317.先生のお手伝い
相変わらず《謎の男》。
アロイスに会えた私の最終的な感想はそれだった。
外壁にいた本当の理由も血の匂いも真相はわからないし、最後の言葉は何だったのだろう。
『君が全てを懸けるなら、きっと願いは叶うだろう。』
彼は何を知っているの?
気になるけれど、あの様子では真っ向から聞いても遠回しに聞いても答えてもらえなさそうだった。
君影国の姫君が居たら何かわかったのかしら。アベルはアロイスの事を「国を出た」と言っていたし……。
「眉間にシワ寄ってんぞ。」
「あら。」
後ろを歩くダンに小声で注意され、私は現実に意識を戻した。
放課後の廊下はあまり人がいないけれど、立ち話をしていた幾人かは私達に気付くと視線をよこしてくる。眉を顰めたままではよくないわね。
「何をお考えでしたか?」
彼らを通り過ぎてからダンが普通の、けれど少しだけ抑えた声量で聞く。私はすぐに答えた。
「最近は自習でそれなりの魔力を消費するから、魔力回復薬を買っているでしょう?どうせなら薬学の勉強がてら、自作してみるのも良いかしらと思って。」
当然効果は劣るけれど、あくまでついでの話だ。
私はここ一週間ほど、スキルを使ったお守り作りをしている。
去年アベルが検証のために準備した、大きさが均一な球体の水晶。
彼はそれをケースごと城の自室から取り寄せて渡してくれた。私のお守りが火槍にどれだけ抵抗できるか試すために。
火槍のスピードや威力によってパターンを試したいから、お守りは沢山必要になる。
ただ魔法学の授業に使う魔力や、いざという時のための魔力も残さなければならなかった。魔力回復薬だって瞬時に効くわけでも、RPGのように飲めば全快というわけでもないから、数を作るためには時間がかかるのだ。
「素晴らしいお心がけですが、作り方を習いましたか?」
「ジャックは習ってないわ。」
魔力回復薬、品名「ジャック」は、国が定めた水準をクリアした薬師が定期監査を受けながら作る製品だ。つまり国が認めた正規品ね。効果がおおよそ一定で副作用は無いに等しい。ものすごく大量に摂取するとさすがにあるみたいだけれど。
品質が保証される分お値段もキチッとしているから、品名の違う廉価版も出回っている。
たとえば、ものすごく苦いとか。
匂いがひどい、濁っていて見た目が悪い、飲む量と回復量の差がある、同じ店で同じ製品を買ったのに効果にバラつきがある――…それらとジャックでは材料や作り方、作り手の腕が違うのだ。
「ホワイト先生が、山で迷った時に見つけたら採りなさいと仰ったものは覚えている?」
「……コセンソウ…の、実?」
記憶を辿るように顔を顰めたダンが寄越した視線に、しっかりと頷いた。
大豆サイズの実は小さな棘が沢山ついていて、知らぬ間に服にくっついている事もあるらしい。そのまま噛むとグミのような食感とえぐみに棘がついてまわる、レオいわく「ウエッてなる」。
棘をとるのはすごく大変だけど、山の中で魔力を回復したいなら確保しておくべきもの。
「あれを使ったごく最低限の魔力回復薬なら、作れない事はないわ。」
「なるほど。味も最低になるのでは?」
「ふふ、だから考え込んでいたのよ。思いついたけど、微妙だわって。」
本当はアロイスの事を考えていたけれど、私はそう言って笑う。
納得したらしいダンは上品な苦笑いを浮かべ、視界の端で通りすがりの女の子がハッとしたように口元を押さえた。
「シャロン・アーチャー。それとラドフォード」
平坦な低い声に呼び止められた。
私をフルネームで呼び捨てにする人などそうはいない。振り返ると思った通り、百九十センチ近い長身のお方が白衣を翻らせて歩いてくる。
赤いガラスのゴーグルに、右前と左の後ろだけまばらに白い黒髪。宰相マリガン公爵の次男であり、植物学と薬学を担当する――
「ホワイト先生。こんにちは」
「おまえ達、暇なら少し手伝え。」
「はい」
このまま寮に戻るだけのつもりだったので、私はダンと目を合わせてから頷いた。
さっさと歩き出したホワイト先生について地下へ降りていくと、「薬学準備室」と書かれたプレートの部屋に到着する。先生が鍵を開けて中に入れてくださった。
――…あら?見覚えがある。
少し埃っぽい室内はひんやりしていて、壁掛けランプに火が灯っても薄暗く感じた。
床は掃除しやすいようにか白いタイル張りで、準備室という名目にしては広いスペースに年季の入った戸棚がずらりと並んでいる。中身は本だったり薬瓶だったり、薬師が使うような大きい材料棚まであった。
私は確信する。
ここ、イベントでカレンが来るはずの場所だわ。
確かに今週か来週にはイベントが起きるだろうと思っていた。
カレンが選ぶ場所で登場するキャラクターが違って、図書室はウィル、訓練場にアベル、自習室がサディアスで中庭にはチェスターが、そして温室にはホワイト先生がいる。
うっかりしていた。
先程の「暇なら少し手伝え」は、温室でホワイト先生がカレンに言うはずの台詞だ。連れて行かれた先で棚の整理をしながら雑談して、最後は戸棚の上にあった薬瓶が落ちて割れてしまう。
飛び散った液体に慌てたカレンは気化したそれを吸ってしまい…という流れ。
でも先生は温室でカレンと会う事なく、校舎へ戻ってきて私達に鉢合わせた。
ならカレンは今頃、別の誰かとイベントが起きているところかしら。一応初回の《デートイベント》とされているのだけど……。
「そこの紙束を持ってこい」
「はい、先生。」
栞のお陰で研究室に行った時と同じく、先生のルートで行ける場所に現実で足を踏み入れる事ができるなんて。夜中に幽霊でも出そうな雰囲気の場所とはいえ、ゲームのファンだった記憶を持つ身としてはちょっと嬉しい。
先生が指差した方を見ると、棚と棚の間にちょうどよく押し込まれた金属製の箱に、大きな紙を丸めた物が三つほど入っている。
幸いにも埃まみれという事はなく、最近の物のようだ。私がそれらを抱えて振り返ると、ダンが何やら布をかぶせた木箱を押し付けられていた。
「おまえはこれを運べ」
「重ッ……いですね、なかなか。」
布がでこぼこしているから、きっと中身は色んな物が雑多に詰め込まれているのだろう。
一瞬「私が運びましょうか」と聞きかけて、何も言わないまま口を閉じた。魔力は節約したいし、ダンのプライドにも障りそう。
「重い?そうか。」
ほとんど同じ見た目の箱をひょいと抱え、先生がすたすたと歩き出す。ダンは笑顔を引きつらせてスピードを上げた。私も二人の後ろからついていく。移動させたのは同じ室内の離れた棚だった。
ホワイト先生によると、今度この準備室に納める物が沢山届くのでスペースを空けたいらしい。
客観的に見るとそれは公爵令嬢とその従者に頼む事なのか、という疑問が出てくるけれど、結構重要な資料や薬品もしまっているらしいこの部屋は、ホワイト先生としても連れて来る人間は限りたいのだとか。
「アーチャー公爵にはおれも世話になった。おまえ達も馬鹿ではない」
というのが先生の言い分。
私達自身と、何よりお父様への信頼から判断したのね。ちなみにじゃあカレンはどうなんだというと、一人なら確実に見張っていられるでしょうし、ホワイト先生は雑談の中で彼女の赤い瞳について触れる。きっとそれが本題だったのだと思う。
「グレンとは話せたのか。」
「…!はい、スキルについてお話を伺いました。少々長かったのですが…」
研究室で話をしたあの日から一月ほど経っただろうか。
グレン先生の語りや図書室で読んだ本をかいつまんで説明する。アベルに言われた事も。
ホワイト先生は、女神伝説について深く考察したこと、そして王家に献上されていないとわかっただけ進歩だろうと言ってくれた。
まだ学生である私は、あれこれ悩み考え学ぶ事が本分なのだからと。
「気が済むまで考えてみればいい。探してみればいい――…といっても、グレンのようになる事はおまえには勧めないが。」
「……グレン先生は少しだけ、好奇心が過ぎるところがあるかもしれませんね。」
「かもではない、あれは犯罪予備軍だ。」
「まぁ…」
仮にも同僚に対してなかなか言うものだ。
ウィルのルートだと敵に回るので間違いではないし、アベルについて語るグレン先生はどこか狂気じみていて、恐ろしかったけれど。
「生徒に手は出さんだろうが、仮に特殊な魔力やスキルを持つ者がいれば……平然と実験を提案してきそうではある。」
それは否定できない。
相手がもしお金に困った平民なら、大金を払うといつも通りの笑顔で言い放ちそう。私は曖昧な笑みでやり過ごしたが、ホワイト先生はそんな反応も特に気にしていないようだった。
「ジョーカーの事はまだ調べているのか?」
「そちらは……殿下にお伝えして、お任せしています。」
「賢明だな」
ホワイト先生が運び終えた木箱をどさっと置いた。ちょっと床が揺れる。
「必要があればおれに声をかけろと言っておけ。事例をまとめておいた」
「……!わかりました、必ずお伝えします。」
先生が置いたのは蓋が閉まっているものだったので、ダンも続けてその上に重ねた。再びの揺れ。
揺れ?
会話に集中してつい失念していた、ここで何が起きるのかを。
顔を上げると、私と二人の間にある棚の上からちょうど瓶が落ちる。気付くのが遅かった!キャッチするには間に合わずにパリンと割れてしまった。液体が床にひろがっていく。
拭く間は息を止めないといけないわねと考えつつ一歩踏み出したら、私がガラスを触るとでも思ったのかダンが慌てた声を出した。
「危険ですから、触らな…」
「おまえ達息を止めておけ。それは」
わかっています、くしゃみが止まらなくなる薬ですね。
「へぷち!っくし、へぐしゅ!」というカレンのくしゃみセリフ…セリフ?を思い浮かべながら、私は鼻と口を覆うためのハンカチを取り出そうとする。
「睡眠薬だ。」
「えっ?」
「は!?」
そんな馬鹿な。
無意識に声が漏れて息を吸い、清涼感のある香りが鼻腔をくすぐる。
ぐらりと視界が傾く私に、ダンが耐えるような顔で腕を伸ばして――
そこで、意識が途絶えた。




