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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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337/526

335.紅茶は冷ややかに

 



 放課後の旧生徒会室で一人、フェリシアは夕焼けに染まる空を眺めていた。


 腰まで伸びた真っすぐな薄い水色の髪、同じ色の瞳はオレンジ色の空が映り込んでいる。親友の公爵令嬢と違って細い腰に帯剣はしておらず、年相応に膨らんだ胸元に制服のリボンが乗っていた。

 ノックの音に返事をして振り返ると、扉が開いて男子生徒が入って来る。


「こんにちは。貴女だけですか?フェリシア」


 彼は癖のない紺色の短髪で、黒縁眼鏡の奥にはフェリシアより青みの濃い水色を宿している。冷ややかだと言われる事の多い眼差しは、薄く笑みを浮かべた今は優しく見える。

 フェリシアも淑女らしく微笑み、本物の親愛を込めて礼をした。


「はい、サディアス様。ご機嫌麗しく」

「座りましょうか。」

「えぇ」

 ティーセットの揃ったローテーブルを挟んで、向かい合うように二人掛けソファへ腰かける。

 用意したポットの湯がまだまだ冷めていない事を承知で、フェリシアは手際よく紅茶を淹れ始めた。


「フォーブズ侯爵令嬢の件、お力添え頂いて助かりましたわ。どうしても話が通じなくて…」

「構いません。あらゆる立場から、私もあのまま放置はできませんでしたから。」

「お二人は何かおっしゃっていましたか?」

「アベル様は、理解に苦しむとだけ。ウィルフレッド様は唖然としておいででした。」

「ふふ、目に浮かぶようですわ。」

 件の侯爵令嬢は三年生で、つり上がった眦に濃いめの化粧を好む気の強い生徒だ。

 二週間ほど前に取り巻きを連れて図書室でウィルフレッドを探し回り、挙句アベルに金切声で怒鳴って気絶させられた彼女である。元々実家が第一王子派という事もあり、魔力無しだと第二王子を馬鹿にしている節があった。


 そんな彼女は先週、取り巻きに対して「第二王子は自分に気がある」と言い出したのだ。

 気絶した時は倒れ行く彼女を誰も助けようとしなかったため、アベルが仕方なく上着の襟を引っ掴んで減速させてやったのだが、どうもそのせいらしい。

 彼女の言葉を借りれば、アベルは「わたくしに触れたいがために、そんな回りくどい事をした奥手」なのだそうだ。


 これに焦ったのが誰あろうその取り巻きのご令嬢達である。

 内々で妄想を語るならまだしも、そこらに公言し始めたら非常にまずい。恐ろしい第二王子相手にとんだ不敬であるし、彼に心酔する生徒も武勇に優れた強者が多く、怒らせるのは怖い。


 けれどフォーブズ侯爵令嬢本人は聞く耳を持たないし、唯一の公爵令嬢シャロン・アーチャーは王子の婚約者候補の筆頭で、とてもじゃないが相談できなかった。

 そこで白羽の矢が立ったのが生徒会にも属する侯爵令嬢、フェリシア・ラファティだ。


「元より、そろそろ忠告では済まないとウィルフレッド様と話していたのです。それが今回で即決してくださいましたから、良い機会ではあったのかもしれません。」


 明らかな嘘であろうと人は噂を好む。

 あまりに不名誉な噂を立てられるのは不快だし、報告にあった「シャロン様にも立場をわからせて差し上げないと」、という一言がウィルフレッドを静かに怒らせた。


 第一王子は幼馴染の少女を「俺の大切な友達」と言って憚らず、サディアスが引く程の親愛を寄せている。彼女に悪意を向ける事は、それすなわちウィルフレッドの逆鱗に触れる事なのだ。

 フォーブズ侯爵は一通の手紙を受け取り、真っ青になって即刻娘を休学させた。


「これを機に、少しは態度を改めてくださると良いのですが……」

「………、そうですね。」

 無理だろうなと思いながら、二人はティーカップに注がれる赤色を眺めた。

 アベルやサディアスが必ず使うシュガーポットは、元からそちら側へ置かれている。フェリシアが紅茶を差し出すと、サディアスは一言礼を言って受け取った。


 色白の長い指がシュガートングを持ち、角砂糖を一つ落とし込む。フェリシアがそこまでやってもよかったのだが、彼の場合は自分でなぞる事に意味があると知っていた。

 ティースプーンで軽く混ぜるまでの流れをそれとなく見つめてから、フェリシアは自分のティーカップに指をかける。


「王女殿下はその後いかがですか?シャロン様からは、時折話すようになったと聞きますわ」

「…飛び上がる高さは、徐々に低くなってきましたね。」

「やはり飛びますか……。」

「気のせいだと信じたいのですが、殿下はいっそ私――…達を、神聖視しているのかと思う時があります。」

 辛うじてウィルフレッド達も捻じ込み、サディアスは不可解そうに眉根を寄せてカップを傾けた。

 フェリシアは肯定も否定もせず曖昧に微笑むと、自身も紅茶に唇を浸す。満足のいく味だった。ちらりと前を見やれば、考え事をしているだろう彼は微笑みこそしないが、深く刻まれていた眉間の皺が少し和らいでいる。


「ロズリーヌ殿下が食堂に呼び出して以降、あの三人に目立った動きはありませんわ。」


 オリアーナ・ペイス伯爵令嬢、ブリアナ・パートランド子爵令嬢、そしてセアラ・ウェルボーン子爵令嬢。

 この三人は王子に近しい平民であるカレンを罵ったり、元から知り合いであるノーラ・コールリッジ男爵令嬢を貶したり、またシャロンに悪い噂が立った時は嬉々として言いふらしていた。

 しかし擦り寄った相手であるロズリーヌにきっぱりと、それも食堂で立たされたまま咎められてからは、カレンやシャロンに対しては目立った動きがない。憎々しげに睨んではいるようだが。


「ノーラも、いつもより機嫌が悪そうだからと慎重に避けているようです。……ウェルボーン子爵令嬢はいずれ離れるかもしれませんね。あの中では一番気弱ですもの」

「シミオンはまだ何も?」

「えぇ、知らないままです。わたくしかクローディア様が教えない限り、本当に心底興味がないようですから。ノーラ以外の令嬢の動きなど。」

 憂鬱そうに細い眉を下げ、フェリシアは片頬に手をあてる。

 ノーラ自身も誰に馬鹿にされたなどいちいち彼に言いつけやしないので、シミオンは彼女がオリアーナ達に馬鹿にされている事を知らなかった。


 知れば、有無を言わさずオリアーナ達を潰すだろう。

 普段から悪党と思った相手には容赦のない男なので、ノーラに悪意を持つ者に手加減はしないはずだ。令嬢相手に剣を抜いて脅しかねない。

 それもアベルと違って、冷静に行われる()()()ではないのだ。相手の言動如何によって薄皮一枚だろうと本当に切る可能性があるし、ノーラは絶対にそれを望まない。

 サディアスは呆れ混じりにため息を吐いた。


「彼の熱も、爵位を継ぐまでに落ち着けば良いのですが。」

「ノーラが手に入っても入らなくても、難しい気はしますわね。あの重さは一生続きそうですもの。」

「……私には理解できない。」

 サディアスがつい零した言葉に、フェリシアは眉一つ動かさずに返す。


「政略結婚が常の貴族社会、色恋がなくとも問題ありませんわ。それに、閣下は理解ある方しか選ばれないでしょう。」

「そうですね。癇癪と問題さえ起こさなければどうにでもなる(どうでもいい)気はします。」

 自身の母親による屋敷の惨状を思い返し、サディアスはこみ上げた苦い気持ちを紅茶ごと飲み込んだ。

 両親も政略結婚だったが、結果を見れば明らかに失敗の区分だろう。父親はサディアスの婚約者は相当慎重に選ぶつもりでいる。


 ティーカップをソーサーに戻して目線を上げると、フェリシアは気遣わしげにこちらを見ていた。長い付き合いの相手につい、やさぐれた事を言ったかもしれない。

 サディアスは意識して笑みを浮かべた。


「失礼、仕事の話に戻りましょう。ジャッキー・クレヴァリーが復学した事については、今のところそう悪い噂にはなっていないと聞きます。」

「えぇ。少しは話題に上りましたが、戻って早々シャロン様から厳しいお言葉を頂いたようだ、という見解ですわね。彼の無作法を咎める姿を食堂で見せていましたから。一月前のお披露目で笑顔だったのはあくまで真相を広めるため、実際は許されたのではなく監視下に入ったとの認識が多いです。」

 ジャッキーに騙された結果になった三人のうち、アルジャーノン・プラウズとホレス・ロングハーストは貴族子息だ。

 それぞれ実家に報告も済ませ、呆れられたり怒られたりしたらしい。見抜けなかった息子も悪いと、両家からジャッキーに対してはお咎め無しとなっていた。


 かつて中庭で喧嘩していた被害三人は今では普通に話す間柄となり、一緒に食事をとる時もあるようだ。

 宝石商の息子マシュー・グロシンは今週さっそくジャッキーをそこへ連れ込み、通りすがりのチェスターも加わってワイワイやっていたとか。


 扉越しに廊下の足音が聞こえて、二人は部屋の入口を見やった。

 ノックの音にサディアスが返事をしてすぐ扉が開く。

 入ってきた男子生徒は短く切られた黒髪に凛々しい顔立ちの男前で、すらりと背が高く腰には剣を携えていた。

 きちりと礼をして顔を上げた彼はホーキンズ伯爵家の嫡男、シミオンだ。


「サディアス様、どうも。フェリシア、さっき振りだな。」

「こんにちは。もう今日は来ないかと思い始めた所です」

「ちょっと片付けが必要になりまして、遅れました。」

「貴方の紅茶冷めてるけど。いいわね」

「あぁ。」

 スタスタと歩いてきたシミオンは迷う事なく、許可も取らず無言でフェリシアの隣に座り、彼女が注いだ紅茶を礼も言わずに受け取った。フェリシアに憧れる男子生徒達が見たら一斉に叩かれそうな暴挙である。


「…魔獣、今後もっと広がりますかね。」


 本人に睨んでいるつもりは毛頭ないらしいが、シミオンはサディアスを見据えて聞いた。

 とうとう北東のブラックリー伯爵領以外にも幾つか、魔獣の目撃例や討伐例が出始めたのだ。それも同じツイーディア国内と言えどほぼ真反対、北西のコクリコ王国や南西のソレイユ王国近くである。


 公的な触書の前段階として、ちょうどジャッキーを送る予定だったロイが城から王子宛の報告を届けたのだ。

 ウィルフレッドとアベルは既にリラの警備体制の見直しに取り組んでいたが、報せを受けてより早く整えるべく尽力している。

 サディアスは真剣な表情で頷いた。


「魔獣を生み出している場所を叩かない限りは。もしこのまま野生化したら……その時は、付き合っていくしかないでしょう。」

「せめて食えれば良いんですが――」

「馬鹿な事を!毒があると殿下が仰っていたでしょう。」

 フェリシアは嫌そうに肩を縮め、鳥肌が立ったのか軽く腕をさすっている。

 シミオンは事も無げに「魔石にはな」と返した。


 どんな害獣であれ、骨肉や毛皮、体内の器官などが資源として有効活用できるならそれに越した事はない。

 食せるようになるかはともかく、魔塔が引き続き調べてまとめている。魔石の毒にあてられた場合の対処法や、その毒が活用できるかどうかも含めて。


「本当にこのまま野生化してしまうなら、土壌や水質、生態系への影響も気になりますわね…」

 フェリシアが憂鬱そうに言った。

 ラファティ侯爵領には広大な湖があり、そこで採れる魚介類も大切な資源なのだ。サディアスが考え込むように視線を横へ流す。


「多大な影響が出るのなら、魔獣を作っている施設付近でも何かしら異常が噂されそうなものですが……あるいは浄化方法が確立されているか。」

「魔塔は大丈夫そうなんですか。」

「えぇ、現状は問題ないと聞いています。好奇心に負けた者以外は無事だと。」

「……空へ旅立つ者がない事を祈りますわ。」


 呆れた様子で細い眉を顰め、フェリシアはティーカップを傾けた。




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