301.王女の忠告
放課後。
ロズリーヌは食堂三階、貴族フロアのテラス席にいた。
薄青色の瞳はじっとテーブルのティーカップを見つめ、引き結ばれた唇はぷっくりと膨らんだ頬にめり込んでいるかのようだ。ゆるく巻かれたプラチナブロンドのポニーテールは穏やかな風に揺れ、細く整えた眉は少々顰められていた。
そんな彼女を、従者ラウル・デカルトは甘い桃色の瞳で見つめている。
緩く癖のついた緑髪は肩につかない長さで、年上らしく大人びた優しい微笑みは色っぽさもあり女子生徒に人気があった。
しかし今はその営業スマイルも控えめで、珍しく主と同じテーブルにつく事はなく、斜め後ろに控えるようにして立っている。
シャロン・アーチャー公爵令嬢の隣に突如現れた、彼女そっくりの少年。
あれはどういう事なんですのとロズリーヌが聞いても、野次馬達は関わりたくないのか言いにくいのか、顔をひきつらせて「知りません」といなくなってしまう。代わりにラウルが女子生徒を捕まえて聞いてみれば、あっさりわかった《三股疑惑》などという俗な話とその顛末。
「殿下、来ましたよ。」
ラウルの声に、ロズリーヌは視線を上げた。
食堂からテラス席へ歩いてきた三人の令嬢に向け、ラウルはにこりと歓迎の微笑みを見せて軽く一礼する。彼女達はロズリーヌの座るテーブルの前まで来ると、淑女の礼をもって挨拶した。
「…顔を上げなさい。」
顎と喉の間に少々贅肉を挟みながら、ロズリーヌが重々しく言う。
少し吊り目気味の少女、オリアーナは機嫌よさそうに口角を上げていた。
背中まで伸びた淡い緑色の髪はくるりとウェーブし、つんと尖った鼻が彼女の気の強さを表しているかのようだ。
左右にいる令嬢の一人、ブリアナは大きな垂れ目をしており、暗めの茶髪をツーサイドアップにしてリボンで結んでいる。もう一人は細身で赤みがかった茶髪をボブヘアに整えた令嬢、セアラ。
ロズリーヌが心の中でABCと呼んでいる三人組だ。
「――わたくし達を呼んでくださるなんて光栄です、第一王女殿下。」
三人の茶器が用意されていないテーブルを見て、オリアーナは「お招き頂いて」とは言わなかった。
ブリアナが後ろに控えるラウルと、いつもなら彼が座るだろう椅子とを交互に見る。入学以来堂々と見せていた、王女と従者らしくない気安さが今は無かった。だからと言ってロズリーヌに突然威厳を感じるかといえば、そんな事はない。
セアラは座りたそうに手前の椅子を見たけれど、オリアーナが踏み出す様子がないので今はまだ駄目らしいと察して待つ事にした。
「貴女がた、先日おっしゃってましたわよね?とあるご令嬢が複数の殿方と関係を持ったと。」
「えぇ――ただ、どうやら誤解だったようですわ。昨日はそれでまた学内が騒がしくなっておりました。」
「うふふ、殿下もご覧になりましたぁ?本当によく似ていらして。」
「ふっ、あっははは。あれなら騙されてもいいって言い出す人までいたんだとか。」
ブリアナとセアラは昨日見たものを思い出して笑っている。
ロズリーヌの目が三人を観察している事に、声色がこれまでより低い事に、オリアーナだけは気付いたようだった。笑みが消えている。
このテラス席は個室ではない。
食堂との間に壁はなく、境界を示すように白い円柱の立つところだけ天井が低まっているだけだ。他の席までは距離があり会話は聞こえないだろうとはいえ、三人が王女と従者の前に立たされたままだという事実は見られていた。
「本人は否定していらっしゃった……そう仰っていたからには、先週の騒ぎは直接見ていて?シャロン・アーチャー公爵令嬢の話だとわかっていたんですの?」
「もちろ――」
「はい、殿下。」
言いかけたブリアナを後ろ手で軽く制し、オリアーナはきっぱりと答えた。仕方がなかったのです、というようにあからさまに眉尻を下げて続ける。
「人だかりの後ろの方で見てはいました。ただどうも男子三名が、本気で「人違いはありえない」と主張しているようでしたから、わたくし達……」
「シャロン様だとわかっていたんですのね?」
「――っ、……はい。」
もっちりした手をテーブルの上で組むロズリーヌから圧を感じ、オリアーナは反射的に瞬いた。
ここへきてようやくブリアナとセアラも異変に気が付いたらしい。二人は怯えたようにお腹の前で手を握り、後ずさるのを堪えるように身じろいだ。
「彼女がそういう事をすると、本気で思っていて?」
相手は脳にまで贅肉を蓄えたお馬鹿な王女様。
美貌の従者を隣に座らせて共にケーキを楽しむような、威厳も高貴さも無い能天気な豚さんだと、ついさっきまで思っていた相手だ。
――こんな方、怖がる必要なんてない。
「…まさか。シャロン様は代々国王陛下の信が篤いアーチャー公爵家の方ですもの。そうは思えないからこそ、何が起き――」
「あぁいう女性は、反省しないのですかね。」
くすりと笑うように言ったのはラウルだった。
王女との会話に割り込んできた無礼にオリアーナ達が目を見開く。美しい青年は三人の視線などまるで気にせずに続けた。
「ご令嬢とはいえ、少々お咎めがいるかと。あれで上流貴族とは本当に品位を疑いますね。平民と仲良くなさるうち、下賤な考えに染まってしまったのでしょう。あの子が傍にいるからに決まっています。今回の騒ぎで目が覚めて反省なさると良いですね。男性にだらしない方は、ご友人としてもどうかと思いますし。」
ブリアナの口元が引きつり、セアラは視線を床へ落とす。
性格の悪い男、と心の中で呟いて、オリアーナはラウルへ向けた冷たい視線を外した。王女の従者でさえなければ「黙りなさい」と一喝してやったものを。
「覚え、ありますわよね。えぇ、あるでしょう。貴女がたが仰っていた事ですもの。」
「わたくし達、誤解してしまったとはいえ…」
「楽しんでいらしたでしょう?笑っていた事、わたくしきちんと覚えていますわ。」
「……何をお望みでしょう、殿下。シャロン様への謝罪ですか?」
「いいえ、あの方の時間をとるに値しません。貴女がたね、もしも人を貶したり嫌がらせをする事が楽しそうだと感じるなら、それは大層――醜いですわ。」
「…わたくし達がそのような事をしているとおっしゃるのですか?うふふ、まぁひどい。」
ブリアナが苛立ちを隠せない顔でロズリーヌを睨みつける。
ラウルが何か取り出したと見てオリアーナがそちらを見ると、彼は手鏡を三人に向けていた。
「よろしければこちらを。」
「何を――、っ!?」
怯えながらつい鏡を見たセアラは息を呑む。
オリアーナは深く眉間に皺を寄せて不快を露わにしており、ブリアナは怒りに鼻の穴を膨らませて口元を蔑みの形に歪めていた。
二人とも自分の表情に気付いたのだろう、目を見開いて視線をそらす。オリアーナがサッと真顔になり、ブリアナは慌てて扇子を広げた。その上からラウルを睨みつける。
いくら言葉が丁寧でも、彼は要するに「鏡を見ろ」と言ったのだ。年頃の令嬢に向かって。
「な、なんて侮辱を…あんまりですわ!」
「侮辱ではなくご忠告差し上げております、皆様。そのようなお顔のままでは不幸しか呼びませんでしょう。殿下は慈悲深い方ですから、今ここで起きた無礼はある程度目を瞑ると仰せです。」
「えぇ、けれどもしシャロン様や大切なご友人の皆様に、何かするのであれば……次は正式にお呼び立てしますわよ。貴女がたのお父様も呼びつけてね!」
ラウルが横から差し出したフサフサの扇子を取り、ロズリーヌは閉じたままビシリと三人につきつける。
たとえ座っていようとも相手を見下す視線ならお手の物だ。かつてはしょっちゅうそうしていたのだから。
怒りを堪えているのだろう、オリアーナは下まぶたがピクピクと痙攣している。
――これでいいですわ!言う事を聞くならよし、聞かなければ本当に呼びますからねっ!そして、反抗するならわたくしに牙を剥くよう嫌われておきます。カレンちゃんやシャロン様がゲームのように嫌な気持ちになるくらいなら、わたくしにドンと来い。ですわよ!
「ッ……何も、しません。当然の事ですもの、お約束致します。」
「それだけですの?悪意をもってお喋りしていた事への反省は?」
「そんなつもりはなかったと、改めてお伝えしておきますが――…誤解を招いた事は確かなのでしょう。」
引きつった笑みを浮かべるオリアーナの暗い目に内心ゾッとしながら、ロズリーヌは軽蔑の視線を返し怯えを出さないよう心掛けた。
「申し訳、ありませんでした。」
片足を引き、ゆっくりとオリアーナは礼をする。
おどおどしたセアラと、扇子を閉じてブリアナもそれに続いた。ロズリーヌはフンと鼻を鳴らし、高慢に見えるようそっぽを向いて片手で粗雑にシッシッとやる。
「わかれば良いのです、もうお行きなさいな。」
「……失礼、致します。」
ロズリーヌの視線が外れた途端悔しげに顔を歪め、オリアーナは声だけは平坦に告げて踵を返した。ブリアナは舌打ちでもしそうな目でロズリーヌを見やり、セアラは一秒でも早く離れたいとばかり急いで二人についていく。
人の少ない放課後の食堂で、靴を鳴らしてホールを突っ切っていく三人を生徒達が何事かと見送った。
食堂を出ると、廊下は左右と前方に伸びている。
勢いのまま前へと歩きながら、オリアーナは左から歩いてくる四人に気付いてしまった。
薄紫色の長髪の少女と背の高い灰色頭は、間違いなくシャロン・アーチャーとその従者ダン・ラドフォードだろう。一緒にいる長い水色の髪は侯爵令嬢のフェリシア・ラファティ。
そして――…
「……なんで…」
小さく呟いて、オリアーナは奥歯を噛みしめた。
癖のない黒の短髪と凛々しくも感情の読めない真顔、すらりと背が高く腰には剣を携えた男子生徒。ホーキンズ伯爵家の長男、シミオンがそこにいた。
廊下の角でぴたりと足を止め、オリアーナはどうしたのかとこちらを見る二人に「先に行って」と返す。機嫌の悪い彼女と一緒にいたくもなかったのだろう、二人は大人しくそのまま歩いて行った。
声が近付いてくる。
「――クローディア様から、お強いとは伺っていましたが…そうですか。今年は直接シミオン様の勇姿を見られるかと思うと、今から大会が待ち遠しいです。」
「シャロン様のご期待に沿えるよう尽力致します。ただ、どうか俺の事はシミオンと名だけでお呼びください。公爵家の方に敬称を付けて頂くなど畏れ多い事です。」
「んんっ。……シミオン様?シャロン様を困らせてはいけませんわ。王家に連なる公爵家の方へ敬意を表したいとしても、ほら。他の方に誤解があるといけませんでしょう。」
「では内々の時だけでも。フェリシア嬢は俺の性格をご理解されているので、今のような時は問題ないと存じます。」
聞きたくもない話を聞いた。
シャロンが困ったように笑いながら、それでも遠慮がちに「シミオン」と呼ぶ声を。シミオンが普段と変わらない、けれど心なしか満足げな声で「はい」と返すのを、オリアーナは聞いた。
――貴女には、王子様達がいるでしょうが!
心の中で馬鹿にしていた王女に、媚びを売って調子よく持ち上げていたつもりの王女に、堕落した贅肉だらけの王女に「醜い」と叱責され。その従者には「鏡を見ろ」と馬鹿にされ。
惨めで腹立たしい気分の今、よりによって今、シミオンが他の令嬢に呼び捨てを乞う場面に出くわすなど。
「……最ッ低の気分…!」
爪が食い込むほど固く拳を握り締め、オリアーナはその場を後にした。




