32.手土産を探しに
「はい、できましたよ」
「ありがとう、メリル」
いつも通りメリルに髪を結ってもらって、私は椅子から立ち上がった。
今日はゆるくひとつの三つ編みにまとめて、身体の前側にそっと垂らしている。服は裾にささやかなレースをあしらった、小花柄のワンピース。白い帽子をかぶってできあがりだ。
玄関に着くと、白い長袖シャツに、髪と同じ灰色のスラックスを履いたダンがこちらを振り返った。
既にランドルフに怒られた後なのか、シャツの裾をしまっているし、ボタンも一つしか開いていない。ジャケットは相変わらず着ていないけれど。
「遅……早く行くぞ、お嬢。」
「えぇ、待たせてごめんなさい。」
たぶん「遅い」と文句を言おうとしたらしいのを、ダンは自力で踏みとどまった。これもまた成長ね。
今日は、チェスターの妹さんを訪ねる際の手土産を選びに街へ行く。
王立図書館と違ってメリルが強制的に離される心配はないのだけれど、荷物持ち・護衛・周囲への牽制という事でダンも採用された。
背が高くて目つきが悪いので、街中ならば丁度いいでしょうというのがランドルフの意見だ。
色々と見て回りたかったので、街の中ほどに来てから待機所で馬車を降りる。
花瓶に飾れるようなお花がいいかしら、それともティータイムにつまめるようなお菓子がいいかしら?
「ご自宅にいらっしゃる時間が長いのであれば、本はいかがですか?」
ちょうど本屋の前を通りかかって、メリルが提案してくれた。私は「そうね」と言いながら顎に手をあてる。
症状が進むと、チェスターの妹さんはベッドの上で身を起こす事すらできなくなる。もしそうなってしまったら、本は……いえ。
そうならないために会い行くのだから、そこは考えなくていいでしょう。
「つったって、本なんざもう持ってるかもしんねーだろ。」
店先で平積みになっている流行りの小説を、持ち上げもせずにパラパラめくってダンが言う。一文字も読む気がなさそうね。
「やっぱ食いモンが無難なんじゃねぇの?」
「確かに、既にお持ちでしたら困らせてしまいますね。可能なら買う前にチェスター様に確認したいところですが…」
「そうしたら、お会いした時に聞いてみて、また次の時にお渡しするのもいいわね。」
元より、一度会って終わるつもりはない。
チェスターや公爵夫妻が治療法を探しても駄目だったのだ。魔法のせいと知っている分、私にできる事も少しはあるかもしれないけれど、お会いしたその日に全て解決とはいかないでしょう。
「つーか俺だったら本なんて絶対に嫌だね。なんでしんどい時までベンキョーしなきゃなんねぇんだ。」
「あら、勉強とは限らないわよ?小説は物語を楽しむものなのだし。」
「結局文字ばっか見なきゃいけないだろうが。」
なるほど、そこから嫌なのね。
灰色の短髪をがしがし掻きながら、ダンはうんざりした顔で店内を見やっている。私はそれならばと、目当てのコーナーを探して店の奥に入った。二人の足音が後からついてくる。
昼間の麦畑が描かれた大判の本を手に取って、私はそれをダンに広げて見せた。
「画集よ。どう?」
「……お嬢。まさか、俺がそれを見て感動するとでも思ってんのか?」
「具体的な反応は想像していなかったけれど、どうかしらと思って。」
「どうもしないでございますよ~?」
ダンが口元を引きつらせてわざとらしく言う。目が怖いわ。どうやらお気に召さなかったみたい。
私達のやり取りを見ていたメリルがくすりと笑う。
本を閉じて画集コーナーに戻しながら、私は他の画集にも目を向けた。
もしチェスターの妹さんが絵を見るのがお好きだったら、こういうのもありかもしれない。
最近発売されたばかりらしい、平積みされた画集を手に取ってみる。
前世の世界にあった「写真」のように、非常にリアルなタッチで女神像が描かれていた。一人の画家が国のあちこちにある女神像を巡り、設置された風景ごと描いた画集のようだ。
横から覗いていたメリルが感嘆のため息を吐く。
「すごいですね、これだけ繊細に…」
「えぇ…」
後ろからダンの大あくびが聞こえたけれど、無視してページをめくる。
場所がどことは書いていないものの、街中に置かれたものや教会で厳かに佇むもの、地域住民によって飾り布をつけられたり、お金や食べ物が捧げられていたり。
森の中で草木に囲まれたものは、女神様の指先に小鳥がとまっていた。
「…そういえば、画集はどうやって作っているのかしら…?」
当たり前にそこにあったから考えた事もなかったけれど、クリスに読んであげる絵本もそうだし、挿絵のある図鑑もだ。
写本を作るには綺麗な字が書ければそれでよくても、絵となるとそうはいかない。
「それも魔法です。ただ光の魔法限定なので、職人はとても重宝されております。」
「なるほど…光の魔法が最適の人は少ないものね。」
「えぇ。なので最適ではなくても職人になったという方が多いと思いますよ。でなければ我が国の書物はとてもまかなえませんから。」
閉じた画集の表紙を眺めながら、私はふむふむと頷いた。ウィルも使えるのかしら?
裏表紙には女神像が背中側から描かれている。
それはとても珍しい景色だった。たとえ私でなくとも、見た事がある人はそうはいないだろうと思う。女神像の背後に回るなんて、普通の人は考えつかないでしょうから。
でもきっと、お二人と同じ時代を生きた人々は、この背中を見ていたのね――…
「その画集、お気に召されましたか?」
私がなかなか手放さないものだから、メリルが聞いてくれた。はっとして顔を上げる。
「えぇ。一冊買っていくわ」
「承知致しました。よかったです、素敵な出会いがあって。」
「メリルが本はどうかと言ってくれたおかげよ。」
微笑む私達のすぐ横で、ダンは「女神ねぇ」と片眉を上げていた。
人気のお菓子屋さんをいくつか回って、私は結局クッキーを購入した。
と言っても普通の物ではなく、花びらや葉の形をした色とりどりのクッキーを飾り付けて、まるで小さな花束のように作ってあるものだ。まさにお花とお菓子の合体系。
一つ一つは小さいから食べやすいし、見た目も鮮やかなのできっと喜んでもらえると思う。
「ダン、気を付けて持っていてね。」
「へーへー。」
私はほくほくした気持ちで、馬車を置いた待機所への道を歩いていた。
ダンは本の入った袋を背中に引っ掛け、もう片方の手でお菓子の袋を下げている。崩れないように形を整えて包まれたものだけれど、振り回したり落としてしまったらアウトだろう。
「では少し待っていてくださいね、シャロン様。ダン、おそばにいるのですよ。」
「えぇ」
「わーってるよ。」
待機所に到着して、メリルが御者に声をかけに行っている時にそれは起きた。
「待ちやがれーーーッ!!!」
少年の怒鳴り声。
一体何事かと通りを見れば、道行く人を突き飛ばしながら二人の青年が走ってくる。ちらちらと後ろを気にしながら、全速力で。
そして後方から追いかけているのは、
「そいつら泥棒だッ!誰か止めてくれ!!」
バンダナを鉢巻のようにして頭に巻いた少年だった。私は目を見開く。
なぜ彼が――いえ、彼は下町の生まれ。街にいてもおかしくないわ!
「ダン!」
「は?」
一緒に止めるわよ、というつもりだったのだけれど、ダンは完全に傍観する気だったらしく、反応が遅れていた。
どの道片方は自分で止めるつもりだったので、私は逃げてくる二人の前に飛び出し、
「どけ!」
突き飛ばそうと伸ばされた腕を絡めとって、相手の勢いを利用して一人投げ飛ばした。
投げた先の横にダンが立っていたので、彼が口を開けてそれを目で追うのが見える。
もう一人の青年がぎょっとしながら走り抜けていき、追ってきた少年も足を止めずに私と、逃げる青年とを見比べた。
「おおお!?あんたありがとな、後で礼を…待てー!!」
「ダン、その人をお願い!!」
「は!?行く気かよお嬢!ばッ…」
焦った様子のダンの声が聞こえたけれど、私が投げた青年を誰かが拘束しなくてはならない。ワンピースの裾を翻して、私は少年の後を追う。
「俺がジジイに怒られんだろうが!あーッくそ、メリル!あんたがそれ見とけ!!」
「何事ですか一体…お嬢様っ!?」
人々の間を縫うようにして駆け抜ける。
私の数メートル前をさっきの少年が走っている。逃げている青年は私達より少し早いみたいだ。
青年が建物同士の間にある小道へ入り、そこにあったらしい大きなゴミ箱を蹴倒した。
「うわっ!」
少年が驚いて一瞬足を止める。
「失礼!」
私は足を止めずにその肩に手を置いて支えとし、転がってくるゴミ箱を飛び越えて小道へと着地した。もちろん、そのまま走る。
「えっ!おい!?」
買い物のために歩きやすい靴で来ていてよかった。私は先に見える青年の姿を目に焼きつける。
速く、速く、もっと速く!
脚がほのかに熱を持つ――その意味を理解して、私は地面を強く蹴った。
景色が一気に流れる。
「止まりなさい!」
青年よりも前に躍り出て、私は向かい合うように着地した。
ようやく足を止めた青年は二十歳に届かないくらいだろうか、その手に婦人用の長財布を持っている。あれが盗品ね。
「なんだコイツ…!」
「大人しく盗んだ物を返して。」
「うるせぇな!調子乗ってんじゃ――」
「どけクソガキィ!!」
青年の声を遮って、ダンの大声が聞こえた。直後に「どわっ!」と少年が声を漏らし、
ゴッ。
突風と共に小道から飛び出してきたダンの踵が、振り返りかけた青年の側頭部に直撃した。
問題は、そう…真っ直ぐに蹴ったら、その先に私がいるという事である。
事態を把握したダンの顔が、空中で「やべ」というものに変わる。
私は右へ跳びながら、飛んできた青年の身体を左腕全体で受け流すようにして、かろうじて――本当にかろうじて、躱した。
青年は数メートル吹っ飛んで地面に転がり、壁にぶつかって止まった。たぶん意識も飛んだわね…。
蹴った事で勢いを相殺したダンが私の傍に着地し、彼を押してきたであろう風が後から強く吹きすさぶ。飛びかけた帽子をダンが片手でキャッチして、私の頭にぼすんと戻した。
「お嬢。勝手に飛び出すんじゃねぇ」
「ごめんなさい、つい…」
「あれっ!?ど、どうなったんだ!?」
小道からパタパタと少年が追いついてきた。
こげ茶色の髪にバンダナ、琥珀色の瞳…やっぱり間違いない。彼は――
「ずらかるぞ!」
「えっ?」
ひょいと担ぎ上げられて、私は聞き返してしまう。
なぜ私達が逃げる必要があるのか、そしてなぜ私は米俵のように肩に担がれているのか。
「これ以上はめんどくせぇ!」
「ダン!私スカート…」
「長ぇんだからいいだろ。おいガキ、それちゃんと片付けとけよ!」
「えっ?あ、ちょっとあんたら…」
「離してえぇぇぇぇ」
ダンが走り出し、抵抗むなしく私は運ばれていく。
残された彼は呆然として、遠ざかる私達を見つめていた。
メリルはもう一人の青年を待機所の係員に引き渡し、こちらを追いかけている途中だったみたい。
私がとんでもない運ばれ方をしているので「シャ…お嬢様ーッ!」と叫んでいた。
ダンは手土産の花形クッキーを放り投げずにちゃんと置いてきたようで、中身が無事と知って私は彼にお礼を言った。…こっちを見てもくれなかったけど…。
馬車の中ではもちろんお説教タイム。
メリルからは「私が離れた時にばかり」と言われたけれど、そんな時に限って何か起きるのは、果たして私のせいなのかしら……。
今日の収穫は花形クッキーと女神様の画集。
それから、彼に会えたこと。
明るく素直で優しい人。
学園で主人公達と友人になり、共に事件に立ち向かう人。
シャロンと同じ《サブキャラ》――騎士見習いのレオ・モーリス。