313.殿方って不思議
「殿下」
ぷしゅううう。
そんな効果音がわたくしの頭から出ております。
「殿下、そろそろ溶けるのやめてもらっていいですか。」
テーブルに豊かな頬をぺっとりとつけたわたくし。溶ける、とはよく言ったものですわね。確かに頭はのぼせて身体は脱力の極み、これは溶けています。
わたくしは溶けるという技術を身に付けました。タンタラララーン♪ラ~ラ~ラ
「俺だけケーキ食べますよ。」
「そんなっ!」
あまりに酷い一言!がばりと起き上がったわたくしにメニューを渡し、ラウルはわたくしの扇子を勝手に使って風を送ってくれました。あぁ涼しい。
「わたくしコレにしますわ。レモンケーキ」
「承知致しました。俺はスコーンを頂いても?」
「よくってよ。お好きになさいな」
「ありがとうございます。」
食堂の貴族フロアで個室を使う場合、職員を呼んでお料理を持ってきてもらいます。
ラウルが注文をしている間わたくしはぷにりと頬杖をついて、先ほどの醜態をついつい思い返してはため息をつくのでした。
今日はなんと――なんと、シャロン様がわたくしを誘ってくださったのです!
いえ、お声がけ頂いたのは週明けの話なのですが、ウィルフレッド殿下がサロンで意見交換会を兼ねた勉強会を開くという事で、それが今日だったのです。
主に貴族の子供達が集まったもので、チェスター様やサディたん、コホン……サディアス様もいらして、それはそれは面倒そうに絶対零度の作り笑いで見知らぬご令嬢達の相手をされていました。アベル殿下はいませんでしたが。
どうなったかおわかりいただけるでしょう、えぇ、意見交換?勉強?
――わたくしの不得意分野ですわーっ!!!
皆様の会話に入ろうにもサッパリわからない単語や数字、あれがああなってこうなるかも、しかし殿下!我が父はこう考えております!そう言うけれど、こちらの実績を見れば君の言う事は云々かんぬん。
オホホホホホ!わかりませんわーっ!!
シャロン様が懸命にわたくしがほんのりと答えられそうな話題を振ってくださっても、わたくしときたら緊張とパンクした頭で妙ちきりんな回答をするばかり!
ホワイト先生が昨日の植物学で見せてくれたお花……えぇと?あ、カモミーユ……はい、そうでしたわね!えぇシャロン様、鴨スープは濃厚な味わいが最高でした!なんてね!
「誰かわたくしを殺してーっ!」
「ケーキきましたよ。」
「まぁ美味しそう!レモンの香りが爽やかで!」
「あのお嬢様も、殿下がここまでバ……頭が弱いとは、思わなかったんでしょうね。」
「話題を逸らすのか直球ストレートを投げるのかどっちかにしてちょうだい!」
辛辣な従者に文句を言いながらフォークを握ります。
淡い黄色がいかにもレモンレモンなおケーキ。嬉しいので丁寧に「お」をつけます。おケーキ。んま~~柔らかい!くちどけが!酸味が!
「美味しいですわ~!幸せ!」
「よかったですね、殿下。」
「でも本当にサロンでは最悪でしたわ……」
ちょっぴり振り返るだけでも地の底に気分が落ちてしまいそうです。
……いえ、口の中が幸せなので地の底までは行かないわね。ごめんあそばせ、底よりはちょっと浮いておきます。ロズリーヌ・浮遊・バルニエですわ。
「あんまり悲観しなくていいんじゃないですか?ヘデラの事聞かれた時はちゃんと喋れてましたよ。」
「まぁ、そうだったかしら?だとしたら記憶が抜けていますわね。」
「第二王子殿下は肉料理と甘菓子を押し付けてくる悪魔だとか、剣を持たせると必ずへっぴり腰になるとか。」
「お兄様、お許しを。」
レモンケーキをもう一口ぱくんと含んでから両手を組んで祈ります。
きっと許してくださいますわね、可愛いわたくしがちょっぴり口を滑らせた程度ですもの。お兄様は剣ではなく棍棒派なのです。剣はダメダメなのに鈍器を持たせると勇気が出てくるらしいのですわ。殿方って不思議。
ラウルも「事実ですしね」と呑気にクロテッドクリームをスコーンに塗り付けています。明日はわたくしもスコーンにしようかしら…なんて言ったら走り込みを追加されるかもしれない。
未だダイエットは継続中ですが、やっぱりティータイムにデザートをとってしまうせいか、落ちにくい段階にきたのか、自国にいた頃よりも減り幅が小さくなりました。
「大人しそうなご令嬢からはシノレネの花について聞かれてましたよ。」
「あぁ……我が国が原産だとホワイト先生が仰ってましたわね。結構前ですけれど。大人しそうな方というと?」
首をひねりました。
緊張していたせいか、シャロン様達ゲームのキャラクター以外はあんまりお顔を覚えていないのです。
どなたかと話すサディアス様が美しい作り笑いをしているのは、睫毛の角度から髪一本の影に至るまで覚えているのですが。えぇ何せ飽きるほど、いいえ飽きませんので時を忘れるほど立ち絵を眺めて過ごしていましたから、前世のわたくし。
本当に笑っている時と作り笑いとでちゃあんと差分がございました。ふふ。
「銀髪でポソポソ喋る子ですよ。結構美人だったでしょう、覚えてませんか。」
「そういえば、雪の妖精が途中わたくしに話しかけてきたような……あれは白昼夢ではなく現実だった……?わたくし、何と答えていたの?」
「シノレネは確かに綺麗です。けれどホワイト先生が仰った通り危険な物ですから、貴女のか弱い手には毒になりましょう……というような事を。」
「意外とマトモですのね。」
「ふっ――…それ、ご自分で言います?」
ラウルが肩を揺らして笑うなんて珍しい。
まぁどの道シノレネの入手ルートなど存じませんから、それでよろしいでしょう。お兄様やお父様に我儘を言ったら「仕方ないなぁ」と送られてきそうですけれど。
……あら?もしかしてお兄様達って割と危険人物なのでは。
わたくしの為なら本当に何でもしそうですからね。けれどツイーディア王国では禁止品ですから、検閲で止められてわたくしが欲しがった事がバレてお縄で退学に!危険ですわ。銀髪の美少女には要注意……心のメモに書き留めておきましょう。
「殿下達がいるのに、その方はよく堂々と聞いてきましたわね?」
「皆様ご歓談…と言うべきか、少なくとも数人ずつに囲まれてお話し中でしたので。あの小声程度では聞こえていないでしょう。ご令嬢も一応、鑑賞用にはできないのかという体でした。」
「ふむぅ……」
それらしく手を顎にむにりとあててみますが、その方が本心でおっしゃってるかどうかなんてわたくしにはわかりませんわね。
「ま、サディアス様や皆様のご尊顔を堪能できましたし、よしとしましょう。」
「……殿下は本当にお好きですよね。サディアス・ニクソン様。」
「えぇえぇ、今日もわたくしともお話ししてくださって…」
「あれ、作り笑いでしょう。」
「そうでしょうね、初対面がアレでしたもの。サディアス様はわたくしがお嫌いなはず。」
たとえ新生ロズリーヌになっていても、彼の嫌がる無礼講を沢山踏み抜いたわたくしですもの。アベル殿下への失礼を許せないでしょうし、マナーのなっていない汚い食べ姿を披露しました。
それはいくら新しいわたくしを見て頂いたって、記憶には強く残っているはず。
「何であんなのに惚れたんです。」
驚いて、ぱっちりと目を見開いてしまいました。
ほれた?わたくしが、サディアス様に??
キョトンとしますがラウルは真剣に聞いたようで、わたくしの反応に少し苛立ったように眉をしかめています。これはいけませんわね。落ち着いて、ゆっくり言い聞かせなくては。
「よろしいですか、ラウル。推しに恋するか、憧れるか、どんな形であれ幸せを望むのか、望まないのか、そして自分を見てほしいか、愛してほしいか、見守る壁になりたいか、障害の壁になりたいか……ラウル、そこには沢山、それはもうたっっくさんの形があるのですわ。推しがいる、イコール推しと恋人になりたい結婚したいかと言われたら、答えは人によりけりなんですの。むしろ推しと推しにくっついてほしい、そんな欲望だってあるのです。ですからわたくしがたとえサディたん、ゴホンゲフン、サディアス様を推していようと好きだと言おうと、そこにあるのはただ《尊い》――…その気持ちなのです。わかりますか。」
まぁなぜかしら、桃色の瞳がすっかり色あせて、いえ、白けて見えますわね。
ムッと寄っていた眉も解放されて今は呆れモード…いいえ?ドあるいは超呆れモードですわね。
「………、はあ。」
返事になんとやる気のこもっていないこと!無礼ッ!!
ンンッ、と咳払いしてわたくしは続けます。
「わたくし個人としては、推しには幸せになって頂きたい。いえ、推しだけでなく皆様すべて。貴方もですわよ、ラウル。嫌なこともつらい事もあるのが人生ですけれど、それでもね……遊んで、学んで、美味しいものを食べて、珍味にびっくりして、笑って、よく寝るのです。」
時には喧嘩したり落ち込んだりという事もあるでしょう。
そういうのも全部、みんなみんな乗り越えて生きてほしい。
「そうしていつかは好きな人を見つけて、恋をしたりしなかったり、愛する人と添い遂げたり自由に生きたりして、死ぬ時には「あぁ良い人生だった」と、そう思ってほしいんですの。」
サディアス様が、カレンちゃんに選ばれるのかはわかりませんが……
選ばれなかったとしても、誰か素敵な女性と共に心穏やかに――というのはきっと宰相になる彼には難しいかもしれませんが――過ごしてほしい。
「……ほんと、変わりましたね。」
いつの間にやら頬杖をつく不敬を働きながら、ラウルは片眉を上げて言いました。ゆるくウェーブした緑色の髪が柔らかく揺れます。
「前の貴女なら、他人に対してそんな事は絶対に言わなかった。」
「えぇ、わたくし生まれ変わりましたもの。新生ロズリーヌですわ!」
腰に手をあて胸を張ってみせると、ラウルが笑う。
貴方は貴方で、だいぶ変わったと思いますけれどね!何匹か猫をかぶってたのね!
「さぁさ、ともあれ来月は不審者げっちゅー作戦致しますわよ。」
「夜に外壁近くを偵察しようってお話でしたか。本気です?」
「張り込むのです、ラウル。たとえ睡眠時間を犠牲にしようとも……」
「見回りに捕まらなきゃいいですけど。」
うっ、それは御免こうむりたいですわね。下手をすると退学?いえ道に迷いましたと言いましょう。
アロイスがカレンちゃんに会うイベントは邪魔したくありませんから、わたくし達はカレンちゃんが彼に会ったその後を狙います。
情報通のお助けキャラですもの、サディアス様に迫る危機について何か知っているかもしれません。
「狙うはカレンちゃんが抜け出す夜……!」
「いつなんです、それ。」
「………、頑張りますわよっ!えいえいおー!」
ラウルが肩をすくめたのが横目でわかりましたが、わたくしは構わず拳を天高く突き上げました。
すべては、推し達の幸せとわたくしの平穏な生活のためっ!




