315.ジャッキーの王都生活
偽シャロンことジャッキー・クレヴァリーは疲れていた。
神殿都市サトモスでの騒がしい夜以降、襲撃には遭っていない。
王都に到着した後も護衛を続けている騎士ロイ・ダルトンによれば、あの襲撃によって敵方は護衛についた騎士の面子を把握し、誘拐にしろ処分にしろ簡単にいかないレベルの警護だと理解したのだろうという話だった。
とはいえ護衛の騎士は、憤怒の表情をしたシャロンの父アーチャー公爵や、母であるディアドラ夫人のなんだか怖い笑顔、年老いた割におっかなそうな執事の鋭い眼光、目が燃えてるかと思う程こちらを睨みつけるオレンジ髪の侍女などからは守ってくれない。
ジャッキーは長いお説教や、難しい単語の並ぶ金銭関連の契約内容を右耳から左耳へ流し、「聞いているか」の問いには「はい」と答え、「では今の内容を言ってみろ」と言われては「はい」と答え、説教が延長されるなどしていた。
護衛のロイは堪えきれずにしょっちゅう「ンッフフフフ」と笑う。憎たらしい奴である。
ただ、外見含めてシャロンの真似をしてみせた時は水を打ったように部屋が静まり返った。
ジャッキーは薄く微笑んだまま一度瞬きし、もう一度ゆっくり瞬きながら不思議そうにほんの僅かだけ目を見開き、小さく首を傾げる。どうしたの、と言外に聞くように。ちょっぴり笑みを深めるのも大事だ。
正直、化粧も演技も被害者三人とデートした時より完璧に気合を入れた。
何せ家族と使用人が相手だ、細かい差をごまかすための魔法もよくよく調整した。声色もばっちり。
やがて公爵がぽつりと、「大事になる前でよかった」と呟いた。
未だジャッキー本人の認識は弱いが、綿密に計画を立て情報を与えられる司令塔がいれば、彼の演技力は本当に危険だったのだ。
ヤッターと笑顔ではしゃぎかけたのも束の間、あれよあれよという間に国王夫妻にまで披露する事になりジャッキーは白目を剥いた。誰がそこまでの大舞台を望んだというのか。「たまたま都合が空いてた」じゃない。国王の都合がちょうど良く空くなと声を大にして言いたかった。さすがに言えなかったけれど。
案の定、ジャッキーは途中で失神した。
騎士団本部の拘置所で目が覚め、護衛ロイの第一声が「失禁しなくてよかったです」である。ひど過ぎるが、確かに玉座の間でそんな事をしたら金どころか首が飛びそうだとジャッキーは震えた。
ちなみに国王夫妻は「すごい」と言っていたらしい。証言したのはロイなので、本当かどうかちょっと怪しいものだ。
そこでジャッキーはシャロン・アーチャーが国王夫妻とも知り合いだとようやく気付き、自分はすごい人を真似てしまったのだなぁ、と今更ながら遠い目になった。
そこから騎士団による、「お前…馬鹿やったな……」という雰囲気がぷんぷん漂う事情聴取が始まる。
何せ公爵令嬢になり替わり貴族子息を騙す事になったのだ。
どこで誰に何を言ってどうしてどこへ行って何を買わせて…という事を、「俺ちゃんそこまで覚えてねぇよぉ!」と何度も泣き叫びながら懇切丁寧に絞られる事となった。
被害者三人の事情聴取内容もキチッとリラの騎士団から届いていたため、ジャッキーが覚えていないところはそれによって補完されている。
事情聴取がない時間は檻の中で自由かと思いきや、学園に戻る日のためにアーチャー公爵家が親切にも教師を用意していた。
ジャッキーは勉強が嫌いである。
いつか本当にシャロンの替え玉を演じるかもしれない、あるいは公爵家の依頼で誰か他の貴人を演じるかもしれない、そんな理由で姿勢指導まで入った。授業中に姿勢が悪いと即座に怒られるのだ。
「無理だぁああ!ロイさん代わってくれない!?」
「ンフッフフ、その方が無理でしょう。いっそ一日中、誰か姿勢の良い方を真似てみては?」
「えぇ?…………、天才?」
希望が見えたのも一瞬で、苦手な勉強をしながらではさすがに集中がもたなかった。人生そう上手くはいかないのだ。
そんな日々を送り、ジャッキーが学園を出てから既に半月ほどが経過した。
とうとう《あのおっさん》に会う事になり、事情を知る一部の騎士と共に、彼がいるという取調室に到着する。
ジャッキーだけは目隠しと耳栓をして風の魔法で運ばれたため、騎士団本部を出発してから東西南北どうやって来たのだかもうさっぱりわからない。浮遊感に慣れずちょっとグロッキーにもなった。
「君は以前会った男が、これから見る男と同一人物かを確認してください。喋るのは部屋を出てから。それまでは決して喋らず、黙っているように。」
「りょーかいです。」
未だにその男の名も知らぬまま取調室に入る。
騎士の一人は男と話すけれど、ジャッキーとロイはもう一人の騎士が発動させた姿を消す魔法の内側だ。ジャッキーは気付いていないが、防音の魔法も施されている。年相応に落ち着きのない彼はあまり信用がなく、足音を消す事もできないからだ。
長机の前に四十代ほどの男性が座っている。
最初に入室した騎士は挨拶を交わしながら向かいの椅子を引き、腰かけた。
「体調はいかがですか。少しお痩せになりましたが」
「大丈夫です。痩せたのは酒と脂でしょう、むしろ健康ですよ。」
黒水晶の手枷をした男――ダスティン・オークスは、そう言って苦笑した。
明るい茶髪をツーブロックに刈り上げ顎髭も清潔に整えてあるが、誤魔化し切れないほどに頬がこけて疲れた印象を与えている。それでも茶目っ気の残る灰色の瞳には活力が残っていて、目元に浮かんだクマも一時期よりはマシになっていた。
「同じ事を何度も聞くようで恐縮ですが、今日は…」
存外、ジャッキーが本当に静かな事にロイは少し驚く。
見た瞬間に「そーそー!こいつだよ!」とか、「俺ちゃんが見た時より痩せてっけどぉ、」などと話し出してしまうだろうと思っていた。
「――……。」
ジャッキー・クレヴァリーは、やや見開いた目をじっとダスティンに向けている。
普段めくるめく表情を見せる彼が、笑みも憂いもなくただそこにいる人間を観察していた。瞬きの回数が明らかに少ない。かつて爪を噛む癖があったのを止めさせられたのか、視線はダスティンに固定したまま、唇に触れないギリギリで親指と中指の爪をこすっている。
やがて別室に移動してソファを勧められるまで、ジャッキーは一言も話さなかった。
「俺ちゃん、何か試されてんの?」
いかがでしたかと問われた返しがそれだ。
太い三つ編みにして胸の前へ垂らした髪を指先でいじりながら、ジャッキーはぺろ、と唇を湿らせて続ける。
「なんか……違う。今のは。」
「どうしてそう思われましたか?」
「えーと、ガワは確かにあのおっさんが痩せた感じだけど……猫かぶってるにしてもマジで色々違う。片っ端から喋っていいの?」
ロイは記録係がペンを構えたのを確認してから「どうぞ」と言った。
ジャッキーは瞳を壁に向け、半端に立てた人差し指を動かしながら羅列していく。
「あのおっさんをやるなら、身体はあんなシャンと真っ直ぐじゃない。前か後ろどっちにかに少し傾けて左肩ちょい下げ。顎はもうちょっぴし突き出して、目はあんなに開かない。手で髪を直すのは浅く三本指じゃなくて深く四本指だし、テーブルに置くのは腕の中間じゃなくて肘まで。両手を組んだ時の親指は右手が上ね。声はもう少し低めでやや枯れ、あんな爽やかに喋んない。抑揚も違う……えーと例えば、あ~ちょっと極端につけるよ?「なかなか良い」って言う時は「なぁかなか」じゃなくて「んなかなか」。そんであれじゃ笑い方が上品過ぎる。こうじゃなくて、こう。」
人差し指を自分の口角に向け、ジャッキーは薄く口を開けて笑ってみせてから、ぐいっと片側だけ笑みを深めて歯を見せた。挑発的に歪んだ目と眉を見て、記録係の騎士がハッとする。幾度か立ち会った「もう一人のダスティン・オークス」の笑い方によく似ていたのだ。
元から医師による二重人格の診断はあったものの、ジャッキーが把握した各人格の微妙な差は騎士団長への報告書だけでなく、ダスティンの処罰を精査するための参考意見として使われる事となる。
そして彼にとっては幸いと言える事に、複数人に「成りすまし」できる自分が何をさせられる予定だったのか、彼はシャロン達に話した以上の情報を持たなかった。
ジャッキーほど変装・変声精度の高い人間も珍しい。
騎士団長ティム・クロムウェルは、彼を今のうちに見つけられて幸いだったとつくづく思った。隠れたままでは一体何が起きていたかわからない。ダスティン以外にも彼に目をつけて利用しようとする輩が出たはずだ。
能力はかなり魅力的だが頭が駄目。
そこが直らない限りは公爵家か騎士団が監視すべきだろう。借金と事件のせいで既にアーチャー公爵に手綱を握られてしまったが、シャロン嬢は騎士団に入る道も示したという。何がなんでも公爵家の私兵に取り込みたいわけではないようだ。
ティムは今後の成長をひとまず静観する事にした。
「月末か、来月の初めには学園へ戻れますよ。」
「俺ちゃんそれまでもつかなぁ~……萎れて干からびそう。」
ロイが励ますように言ったが、ジャッキーは勉強道具が広がった机に突っ伏している。
公爵家から寄越された教師の課題に取り組んでいたものの、集中が切れたのだ。明日までに指定のページまでやっておかないと、平民差別はしないが贔屓もしない教師連中が黙っていない。
「ロイさんもリラの詰所に戻んの?」
「おや、言っていませんでしたか。私は神殿都市の詰所から来たのですよ。」
「え!そうなの。じゃあそこでお別れ?」
「学園まではお供させて頂きます。」
「そっか~……」
半月も毎日一緒にいればジャッキーもだいぶロイに慣れたが、学園に戻ってからは会う機会もなさそうだ。一生会わないかもしれない。ジャッキーは王都でも神殿都市でもない、小さな町の出身だった。
――あ、でも俺ちゃんが卒業してあの町に戻るかどうかって、シャロン様とか公爵様次第なのか?学園にいる内は金返せないし、あの町で稼げる額なんて大した事ないもんなぁ。
机から身を起こして振り返ると、騎士は相変わらずきちんと立って控えている。
百九十センチ超えているらしい背丈、瞳が全然見えない、まるでずっと瞑ってるかのような細目。肩につく長さの薄緑の髪は、前髪を後ろへ流してハーフアップにしている。
体格は騎士らしくしっかりとした力強さが見て取れるものの、髭の跡もない綺麗な肌と柔和な微笑みのせいか男臭さはあまり感じなかった。
「どうしました?」
「んーん。ロイさんはでか過ぎて真似できねぇなって。」
「声ならいかがですか。」
「ン゛ンッ、《こんな感じでしょうか?》」
「フフ」
ジャッキーが思うに、ロイ・ダルトンという男は常に余裕があって、楽しい事が好きで、人を揶揄うのも割と好きだ。
平民の少年一人を延々警護するなど面倒で退屈で、騎士の中には不名誉に思う者もいるだろうに、彼は決して不満そうな顔をしない。それどころか適度に話し相手になってくれるし、移動中に平民嫌いの貴族を見かけると近付かないよう教えてくれたり、それとなく自分の身体で相手の視線を遮ってくれる。
「ロイさん、優しいってよく言われない?気さくに喋ってくれて俺ちゃんは嬉しいけど、騎士団ってそういう感じでも出世できんの?」
勉強机に目を戻したジャッキーが尋ねると、ロイはまた可笑しそうに息を漏らした。彼は本当によく笑う。
「私としてはさほど興味ないのですが、出世はしている方ですよ。」
「へぇ……神殿都市って、配属先としてエリートなの?」
「いえ、私は元々王都の騎士団本部所属です。サトモスは希望して異動しましたが、それもあと数年、期間限定の話です。」
「王都いたんだ!じゃあ今回は俺ちゃんと違って「帰ってきた」って感じかぁ。こっちいた頃はどんな仕事してたの?」
「近衛です。」
「コノエ?」
ジャッキーは身体ごと傾いて首を傾げた。
それは確か、王族をすぐ傍で守る騎士達の呼び名ではなかったか。平民である自分を守っているロイがそんな事をしていたわけがないと、つい振り返る。ロイは変わらず笑っていた。
「第二王子アベル殿下の護衛騎士をしております。卒業なさったら、お傍に戻るまで。」
すっかり油断した顔をしていたジャッキーは、言葉の意味を噛みしめながらゆっくりと真顔になる。何を考えて微笑んでいるのかわからないロイを見つめ、静かに言った。
「俺ちゃんの居眠りとかサボろうとした事とか、言いつけないでくれますか……。」
「フフフ、それはどうでしょう。」




