310.どの道不確定
八月に起きるオペラハウスでの襲撃、二月に起きる魔力暴走。
チェスター・オークスが知人の《先読み》持ちから聞いたという、未来の可能性。
シャロンにも伝えてあると言ったチェスターの言葉通り、彼女はすぐ真剣な眼差しになった。
「オペラハウスの件はどうとでもなる。問題は二月だ」
軽く顎に手をあて、アベルは目を細める。
まさか自分が誰かに殺される未来を読まれるとは思わなかったが、相手が魔力暴走したサディアスで、咄嗟にウィルフレッドを庇ったというなら納得はできた。
シャロンは不安げに胸元で手を握っている。
「サディアスに対して悪意があり、ロベリアに通じる者。希少な違法薬を作らせる事ができる者……心当たりはある。」
「っ!そうなの…?」
「だからお前は動くな。サディアスには飲食も本人宛に届く荷物も警戒させる。」
「えぇ、ありがとう……」
チェスターやシャロンが伝えるより、アベルに指示される方が断然サディアスも気を付けるだろう。シャロンは明らかにほっとした様子だったが、アベルはその「心当たり」が外れていた場合も考えねばならない。
サディアスでなくとも、《ジョーカー》が国内で使用される可能性がある時点で大問題なのだ。
――ただでさえ数か月前に暴走を起こしたばかりだ。サディアスは必要以上に気負うだろうが……やむを得ないな。ウィルを庇ったとしても、俺が避けられないとは。
それも、すぐにシャロンが消火と治癒を行ったらしいという。
であれば命に危険が及ぶ事はないはずだが、アベルは命を落とす未来がある――つまり、通常より速く、規模が大きく、瞬間的に致命傷に至るほどの火傷を負わせるもの。
サディアスに「アベルを殺す可能性がある」と教えるのはあまりに危険過ぎるため、本人に伝えるのは暴走の可能性に留めた。
盛られた薬とやらは魔力増強剤だろう、という想定はアベルも賛成だ。
かつ、事が起きるまでサディアス本人に気付かせないという特性。ジョーカーを疑うのも自然ではある。入手難度や、サディアス・ニクソンにそれを使うリスクを別で考えれば。
「あの、念のために……貴方とウィルに私の《お守り》を持ってもらいたいと思うのだけど。」
「……魔力を込めるのか。」
シャロンはしっかりと頷いた。
彼女が宝石に祈りを込めて魔力を注げば、それは攻撃魔法に対して自動で水の魔法を発動するお守りとなる。
「チェスターが言うには、ちょうどいいものをくれる人がいる、とか。」
「…だろうな。」
ウィルフレッドがあれやこれやと未だに悩んでいたのを思い出し、内心呆れつつアベルも頷いた。
「確かに良い手だ、万一があっても防げる。スピード勝負の場合は要検証だが。」
「サディアスに協力してもらおうかと思うわ。威力を調整してもらって、問題なく相殺できるかどうか……私のスキルだと言うかは別だけれど。」
珍しいスキルであればあるほど、安易に人に教えるべきではない。
特に、サディアス自身の意思ではないとはいえ、彼が起こす事なのだ。対抗手段を持つ人間が誰かは伏せておくべきだろう。
――《先読み》では、たまたま俺が死ぬところを見たのだろうが……幻覚と暴走が合わされば、狙いがどうなるかはわからない。他の者に当たる可能性もある。
揺らめくランプの炎を見つめながらアベルは思考した。
シャロンのスキルは信頼できる人間以外に公表するべきではない。彼女の本音ではカレン達にもお守りを持たせたいのだろうが、あくまで魔力暴走を未然に防ぐ事を前提にした上での、万一の備えだ。
提案通り、死ぬ可能性のあるアベルと、アベルが庇うらしいウィルフレッドの二人が持つべきだろう。
サディアスが暴走を起こせば炎が舞う。
それは城のボヤ騒ぎの真相を知らずとも誰もが予想できる事だ。敵の目的がサディアス自身の破滅と王子達への危害、どちらにあったか不明なのが口惜しい。《先読み》は万能ではないのだ。
検証のために直接サディアスの火槍を撃ってもらうというシャロンに、アベルは首を横に振った。
「守りの力の存在自体、できるだけ隠した方がいいだろう。」
「けれどもし、普通の火槍にすら負けてしまうのなら、意味が…」
「検証は俺がする。」
「貴方が?」
「サディアスに幾つか威力を調整したものを撃たせ、後で再現する。」
「………。」
シャロンはついまじまじとアベルを見つめてしまう。
人の魔法、それもサディアスのような天才が放つレベルのものを、再現など。かなり難しいはずなのに、アベルはまるで簡単な事のようにさらりと言った。
「……貴方ができると言ったら、できるのでしょうね。」
「最大かつ最速のものは、恐らくまだ見た事がないが……一番良いのは、最大出力より数段上のものを俺が撃てれば、暴走時の参考になるだろう。」
それができてしまうとアベルのとんでもなさにさらに磨きがかかる気がしたが、シャロンは「そうね」とだけ返した。
サディアスではなくアベルが検証に付き合ってくれるなら、お守りを作る時の祈り方や込める魔力量など、細かい調整も試す事ができるだろう。
「それで、《先読み》持ちの正体はまだ言う気がないのか?」
「――えぇ。」
油断していたところを突かれて少し目を見開いてしまったが、シャロンはきっぱりと言った。アベルもこれは問い詰めても無駄と悟り、小さく息を吐く。
「此度も検証はするが、先の件も含めてその者は報奨を受け取る気は無いんだな。」
「王子殿下がお二人共ご無事であるなら、それで良いそうよ。」
「確度が高いと認められれば、騎士団や王家での需要があると理解した上で、正体を隠すと。」
「高額で雇われたいのなら、報奨も断らないでしょう。」
「…もっともだな。」
金で釣られる気がない相手、正体を隠しておきたい相手であれば、無理やりに暴くと二度と協力を得られないかもしれない。
アベルがその目で相手を見た事がない以上、愛国心か王家への崇拝かただの善意か企みかは不明なのだ。相手の腹積もりもわからないまま、無償で情報提供を受ける事への警戒も当然のこと。
オークス公爵の件で信用させておいて、今回は本命の他の計画から目を逸らすための嘘かもしれない。チェスターとシャロンが上手く騙されている可能性も考慮しなければならない。
すぅと目を細めて視線を空中にやったアベルを見て、シャロンは焦りを感じる。チェスターとダンに明かしたように、彼にもシャロンが情報源だと言うべきか否かを迷った。
一年。
《学園編》の一年さえ乗り切れば、二月の事件さえ起きなければ、それでシャロンが知る可能性は全て消えるのだ。ウィルフレッドが死んでアベルが皇帝になる未来も、アベルが死んでウィルフレッドが自責に苛まれる未来も。
今ここで不審を持たれたくなかった。
それは未来の可能性を疑う事へ繋がり、万全の対応ではなくなってしまうかもしれない。
ランプの明かりに照らされるアベルの横顔を見つめながら、シャロンは言葉を、声色を、表情を選ぶ。
「信じられない?」
不安そうに窺い見るのではなく、落ち着いて問いかけた。
信じてほしいと懇願する眼差しではなく、私は信じていると告げる瞳で。アベルはそんなシャロンをちらと見やって言った。
「その信用に、君はどこまで賭けられる?」
「…命までです、殿下。」
シャロンはアベルを見下ろさないよう、足を引いて屈むようにしながら椅子を降りる。ローブのフードが無様にかぶさらぬよう手早く調整しながら一歩下がり、深く頭を下げて淑女の礼の姿勢を取った。
「アーチャー公爵が長女シャロンは、《先読み》をした者について嘘偽りも悪意も無い事を保証致します。」
数秒が経過する。
ほんの僅かにも揺らがない見事な礼をしばし見つめ、アベルは顔を上げる許可を出した。姿勢を正したシャロンにやや呆れの混じった目を向ける。
「命までとは大きく出たな。」
「それくらい信じられるという事よ。」
「そこまで言える相手とは、純粋に興味が湧いてくる。」
「貴方が、これから先もずっとウィルや私達と一緒にいると、そう確約してくれたら……教えられるかもしれないけれど?」
シャロンが考えた決め手だった。
そう言えばアベルは深追いしてこない。片やずっと明言を避けてきた件、片やシャロンが命を懸けても良いと言った件、それも教えられるかもときた。
「……まぁ、いい。」
ほらね、とシャロンは心の中で呟く。
アベルが兄であるウィルフレッドの王政を見据えているのは確かだが、その時の自身の立ち位置をどう描いているかはシャロンの知らない事だ。「貴方は騎士団長になるわ」と言ってみせた事もあるけれど、彼はそれを「悪くない」とは言ったけれど。
話は終わりだと告げるように、アベルは立ち上がった。
「寮まで送る。」
「貴方の用事は…」
「大体は目を通した。」
そう言いながら、アベルは風の魔法を使って分厚い本達をさっさと棚に戻していく。宣言という名の合図がないものだから、唐突に浮かび出した本にシャロンは小さく肩を揺らした。
二人はランプを一つずつ持って歩き出し、シャロンは部屋の入口付近で『二種の光』を棚に戻す。
「……女神がスキル持ちかどうか、だったか。」
アベルがぽつりと呟いた。
読んだ事があるのかとシャロンに尋ねられると、それは否定する。チェスターから伝え聞いた「太陽の女神様の治癒能力はスキルか否か」という話と、戻した棚の分野が神話学だった事からの推察だ。
「あの本の著者は、女神様は光の魔法を最適としたスキル持ちだろうと言うの。……それが知られていないのはきっと、六騎士が隠したからだとも。」
「神話学は妙な抜けが多いからな。女神の名や消息が伝わっていないのは明らかに意図的だ、そのように疑う者が出るのは仕方ない。」
「初代様達が隠したと思う?」
「なぜそうしたかはわからないが、当時を生きた誰かではあるだろう。」
「それは……そう、よね。」
最初から隠さないと、国のあちこちに残る女神伝説の全てから彼女達の名を消す事などできはしない。
絡繰りの扉を押し開けて、二人は厳重管理の区域を出た。
「治癒に特化したスキルが存在するなら、未来の私が持っていたという薬も探し方が変わるかしらと……」
「神話やその研究論文をどれだけ見ようと、女神本人に聞けるわけじゃない。どの道不確定で終わるなら、存在する前提で今を生きる人間を探した方が良い。薬を作れるにしても、スキルで生み出せるにしてもだ。」
過去の人間の手は借りられない。
そう言って、階段を一つ下がったアベルはシャロンに手を差し出した。
ぽつぽつと壁に設置された照明だけでは薄暗いが、二人分のランプが足元を明るく照らしてくれる。大人しく自分の手を重ねて階段を降りながら、シャロンは悩ましく眉根を寄せた。
「そんな特別なスキルを持った方、居たとしても隠されているのではないかしら。」
「保護か監視はされるだろうな。少なくとも王家にそんな薬は無いが。」
王家に献上されていないのであれば、やはりまだ存在自体していないのかもしれない。
シャロンは、魔塔や教会など、コッソリ隠していそうな組織の名前をぼんやり頭に思い描く。それでもやっぱり、隠し通すのは無理があるだろう。よく効く薬は富と名声をもたらし、存在を公表した方が組織にとって利があるからだ。
――女神様本人に聞けるわけじゃない。どの道不確定で終わる、か……アベルの言う通りだわ。
自分の手を支えてくれるアベルの横顔を見つめ、シャロンは少し気持ちが急いて空回ったかもしれない、と思った。もちろん、まったくの無駄ではなかったけれど。
――女神様に、当時を知る六騎士の皆様に、直接聞く事ができたら――…
「っ!?」
アベルは反射的に振り返った。
一瞬フラついたのかシャロンの身体が傾き、ランプの持ち手を離している。割れたら下手をすると火事だ。咄嗟に風の魔法でランプを置きつつ、彼女を支えるために腕を伸ばして足を踏み出し、
階段が消えた。
「は、っ!?」
木々の向こうに満天の星空、ぱちりと瞬いたシャロンが目を丸くして落ちてくる。そのまま受け止めるしかない。
僅かに浮いていたのかコンマ数秒後に足の踵が地面に着く、というより滑った。
二人の距離が近かったお陰で、アベルは問題なくシャロンを抱きかかえて仰向けに倒れ込む。彼女の「ひゃっ」という驚きの声はアベルの胸板に押しつけられてくぐもった。
「ご、ごめんなさい――」
慌てて上半身を起こしたシャロンは、周りが夜の森だと気付いて反射的に明るい方を見る。
パキ、と音を立てた焚火を囲み、男二人と女一人がこちらを見つめていた。
男の片方がニヤリと口角を吊り上げ、白い瞳を光らせる。
「なんだ、お楽しみ中か?アメ。」




