316.まるで二人きり
「ですから、ここの解は……」
「あぁ、なるほど!ようやくわかりました。」
放課後の職員室を訪れた私は、頭を悩ませていた答えがわかって思わず笑顔になった。
《生活算術》の担当であるスワン先生が優しく微笑んでくれる。
先生は私と同じように髪を二つの三つ編みにしてるけど、長さは胸の下まであるし色は綺麗な金色で、身体の前側に流してあるのがちょっとオトナだ。レベッカは「そうかあ?」って言ってたけど。
二十代前半と先生方の中では若くて、身に付けてるのは白いカチューシャや落ち着いた色合いの長いシフォンスカート。アーモンド形の目と茶色の瞳は、いつもちょっぴり自信なさげだ。
「フルードさんなら、落ち着いて解けば大丈夫ですよ。」
「はい!ありがとうございます。」
スワン先生にお礼を言って職員室を出る。
先生は魔法学の初級も担当してて、貴族の子供達なんかは「平民に教わりたくない」と内心反発してる人もいるみたい。何で内心かっていうと、思い切り反発したって担当の先生は変わらないから、真面目にやらなければそれだけ自分の成績が下がるだけだから。
あと、隣国の王女様……第一王女殿下、が真面目にスワン先生の授業を受けてるのも、一年生の貴族が表立って態度を悪くしない理由の一つみたい。
名前もわからない子がヒソヒソ言うのを聞いちゃったけど、「肩書だけとはいえ王女様が受けてるのに、下級貴族が文句は言えない」とかなんとか。肩書だけなんて、本人がいない場とはいえ失礼なんじゃないのかな…。
シャロン達は中級以上だから、どうしても魔法学では離れてしまう。
時々、レオがいないのを見計らったかのように貴族の子達に絡まれる事があった。言ってる事は最近あまり近付いてこない《あの三人》と一緒。「何で平民が殿下達と」とか「邪魔」とか。
きちんと礼儀正しく話しかけたら、殿下達は邪険にしたりしない。ちゃんと話してくれる。
ついそう言ったらハッとしてくれた人もいるけど、ほとんどの人は怒らせてしまった。
後から考えてみれば、貴族の人に向かって平民が「ダメな話しかけ方をしたんでしょう」、なんて言ってると思われかねないセリフだよね。怒らせるのは当たり前だ。シャロンがいつも「言い方や仕草で受け取られ方が変わる」って教えてくれてるのに。
あの時は六人くらいに詰め寄られてさすがに怖かった。
けど、同じ初級を受けてる王女殿下がツカツカやってきて、「騒がしい」「一人相手にみっともない」「その様子では確かに礼儀を忘れている」とか何とか――滝のように汗を流しながら――言ってくれて。
従者の人が促したら皆そそくさとどこか行って、私は王女殿下にお礼を言ったけど目を合わせてはくれなかった。「っとと通るのに邪魔だっただけですわ!」だって。これまで全然話した事はなかったけど、たぶん良い人なんだなと思った。
「ふぅ……。」
職員室に行ったのは初めてだったから、なんだか緊張しちゃった。
一階に降りてからほっと息を吐く。手に持ったままでいたノートや教科書を鞄に入れて、せっかくだから寮に戻る前にどこか寄ろうかな、と考える。
そういえばウィルフレッド様が、調べ物をしないとってお昼に言ってた。図書室にいるかもしれない。
サディアス様も一緒だろうか、彼は放課後には時々自習室にいるみたいだけど。アベル様は剣術のイメージがある、訓練場で会えるかも。
『では見てみましょうか、貴女がかのお方と近付けるように――…』
あれ?
そういえば、シャロンに伝えてすっかり満足していたけど……
『放課後、どこかへ寄ろうと思った時は……図書室へ行くと良いでしょう。』
アベル様と仲良くなるにはどうしたらって聞いたら、そう言われたんだった。
放課後にどこか寄ろうと思った時って、もしかして今?
『あそこは広いですから、見つけられるかどうか、話を許されるかどうかは貴女次第です。』
どうしようかな。
さっき中庭でチェスターさんを見かけたし、温室に行ってじっくり薬草の見分けを復習するのも良いかもしれない。
【 どこへ行こう? 】
私は――…図書室に来てみた。
三階層ぶんあって目が回りそうなくらい広くて、一生かかっても読み切れないんじゃないかって程の本がある。シャロンが言うには、王都の街にある王立図書館の方が沢山あるらしい。
私は街まで行かないけど、レオはちょっとした日銭での頼まれ事とか走り込み?とかで街に行っていた。王立図書館を見た事があるか聞いてみたら、「小さい城みてーなとこ」だって。
横で聞いてたレベッカが「あたしらより《お本様》のが良いトコ住んでんだよな」なんてニヤッと笑っていた。ふふ……いけない、思い出し笑いしたら変な子だと思われるよね。
既に図書室にいた何人かが、私から目をそらしたりそのままジロジロ見たりしている。
相変わらずこの真っ白な髪は目立つし、瞳の色がわかるくらいの距離だと赤い目にも驚いたり引いたりされる。憎々しげに睨んでくる人達は見た目というより、平民の私がシャロン達と仲良しなのが気に入らないんだろう。
顔を上げて歩くと相手がちゃんと見えるから、自分を見る人がどういうつもりなのか何となくわかるようになっていた。お友達でも知り合いでもなくたって、私をチラと見て「あぁ、あの子か」くらいで、気まずさも怯えもなくただ視線を戻すだけの人とか。
そう、私の髪がどんな色とか関係なく「そこを通ったから見た」の。
向けられる視線の全部が全部、この白髪に対するものじゃない……もっと早く気付けばよかったのに。
――う~ん、来てみたのは良いけど何を読もう。ウィルフレッド様達はいるのかな?
私はそもそも、どこにどんな本があるか覚えてるわけじゃない。
フラフラ歩いて気になる物があったら読んでみようと、なんとなく一つ階段を上がった。受付カウンターがある分、入口の階は人目が多い気がしたから。
「おかしいですわね…絶対にこの辺りに……」
上級生かな?
シャツの袖がフリフリひらひらと長い、キツめの顔立ちをしたお嬢様らしき人が目を細めて何か……ううん、下を見ないって事は誰かを探してるみたい。あちこちの本棚の影から女の子が出てきて、「いらっしゃいませんわ!」とその子に報告している。
なんだか捜索部隊めいてて、読書スペースに座ってる生徒達はちょっと迷惑そう。
私は嫌な予感がした。
この階層の途中までは歩いてきたけど、奥まで行こうとしたらあの人達のところを通る。今はローブを着てないからフードもかぶれない。見つかったら嫌な反応をされる気がする。
もしかしたらあの子達は奥の階段から他の階に行くかな?
それなら進んでも平気なはずだけど、ずっとここを探すなら私が引き返して別の階に行こうか。
【 どうしようかな? 】
リーダーっぽい子は少しずつ奥へ歩いてるし、こっちには来ないか。
私はあんまり目立たないよう、大人数用の読書テーブル沿いの幅が広い通路じゃなくて、端っこの本棚沿いを進んだ。ところどころ四人席の読書テーブルが置かれてて、目立ちたくない生徒は本を選んだらそういう席へ行く。
「奥にはいらっしゃらないです。階段も使われていない模様!」
「まぁ……ではもう一度改めましょうか。」
あれ?いつの間にこれほどあの人達に近付いていたんだろう。
いくつか本棚を挟んだ先ではあるけど、思った以上に声が近い。本棚の裏にでも隠れてようか…
「徹底的に!覗き込むだけでなく裏まで回り込み、お探しするのです!」
「「「はっ!」」」
駄目みたい。
……よく考えたら、たとえ嫌な反応をされたって、別にコソコソする必要は
「ウィルフレッド殿下ぁ~?うふふふ、どこですの~?お姿を見せてくださらないと寂しいですぅ」
うわあああ!あの子が探してるのウィルフレッド様だ!
これは絶対に見つかっちゃ駄目なやつ!何せ、王子様を狙ってるご令嬢は大体が私を嫌ってる。彼を見失ったんだろう状況で私を見たら、どんな言いがかりをつけられるかわかったものじゃない。
どうしよう。顔が青ざめて冷や汗をかいてくる。
「カレン」
ウィルフレッド様の声!
今声を出しちゃ駄目だよ、と咄嗟に人差し指を唇にあてて見回したけど、誰もいない。
数歩先に小さな読書スペースがあって、そこから声がしたような気はしたけど――つい、一歩二歩進んで止まる。やっぱり誰もいないよね。
私は混乱のあまり幻聴を?
「カレン、椅子に座って。早く!」
幻聴じゃない!
この辺りに椅子といえば読書スペースだけだ、ご令嬢の仲間だろう足音が聞こえてくる。私は急いでテーブルを挟んで二席ずつ並んだうち、奥の椅子へと滑り込んだ。
「シッ。静かに」
いいい息が止まるかと思った!!
絶対にいなかったはずのウィルフレッド様が、机の向かい側の椅子から身を乗り出して手のひらを私に向けている。彼の青い瞳は真剣に通路を見ていた。つられて私もそっちを見る。
これは、光の……膜?
私とウィルフレッド様を守るように、きらきらした薄い光の膜みたいなものがあった。
タタタ、と図書室内なのに走ってきた女の子が、じろじろと机の下や本棚の裏を眺めてから去っていく。「いらっしゃらないです~」という声が遠ざかっていった。
どれくらいの時間だったんだろう、お互いそのまま固まってしばらく、私はいつもより近いウィルフレッド様に緊張する。
全然こっちを見ずに警戒を続けてるけど、普段はシャロンからどういう時は何歩分くらい距離を取っておくと良いわ、って聞いてその通りにしてるから、えっと!近くに誰もいないからまるで二人きりみたいで、その!ただただ緊張する!
やがてウィルフレッド様がため息をついて椅子に座った。光の膜が消え、解放されたような笑顔が眩しい。……下町育ちにはちょっと眩しいよ!
「巻き込んで悪かった、カレン。」
「ううん、大丈夫……あの人から隠れてたの?」
どぎまぎしながら小声で聞くと、彼女は三年生の侯爵令嬢らしい。
王都にいた頃も取り巻…お友達と一緒にウィルフレッド様を追い回し、捕まると取り囲まれて徐々に輪を狭められて、とにかく触ろうとしてくる……えっ?酔っ払いの話かな。貴族のご令嬢、なんだよね?
……触ろうとしてくるって何!?
「それは……怖いよね。」
割と深刻な話じゃないかな。
ちょっと眉を顰めて返すと、ウィルフレッド様は苦笑いした。数年前まではあの子も王都にいたから、パーティーとかで会う事があったみたい。止めても断っても近付いてくるのはさすがに護衛の騎士さんが許さなくて、強制的に退場させられていく姿を何度か見送ったらしい。
そんな話を聞いていいのか戸惑ったけど、貴族の中では割と有名な話だとか。
「彼女達は話を聞かないと俺も学んでいるから、囲まれない内に逃げている。度が過ぎれば本格的にどうにかせざるをえないと、忠告はしているんだが……ま、隠れるくらいは良いだろう。読書中の生徒には申し訳なかったが。」
「さっきのはやっぱり、魔法なの?」
「あぁ。俺は《光》が最適だからね。あれくらいはお手の物だ」
ウィルフレッド様はちょっぴり悪戯っぽく笑う。
彼女達はサディアス様やアベル様がいる時は寄って来ないから、今日は久々だったみたい。
「何ですってぇえ!!」
下の階から金切声がして、つい「うわっ」と声が出ちゃった。
ウィルフレッド様の青い瞳が丸くなって階段のある方向を見やり、私と目を合わせてから呆れた顔で首を横に振る。さっきのお嬢様の声だった。何か喚き散らしてるみたいだけど、早口だし距離があって、何を言ってるか聞き取れない。
「司書か誰かに注意されたのだろう。」
「すごい声……」
「ふふ、彼女はあれで花瓶を割った事があるよ。」
「え?」
「たまに起きるんだ。一説では声によって振動が……」
……難しくてよくわからないけど、とにかく、あの人が叫ぶと花瓶が勝手に倒れる事があるらしい。ある意味、すごい。
通路から誰か来たみたいで、その誰かを見たウィルフレッド様が微笑んで軽く手を上げる。
シャロンかな?と思いながら通路へ目をやると、
「二人共、こんな所で何をしてるのかな。」
私とウィルフレッド様を見て、アベル様はなぜか冷たい声で言い放った。




