304.お師匠様はどんな人
もう五月も終わる。
図書室から一階に降りて校舎の外通路へ出たところで、私は真っ直ぐ道が伸びた先の正門を見つめた。レオと二人であそこをくぐってからもう二か月近く経ったなんて、なんだかあっという間だったな……。
放課後になると、後ろで二つの三つ編みにしていた髪もちょっとほどけてしまう。風がぱらぱらと私の白い髪を流していた。
特に最近はシャロンの偽物騒動があったから、私も頭を悩ませてみたりして時間の流れが早く感じた。勉強がおろそかになっている自覚がある。ちゃんと復習しておかないと。
皆といると、いかに自分の頭が平凡か思い知らされる気がする。
貴族の子供は何年も前から勉強が始まってるそうだから、比べるのも変だとわかっているけど……私が入学したのは、バーナビーが――ううん、ウィルフレッド様が国の制度を教えてくれたから。あの日皆に出会えたからだ。
慣れない護身術も、勉強も、魔法だって、できるだけ頑張りたい。
そんな事を考えていたら、誰かと少しお話しできないかと思ってしまった。
今日も授業で顔を合わせたのになと、なんだか寂しがり屋みたいに思えて少し恥ずかしい。無意識に芝生を見ながら髪留めを触っていた。シャロンが勇気をくれて買った、花のヘアピン。毎日じゃないけど、時々つけてみたりしている。
どうしよう、誰かに会えるかな……アベル様は見つかると思えないし、サディアス様もまだまだ私一人に時間を取ってくれるとは思えない。
【 誰を探しに行こうかな? 】
きっと訓練場にいるんじゃないか――そう思って歩いてたら、目を瞑って口をあけっぱにしたレオが、木陰のベンチで背もたれにぐったりと寄りかかって空を仰いでいた。
たぶん暑いんだろう、横にはくしゃっと置かれた上着があるし、ズボンのポケットからネクタイが顔を覗かせている。シャツは二個もボタンが開いてて、適当に着替えたのか裾がはみ出ていた。水を浴びてきたのか焦げ茶色の髪も濡れてる。
珍しくバンダナまで外してて……声をかけるのをちょっと躊躇った。でもどうせ近付いたらバレちゃうよと自分に言って、口を開く。
「レオ。」
「んぁ……おー、カレン!」
私を見ると、レオはいつもみたくニカッと笑って軽く手を振った。バンダナがないせいで前髪がおでこに下りてて、変な感じ。
食堂に誘おうかと思ってたけどやめて、上着ひとつぶん離れて横に座った。
「訓練場の帰り?なんだかいつもより疲れてるね。」
「そう、そーなんだよ!アベル様が相手してくれてさぁ!!」
パッと顔を輝かせたレオは身振り手振りしながら早口に話し始める。
あの立ち回りがどうとか、全然目が追い付かなくてとか、てんで敵わなかったけど本当に楽しくてとか。要は惨敗だったって事なのに、目をきらきらさせて熱く語る様子を見ていると私までつられて笑ってしまう。
「本ッ当にあの人はすげぇ!師匠には怒られちまったけどさ、俺、一年遅れで入学して良かったと思う。でなきゃいくら野良試合受けてもらえたって、アベル様より早く卒業しちまうし。」
「騎士になれたら、お城で会えるんじゃないの?」
「騎士が王子様と試合できるかよ!――いや、アベル様なら許してくれっかもだけどさ。レナ……師匠に、「騎士団本部入ったら毎日殿下と戦えんのか?」って聞いたら、めちゃくちゃ怖い顔で「そんなわけないでしょう」って言われた。」
「そりゃ毎日は無理だよ!」
がっくりしてるレオにほとんど反射的に突っ込みを入れた。
騎士団はとっても沢山の人がいるって聞くし、そんな中で王子様の時間を一人の騎士との訓練に裂けるはずない。それくらい私だってわかるよ!
わかる………。
【 何か聞いてみようかな? 】
駄目か~、なんて言いながら腕を組むレオを、ちらりと見た。
早くバンダナつけてくれないかな。おでこが見えてるのも前髪が下りてるのも、心なしかいつもより年上っぽく見えて落ち着かない。私は膝の上に置いた手を意味もなくもぞもぞさせた。
「……レオのお師匠様って、レナっていうの?」
「え?あー、そういや俺も師匠も名前がレで始まるな!」
そうじゃないよ!
と言いそうだったのをごくりと飲み込んだ。よく考えたらレオやシャロンが受けてる剣術中級クラスの先生は女の人だし、シャロンに最初からムキムキの男の人がつくとは考えにくい。
「えっと、何歳くらい?」
「去年三十だから、今年で三十一歳だな。」
「へぇ……」
中級クラスの先生よりは全然若い。十八、ううん十七歳上だ。親子ほど……うーん、親子でもおかしくはない、くらいの……
「そういやダンに聞いたんだけど、シャロンの母ちゃんって師匠の事《レナちゃん》とか呼んでるらしいんだよ……俺からしたら信じらんねーけど。」
「れ、レナちゃん……?」
「おう。つってもさ、騎士団の副団長だぜ?ちゃん付けは――」
「ふ副団長なの!?」
「んっ!?お、おう。言ってなかったか?」
「言ってないよ!」
レオは首を傾げながらフタを開けた水筒を傾ける。
まさかそんなにすごい人だなんて…あ、でも副団長だったら
「団長さんの恋人だったりするの?」
「ぶはっ!げほっげほげほ!」
「うわぁ!」
「な、ッ何でそうなるんだよ!!んなわけないだろ!?」
レオの前をちょうど誰も歩いてなくてよかった。
とりあえず「ごめん」と言いながら、私は咳き込んでるレオの背中をさする。苦しかったのか話題のせいなのか、レオの顔がちょっと赤い。
「はぁ、はぁ……た、確かに師匠はまだ結婚してないみたいだけどさ。」
「ふーん…」
「どうしたんだよ、カレン。何か気になんのか?」
「そういうわけじゃないけど、シャロンの師匠でもあるんだよね?どんな人かなって……美人さん?」
「美人……」
レオは考え込むみたいに首をひねった。即答はしないんだ。
もしかして、私が思ってるよりムキムキしてるんだろうか。何せ副団長だから、その辺の男の人よりも男らしいのかもしれない。
身長がホワイト先生より高く、シャツのボタンがはちきれんばかりに筋肉を盛り上がらせた、顔の掘りがすごく深くなってもはや別人のレベッカが頭の中で笑っている――やめよう。
「俺はよくわかんねぇけど、美人なんじゃね?近所のおばちゃんとかは大体そう言ってたし、シャロンとこの若い侍女?さんも――…まぁ、何人か師匠を見てたし。メリルさんはそうでもなかったけど」
「そうなんだ……メリルさんは確か、シャロンの専属なんだっけ。」
「おう。シャロンとやる時は絶対一緒に庭に来てた。」
「……じゃあレオは、シャロンと、お師匠様と、メリルさんに囲まれてたんだ。」
「楽しかったな。師匠はそりゃいっつもは来れないけどさ、シャロンとやりあって疲れたら喋って、菓子もうまくて、ちょくちょくクリスとも遊んで…」
デレデレと頬を緩めるレオを、私はなんとなく冷たい目で見た。
可愛いシャロンや美人のお姉様達と一緒にお茶を楽しんでたんだ。ふぅん。弟のクリス君とも仲良くなって。へぇ。それはきっと、あの広場で私と食べるご飯より全然、楽しかったんだろうな…。
「……カエルみてーになってるぞ。どうした?」
「なんでもない。ちょっと用事思い出したから、私もう行くね。」
「おう、またな!」
「…うん。」
私は素っ気なく言ったのにそんな無邪気に笑われると、毒気を抜かれるというか。少し肩を落として校舎へ入った。
ほとんど人がいない廊下を歩きながら、ふとヘアピンを買った日の事を思い出す。
立ち止まってお財布の中から一枚のカードを取り出した。雑貨店の前で会った不思議なお姉さんがくれた、《占いの館》の地図が書かれたカードだ。
『もし興味があればいらしてくださいね。将来のこと、気になるお相手のことでも、少しばかり先がわかるかもしれませんよ。』
先にお財布だけ鞄にしまって、カードを眺める。
レオは将来騎士になる夢のために頑張ってて、それはきっと絶対に叶う。私は将来どうなるんだろう、どうするんだろう。まだ一年生だし、全然焦ったりはしていないけど……。
週末、こっそり行ってみようかな。
あれ?営業時間が書いてない。おかしいなと思って表と裏をくるくる見返していたら、手から滑り落ちてしまった。
「あっ。」
軽いものだから、すーっと滑るように離れた場所へ落ちる。拾わなきゃ、と思った私の代わりにそれを拾ったのは、いつの間にか前から歩いて来てたらしいアベル様だった。
レオに付き合ってくれたのが何十分前かわからないけど、階段のある方から来たって事は図書室に行ってたのかな。ここは二階から四階までが図書室で、最上階は立入禁止のはずだから。
本当にアベル様は神出鬼没だなと思いながら手を伸ばす。
「ありがとう。」
周りに誰もいなかったから、ございます、までは言わなかった。
カードを受け取るだけのつもりが、焦ってアベル様の手にも触っちゃって心の中で悲鳴を上げる。しかもビックリしたせいで数秒、そのまま固まってしまった。そんなの余計に駄目なのに。
私の手にカードを軽く押し付けるようにして、アベル様の手が離れる。
そこでようやくハッとした。
「ごごごごめんなさ、」
「わざとじゃないのはわかるし、この程度で罰したりしない。」
「うん、あの…拾ってくれてありがとう。」
二人で話すのは街でジャッキーを見つけた日以来。
今頃は王都の騎士団で事情を聞かれているだろうかと、シャロンそっくりに化けていた彼を思い出す。そして、目の前のアベル様は当然、騎士団をよく知ってるって事も。
「さっきも聞いた。じゃあね」
「あ、待って…」
私の口が勝手に喋ったせいで、立ち去ろうとしたアベル様が振り返る。
どうしよう!アベル様に聞いてみようかなって安易に考えて、口が先走って、でも王子様に聞くほどだろうか。シャロンに聞いた方がよかったんじゃ…。
「何かな。」
「えっと……」
うぅ。つい引き留めちゃったけどやっぱり何でもないです、と言うよりはいっそ聞いてしまおう。
「レ…シャロンの、剣術のお師匠様は騎士団の副団長さんだって聞いたんですけど、本当?」
「本当だけど、何でそんな事を?」
「何って事はなくて、えと…どんな人なのかなと……。」
「名はレナルド・ベインズ。在学時は――」
「え?」
教えてくれようとしたアベル様を遮る失礼をしてしまう。
怪訝にじろりと私を見る目がちょっぴり怖いけど、でも、でも!
「れ、レナさんじゃないの?」
「……誰にどう聞いたか知らないけど、ベインズ卿の名前はレナルドで合ってるよ。ここに居た頃は生徒会で副会長をやっていたはずだから、彼についての簡単な情報は卒業生名鑑でも読める。」
ぽかんと口を開けてしまった。
アベル様が「何だその顔は」みたいに眉を顰めて、ハッとする。えっと、あの、なんて意味のない言葉が勝手に出て。
「……レオを、怒ってきます。」
それしか言えなかった。
あんまりな結果に頭はパンクしそうで、顔は熱いからきっと真っ赤になってて。
「…僕に言う必要はないし、好きにしたら。」
ごもっともな事を言われて、私は一生懸命走った。




