308.図書室にて
六月。
ゲームならカレンが私物を失くしたりするけれど、ロズリーヌ殿下が注意してくださったお陰だろうか、そういった事は起きずに済んだみたい。
先週は街の占いの館にレベッカとデイジー様の三人で行ったのだと、明るい笑顔で話してくれた。シナリオ上は一人で行ったはずだから、やっぱり少しずつ状況は変わっている。
「ふふ、それで何を占って頂いたの?」
ダンと別れて女子寮へ歩きながら聞いてみると、カレンはぽぽっと頬を赤らめた。可愛い。
「な、内緒…」
「まぁ。」
「別にそんな、大した事じゃないから…!」
この様子を見るに、どうやら授業の事ではなくて「気になる人について」聞いたみたいね。
もしかしたらアベルかも。
ジャッキーを捕まえた時の調査で一緒に行きたがったし、先週は誰もいない廊下で、二人は手を……。
角を曲がろうとして急に回れ右した私を、ダンがだいぶ訝しんでいたわね。とりあえず邪魔してはいけないと、急いで立ち去ったけれど。
気になる人について聞いたなら、今月後半に起きるデートイベントで訪れるべき場所を教わったはずだ。
放課後、学園内のどこに寄るかでそこにいる攻略対象と過ごす事ができる。
ウィルは図書室、アベルは訓練場、サディアスが自習室でチェスターが中庭といった具合に。
「そ、そんな事より、シャロンはもう図書室には行ってみた?」
カレンが一生懸命話題を変えようとしている。
占いの相談内容を無理に聞き出すつもりもなかったので、私はそれに乗って「もちろんよ」と微笑んだ。
王立図書館よりは当然小規模だけれど、校舎の一角を三階層全て使っている。カレンには目が回るような広さに見えている事でしょう。
初代学園長アンジェリカ・ドレーク様が所有していたとされる本とか、やや内容に問題があって王立図書館には納められなかった本など、王都では読めない物もあるはずだ。
「たくさん本があって、その、いいよね!とっても勉強になると思うなぁ…」
「そうね。気になる本もあるし、今週も時間を見つけて行ってみるつもり。」
「うんうん!」
グレン先生に教わった本を探さなければと考える。
急ぎではないけれど、禁書になりかけたならそう堂々とは置いてないわよね…。
一階でカレンと別れ、道すがら令嬢達と言葉を交わしながら自室へ戻る。
ジェニーから手紙が届いていたけれど、さすがにジャッキーの事は聞いてないみたい。左腕に麻痺が残ってしまった公爵夫人のために、マッサージの仕方を教わってジェニー自らやっていると書いてあった。何年も面倒をかけたから今度は自分の番、だそうで。
勉強で躓いているところの相談もあったので、返事を出す時にはわかりやすい参考書のタイトルと覚え方のコツを書いておきましょう。
女子寮の中でも、私やフェリシア様のいる西棟は貴族の娘達が入るところ。
担当職員も貴族の紹介で来た者から下位貴族の令嬢、城で侍女経験のあるご婦人が完全に引退する前にこちらで務めたりと様々だ。前者はここで令嬢に気に入られる事で引き抜かれる事もある。
というわけで、望めば湯浴みも着替えも手伝ってもらえる環境だ。
その分だけ支払いが増えるから、頼んでいる内容は人によって違う。
私は公爵家なので当然のようにフルセットで、最初の頃は、勉強や鍛錬に使いたい時間がマッサージなどに取られるという悩みもちょっぴりあった。こう言っては何だけれど、屋敷の侍女達の方が仕事は早い。
二か月ほど経った今では私もここでの生活に慣れ、工夫と調整の末に上手くやれている。
ちなみに学園の歴史で言えば、一時期は屋敷から侍女を連れてくる事も許されていたみたい。
その侍女達による窃盗だの何だのが問題になった結果廃止された。かくしてメリルは名も知れぬその侍女達を恨みながら屋敷に留まっている。
食事と湯浴みを終えて夜着になった私は、何の気なしにカーテンをめくって夜空を見上げた。ちょっと雲は浮いているけれど晴れだ。
深夜と呼ぶにはまだ数時間あるし、何よりまだ図書室は開いている。夕食の時間より後に校舎に行って、それも図書室を利用する生徒なんてよほどの勉強好きくらいだから、人もいないでしょう。
「……いっそ、今から行ってみようかしら。」
職員を通じて男子寮からダンを呼び出す事はできるけれど、それまで女子寮で待つとなると時間はかかってしまう。
私は手早く制服に着替え、愛剣もきちんと携えローブを羽織った。誰かに呼び止められると面倒なので、薄紫の髪を隠すためにフードをかぶる。チェスターと同じ《温度変化》を持つのだろう侍女が温風で乾かしてくれたので、湯浴みの後とはいえ髪は濡れていなかった。
夜風が涼しくて心地よい。
道は暗いけれど所々に明かりが灯っていて、うっかり転んでしまうような事はなかった。校舎を囲む屋根つきの外通路へ辿り着き、廊下の先、食堂の方から漏れる明かりを横目で見ながら図書室へ向かう。
「さすがに暗いわね……」
最低限の明かり、というところだ。
何せ広い上に三階分なので、階段も複数あるし読書スペースも大人数用から少人数用まで、あちこちに設置されている。
壁が本棚で埋め尽くされているのはもちろんのこと、レバーをくるくるして動かす可動式本棚もあれば、高いところの本は梯子か風の魔法を使わないと届かないし、図書室の地図だけで一冊の薄い本になっていた。分野しか載ってないのに。
受付カウンターに行くと、夜に訪れる生徒用にランプが用意されている。
自分で光の魔法を使っても良かったのだけど、本を探すのにどれくらいかかるか不明なので大人しくそれをお借りした。
目指す場所は最上階。風の魔法で行きたくなる……けれどこれも我慢!怪我をしたら危ないので。私はまだ、調子に乗れるほど風の魔法は上手くないのだ。誰もいないのに落ちて気絶したら洒落にならないわ。
地道に階段を上がり、限られた生徒しか入れない区域に足を踏み入れる。
ここは扉が絡繰りになっていて、公爵家と王家は入学時に解き方を教えてもらえる。後は先生の誰かから学園長に推薦して審査の上、許可を得た生徒のみだ。解き方は他言無用、破った場合は…という誓約書にサインもしなければならず、解き方は一年ごとに変わるらしい。
それ以外の生徒は司書に同行してもらう必要があるし、誰であろうとここの本は持ち出し禁止。
パタン、と扉を閉めた。
図書室内の一区域といったって公爵家のダンスホールくらいはあるから、一冊の本を探すには広い。
「………?」
遠く、通行用に設置された明かりとは別の光源が見えた。
誰か読書スペースに来ているみたい。先生か生徒かわからないけれど、ひとまず本を見つけないと。これだけの蔵書量だと、いくら分野ごとになってるとはいえ、ギリギリまで探しても見つからない可能性も……
そう思いながら適当に歩いた先に、普通に置いてあるとは、誰が思うだろうか。
ふと目をやった先に『二種の光』とカーラ・マッキンタイヤーの名が見えて、私は思わず足と一緒に思考も止まってしまった。
とても運がよかった、そう思いましょう。静かにその一冊を引っ張り出し、棚の位置を覚えておく。
わざわざ隠れるのも変な気がして、私はもう一つの明かりへ近付いていった。中央にどんと置かれた十人くらい座れそうな机ではなく、壁際に置かれた四人掛けの……
「アベル?」
囁くような小声で名前を呼んだ。
彼が目を閉じていたから。
「………。」
私が持っているのと同じランプを机に置いて、アベルは右腕に左のこめかみを乗せるようにして眠っている。
制服の上着は椅子の背にかけられ、誰も来ないと思ったのか外したネクタイが無造作に置かれた脇に、全部で二十冊くらいの分厚い本の山が小分けに積まれていた。
肘をついた左手の指先が右の首筋に食い込んでいる。……痛みを感じるほどではないのでしょうけれど、ちょっぴり眉も顰めているし……寝苦しい?上着を脱いでるから寒いとか。
『朝の五時過ぎにはもう完璧に整ってるの。なのに自主鍛錬とか会議とか諸々で深夜に寝る事もざらみたいだし…』
チェスターの言葉を思い返し、こんなところでうたた寝している事を踏まえて「もしや寝不足では」と考える。
これ以上眩しくならないよう自分のランプは通路へ置いて、私は着ていたローブを脱いだ。
アベルと共に涼しい室温に晒された上着より、こちらの方が温かいでしょう。そっとローブをかけても、私が隣の椅子に座っても、アベルは起きない。
『二種の光』をぱらりと開いて、数秒。
――いつものアベルなら隣に座るどころか、部屋に入ってきた時点で気付きそうだけれど?
ハッとして改めて観察する。どうやら高熱を出してるとか呼吸が苦しそうな様子はないみたい。
むしろいつの間にか指先に込めていた力も抜けて、眉も顰めていない。さっきはたまたま夢見が悪かっただけかしらと、ほっと安堵の息を吐いた。
……それにしても、全然起きないわね。
普段の鋭さを知っている分なんだか微笑ましくなって、つい頬が緩む。
少し癖のある黒髪に手を伸ばし、そうっと撫でた。クリスの銀髪より柔らかい気がする。
――貴方が、よく休めますように。
こうしているとなんだか胸の奥が温かくて、微かに手のひらまでも熱を帯びたように感じる。ずっと触れているわけにもいかないと、私は意識して開いた本へと視線を戻した。
第二王子殿下が起きるまで、しばしの護衛となりましょう。
さて。
それはそれとして『二種の光』の内容ね。
女神伝説をいくつも引用して著者による推論が書かれている。
光を伴う描写の多さから、二人の女神は光の属性を最適とする魔力持ちだったのではないか。
当時は魔力鑑定の風習もなく、鑑定石は魔力のあるなしを見る物でしかなかったから、彼女達の最適は不明という事になっている。
カーラ・マッキンタイヤーは、神話学で数多く登場する「光」の描写は希望を意味する比喩としてではなく、実際に光っていたというのだ。
太陽の女神と月の女神、どちらも光の魔法の使い手だったのだと。
そしてスキル持ちという観点での各伝説の検証。
剣が放つ光――つまり、反射光と読まれるのが普通だけどここでは何らかの光の魔法――によって、仲間達は鼓舞されそれまで以上の勢いで敵をなぎ倒す。
治癒の光――奇跡のような治癒力の比喩ではなく、光の属性を伴う魔法――によって、瞬く間に傷は治り心まで癒す。
心まで。
……太陽の女神の治癒は、精神状態も治した?
そう読めるのかもしれない。心を照らす…どの程度だろう。落ち込んでいた心を励ます?治療困難と言われる精神病すら治した?幻覚を見ている人の知覚は治せるのだろうか。
著者は、二人の女神が持つスキルは恐らく近代では未発見だと記す。
素晴らしい能力であり、仮に同じ力を持つ者が現れれば国宝ともなりうるだろうと。
だからこそ、六騎士の子孫からは隠さねばならない!
――そう、強い言葉で述べられている。
グレン先生が言っていた通り、この方は女神様達の功績を六人の騎士…王家と五公爵家が横取りしたように考えていたみたい。女神様達のスキルの詳細すら、彼らが隠してしまったのだと。だから知る事ができないのだと。
…これは確かに問題視されるわね。不敬だ。
ゲームで光の魔法と言えばもちろんウィルでしょう。
身体能力が高く、闇を最適とするラスボス――ジークハルト皇帝陛下に勝たねばならない。
メインヒーローという事もあってか、ウィルのルートではカレンも力を全て出しきれているような描写だった。
心から互いを信じ、希望を胸に未来を見据えて困難を打ち砕く。
愛の力でパワーアップというやつね。
けれど……カレンの能力で体は鈍り魔法が弱まっても、ウィルの全力の攻撃魔法を食らっても、それでもなお、ジークハルト陛下は倒れなかった。まとめていた髪は解け、血を吐きながらも彼は笑う。
ウィルが望んだ和平を拒否し、
同盟国へ攻め込み全て蹂躙し、
愚かな王だと嘲笑っていた彼。
天候が味方しなければカレン達は勝てなかった。
ウィルは何とか彼を倒したけれど、その表情は決して晴れやかなものではなく。ずっと「アベルが王であれば」と言っていた相手が、最期にウィルを認めてくれるわけでもない。
アベルはいない。
サディアスも、チェスターも、シャロンも、レオも、皆死んだ世界。
この首を掲げれば帝国軍は退き戦争は終わる、そうわかっていてもウィルは青ざめた顔で立ち尽くしていた。
そんな彼を見つめていたカレンが、どさりと倒れて。
暗くなっていく視界の中、彼女は自分を呼ぶウィルの声を聞く。駆けてくる足音を聞く。
これで私達の戦いは終わったのだと、彼が守りたかった《国》を守れたのだと思いながら、安堵する。
【 ツイーディア王国の物語は続く。 】
【 王の血を継ぐ者が、生きている限り。 】




