299.なれるわけなくね
「何……?あのおっちゃんヤバイ人だったの?」
すっかりぼさぼさになった髪を適当に手櫛で直しながら、ジャッキーが聞く。
サディアスは水色の瞳を彼へと戻し、落ち着いた声で返した。
「正体は知らない方が良いでしょう。ただ、騎士団本部に貴方が持つ情報を渡す必要があります。」
「そうなん?…ですか。」
ジャッキーは正座してもぞもぞと身じろぎしている。名も知らぬ男性の声真似をしただけなのに、部屋に漂う妙な緊張感がどうにも落ち着かなかった。
困って視線を泳がせた先で、少し顔色の悪いシャロンと目が合う。彼女は胸元で握っていた手を膝の上へ下ろし、ジャッキーを見据えた。
「ジャッキーさん。貴方は今回の騒動で自分の能力を示しました。」
「能力?声真似と演技のこと?」
「えぇ。貴方は少なくとも、私の《影武者》を演じる事ができる」
「……あー、そうだね。ご依頼とあらば…。」
「声だけならほぼ完璧に再現でき、私以外にも外見を似せられるという。それは貴重な能力で、危険な技術です。」
「…ってーと?ど、どゆこと?」
いきなり危険人物扱いされてしまったと、まだ部分的にマスカラが残る睫毛で瞬く。
誰かが小さく息をつくのでそちらを見たら、第二王子殿下が事もなげに言った。
「仮に僕が人を殺した現場を見られても、君が僕のフリをしていたんだと言える。」
「へッ!?……ぃやっ、…あの…こま、困りますけど。それは……」
「そう脅してやるな、アベル。……クレヴァリー、弟の言った事は極端な例えだけれど、仮に君が誰にでもなれる等と知れ渡ったら、それを利用したがる者は確実に出るだろう。」
真剣な顔をしたウィルフレッドからもそう言われ、ジャッキーは口を閉じる。これまではバイトで使える楽しい特技くらいに思っていたが、そうではないらしい。
ウィルフレッドは青い瞳をシャロンに向け、互いに軽く頷いた。
「誤解をとくために、私に変装できる事は……少なくとも、学園内では公表して頂きます。けれど、他にもできるとは言わない方がいいでしょう。」
「わか、りました。とりあえず内緒って思っときゃいいのかな?」
「その上で僕達は君を放置できない。能力と比べて、考えがあまりにも浅過ぎるからね。」
「あー…、馬鹿ってこと?まぁそうね、そうです。俺ちゃん難しい事キライだわ。」
ジャッキーは素直に頷いた。
アベルの言葉に腹が立ったような様子はまったくない。事実、良いバイトだと思っていたら「犯罪だよ」と言われている真っ最中なのだ。反論できるはずもなかった。
「こちらの宝飾品の買い戻し代金は、ひとまず私が立て替えさせて頂きます。」
ウィルフレッドとサディアスに目配せし、二人が頷いた事を確認しながらシャロンが言う。ジャッキーはきょろりと瞳を上へ動かして首を傾げた。聞いた方が早いかと瞬き、シャロンと目を合わせる。
「それってどーなんの?俺ちゃんは払わなくていいってこと?」
「まさか。貴方は私に借金をした事になります。」
「でえぇえええ!また借金!?」
「簡易ですが、私の方で証書をお作りしましょう。二人共後ほどサインを。」
「ありがとうございます、サディアス様。――さて、貴方は真意はどうあれ、私に成りすまして騒ぎを起こした責任と、私に借金をした事実が残ります。」
真っすぐに自分を見て言うシャロンをポカンと眺めながら、ジャッキーの口は半開きだ。
――親父が借金して死んで、代わりに払う事になって。貰い物を売り払って借金返したけど、それが駄目だったから、えーと俺の借金がつまり、シャロンさま?に借りて、えーと
「……もしかして俺ちゃん、今悪い方に転がってる?」
「まさか。良い方に決まっているだろう?シャロン嬢に任せておけば全て大丈夫だ。」
「あ、そうなんです?じゃあいっか!」
綺麗な微笑みを浮かべた第一王子殿下の言葉に安心し、ジャッキーはぱっと顔を輝かせた。
「わからん」という顔で成り行きを見守っていたレオがぽつりと呟く。
「あいつ俺より単純かもしんねぇ…。」
「……レオに言われたらおしまいだよ。」
一人掛けの椅子に腰かけ、ジャッキー達を眺めながらカレンが返した。
そんなやり取りの事は露知らず、シャロンは考え込むように唇へ人差し指を軽く触れさせる。ちらり、その瞳がウィルフレッドとアベルを見た。
「殿下。彼は一度王都へやりますか?」
「そうだな。しかし急いでも王都側へ報せるのに少しかかるから、週明けに君の誤解をといた後にでも。どうだろう、アベル。」
「いいんじゃない。正式な依頼書はウィルに任せるけど、護送は少なくともロイかパーセルを。」
「…あぁ、念の為に。シャロン嬢、君も公爵宛に一通頼めるか?」
「もちろんです。」
シャロンが淑女の礼をもって返すと、ウィルフレッドはしっかりと頷いた。
話の流れについていけていないジャッキーに視線を戻し、少し低まった声で告げる。
「クレヴァリー。言っておくが、アーチャー公爵は娘である彼女をとても大事に思っている。」
「え?うん……はい?」
「成りすまして男子生徒を誑かしたなど、相当に怒るだろうから覚悟しておいてくれ。相手は俺達の父であるギルバート国王陛下の右腕、特務大臣、筆頭公爵家当主だ。」
「どッ、どんくらいですか、その怒りのほどは……」
背中にじっとりと嫌な汗をかきながら、ジャッキーは震える声で聞く。
それまで重みのある真剣な顔をしていたウィルフレッドは、ころりと表情を変えて困ったような笑みを浮かべた。
「う~ん…俺にはわからないけれど――…処刑されたくなければ、頑張っておいで?」
「処刑ぇえ!?やだやだ、待ってマジで死にたかないって!!」
「残念だけど、俺には決める権限がないから……。」
「本気で言ってん、ますか!?王子じゃないのぉ!?」
アベルには「そう脅してやるな」などと言っていたが、ウィルフレッドとて個人的な怒りも持っているのだ。この程度の揶揄いはいいだろうと、第一王子殿下はご尊顔を輝かせていた。
チェスターがからりとした笑顔を作って言う。
「シャロンちゃんが閣下に送る手紙次第、なんじゃない?」
「なんでもします……。」
流れるような動きでシャロンの前に土下座し、ジャッキーは「神よ」と言いながら両手を組んで頭の上へ掲げた。
シャロンはくすくす笑っている。
「まぁ嬉しい。なんでもしてくださるの?」
「俺ちゃんにできる事なら……」
「今、学園の授業は何をとっているかしら。」
「へっ?」
突拍子もない話題転換につい顔を上げ、ジャッキーはぱちぱちと瞬く。
シャロンが回答を待っていると気付いてハッと背筋を伸ばした。思い返すように視線を空中へやり、唇を舐める。
「え~っとね、馬術は割と好き。下手ではないけど、上手いんじゃなくて、好き。後は大体寝てるけど、しゃーないから国史と生活算術、たまに音楽の授業見に行って、あぁそうだ、魔法学も絶対だっけ。あれは初級クラス。」
指折りしながら喋るジャッキーの最後の言葉で、サディアスが眉を顰めた。
証書の文言を書いていた手を止めて口を開く。
「貴方は姿を変える魔法を使えるという話では?僅かでもできるなら、魔法学は中級を受けられると思いますが。」
「中級入りのテスト受けたくなかったし、俺ちゃん他ができねぇの!…です。何かテキトーにちょこっと見せかけ変えれるけどぉ、何か出してって言われても出せない。……んで、授業がどうかしたんですか?」
聞かれたシャロンはちらりとサディアスを見たが、彼はやや呆れ顔で小さく首を振り「今これ以上追求しない」と示した。
では話を続けるわと一つ頷いて、ジャッキーに視線を戻す。
「学園に戻ったら、少なくとも剣術と……そうね、まずは護身術。四年生までに体術を受けてみてはどうかしら。」
「え…やだ。」
「あら。ふふ…なんでもするのでしょう?」
ジャッキーは反射的に断った事を少し後悔した。
シャロンはとても優しい眼差しで微笑んでいるのに、なぜか圧力を感じる。もしかすると彼女自身ではなく、横に立っている従者の目が怖いだけかもしれないけれど。
「ジャッキー君さ。それは本当別に、悪い話じゃないよ。」
「え?」
また別方向から話しかけられてそちらを見ると、チェスターが珍しく控えめな笑顔でジャッキーを見返してきた。声も普段の軽い調子ではなく、やや低い落ち着いたものになっている。
ジャッキーにしてみれば、彼の態度の変わりようもよくわからない。
「だって、君がもう二度とその能力を悪用しませんって言った所で、誰かに脅されたらわかんないでしょ?抵抗できなきゃ使われる。だったら、少しでも力をつけた方がいい。」
「お、脅されるって……」
「それだけの利用価値はありますよ。」
カツリ、ペン先がインク壺に触れる音がする。
サディアスは視線を落として再び作業に戻りながら、淡々と言った。
「貴方が潜んだままであれば、アーチャー公爵家でもそれ以外でも、評判を貶める事も、場合によっては破滅に追い込む事もありえた。貴方は失敗して殺されるか、捕まって拷問のち刑罰か、使い潰されて一生を終えるでしょう。」
「………ンンン俺ちゃん…そんな物騒な世界に足を踏み入れた気は、ないんですケド……?」
「だから事情聴取が終わったら、シャロンちゃんが保護するわけ。」
「ほご。」
「名目上は当家による貴方の監視ですね。借金と迷惑料、それからもちろん、勝手に私に成りすまさないように。」
「なる、ほど?」
話がこみいってきた事と足が痺れてきた事で、ジャッキーの脳は既に割と限界だ。
顔に「俺ちゃんよくわかんない」と書かれているだろうけれど、一応は頷いてきちんと聞いている振りをしてみる。
「もしかすると、本当に影武者を頼む時があるかもしれません。そのためには少し動けるようになって頂きたいのです。私は体術と、剣術の中級クラスを受けているので。」
「あ~なんか剣持ってるなぁとは思ってた。バイト…いやデートの時はいらんかなって用意しなかったけど。」
「それからもう一つ。騎士団には潜入捜査を担う隊があります。」
「クレメンタイン・バークス隊長率いる三番隊だな。」
人差し指を立てたシャロンの言葉に、ウィルフレッドが頷いて補足した。
なぜ騎士団の話になったのかと、ジャッキーはいよいよもって怪訝な顔をする。
「……?それが俺ちゃんの授業とどう関係あんの?」
「王立学園の卒業後に騎士団へ入る場合、体術もしくは格闘術、そして剣術の中級以上での成績が確認されるのです。ご存知だったかしら」
「わかんない…騎士とかキョーミないし」
「中級へいけるかは貴方の努力次第でしょう。でも、そんな選択肢を持っていても良いと私は思います。」
「……いや、思ったとか知らん、ないですし……俺ちゃんが騎士とか、なれるわけなくね……?」
「なれなくとも、ならないとしても。学んで損はないですよ。」
ジャッキーは大口を開けてシャロンを凝視した。
学んで損はない、それが真理なら学園の生徒全員が上限まで授業を受けるだろう。ジャッキーは勉強が苦手だし、運動が嫌いだし、痛いのも嫌だ。
――そもそも、何で俺ちゃんが受ける授業に口出されないかんの?あ、迷惑かけて借金してるからか。あと俺ちゃんは一応、保護してもらえるんだっけ?頼んでなくね?でも頼まないとどーなんの?しぬの?
「えーと、えーっと」
たぶん今自分の頭からは湯気が出ているだろうとジャッキーは思う。
やっぱりわからない。
よくわからないけれど、自分はうっかり犯罪を犯したっぽくて、許してもらうにはシャロンの協力は不可欠で、彼女はめんどくさい授業を受けろと言う。
――命よりは、マシ!
「わーった!と、とにかくさ!俺ちゃんが野良のままだと危ないから、いったんシャロンさまのとこで飼ってもらうわけだろ!がんばる、よくわからんけど頑張るから、お父さまに何卒よろしく!!」




