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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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332/524

330.些細な仕返し




 緞帳が下りて劇場の照明が明るくなる。

 第二幕の終了、また休憩時間だ。


 カーテンの裏へ入るなり、シャロンは目を輝かせて胸の前で手のひらをぱちりと合わせる。


「アベル、見た……?最後のアンジェリカ様の抜刀!」

「見事だったな。あの長さを体勢も崩さずよく抜いた」

「とても格好良かったわね。ドルフが消える演出は魔法を上手く使っていたし、酒盛りでの掛け合いも軽快で楽しくて、見どころだらけだわ。」

「太陽の女神が、エルヴィスに隠れて酒を飲んだのは気付いたか?」

「…気付かなかったわ。いつ?」

 ぱっちりと目を見開いて聞いたシャロンに、アベルが説明する。

 エルヴィスが「酔っ払いども」と村人を投げ転がした時、ちらちらと酒の入ったコップを見ていた女神に村人が渡してやっていた。

 その時歌っていない役者だって、メインを邪魔しない程度にずっと演技を続けているのだ。


「アンジェリカが出て行った時は、エルヴィス達は別方向に顔を向けていたが……視線は全員彼女をきちんと見ていた。」

「全員だったの?グレゴリー様はわかったけれど……貴方、オペラグラスもなしによく見えるわね。」

「これがあるからな。」

「ふっ、それはただのガラスじゃない。」

 澄まし顔で眼鏡を指したアベルは、くすくす笑うシャロンに少しだけ微笑み返した。

 コート掛けの方へ歩き出しながら柔らかい声で聞く。


「飲み物でも?」

「そうね。行きましょう」


 二人はローブに袖を通し、一階下のビュッフェへと移動した。

 数十人は居座れるだろう広いスペースに立食用の小さな丸テーブルが幾つも置かれ、壁際には質の良いソファも用意されている。

 休憩時間に多くの人が利用できるよう、こうした店はオペラハウスの中に複数あるのだ。


 アベル達が来た店も既に他の客が訪れていて、ワイングラス片手に笑う髭の紳士や、ソファで静かに語り合う身なりの良い老夫婦。

 丸テーブルに肘をついた男子生徒達はサンドイッチにかぶりつきながら、離れた場所にいる色違いのワンピースを着た若い女性の二人組をチラチラと見やっていた。どちらがタイプか熱心に話し合っているらしい。

 他にも扇子で口元を隠したご婦人方や、ノートサイズの歌手の姿絵を購入してうっとり眺める男性など、色んな客がいるようだった。


「思った以上に、部屋を出るのは気分転換になるわね。日常に一歩戻ったみたい」

「そうだな。」

 緩くウェーブした金髪をそっと耳にかけ、シャロンは唇を紅茶に浸す。

 隣でアベルも珈琲を飲もうとしたが、ふと瞬いてカップをテーブル上のソーサーに戻した。不思議そうにそちらを見たシャロンが、彼が眼鏡を外すのを見て納得する。曇るのだ。つい目を細めて微笑んだ。


「……もう少し俺の方に寄れ。」

「?はい。」

 アベルがどこかをじっと睨みながら言うので、何かあるのだろうとシャロンは大人しく従う。壁に近いテーブルを選んだのはあまり人目に晒されないようにだ。

 彼の方へと一歩近付き、自分の紅茶を手元へ寄せる。


 離れたテーブルでは男子生徒達が見知らぬ金髪美少女の笑顔に見惚れて鼻の下を伸ばしていた。

 しかしその隣にいる茶髪の美少年がもの凄い迫力でガンを飛ばしてきたため、今は一斉に顔を背けている。

 恐る恐る視線を戻すと美少女が彼に寄り添っていたので、恐らく恋人なのだろう。美少年は未だこちらを睨んでいて、サッと青ざめた彼らは静かに背を向けた。


「誰かいた?私そちらを見ない方がいいかしら。」

「見なくていい。目が汚れる」

「ふふ、そうなの?」

 きっと不躾な人がいたのだろうと察して、シャロンは眉を顰めたアベルを見上げる。

 促すように少し首を傾ければ、彼は金色の瞳をシャロンへと向けた。互いの肩が触れる距離で目が合う。


「貴方の目も綺麗なままがいいわ。」

「…わかった。」

「それに、見たらその分見られてしまうでしょう?」

「いや、目はそらさせた。」

「まぁ。」

 そこまで圧をかけたのと瞬くシャロンの後ろに手を回し、アベルは彼女のフードをぱさりとかぶせた。この顔を見せるからああいう輩が湧くのだ。


 シャロンは紅茶を喉へ流すと音もなくカップをソーサーに戻し、自然な動きでテーブルに置かれていた眼鏡を手に取った。

 畳まれていたつるを開いて隣へ向けると、僅かに片眉を上げたアベルが何か言いたげに口を開きかけ、すぐに閉じる。シャロンは、勝手にフードをかぶせてきた人に何か言われる筋合いはない。

 大人しく少し屈んだアベルにそっと眼鏡をかけてやり、よろしいとばかりわざとらしく頷いた。


「……曇る…」

「ふふ」


 指の背で眼鏡を軽く押し上げ、アベルは不服そうに呟いて珈琲に口を付ける。

 シャロンはフードが脱げないよう押さえながら笑い、少し乱れてしまった髪を直した。




 アンジェリカが武器を持った男達に囲まれている。


 「一人で何をお喋りしていたんだ、お嬢さん」「貴様らには聞こえまい、嘆く死者の声はこの耳に届いている」「こりゃあ面白い、目どころか頭がイカれていたようだ」「あのような子供まで手に掛けた下種共が、恥を知るがいい!」

 戦いが始まり、アンジェリカは男達を細身の刃で次々と切り捨てていく。

 女だと侮っていた男達の顔色が変わり、酒宴の会場へ向かう彼女を何としても止めろと合唱した。


 「死角を狙え、残った目も潰せ!」飛び掛かってくる男を最小限の動きでかわし、アンジェリカは走り続ける。

 「早く伝えなければ――…エルヴィス!グレゴリー、ハーヴィー!剣を取れ、女神を守れ!我らが敵はここにいる!!」

 戦士の雄叫びのような歌声が劇場に響き渡り、心臓を強く揺さぶった。

 続く剣戟とアンジェリカの疾走に合わせてオーケストラが楽器を掻き鳴らし、危急を表している。


 ドォン、と遠くで何かが破壊される音がした。

 怯んで動きを止めた男を叩きのめし、走り去るアンジェリカを男達が追っていった。



 ふと暗くなった舞台上に明かりが戻る。

 酔いの回ったグレゴリーを村の男衆が誘導していた。


 「井戸はこっちだ」「俺はまだ飲める」ふらふらと足元がおぼつかない彼を、男達は後ろから指差したり声を上げずに腹を抱えて笑った。オーケストラは暗く不穏な曲を奏でている。


 「さぁこっちだ」「どこだ、そろそろか」「その先だ、歩いて、歩いて」一人がグレゴリーを導きながら、他の男達は物陰から手斧や剣をそれぞれ引っ張り出した。

 「まだなのか」「あぁ、ここで終わりだ!」男達が大きく振りかぶり、ジャン、と弦楽器が一斉に掻き鳴らされる。


 素早く身を翻したグレゴリーは一人の手から剣を奪い、高く跳躍して男達の背後を取っていた。

 さきほどまでよろけていた男とは思えない立ち姿で、彼は爽やかに笑って歌い上げる。

 「まったく遅いぞ、腰抜けども。ようやく確定だ!」


 流れる曲のテンポが一気に速まり、散るように細かく発動する魔法の光がそれぞれの武器を煌めかせた。

 グレゴリーは襲い掛かる男達を軽やかなステップでかわし、すれ違いざまに切りつけ、空中でくるりと回転したかと思えば、体重を乗せた一撃で敵を沈めている。


 「貴様、なぜだ!あれだけ飲ませたのに」最後の一人が後ずさりながら歌声を震わせる。

 グレゴリーは散歩でもするような軽い歩みで彼を追い詰め、「残念、俺は蟒蛇(うわばみ)だ」と笑顔で剣を振りかざした。

 ドォン、と先程の音が響くと同時に舞台が闇に包まれ、オーケストラが客席に聞こえるギリギリまで音を小さくする。



 不穏な曲が徐々に強く音を響かせ、照明が戻っていく。


 酒宴を開いていた会場で、太陽の女神を背に庇ったエルヴィスが剣の柄に手をかけた。

 相対するのは村へ来てから宴の最中もずっと陽気で一番喋っていた大男、その後ろにもずらりとあくどい笑みを浮かべた男達が身構えている。


 「村は何日か前に俺達が頂いた」「お仲間はとっくに先に死んで待ってるぜ、色男!」「そっちの女は助けてやるよ」「この人数を相手に一人で勝てるとでも?」鼓膜を震わせる低音で男達が次々と歌った。

 美しい太陽の女神は不安げに両手を胸の前で組み、けれどしっかりと自分の足で立っている。「エルヴィス様、ご武運を。信じています、勝利は必ずや貴方のもとに!」

 エルヴィスは女神と目を合わせて頷くと、剣を抜き堂々とした声で歌い上げた。


 「来るがいい、己が全てをかけて。容赦はしない!」


 激しい曲調の中にも優雅なメロディを忍ばせ、エルヴィス・レヴァインの戦いが始まる。

 速く力強く、一人一人確実に敵を打ち倒していく姿はグレゴリーとはまったく違うスタイルだ。敵が手当たり次第に投げつけてくる酒瓶や料理の皿も、女神に当たりそうな物は正確に叩き割り、避ければ良いだけの物はさらりとかわす。


 盗賊の首領なのだろう大男は大剣を持ってこさせたが、エルヴィスの勢いにどんどん押されていった。

 「女を狙え!」「殺してしまえ!」「数でかかれ!」一斉にかかってくる男達を捌き切れず、太陽の女神に一人の手が迫る。

 「宣言、風よ我らが女神を守る力を!」三人をまとめて薙ぎ払いながら、エルヴィスが王命のように威厳のある声で歌う。「敵を吹き飛ばせ!」


 ドォン、打楽器と共に突風が巻き起こった。

 ぐわっと浮き上がった男達の身体がセットの屋根を突き破り、客席からは見えない舞台の天井へと飛んでいく。

 男達が呆気に取られる隙に首領の大男だけはこっそりと舞台袖へ引き上げた。


 「おお!派手にやったな、兄弟?」「無事か、エルヴィス!」グレゴリーが笑いながら駆け付け、アンジェリカも彼女を追って来た男達を切り払いながら叫ぶ。

 「来たか、お前達。さぁ片付けるぞ!」当然来ると思っていたという顔でエルヴィスが声をかけ、「おう!もうひと頑張りしようか。」グレゴリーが軽いステップで敵の攻撃をかわし、「わかっている!」アンジェリカが油断なく刀を構えた。


 「万一お怪我があっても私が!皆様――どうか、ご無事で!」太陽の女神の言葉に三人が頷き、これまででもっとも多様な楽器を取り入れた総力戦のような戦闘曲が流れ出す。

 観客はエルヴィス、グレゴリー、アンジェリカの誰を目で追うか忙しい。途中、よろよろと近づいてきた盗賊を太陽の女神が酒瓶でパリンとやるなどした。

 乱戦が続く中、音楽と舞台を照らす光が徐々に消えていく。



 夜明け前の森を、大男が息を切らしながら走っていた。

 担いだ大きな袋はガチャガチャと鳴り、零れた貴金属が地面できらきらと輝く。これまでの盗賊生活で得た物だ。男は振り返ると慌ててそれを拾い集め、「あんな奴らが出ちゃ盗賊業も終わりだ」「適当に売っ払って遊び暮らそう」と笑いながら歌った。


 歩き出そうとした男の足に、ストンと矢が刺さる。

 絶叫――もう一本、反対の足にも。男は倒れ、袋が重そうな音を立てて中身を零した。手を伸ばした男の前にすとんと着地したのはハーヴィーだ。


 「お前がなぜここに」血を流しながら恐怖を歌う男に、ハーヴィーは気さくな笑みでくるりと回ってみせながら歌声を返す。

 「よう、ひどいじゃないか。女達を怪我人ともども閉じ込めるなんて。」「何だって、牢を見つけたのか!」「こんな色男を見せたら喜んでついていく、だっけ。あぁその通り、全員攫っちまった!」

 パチンと指を鳴らし、ト、ト、ト、とステップを踏んで、手にしていた弓矢を構えた。

 「駄目だよ、悪者なら――俺達を見た瞬間に逃げなきゃ。な?」


 舞台の照明が消えていく最中に矢は放たれ、男の身体がビクリと跳ねる。

 暗闇に呑まれる寸前、袋を拾うハーヴィーの姿だけが微かに見えた。



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