311.兄弟というならば
シャロンの思考が追い付くより早く、アベルが即座に立ち上がり前に出ながら剣の柄を握った。押しのけた彼女のローブを掴んで引き上げ、半ば無理やり立たせるのも忘れない。
アベルは唐突な状況の変化に混乱しつつも警戒すべき相手を見据えたが、妙な既視感を覚えて眉を顰めた。
特務大臣エリオット・アーチャーに似た、金髪碧眼の若い男。
帝国の第一皇子ジークハルトに似た、白銀の長髪を一つに結った瞳の白い男。
――会った事がある。いつだ?草原?あぁそうだ、なぜ俺は忘れていた?
金色の瞳を見開く。
かつて一度だけ、シャロンの寝室でなぜか気絶してしまった時に。アベルは確かにこの男達に会ったのだ。その時はシャロンが持つネックレスに触れた直後の事で、きょとんとするシャロンがネックレスを手に持っていたため、改めてそれに触れてみた。
たった今まですっかり忘れていたが、そんな事があった。
「君は…そうか、ア」
「アメちゃんじゃないかっ!!」
何か言いかけた偽エリオットを押しのけ、翡翠色の髪の女が嬉々として駆けてくる。
後ろへ庇っていたシャロンが「大丈夫」と示すようにアベルの腕に触れ、隣に並んだ。抱きしめようとしたらしい女性の腕を上手く絡めとり、互いの両手のひらを合わせるようにして微笑む。
「こんばんは、ヒスイさん。」
「一週間振りくらいか?こんばんは!何でまた忘れてたんだろう、実はあいつらと仲良くなったんだ。一緒に旅をしてる。」
「まぁ、そうでしたか。■■■、こちらは――…」
アベルに女性を紹介しようとして、シャロンはその名を呼ぶべき時だけ声を奪われたかのようにはくりと唇を動かした。そうだった、とでも言いそうな顔で瞬き、言い直す。
「えぇと、第二王子殿下。こちらの女性はヒスイさんと呼ばせて頂いています。」
「王子だって!?妖精の国の!?」
「あっ、ヒスイさんそれはあの、ですから違うと…!」
ヒスイは目を輝かせてアベル達の制服姿を眺めた。
そんな彼女の格好は皺の寄ったシャツに擦れたズボン、見るからに履き古されたブーツで、旅人らしいボロのローブを羽織っている。
話を聞いていないヒスイへの説明を諦め、シャロンは続けてエリオットに似た金髪の男を手で指し示した。
「あちらはエルヴィス・レヴァイン様。」
「は?」
「そしてあちらがレイモンド・アーチャー様です。」
「■■■■、何を言ってる」
「声が出ないと思うので、私の事はアメと。」
「………。」
眉間に深く皺を刻み、アベルはにこやかなヒスイとニヤニヤしたレイモンド、警戒と気まずさの混じったエルヴィスを見やる。
シャロンの名を呼ぼうとしても声が出ないこと、恐らく妙な夢の中だということ、シャロンのスキルが原因ではという所まで推測した。
とりあえず来なよとはしゃぐヒスイに誘われ、二人は焚火を囲む仲間に入る。
「ハハ、柄を揃えた服とは仲の良い事だな。この前の上等なのはどうした?」
「そのあたりはサッパリわかりません…どうなっているのだか。」
シャロンは幾度か話した事のある相手なのか、レイモンドとごく自然に話している。
アベルはアーチャー公爵領カンデラ山で見た石像と目の前の三人を比べ、よく似ていると結論付けて頭痛がし始めた。今が一体どういう状況なのか不明だが、自分の頭を強引に納得させる。
――夢なら夢、仮説通りなら利用するまでだ。
「一つ伺いたいのですが、ご兄弟の皆様はどうされていますか。」
普通ならばエルヴィス・レヴァインに聞くべき事を、アベルはレイモンド・アーチャーに問いかけた。入学前に父から見せられた物を覚えているからだ。
「!貴様なぜ――」
「いい、エルヴィス。」
どうしてか剣を抜きかけたエルヴィスを、レイモンドは楽しそうな笑みを浮かべて止める。なぜそんな反応をされるのかアベルは疑問に思ったが、顔には出さなかった。
シャロンはアベルの質問が時期を特定するためと気付き、切り替えの速さに感心しながら成り行きを見守っている。
「余に兄弟が複数いると知っているか、なるほどやはり面白い。」
「なんだ、レイモンドの家は子沢山だったのか?」
「今は黙っててくれ、ヒスイ。君が加わると大体話が詰まる。」
「失礼だなぁ」
エルヴィスとヒスイが小声で交わすやり取りを無視し、レイモンドは鋭い歯を見せて笑った。特異な白い瞳に嫌悪が宿る。
「確かに余は五人の兄弟を持っていた。全員、とうに死んだがな。」
シャロンが口元に手をあてて目を見開き、アベルはぴくりと片眉を上げた。
横にエルヴィス・レヴァインがいるにも関わらず、レイモンドの兄弟は五人とも死んだという。
「アメよ、驚いているのか?くく、まさか余が兄弟思いだなどと伝わったか?」
「…それは……」
言い淀んだシャロンの返事を待たず、レイモンドはアベルを見据えた。
離れて座ったまま距離は変わらないのに、深く覗き込まれたような感覚に襲われる。それだけレイモンドの目には強い感情がこもっていた。
「――いいか、血の繋がりなどクソ食らえだ!!」
「レイモンド様!そのような事…」
「黙っていろエルヴィス、様をつけるなと言ったはずだ馬鹿が。」
「も、申し訳ありません…。」
苦虫を嚙み潰したような顔で謝罪するエルヴィスは、どうやら呼び捨てが不満らしい。
以前は普通に「レイモンド様」と呼ぶ事を許されていたはずだと、シャロンは不思議に思いつつレイモンドに視線を戻した。
「父も兄弟も愚かな役立たずでな、つまらん幼少期だった。兄弟というならお前の方がよほど余の兄弟であろう、エルヴィス?」
「な――…っ!」
エルヴィスは衝撃を受けたように僅か後ずさり、見開いた青い瞳が涙で潤んだ。堪えるようにグッと目を閉じ、指先で目尻を押さえる。
「こ、光栄です……ッ!ぐすっ…」
「貴様は第二王子だったか、兄がいるわけだな?」
「…はい。」
「血縁全てが悪とは言わん、相手と合うか否かだからな。そこに血の繋がりによる《絶対》など無い。親子だから信じる兄弟だから助け合う、それは世迷言よ。そいつがそいつだから信じ助けるだけだ。貴様のように迷いの無い目をした者なら、言うまでもなかったかもしれんがな。」
「いえ、お考えを聞ける事は嬉しく思います。」
動揺も忌避もなく返したアベルを見据え、レイモンドはにやりと笑う。
先ほどはあの白い瞳で凄まれた際に恐怖するか否かを見られたのだろうと、アベルは考えた。事前にジークハルトを知らなかったら、内心では僅かに動揺していたかもしれない。
「レイモンドも色々あったんだなぁ。」
ヒスイが腕組みをしてウンウンと頷いている。アベルは彼女の事もそれとなく観察していた。
ツイーディア王国ができる前、各地を平定する長き旅は、エルヴィス・レヴァインとレイモンド・アーチャーのもとに、月の女神が現れた事が始まりとされている。
つまり、彼女は。
「皆さんは旅をされているとの事でしたが、一体どちらへ?」
「よく聞いてくれた、アメちゃん。二人があたしの友達に会いたがるもんだから、とりあえず連れてくとこだよ。どうせ合流するつもりだったしね。」
「お友達ですか?」
「そ、アンジェっていうんだけど……あれ、そういえばアンジェは言えるんだな。」
あたしの名前は駄目なのになぁとヒスイが首を傾げた。
アベルは話を聞きながらふと眉を顰めて瞬き、片手をこめかみにあてる。何かがおかしい。
「■■■?っ、殿下。大丈夫ですか?」
隣に座っていた薄紫色の髪をした少女が、心配そうに腕に触れて顔を覗き込んできた。
彼女の事は知っているはずで、守らなければならない存在のはずだと、そう認識しているのに。アベルには彼女の事がまったくわからない。
――さっきまで、知っていたはずだ。どうなっている?
せめて関連する何かを思い出そうとして、青ざめる。
記憶が欠落している、否、今この瞬間にも消えているのだ。
「■■■」
唇が勝手に、兄の名を呼んだ。忘れるわけにはいかない人だ。少女もそうであったはずなのに、わからない。
このままではまずい、そう感じるが対処法が不明だ。アメと呼ばれていた少女が慌てた様子でヒスイに何か願っている。
「大丈夫っ!」
何の根拠もなさそうなただの大声を出し、ヒスイは少女とアベルの肩に触れた。
翡翠色の瞳が光り、真剣に二人を見つめる。
「君達は必ず帰れるよ。絶対……絶対だ。だって、」
願えば叶うんだから。
「う……っ、」
ズキリと頭が痛んで顔を顰め、アベルは目を開けた。薄暗い図書室が視界に入り、足の踵は階段の一番下の段にかかっている。
庇うように抱きしめていたシャロンの身体から手を離すと、まだ起きていないらしい彼女はアベルの胸に頬をつけたまま、ぴったりとくっつくように身じろいだ。密着したところは温かいが、服に隠れていない顔や手は少し寒いのだろう。
――何だ、この状況は。
まだ頭が回らないながら、五感はすぐに他者の気配や物音、振動がない事を確認する。
シャロンが乗っているところが温かく柔らかく花のような香りがしているけれど、一旦シャットアウトした。生きていて怪我の可能性が無ければそれでいい。
――そうだ、あの場所にシャロンが来て、階段を降りる途中に……
バランスを崩したシャロンを支えたはずだが、あり得ない事にアベルは支えきれなかったか足を踏み外したらしい。でなければ意識を飛ばした挙句、床に寝っ転がっているわけがない。
支えようとした瞬間から記憶がないのは、頭を打ったせいで直前の記憶が飛んだというところか。階段は残り数段だったはずなので、頭痛がするとはいえそうひどいものではないだろう。
アベルは自分の後頭部に触れてみた。予想通り、血も流れていないしこぶもできていない。無傷だった。
「ん……?」
アベルが動いた事で目が覚めたのだろう、シャロンがぼんやりした目で顔を上げた。ぱちぱちと瞬きしながら視線を泳がせ、すん、と無表情に自分を見るアベルと目が合って、一秒。
こぼれんばかりに目を見開いたシャロンの喉が、ひゅっと音を立てる。アベルは咄嗟に周囲へ防音の魔法を張った。
「きゃああああ!ご、ごめんなさい!わわわ私ッ、あ、今どっ、どくから……!」
「………。」
わたわたと膝立ちでシャロンが離れ、アベルは起き上がりながら内心納得した。かつて立場が逆で、自分が目覚めたらシャロンに覆いかぶさっていた時の事だ。
――あの時はコイツはなぜ冷静なのかと思ったものだが、なるほど先に起きていると動揺も少ない……とはいえ、自室の寝台の上はさすがに話が違うだろう。
どうして、何で、あれ?と赤い顔で繰り返すシャロンに、アベルは簡潔に経緯を話す。
シャロンも階段を降りる途中までは記憶を取り戻したようで、しゅんと肩を落として謝罪した。しきりにアベルの怪我を心配するので、無傷だときっぱり言っておく。
「とにかく寮に戻るぞ。日付が変わってる」
「はい…」
割れずに済んだランプをカウンターへ返却し、二人は急いで図書室を後にした。




