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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第二部 定められた岐路

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324/524

322.振り回された王子様




 《先読み》の検証は難航していた。


 クローディア・ホーキンズ伯爵令嬢は来年の二月、そしてサディアス・ニクソンを軸に懸命に探っていたが、平和な学園の日常が映るばかり。

 魔力回復薬を大量に仕入れてまで、クローディアは日々《先読み》に勤しんだ。


 今この場で結果は出ない、アベルがそう判断を下した瞬間の顔が忘れられなかったのだ。


 幾度か試してもそれらしいものを見れなかったクローディアを前に、アベルは考え事をするようにゆるりと視線を横へ流す。そこには当然、失望も侮蔑も感じられなかった。

 未来は不確定なもの。

 同じスキルを持っていようと、まったく同じ未来を知るとは限らない。


 アベルはただ、オークス家の時ほど上手くはいかない事実を認識しただけだ。正しく理解し、ならば時間をかけていずれ結果が出ればよいと切り替えた。

 猶予は十二分にあり、「もういい」と言わないだけクローディアへの期待もあった。長期化を見込んで報酬を払いながら、「本業に支障が出ない程度で良い」と言い含める気遣いまでしていた。彼は決してクローディアを軽んじたり叱るような事はなかった。


 クローディア自身が許さなかったのだ。

 アベルに望まれた時、望まれた結果を出せなかった事を。



 ――わたくしが殿下の望みに応えられないなど、あってはならない。



 手本のような美しい淑女の微笑みで主君を見送りながら、クローディアの心には静かに炎が燃えていた。

 身辺警護の名目で寄越された使用人は手際が良く仕事も早いが、明らかに王家もしくは騎士団からの監視要員だ。クローディアはそれも承知の上で受け入れた。それだけ――見たらまずい《可能性》があるのだろうと想定できる。


 意味の無い平和な日々のワンシーンばかりが瞼の裏に映り込む。

 ランダムに映る未来の可能性をつぶさに観察し、事件と無関係と思えば改めてやり直す。魔力が少なくなっても薬を飲めば徐々に回復させられるが、一日に飲んで良い量は法律で決まっていた。どうしても一日で試せる回数に限度があり儘ならない。


 同じ景色同じ結果が見える度に眉を顰めた。

 思うように結果が出ないと焦れば当たり前のように集中が乱れ、視界が暗くなったりぼやけたり、ひどいと何も見えない時すらあった。

 気が遠くなるような根気のいる作業だ。見えた未来で平和に微笑むシャロン達に僅かな苛立ちさえ覚え、これではいけないと休憩を――



 ゴンゴンゴンゴン!



 クローディアのためにてきぱきと紅茶と菓子を並べていた侍女の眉が、ぴくりと動く。

 壁際に控えていた従者が静かに退室し、早足で館の玄関へ向かった。営業中でない事は扉の札を見ればわかったはずだが、ノッカーを乱暴に叩いた人物の想像もついていた。


 漆黒の長い髪をさらりと背中へ流し、クローディアは同じ色の瞳を部屋の入口へ向ける。入ってきたのは彼女の五つ年下の弟シミオンだ。

 姉と揃いの黒髪は短く整え、顔立ちは凛々しく端正だがニコリともせず、黒い瞳は冷静を通り越して無感動に見える。主君に恥じるところのないよう身体は日々鍛えており、今日も腰にはきちんと剣を携えていた。


「ご機嫌麗しく。姉上」

 真面目な性格を表したように低く堅い声でシミオンが言うと、クローディアは口角の上がり具合まで常に一定の微笑みを浮かべながら返した。

「ふふ、ご機嫌よう。あのように荒々しく叩いてはなりませんよ。」

 真向いのソファを勧めながら注意すれば、弟は真顔のまま首を傾げ「荒々しい?」と呟いた。どうやら自覚はなかったようだ。

 姉の正面に座りながら軽く目を伏せる。


「失礼しました。少し考え事をしていたので」

「お前を悩ませるとは、ノーラと何かあったのですか?」

「いえ、そちらはむしろ何も無さ過ぎて悩ましい所です。せめて学年が同じならばよかったのですが。」

「わたくしもお父様達も、お前がフェリシア様と同学年でホッとしていますよ。」

「俺は大分至らないようですからね。彼女には世話になっています」

「そうでしょうね。」

 侍女はシミオンの前にも手際よく紅茶と菓子を並べていき、終えれば従者と共に一礼して退室した。

 姉弟のみが残された室内で、クローディアは猫目を瞬かせほんの僅か首を傾ける。


「殿下のご依頼の話なら、《まだ》ですよ。有用なものは見えていません」

「紅茶代わりに魔力回復薬(ジャック)を飲んでいる頃かと思いますが、ご無理なさっているのでは?」

「まぁ、過保護なこと。無理はしていませんよ。」

「上限まで魔力を使ったり、《先読み》のし過ぎで精神疲労を残されていませんか。」

「わたくしは疑り深い弟を持ちましたね?シミオン。」

「失礼ながら姉上、俺から見れば今の貴女はやつれています。顔色も悪い。親族使用人以外でそれに気付けるのは、アベル様ぐらいなものでしょうが。」

 クローディアの細い眉がほんの少しだけ、不快そうに顰められた。


 シミオンは、姉が無様な姿を見られたくない相手の最上位(トップ)が誰かくらい知っている。

 彼の前に出るならいつ何時だって美しく自信と余裕のあるクローディア・ホーキンズとして存在したいのだ。そうでなければならないという強迫観念さえ抱いている事はシミオンも知らなかったが、少しでも調子が崩れた姿を見せるのは彼女のプライドにひどく障るだろうとは察していた。


「気を張り過ぎては、見えるものも見えなくなる。貴女が以前俺に言った事です。」

「――…よく、覚えていましたね。」

「覚えていても俺はしょっちゅう周りが見えなくなりますが、対等な立場で止めてくれる者がいます。貴女はこの館で一人《先読み》に励まれていて、対等な者はいない。ご自身で気を付けて頂かねば。」

 きちりと背筋を伸ばした姿勢のままそこまで言い切り、シミオンはようやくティーカップに指を掛ける。

 ふうと息を吐いたクローディアは、令嬢の微笑みを崩して小さく苦笑した。


「可愛げのない弟だこと。」

「姉上は聡く愛情深い方です。これくらいの可愛げの無さで、今更俺を嫌いになどならないでしょう。」

「まぁ。わたくしが愛情深いなどと言うのはお前が初めてでしょうね。」

「父上達はまだ口にしていないだけかと。」

「それほど目に見えて家族を愛していますか、わたくしは。」

「いいえ。ですが俺の姉です。」

 相変わらずぴくりとも口角を上げず、シミオンはきっぱりと言い切った。

 クローディアは少し意外そうに弟をじっと見てから、「そうですね」と微笑む。



 シミオンは理解していた。

 この姉に対して、決して言ってはならない事が、聞いてはならない事が、一つだけあると。それは胸の奥深くに刺さった棘のような存在で、たとえ血を分けた家族でも他人が触れて良いものではない。

 本人がそれを見ようとしない内は、特に。



「では、今日は愛する弟の未来でも見て終わりましょうか。」

「結構です。ノーラとは自力で結婚します」

「宣言――風よ。我が眼に未来を。」

「姉上」

「我が弟、シミオン・ホーキンズは何を?」

 両目を閉じたクローディアを中心に風が吹き、ふわりと窓のカーテンを揺らして止んだ。

 時期も他の条件も指定しない、シンプルな分いつどこの出来事かもわからない未来。唇を引き結んだまま姉を見つめるシミオンの目は少しだけ呆れが混ざったようにも見える。


「ふっ……」

「…何が見えたんです。」

「ふ、ふふふ。シミオン、あぁ、お前、気を付けなさい。」

 珍しくも肩を震わせてくすくす笑いながら、目を開けたクローディアは悪戯っ子のように首を傾げた。長い黒髪がさらさらと流れる。


「フェリシア様に頬を打たれていますよ。」


 予想外の内容にシミオンの黒い瞳が丸くなった。

 弟が驚いた顔を見るのも久しくて、クローディアはますます可笑しそうにしている。フェリシアは確かに気の強い令嬢で、シミオンに対する口調が辛辣な時もあった。しかし不快や嫌悪を示したり相手を叱る時に手を出すような娘ではない。


「ふふ、よほど失礼をしたのでしょうね。お前が何か言い切った途端でした。」

「………、気を付けます。」

 来た時と違って心からの笑みを見せる姉の姿に安堵しつつも、少し複雑な気持ちでシミオンは館を後にしたのだった。





 ◇





 ツイーディア国王、ギルバート・イーノック・レヴァインが城の一室に佇んでいる。


 少し癖のある金色の長髪は左側だけ耳にかけ、完璧と称される美貌は去年四十を数えた歳ながらも衰え知らずで、鍛え上げられた身体ともども未だ燦然と輝いていた。近衛騎士達は部屋の入口の中と外にそれぞれ二名ずつ控え、王のプライベートな時間を邪魔しないよう黙っている。

 考えを読ませない美しい金の瞳が見上げた先には、白壁に飾られた肖像画があった。


 十三歳前後に見える少女だ。

 宝石の散りばめられた上質なドレス、膝上に置かれた細い指。

 艶やかなストレートの長髪はリボンを巻き込んだ編み込みが作られ、肌は白く頬は健康的な薔薇色で、淑女の微笑みを浮かべつつも長い睫毛に縁どられた目はどこか勝気だった。


 彼女の横には十歳にも満たない少年がちょんと座っており、こちらは緊張しているのか逆に落ち着き払っているのか、まったく口角の上がらない真顔だ。こちらを睨みつけているとも、見ているだけともとれる。

 肩につかない長さで切られた髪は少し癖があり、左手は少女の右手としっかり繋がれていた。


「陛下。アーチャー公爵閣下がお見えです」

「通せ」

 ノックが聞こえても近衛騎士に声をかけられても、ギルバートは肖像画から視線を離さない。

 扉が開くと、特務大臣エリオット・アーチャーがいつも通りのしかめっ面で入室した。短く整えられた銀髪に鋭い銀色の瞳、がっしりとした厚みのある身体はそこにいるだけでも周囲に威圧感を与えるほどだ。ギルバートとは同い年で生まれ育った親友でもある。


 コツリ、立ち止まったエリオットの靴音にようやくギルバートが振り返った。

 美貌の国王は親友の顔を見ると、視線だけで近衛騎士達に退室を促す。部屋の中にいた二名は廊下で控えるべく一礼して出て行った。

 扉が閉まり、静けさが戻る。

 エリオットは肖像画に視線を戻したギルバートの隣まで足を進めた。


「ギル。またブラックリー領で魔獣が出たそうだ」

「そうか。被害は」

「警備にあたっていた騎士が二名負傷、民間人は怪我無し。森の木々が幾本か燃えた程度だ。」

「明日の議会が長引きそうだな。」

「あぁ。場合によっては伯爵の息子を連れて来いと言い出す者もいるかもしれない。」

 ブラックリー伯爵の息子、アイザックは騎士団の十番隊長だ。

 本来はすぐ領地に向かって魔獣対策に努めたいだろうが、余計な勘繰りをされない為にも王都に留まってもらっている。とはいえ、議会に出て貴族連中を相手に上手く喋れる男かと言えば、そうでもないとは騎士団長クロムウェルのお墨付きだ。


「俺としては、伯爵を探らせる労力は――()()()()()()()()と感じる。」

「ギルが言うならそうだろうな。」

「ただの勘だ。」

「お前はそれで間違えた事がない、だから《完璧な王》などと言われるようになったんだろうが。もはや天賦の才だと俺は信じている。」

「エリオット。妄信はいつか痛い目を見るぞ」

 断言する親友に呆れ声でそう返し、ギルバートは小さく息を吐いた。

 絵の中の少女は変わらぬ瞳をこちらに向けている。エリオットはちらりとギルバートを見やってから、肖像画へと目を移した。


「この頃のギルはマルヴィナにべったりだったな。」

「振り回されてたと言ってくれ。」

「確かに振り回されていた、物理的に。俺は血の気が引いて助けに走ったのを覚えている。」

「助け?体当たりの間違いだろう。」

「子供だったからな。」

 遠く懐かしい記憶を振り返り、顔を見合わせた二人は同時にフッと笑う。

 絵を見ればすぐにでも、ニヤリと笑って年下の男共に号令をかける彼女の声が聞こえる気がした。


「……それにしても、こうして見るとお前はアベル君によく似ているな。」

「アベルが俺に似てるんだ。」

「そうだった」

「シャロン嬢は見事に奥方に似たな?」

「俺の要素が見当たらない。ディアドラは巻き込まれ体質がそうだと言っていた。」

「…継がせてやるな、そんなモノを。」

 本気か冗談かわからない真顔で突っ込んでくるギルバートに「誰が継がせるか」と苦い顔で返しながら、エリオットは娘の顔を思い浮かべる。


 愛する娘からの手紙に書かれていた、今はまだ提案でしかない《我儘》――…果たしてどうしたものかと頭を悩ませながら、今はもういない少女を見上げた。




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