332.似た者同士?
夜――…王立学園男子寮、ウィルフレッドの部屋。
「そ、そうか!夕食も一緒だったんだな。うん、道理で帰りが遅いと思った。それで?」
青い瞳をきらきらと輝かせる兄に詰め寄られ、アベルはいまいちピンとこない顔だ。
戻ってきて開口一番、「無事に護衛は終えた」と報告したのに。
「そうじゃないだろう」とわけのわからない事を言われ、ざっくりと――報告が不要と思われる部分は省いて――午後の流れを説明したところである。
「……?次は、ウィルやカレンも一緒だといいと言ってた。僕も、そうだねと。」
「う、うぅん!そうだな、ありがとう。一緒に行こう。それで?」
「それで終わりだけど。」
「くっ……えっと、お前は午後を通してどうだったんだ?」
「……どうとは?」
こてんと首を傾げて聞いてみれば、ウィルフレッドはあせあせとしながら視線を走らせる。
あの、とか、ほら、とか、何やら言いづらい様子だ。
「その……何も思わなかったのか……?」
「思う事?…強いて言うなら、さすがあのディアドラ・ネルソンの娘だけあるとは思ったけど。」
「何で夫人が出てくるんだ!」
「時に強引だからだよ。それくらいかな」
「う、嘘だろう、お前……」
「何が。」
ウィルフレッドが「信じられない」という顔でよろめき、椅子の背もたれを支えにする。
ぎゅっと目を閉じた彼は頭が痛いとでも言いたげにこめかみに手をあてた。
「あ…あんなに、あんなに優しくて可愛くて綺麗で心も強く美しくて誰より素敵な俺の友達なのに……!?」
「…友達ね……まぁいいけど…」
困惑の極みにいるウィルフレッドには、アベルが白けた顔で呟いた声は聞こえない。一体全体、どうしてちっとも心を動かされた様子がないのだと、なんて手強い奴だと思いながら弟を振り返る。
「お前……どういう事なんだ、シャロンより素晴らしい令嬢なんていないだろう?」
「何の分野で?」
「えっ。ぜ、全体的に?」
「なら血筋の時点で国内にはいないでしょ。何なの、今更。」
国一番の令嬢とデートしておきながら、まったく照れも意識もしないアベルにウィルフレッドは愕然としている。
ぱちぱちと瞬きし、ご令嬢が見たら頬を染めそうな悩ましいため息をついてから姿勢を正した。
――確かに、結婚に興味がないとか言っていた。言ってたが、それにしたってアベルお前!仮にも年頃の男なんじゃないのか……!?
自分の事をすっかり棚に上げているとも気付かず、大事な幼馴染と弟の恋路にはしゃぐつもりだった第一王子はガッカリした気持ちを押し隠して笑顔を取り繕った。
アベルはと言えば、急に惚気始めた兄が何を考えているのかわからず訝しげな顔をしている。シャロンに血筋で並べるのはジェニー・オークスくらいだが、家の評判は一連の事件でかなり落ちた。彼女自身は長い闘病生活で勉学や淑女教育等に相当の遅れがある。
「えぇと……俺はお前がね、楽しく過ごせたらと思ったけど。」
「気分転換はしたよ。ありがとう」
「うん…質問を変えよう。自然と笑顔になれた時はあったかな?」
「……言われてみれば、結構笑ったかもしれない。」
思い返すように視線を横へ流して、アベルは呟いた。
ウィルフレッドの瞳が輝く。
――気を許せているんだな、さすがシャロンだ!さては慈愛の化身だろうか、太陽の女神の生まれ変わりか?
口元がにやけそうなのを堪えていたら、二人共立ったままだという事に気付いた。
これ幸いと苦笑の形で笑みを解放し、手振りで椅子を勧めながら座る。
「あぁ、座ろうか。つい急いてしまった」
アベルはさっさと本題に移りたそうな顔をしていたが、勧められるままにウィルフレッドが示した椅子へ座った。
「シャロンは楽しそうだったか?」
「それは安心してほしい。とても楽しかったと笑っていた」
「うんうん、夕食まで一緒だったんだものな。素晴らしい事だ」
つまらないデートは途中で終わる事もあるようだと、ウィルフレッドはチェスターから聞いていた。
長時間一緒に楽しめたんだろう?と念押ししているわけだが、調子の変わらない弟に効いているかは不明だ。微笑みながらチラチラと意味深に視線を送ってみる。
「お前とシャロンが仲良しなようで、俺は本当に嬉しい。嬉しいなぁ」
「……ウィル、できれば二度と「是非行ってこい」などと言わないでほしい。」
――えっ!?二人とも楽しめたのにか!?
という叫びが聞こえそうなほどウィルフレッドは目を見開いた。
もし、どちらか片方でも本心から「迷惑」だと言うなら、慌てて謝って二度と余計な気は回さないだろう。
しかしアベルはまるで挑むように聞いてきたではないか。「ウィルは僕と彼女が二人でいようと出かけようと構わないんだね?」と。
そして超至近距離までシャロンをテーブルに追い詰め、二人で出かけようと誘っていたのだ。それを応援したウィルフレッドの何が悪かったのだろうか?つい首を傾げてしまう。
「なぜだ?」
「まだ相手が僕だから気にしてないようだけど、彼女もウィルにそういう事を言われたくはないんじゃないの。…知らないけど。」
「うん?二人で出かける相手に他の男を勧める気なんて、さらさらないぞ。お前だから安心してシャロンを任せられるんだ」
アベルの眉がほんの僅かに動く。
兄に褒められて悪い気はしないが真面目な空気を壊したくないのだ。
「シャロンはお前と出かける事を嫌がらなかったし、楽しめた様子だったのだろう?」
「濁してはいたでしょ。」
「……あぁ、不都合はないけれどと言った事か?」
常に自分より出来が良く鋭い弟なのに、あれは察せなかったのかとウィルフレッドは瞬いた。
確かにシャロンについては、歴の長い自分の方がわかっているのかもしれない。今朝一緒に見送ったチェスターが「アベル様変なトコで鈍いんですよねぇ」とぼやいていた事を思い出す。
「俺の方を見てたから気付かなかったのか?シャロンはそれを、お前に目を移しながら言っていたよ。困り顔だったし、お前が本気なのか聞きたかったんだろう。」
ウィルフレッドが遮らなければ、続く言葉は「貴方はそれでいいの?」とか、アベルに確認を求めるものだったはずだ。
「つまり困ったんだよね。結局は気にするのを止めてたけど」
「お前と出かける事については、最初から困っていなかったよ。シャロンの目を見ればわかる。」
「……ウィルはそう言うけど」
「何が駄目なんだ?俺にとってお前もシャロンも大事な人だ。二人がいてくれる事が何より心強いのに」
しゅんと目を潤ませるウィルフレッドから目をそらし、アベルは苦い顔をした。
自分の婚約者を弟にエスコートさせるなと至極真っ当な事を言っているのに、なぜアベルが罪悪感を抱かねばならないのか。
「大切な人同士が仲良しで喜ばしい、それは駄目な事か?」
「……駄目ではない」
「だろう?よしよし、ではお前が気になっている話をしようね。」
釈然としない顔で唇を引き結ぶアベルを放置し、ウィルフレッドはリリーホワイト子爵こと、ルーク・マリガンから預かったノートを取り出した。
テーブル伝いに差し出されるとアベルはすぐそれを開いたが、腹の立つ事に最初のページは走り書きの《眠い》一言しかない。無視してすぐ次にめくった。
手書きされたそれは文字の間隔がやや狭く、時折無茶な繋げ字になっているが読みやすい。植物学と薬学の授業ではっきりと覚えのある字だった。
――ノートもインクもまだ新しい。子爵がわざわざ書き起こしたのか……
ぱらぱらと読み進めながら、アベルはどんどん顔をしかめていく。
途中つい表紙を見やって、これが何の変哲もない、王立学園の購買で売られているただのノートだと再確認したくらいだ。
「…何なの。これは」
「俺も驚いた。歴史上、《ジョーカー》を起因とする事件は周辺国含めても三件。ここには加えて、ロベリアでの十数件に渡る実験記録がある」
「国家機密でしょ。留学したからといって知ってる事がおかしいし、こんな物に書いて気軽に渡すべきじゃない。」
「ホワイト先生とレヴァイン家の後継者しか読めないらしい。今で言えば父上と俺、お前だな」
「は……?」
アベルは呆気に取られて聞き返した。
当然何らかのスキルによるものだろうが、ホワイトにそんな芸当ができる、あるいはその伝手があるとは知らなかった。仮にもマリガン家の次男に対して少々侮っていたようだと眉根を寄せる。
「特殊なインクで書かれた物と言って最初のページだけサディアス達に見てもらったが、書いた時にできるはずのひっかき傷すら見えないらしい。」
「インクではなくノートを対象に、幻覚系のスキルがかかってるんだね。……対象者を絞るなんて高度な事、普通は隠し部屋にでもかけるものでしょ。」
「気になるがそこはどうやったか教えてもらえなかった。先生が言うには、陛下は誰が何をしたかわかるだろうと。」
「……そう。」
ウィルフレッドがどうしてもというから任せたが、自分も行くべきだったとアベルは内心ため息を吐いた。
シャロンから「ジョーカーの事例集を集めてくださったそうよ」と聞いてはいたが、公表されている三件の詳細くらいだろうと思っていたのだ。こんな物が出てくるとは。
片眉を跳ね上げた弟を見つめながら、ウィルフレッドは苦笑する。
アベルはどうもホワイトに苦手意識があるようだが、兄はそれを同族嫌悪ではと思っていた。口に出したら嫌がりそうだから、言わないけれど。
二人共どちらかと言えば言葉少なで、懐に入れた相手以外にはろくに説明しない。自分で動く。言動に眉を顰められても「何が悪い」と言わんばかりの顔をする。
――似た者同士だと思うんだよなぁ……。
上手く嵌れば以心伝心レベルに仕事を片付けそうだが、価値観か何かの差でイマイチ噛み合わないのだろう。
アベルは難しい顔でノートを読み進めている。
実験の結果、ジョーカーは服用から一、二時間内に身体を巡る魔力を増やしていく。
暴走までの時間差は本人の魔力保有量ではなく、余剰魔力に対する許容値あるいは耐久値と呼ぶべき物の差と考えられる。
己の魔法に巻き込まれず生き残った者は、暴走発現時に頭部への熱感と強力な幻覚が発現したと証言。見えるものは漠然とした心象風景から実在する個人まで多様だった。観察上、平衡感覚を失う者はおおよそ三割未満――…
かなり詳細だ。
これだけの情報があってホワイトは黙っていたのか、しかし公表してツイーディアに利があるかと問われれば微妙なところである。デマと言われれば証拠が必要であり、証明にはホワイトがどのような手段で情報を得たかも問題になるだろう。真っ当な手段のはずがない。
「……情報源は聞いた?」
「いや。言わないだろうと思ったし、非公式の場でも俺が聞くべきじゃない」
「それでいいよ。ロベリア側が把握してるかは不明だけど…子爵は他に何か言ってたの。」
「あぁ。まずはお前も知ってる…というか力を借りた事もあるだろうが、《都忘れ》のテオフィル。」
アベルは頷いた。
元はロベリアの出身であり、違法魔力増強剤《スペード》の事件絡みで亡くなった父母は薬師と絡繰技師だったと聞いている。
「ホワイト先生が言うには……彼は、ジョーカーの製法を知っているだろうと。」
「テオが?」
「どうも、何かカマをかけたらしいな。」
「ふぅん……」
軽く顎に手をあて、アベルは目を細めた。
テオは薬の調合から小型の絡繰りの製造修理までそつなくこなす優秀な男だが、違法薬となれば話は変わる。
ウィルフレッドがふと口角を上げた。
「なんだか不思議だよな。あの宰相殿がそんな男を平気でうろつかせるだろうか?」
否、生かして活かすなら捕えて手元だ。
仮にホワイトの情報が真実だとするならば、恐らく宰相はそこまで知らない。ならばテオの養父であり上司、ジェフリー・ノーサム子爵は知っているのかどうか。
「…それから?」
「薬学、植物学の前任者についてだ。最近強盗に遭って命を落としたらしい。」
「前任……ジョディ・パーキンズだっけ」
「よく頭に入っているな。俺はさすがに初耳だったよ」
「子爵が赴任したのは数年前の話だから、騎士達は大体彼女に習ってるんだ。陛下達の在学時はまだ助手だったらしいけど。」
パーキンズ女史は王立学園に二十年以上勤めたのだ。
それでどうしたのかと問われ、ウィルフレッドはハッとして瞬いた。
「あぁ…彼女は優れた調合技術を持っていて、レシピがあればほぼ一発で成功させる腕だと。ロベリアに行った事もあり、向こうでも彼女の腕は知られているだろう、と……」
「なるほど?死んだのは偽装と疑っているわけだ。」
「墓を暴くよう手配したらしい。ちょっと乱暴だとは思うが仕方ないな。」
「ジョーカーの《可能性》が読まれた今だから、だね。」
関係が無いなら良し、あるなら大問題。
ウィルフレッドは神妙に頷き、金色の瞳を見つめて言った。
「テオフィルの実力は不明だが――…ホワイト先生以外でジョーカーを調合できるのは、ツイーディアの人間では彼女くらいだそうだ。」




