318.憎らしいほど美しく ◆
やっとマリガン公爵領に着いてからも、私と先生の旅は続いた。
というのも、領地は広くて町がいくつもあったから。
領地に入ったらすぐ先生のお父さんに会えるというわけじゃないみたい。一番大きな街にいらっしゃるらしくて、近付くにつれて私はだんだん緊張してきた。
先生はいつも通り落ち着いてるけど、だってその、先生のお父さんに会うなんて!
顔が赤くなったり青くなったりしてしまう。先生はあんまり良い印象が無い相手だと言うけれど、私の白い髪をどう思われるだろう。先生と同じ瞳の色をどう思うだろう。
二人で来た私達を、ど、どう思うだろう……とか。
『具合が悪いなら置いていくぞ。』
『ぜ、絶好調ですっ!』
百面相している場合じゃない。
ぴょんと飛び上がった私は慌てて先生の後を追う。途中魔獣に襲われたせいで夜になってしまったけど、ようやく先生のお父さんがいる街に来た。
『……どうした。早くしろ』
『は、はい…。』
馬車に乗るからって、先生は何て事ないみたいに手を差し出してくれる。
旅の間に少しは慣れた私も、ちょっとドキドキしつつも顔を真っ赤にまではせず自分の手を乗せた。うぅ…私より大きくて力強くて、す……何でもない!
なんとか馬車に乗って席に座ると、今度は別の問題が出てくる。
最近の先生はゴーグルをしてないから、当たり前だけどお顔がよく見えた。うわぁああ!惚れた弱みとはわかってるけど、格好良い!顰めた眉もちょっと伏せた目も綺麗な鼻筋もムッとした口もさらさらの髪も全部格好良いよ!すッ……た、助けてシャロン……!
『………。』
先生はずっと険しい表情で窓の外を見つめていて、私はだんだん、見惚れるよりも心配が勝ってきた。
お父さんに会いたがらなかった、一度も実家に帰省すると言わなかった。マリガン先生と呼ばれる事を嫌う先生……。
『…大丈夫ですか?』
『気は進まない。おまえも……あまり、良い思いはしないだろう。』
『見た目も身分も、慣れた事です。』
先生の瞳が私を見る。
白い髪を不気味だと顔を引きつらせる人も、みっともないと笑う人も、所詮平民だと罵る人も。二十年近く生きてきたのだから、たくさん知っている。
受け入れてくれる人がいるって事も。
だから私はもう平気だ。
先生のお父さんが私を見てどう思うかは気になるけど、良くない反応をされてもそこまで落ち込む事はないと思う。他の誰より、先生が私を受け入れてくれてるから。
『私は平気ですよ、先生!』
できるだけ明るく笑って、拳を作ってみせた。
『そんな私がついてるんだから、先生も大丈夫です。』
『……言うようになったな、おまえ。』
『ふふ』
先生はあんまり表情を変えなかったけど、目がほんの少しだけ緩んだのが私にはわかる。
今はそれだけでよかった。
強引についてきた私だけど、ちょっとでも先生のためになったら――
『ルーク。お前が陛下を殺せ』
先生のお父さんが言った言葉を、私は一瞬理解できなかった。
シンと静まり返った応接室の空気は張りつめていて、ひどい息苦しさを覚える。
陛下、それはツイーディア帝国の皇帝であるアベルの事を……言っているのだろうか。もしかしたら他の国の王様の事かもしれない、その方がまだいいって、混乱した頭が考えた。誰が相手だって、先生に向かって「殺せ」なんて言ってほしくないのに。
『……何を言っている。』
『知れたこと。我らマリガン家は王家の敵を消してきた。』
消してきたって……?
まさか、先生がご実家に帰りたがらなかったのは。
『ツイーディア王国の敵を消してきたのだ。』
目の前の男の人が何を言ってるのか、私にはわからない。
でも先生がぐっと眉を顰めたから、一生懸命、頭の中でかみ砕いて。アベルが国王から皇帝になったからだと気付いた。
王国を帝国に変えたアベルは、王国を守ってきたこの人にとって敵なのだ。
『なぜこいつの前で話した。』
不快そうに顔を歪めた先生の声はどこか焦っていた。
確かに、先生のご実家が……公爵家が、代々敵を消してきた…殺してきた、なんて。私が知って良い事じゃなかったはずだ。
緊張してつい唾を飲み込む。それでも先生のお父さんは、マリガン様は私の事なんて見ていない。部屋に入った時から、ずっと。
『簡単な事だ。知った以上その女――カレン・フルードは生かしておかない。だがお前が大人しく皇帝暗殺の任を遂行するのであれば、お前に監視を任せよう。』
脅してるんだ。
そう理解した瞬間、私は信じられない気持ちで目を見開いていた。久し振りに会った息子に対して、マリガン様は私の命を盾に皇帝を、アベルを殺せなんて迫っている。
『そうまでしてあいつを殺させたいか。王政が帝政になったから何だと言う?そうしなければ先の戦いで――』
『あれはレヴァイン家の正しい星ではない。国を滅ぼす凶星だ』
凶星?
今度は一体何の話が始まったんだろう。ちらりと先生を見たけど、先生も初めて聞いた単語みたいでマリガン様の言葉を待っている。
『双子の星が生まれる時、片割れは死を振り撒く凶星となり、片割れは死に追われる凶星となる。』
重々しい声は、まるでそれが事実かのように予言めいた言葉を吐いた。
この国で「星」は、王家の人達の事も言う。
『予言通り、第一王子殿下は死に追われ儚くなられた。残ったのは幼少の砌から死を振り撒く第二王子だ。』
『くだらん』
『くだらないか?あれがこれまでどれだけの命を食らったと思う』
そんな言い方はひどい。
そう思ったけど私は何も言えなかった。
アベルが現れた戦場では圧倒的な差で勝利を掴むと誰もが知っている。
彼は国の誰より強い皇帝陛下で、それはつまり、敵兵をたくさん――…殺している。
『レヴァイン家の血を絶やせと?』
『血は残る。継いだ者を見つけている』
言葉だけなら嘘のようだけど、マリガン様は堂々と言った。
先生は眉根を寄せたけどそこに反論するつもりはないみたい。確かに、アベルを殺せとまで言う人が偽物を立てるとも考えづらいけど……。
『あれに片を付けるなら五公爵家の者が相応しい。だがサディアス・ニクソンは皇帝に心酔し、チェスター・オークスはもう死んだ。アーチャー公爵にその気はなく、息子は幼く娘は弱い。当代のドレーク公爵家は武に長けていない。』
だからお前しか残っていない、そう聞いて私は違和感を覚えた。
マリガン様の命令は「他の誰かがやれば良い」と思う以前の問題だけど、でも、先生だけというのはおかしい。だって、先生には
『お前の兄は失敗した。』
先生が息を呑む。
一瞬固まったその姿を見て、私とは「失敗」という言葉の解釈が違うのだと理解する。
『兄上に皇帝を襲わせたのか』
呆然と呟く声が、僅かに震えていた。
膝の上で拳を固く握り締め、先生は燃えるような怒りを湛えてマリガン様を睨みつける。怒気が膨れ上がるのが見えるかのようだった。
先生のお兄さんは亡くなったという事だ。
アベルを狙って、返り討ちにされた。マリガン様が命令したせいで。
『爵位を継ぎたくなければ遺された娘を使う。それくらいは好きに選べ』
『そんな事は聞いていない。大体あいつは――皇帝は、あんたの孫だろう。』
『マリガン家の血を入れるべきではなかったのだ。』
『姉上も義兄上もあいつらを愛していた』
『ツイーディアの王家は国に繁栄をもたらす輝かしい星たるべきであり、凶星など不要である。』
なんて、勝手な言い分なんだろう。
怪しい予言なんか持ち出して、この人は何を守ろうとしているのだろう。なぜ、殺す事しか選ばないの。
『凶星の双子など、産まれるべきではなかったのだ。』
『ッなんて事を……!』
私は思わず立ち上がって声を上げていた。
黙って座ってる事はどうしてもできなくて、でもそれまでどこに潜んでいたのか、私達を五、六人の男性が取り囲んでいる。一番近くにいる人は抜き身の短剣まで持って。
怖いけど私は、座り直さなかった。
せめてもの抵抗のつもりで、だって、産まれるべきじゃなかったなんて、あんまりだ。
『今ここで決めろ、ルーク。』
頬を涙が伝うのも構わずに、私は未だにこちらを見ないマリガン様を睨みつける。
いつの間にか握りしめていた拳が痛くても。
『その女が死んでお前は幽閉の身となるか、引き受けて皇帝を殺しその女を見張るか……あぁ、ここで私を殺せるかやってみるか?女が死ぬ方が早いだろうが。』
『おれは』
先生の声は静かだった。
ゆらりと立ち上がる彼に周りの男達が警戒の視線を送る。私と同じ赤い瞳がぎらぎらと光り、マリガン様を見据えていた。
『おれはあんたを軽蔑する。』
『結構。やり方は任せる』
『せんせ…』
言いかけた私の手をぐいと引っ張って、先生は歩き出す。屋敷を出て行く私達を誰も止めはしなかった。
大きな背中を見つめる私の目から止めどなく涙が溢れ、地面に吸い込まれていく。
先生、ごめんなさい。
私が来たせいで――ううん、きっとマリガン様なら、来なくても先生を脅していた。でも、それでも。
『ごめんなさい』
謝らずにはいられなかった。
先生は足を止めず振り返らないまま、それでも「おまえのせいではない」と言ってくれる。優しさに胸がじわりと温まって、余計に涙がこぼれて。
大好きな先生が、私のせいで人を殺すかもしれない。
その相手がアベルだなんて――…勝てるわけなくて……命を、落としちゃうかもしれない。お兄さんみたいに。
ごめんなさい、ごめんなさい。
私は心の中でずっと謝った。
先生が死んじゃうくらいなら、先生がアベルを殺せてしまう方がマシだなんて――……恐ろしい事を、ひどい事を、私は。ほんの一瞬でも、思ってしまって……最低だ。最低だ。
『すまない』
驚いて瞬きした私の目から、涙の粒が落ちる。
やっと足を止めた先生は振り返って、街灯の明かりがその顔を照らし出す。私の大好きな人はとても苦しそうに、大きな手で私の頬を拭った。
『ど、して…先生が、謝るん、ですか。』
『おまえがいてくれてよかった。でなければすぐ父親を殺していた』
先生にそんな事できるわけないって思った。
でも、私が先生の何を知ってるというんだろう。泣きそうな顔をしてるのにたった一つも涙を見せないこの人の、マリガン家に生まれたこの人の、何を。
どんな言葉を伝えればいいかわからなくて、私は涙を流しながら先生の服をぎゅっと引っ張った。温かい手のひらから離れて、強く抱きしめる。
『――だがきっと、そうするべきだったんだ。おまえを巻き込むくらいなら』
だから、すまない。
謝る必要なんて無いのに、先生はそう言った。
しがみつく私の背中に手を添えてくれるこの人は、やっぱりどうしようもなく優しくて。殺さなくてよかったって言ったくせに、私を巻き込むなら殺せばよかったって言う。
『おそらく既に見張られている。おまえもおれも逃げられない』
先生がゆっくり顔を上げたのがわかって、私もそうした。
同じものを見たいと思ったから。
『申し訳ありません。姉上……義兄上。』
見上げた夜空は綺麗だった。
私達に突き付けられた残酷な命令なんて知らないみたいに、ちっぽけな事のように、まるで平和そのものみたいな顔をして。こちらを見下ろすだけで、助けてなんてくれなくて。
憎らしいほどに美しく、星々は輝いていた。




