、恐ろしい命令をされるわけでも、まして人生最大の秘密を公表されるわけでもないと知り徐々に、ゆっくりと態度が軟化していった。貪欲な生徒に教えるのは教師の喜びでもある。
学園を卒業して神殿都市に行ったはずのグレンが、なぜか魔塔から無茶な仕入れ値で薬草をねだってきたり。卒業以来の九年振りに再会したと思えば、「今日からここの教師です」と言われて卒倒したり。
色んな事はあったが、自分より優秀だろう薬師ルーク・マリガンの帰国を待って、パーキンズは「長閑な村でのんびり過ごす」という余生を叶えに退職した。
『私がした事は薬師としても、人としても許されないし……ヴェラさんはもういない。毎日祈る事しかできないわ』
罪の意識に苛まれた顔で、心を痛めた笑い方で、グレンが聞いてもないのに彼女は語る。
明らかに「どうでもいいな」と顔に書いた男の前で。
『貴方の事がとても怖いけど…勝手だけど、知ってくれてよかったとも思うの。グレン先生、その好奇心は貴方の危うい長所だわ。さようなら……お元気でね。』
本当に勝手にペラペラと何やら喋って、皺の増えた彼女は学園を去っていった。
祈る事しかできない……なんて浸って吐く所が、つくづくクズだったとグレンは欠伸を噛み殺す。
催眠の暗示によって傀儡となったヴェラ・シートンに懺悔したいなら、真実を公表すればいい。生きていようが死んでいようが、その名誉を回復してやればよかったのだ。
あれはジョディ・パーキンズという女が、薬学助手の立場を利用して禁止薬物を調合した結果なのだと。本当ならヴェラは、あそこまで無礼で野蛮な行いはせずにいたかもしれないと。
――まぁ、公表したら愛しの陛下に失望されて蔑まれ、極刑だったでしょうけどね。
黙祷を終えて各自仕事に戻っていく職員室で、グレンは机の引き出しから一年生で彼の授業を受けている生徒の名簿を取り出した。
とある名前を冷たい目で眺め、儚い風貌をした銀髪の少女の姿を思い浮かべる。
――あの計画、ロベリアから薬師を呼ぶのだろうと思ってましたが……考えてみれば、パーキンズ先生でも誘拐すれば、ちょうど良かったんでしょうねぇ。死んじゃったらしいから無理ですけど。
この国で代わりになるのは彼くらいだろうかと、今日も赤いゴーグルをかけたホワイトへ視線を向けた。
リリーホワイト子爵、ルーク・マリガン。
彼を誘拐して言う事を聞かせるのはさすがに無理があると、グレンはつい鼻で笑った。




