302.用法用量を守って ◆
フェリシア様達と別れて、私はダンと一緒に食堂へ入った。
以前カレンに詰め寄っていたらしい、あの三人の令嬢が出てきたのが遠目に見えたから。彼女達がもし、ゲームに出てきた令嬢ABCだとしたら……少し嫌な予感がする。
先週は情報集めで色々な方達と話してみたけれど、その中でロズリーヌ殿下の噂も少し聞く事になった。どうやら最近、殿下には仲良くしている三人組がいるようだと。
視界の隅にいる雑草になる、なんて仰っていたあの日から、時折殿下には日常のご挨拶はさせて頂いている。
いつも緊張したように起立の姿勢で、暑そうに顔を赤らめだらだらと汗を流し、挙動不審に目を泳がせながらも――私ってそんなにプレッシャーを放っているのかしら――少しだけ話す間柄にはなれた。
ゲームと違って害はないように見える、ロズリーヌ殿下。
「お嬢、いたぞ。テラスだ」
「ありがとう」
小声で教えてくれたダンにお礼を言って、そちらを見る。
ウィル達と食事をとるのとは違う、個室ではない開放的なテラス席にロズリーヌ殿下はいた。従者のデカルトさんがトレイに乗せたティーセットを持ってきて、殿下の隣に座る。
今ちょうどテーブルについたところ、にしては殿下の方は既にお茶菓子も減って見えた。
――少なくとも、今すぐに席を立つ様子はないわね。
ちょうど良い機会、そう考えて私達も喫茶メニューから適当に選んでトレイに乗せる。それはダンがまとめて持ってくれた。
近付いてくる私達に気付いたデカルトさんが殿下に声をかけ、お茶菓子を口に運んだところだったらしい殿下が私を見る。
「こんにち――」
「ぇほッ!!げほげほげほ!ゴホッ、けふっごほぉ!!」
まんまるに目を見開いたロズリーヌ殿下は盛大に噎せてしまった。デカルトさんに背中を擦ってもらいながら苦しそうにしている。…悪い事をしてしまったかしら。
「……申し訳ありません。驚かせてしまって…」
「いっ…え、げほっごほっ、いいえ!かふっ、こひゅっ」
本当に申し訳ない。
もう少しゆっくり……遠目からちょっとずつ顔を覗かせて近付くべきだった?いえ、それはどんなホラーなの。
「げほっ…げほ、はぁ、はあ。すみませんシャロン様、わ、わたくしに何か……」
「今こちらへ来たところなのです。もしよろしければご一緒しても構いませんか?」
「わわわわたくしとですか!?もも、もちろん構いまめんっ!」
「ありがとうございます。」
痛そうに口元を押さえる殿下に気付かないフリをして、私達は同じテーブルにお邪魔する事にした。
王女殿下相手では本来ダンは後ろで控え立つものだけれど、デカルトさんも堂々と座っているのと殿下のこれまでの様子を鑑みて、同席が良いと判断する。こちらだけ畏まっては余計に緊張されてしまうでしょうし。
「昨日もお騒がせしてしまって…」
「驚きましたわ!本当にあの彼、シャロン様にそっくりで……こんな事あっ――るのかしらと。じ、事情もそれとなく聞いたんですのよ、ラウルを通じて。ねぇ?」
「はい。先週に中庭で起きた騒動から、それがあのような真実をもって誤解だと知れ渡った所まで。」
「そうでしたか…殿下のお耳に入ったのであれば、誤解という事が伝わっていてよかったです。」
心から安堵して微笑んだ。
ロズリーヌ殿下はゲームよりずっと好意的だけれど、行動が読めない。誤解のまま何かよくない方に行っていたらまずい、という気持ちもあったのだ。
大変でしたわね、本当に。と眉を下げておられる様子を見るに、問題なく伝わっているみたい。
「シャロン様がそんな事をするわけがありませんもの。先程もね、噂を楽しんでいた者達にわたくし、ちょっとピシリと言ってやりましたわ。」
「まぁ…」
「あ!決してその怒鳴ったりテーブルをね、叩いて喚くような事はしていません事よ?あくまで穏やかに!そうでしたわね、ラウル?」
「はい。殿下は、自分達の醜い顔をよく見ろと鏡を――」
「それは貴方が勝手にしていた事ですわよね!?」
何をしれっと人に押し付けているのだと、殿下はこぼれんばかりに目を見開いてデカルトさんに詰め寄っている。
相変わらずコントのようなお二人だわ……思わず笑ってしまう私の横で、ダンも小さく肩をすくめた。デカルトさんはきっと、殿下の緊張をほぐそうとしているのだろう。…たぶん。
殿下がちょっぴり疲れた顔でこちらに視線を戻したので、聞いてみる。
「もしかして――その方達は三人おられましたか?」
「え?えぇ…ま、まさか会ったんですの?あの子達何か…」
「食堂から出ていくところを見かけただけですので、話してはいません。…ペイス伯爵令嬢達、なのですね。」
「……ご不快でしょうと思い、貴女に言う気はなかったのですけれど…えぇ。シャロン様とご友人達に何かしたら黙っていませんわと、そのように。」
「…お気遣い頂き感謝いたします、殿下。」
「そ、そんな。わたくしは別に……」
余計な疑いをかけてしまったわね。
殿下はあの三人と組むどころか、止めてくださった。恥ずかしそうに目をそらして謙遜するロズリーヌ殿下に、私は内心驚きながらも反省した。
この方は本当に、あのロズリーヌとは違うのだ。
ゲームでは令嬢ABCと共にカレンに嫌がらせをして、学園編の途中で強制退場となる。
そして未来編のカレンが「そういえばあの王女様はどうしてるんだろう」と考えた時、画面が切り替わって鉄格子の奥から叫ぶ姿が写るのだ。
『退屈で仕方ないですわーっ!ちょっと貴方!何か持ってきなさいな!それかさっさとここから出してちょうだい!!』
鉄格子を揺する音も入っていて、看守が沈黙を返すところまでで終わり。あの王女様は相変わらずだな、とプレイヤーに思わせるだけのシーンだ。
なぜ卒業から数年経った未来編で彼女が牢にいるのか、それは語られていなかった。
前世の私は気にも留めていなかったけれど……カレンに対してゲームの中でやった事だけなら、ツイーディア王国の法律でその結果は考えづらい。
一体何があったのだろう。今のロズリーヌ殿下ならきっと、同じ事は起きないとはいえ…。
「そ、それよりもシャロン様?」
「はい、殿下。」
「ハワゥッ!ぎゃわ……」
…何の鳴き真似かしら。
殿下はギュッと目を閉じて胸を押さえている。むしろ心臓発作かと一瞬疑うけれど、デカルトさんのしらっとした顔を見るに、気にしなくて良いようね。
「すみません、スーッ……大丈夫ですわ。それよりも、そう。わたくし……シャロン様、ア……えふん。ウィルフレッド殿下達と仲がよろしいでしょう。気になる殿方がいたりするんですの?」
「…よき友人と思って頂けるように、努力しております。」
「そうなんですの……」
あら?
殿下がどういうおつもりでも、当たり障りない回答のはずだけれど……ものすごい勢いで落ち込んでいらっしゃる……!ど、どういう事なの…?
ロズリーヌ殿下の目はしょぼしょぼと縮み、懐かしの梅干しでもかじったかのように唇をすぼめ、ドンヨリと肩を落としている。
もしや同級生との恋愛話をお望みだった?この反応であれば、殿下はウィル達にそういうつもりがないという事?それならサディアスをよく見ているのは何なのだろう。
「殿下、そうしわくちゃになると困らせますよ。」
「誰がしわくちゃですかっ!」
よかった、復活されたわ。……デカルトさんも結構言うわね、本当に……。
「で、でもでもですわ。休日にたとえばほら、殿方と二人で過ごす事とかないんですの?」
「――偶然、お会いする他はないかもしれませんね。ただそれも、基本的に私はこちらのダンと共におりますので、難しいかと。」
「そう……」
殿下はまたしょんぼりとしたけれど、何かひらめいたようにパッと薄青色の瞳を輝かせた。
わかっていますわ、とばかり深く頷いている。
……私、アベルといる所を見られたりしていないわよね?
雑貨店の前に殿下達はいなかったし、店内にも他の客はいなかった。喫茶店の路地裏でアベルが魔法を解いてから、入店して別れるまでの間でどこかにいらっしゃった?顔は隠していたつもりだし、見た覚えはないけれど……う~ん。あの時ばかりは、カレンの可愛さに周囲への警戒を怠ってしまったかも。
なんて、顔に出す事はできないので微笑み固定だ。
殿下は何に納得して頷いたのかわからない。胸の前で両手を組んで祈り出してしまった。
「偶然お会いできたなら、それが何かの芽生えになるかもしれませんわね……これから先、シャロン様によりよい偶然がありますように。」
「ありがとうございます……?」
殿下が目を閉じておられるのをいい事に、ついこてんと首を傾げる。
デカルトさんがフッと笑った。
「うちの殿下は変わってるので、摂取するのは一週間に一度とかが良いですよ。」
「摂取って何ですの摂取って!!」
すぐにロズリーヌ殿下がツッコミを入れていたけれど、デカルトさんのその笑顔はいつもより柔らかくて。
もしかしたら、彼はやっと少しだけこちらを信用したのかもしれないと――…そう思った。
◇ ◇ ◇
『退屈で仕方ないですわーっ!』
太ましい腕を振り回してロズリーヌが叫ぶ。
高級な絨毯に清潔に整えられたベッド、ふかふかのクッションが置かれた椅子にティーセットが揃ったテーブル。真っ平らな石壁には不釣り合いに豪勢な絵画が飾られている。
『ちょっと貴方!何か持ってきなさいな!それかさっさとここから出してちょうだい!!』
ガタガタと鉄格子を揺するロズリーヌの視線の先、護衛の兵士は彼女に背を向けたまま、何を言われようと沈黙を続けていた。
悪態をつきながら暴れても彼は反応しないし、調度品を壊したら自分が困るという事くらい、ロズリーヌはとうに理解している。荒々しく地団駄を踏んでから、椅子にギシリと腰かけた。
『何なんですの!わたくしの言葉がわからないような愚図しかいないなんて!!』
衣食住に困る事はないけれど、ここは娯楽が少ない。
美味しいお菓子も食事も運ばれてくるけれど、望めば本や楽器は届くし装飾品だって貰えるけれど、外へ行く事がとにかく許されなかった。
ゴンゴン、と部屋の扉がノックされ、兵士が動く。
扉を開けて誰かと話し、兵士はそのまま出て行った。代わりに誰か来たらしい足音に、ロズリーヌは言葉が通じる者だといいわねと思いながら、ふてくされた顔でそちらを見る。
目を見開いた。
『貴方!!――まあまあまあ!!!ようやく国の者に会えましたわ!!』
『ご無沙汰しております、殿下。婚儀の見送り以来でしょうか。』
緩く癖のついた緑色の髪、果実のような桃色の瞳に色気のある微笑み。
ヘデラ王国にいた頃、ロズリーヌが好んで連れていた従者だ。名前は知らない。鉄格子の隙間から手を差し出せば、彼は跪いて恭しく甲にキスを落とした。
『立ちなさい、わたくしを迎えに来たのでしょう?旦那様もやっと里帰りの許可をくださったのね!』
『いいえ、許されたのは私がここを訪れる許可だけです。』
『…なんですって?』
『かの方は変わらず、至高の宝である貴女様を腕の中に閉じ込めておきたいご様子。けれど殿下があまりに故郷を想ってくださるので、嫉妬の心を押さえて、従者であった私ならばと。』
『はぁ。本ッ当に困った方ですわね!わたくしを深く愛してしまうのはわかるけれど――』
彼は知っていた。
これからゆっくりと、この王女への貢ぎ物は減っていく。
食事も、お菓子も、装飾品も、贅沢は消え最低限に変わっていく。
自分がこの役目を任されたのは不満の解消のためだ。矛先を変えるためだ。捌け口のためだ。
『学園であんな事にさえならなければ、この結婚を蹴る事だってできたでしょうに!わからず屋ばっかりのせいで、わたくしは退学などと…!あぁもう、何でこんな事に!』
毎日ではないと言っても、正直面倒だった。
この騒がしい女が少しでも静かにならないかと考えていた。相手をしなければならないとはいえ、昔話をする気もない。
『殿下』
気まぐれ遊びのような、些細な気持ちで。
駄目で元々、そう唱えながら彼は。
『学園でどうして上手くいかなかったのか、一緒に考えてみますか?』
そんな事を言い出したのだった。




