2.鍛えなくては!
「本当に申し訳ありませんでした……。」
「あらあら、もういいのよって言ったじゃない。」
翌朝。
朝食の席で何度目かの謝罪を口にした私の頭を、お母様が優しく撫でてくださった。
お母様は私とお揃いの薄紫色の髪を上品に結い上げていて、小首を傾げると髪留めの宝石がきらりと光る。
おっとりした目には髪と同じく薄紫色の瞳、穏やかな微笑みはいつも私を安心させてくれた。
あの後は誕生日パーティーをお茶会として切り替え、始めこそざわざわしていたものの、なんとかつつがなく終わらせたらしい。
「お前が緊張している事はわかっていたのに、無理をさせたのは私だ。…すまなかったな。」
沈痛な面持ちのお父様がそう仰るので、大慌てで「私が粗相をしたのです」と否定した。
お父様は短く整えた銀髪で、精悍なお顔立ちをしているせいか、銀色の瞳は見る者を畏怖させる…らしい。
確かに難しいお顔をされている時も多いけれど、私にとっては優しくて頼れるお父様だ。
「バーナビー君が第一王子殿下だという事は……実は、最初から知っていてずっと黙っていた。」
「そうねぇ、私も黙っていたし。ごめんなさいね、シャロンちゃん。」
「いいえ、謝って頂くような事ではありませんから…」
お母様までシュンとしている横で、五歳になる弟のクリスが不思議そうな顔をしている。
まだ幼いからと昨日のパーティーには不参加だったし、よくわからないのだろう。お父様譲りの銀色の瞳で私達を見回している。
昨日私が気絶した事については、まず幼馴染のバーナビーがウィルフレッド第一王子殿下だったこと。
緊張のあまり、第二王子殿下を「アベル皇帝陛下」などと呼んでしまったこと。
この二つのショックが合わさり、特に後者について「失敗してしまった」という気持ちから、「まずいじゃないの」と叫んで気絶したと考えられている。
許可なく名で呼んだ上に、この国ではありえない「皇帝陛下」を王子殿下に言うなんて。
前世の表現で言えば間違いなく「黒歴史」だわ。
「ウィル君がのびのびとして楽しそうでな…。できればこれからも友人として、仲良くしてあげてほしい。」
ちらちらと私の様子を窺いながらお父様が言う。
本来そんな呼び方や言い方をしてはいけないのだけれど、内々でだけそう呼んでいるみたい。
本人が許可した事と、やはり友人の子として生まれた時から知っているからこそだと。
「王子殿下だと知ったところで、バーナビーと過ごしてきた日々は変わりません。とても畏れ多いですけれど……これまで通り友人として望まれるのであれば、殿下の御心のままに。」
「そうだな。ありがとう、シャロン。……良い子に育ったな…」
「まぁ、あなたったら。」
なぜか涙ぐんで目頭を押さえるお父様の頭を、お母様がヨシヨシと撫でている。
まだ十二歳の娘にそのセリフは早いのではないかしら。反抗期はこれからでは…いえ、する予定はないけれど。
話すなら今かしら。今日の私はお父様に一つお願いがあるのだ。
しゃんと背筋を伸ばして口を開く。
「お父様。昨日ご迷惑をお掛けしたばかりの身で大変恐縮ですが……今後のためにも、私は身体を鍛えようかと思うのです。」
「はっ?」
真剣に告げた私を、お父様は目を丸くして凝視した。…眼球が零れ落ちてしまいそうなので、もうちょっと控えてほしい。少しはらはらする。
「可能であれば剣術を。実戦でも通用するような――」
「待った。ちょっと待ちなさい、シャロン。」
「はい。」
私を制止するように手のひらを突き出したお父様は、もう涙は引っ込んだようだった。よかった。
壁際で控える使用人達が顔を見合わせている。私は黙ってお父様の言葉を待った。
「お前が、身体を鍛える?」
「はい。」
「剣術を習う。」
「はい!」
……。
「駄目だ駄目だ駄目だ!!」
「えぇっ!」
空中を手で振り払うようにして、お父様が大声で言う。
お母様は上品に口元に片手をあて、「あらあら」と微笑んだ。
「何が悲しくて可愛い娘にそんな事をさせねばならないのか!護衛ならつけるからそんな事を言うんじゃない!」
「ですがお父様。護衛の方がいらっしゃっても、自衛の手段があって損はしませんし」
「優秀な護衛がいれば大丈夫だろう。何なら騎士団から手配してもいい。」
「いざという時、足手まといになりたくないのです。」
「危険な真似はしてほしくない。怪我をしたらどうするんだ!」
怪我をしたらしたで、《治癒の魔法》が使えるようになれば、その練習にもなると思ったりするのだけれど……。
私は困り顔でお母様を見上げた。
「ねぇ、シャロンちゃん。王立学園に入ったら、剣術の授業があるでしょう?」
「!!だ、駄目だ!」
「あなたは少し黙ってくださいな。子供にも自由があります。」
「うっ…」
お母様に諫められてお父様がしおれる。後で拗ねてしまわれるんじゃないかしら。
「あと一年よ。それからでは駄目なの?」
「今のうちから学びたいのです。」
「……将来、騎士を目指しているの?」
お母様が、少しトーンを落として聞く。
この国では女性騎士もそう珍しくないけれど、やはり圧倒的に男性が多い。結婚や出産で離れていく人もいる。
私は首を横に振った。
「そう、決意したわけではありません。けれど、バーナビー……第一王子殿下と、これからも良きご友人でいるために。もしもの時、足手まといになりたくないのです。」
どこにでもあるように、この国にも派閥争いがある。
双子の王子殿下は命を狙われるし、友人として一緒に過ごす私もそれは目撃する事になる。
皆が私を庇うために逃げ遅れたり、傷ついたりという事になったら嫌だった。
「まぁ……」
「しゃ、シャロン…友人だよな…ご友人……。」
微笑ましいわねとほんわかするお母様の隣で、お父様はなぜか青ざめている。
どうしたのかしらと思ったら、聞く前に頭を抱えてしまった。
「しかしっ…うちから王家に嫁ぐのは自然な流れ…だが、うぅ……まだ考えたくない。」
「あらあら、しっかりしてくださいな。」
小声で何か言うお父様の背を擦りながら、お母様は私に微笑みかけた。
「女性としての嗜みもまだお勉強途中なのですから、時間は限られますよ。」
「はい。」
「それでも頑張りたいと言うのなら、お母様は応援します。」
「ありがとうございます!」
使用人達が再びざわつき、「奥様!」とうろたえるような声もする中で、お父様が眉尻を下げて私とお母様を交互に見ている。眉間には深く刻まれた皺。
「決意は固いのか…シャロン。」
「えぇ、お父様。」
「………はぁ。お前もディアドラも、こうと決めたら動かないからな…。」
名前を呼ばれたお母様が、その通りですよとばかりに笑った。
この流れは許してくれそうだわ。
どきどきしながら結論を待つ私を、お父様の銀色の瞳が見据える。
「いきなり武器をとるのは危ない。まず体作りから始めなさい。師は手配してみよう。」
「はい!ありがとうございます、お父様。」
心からの感謝を込めて笑いかけると、少し渋い顔をしていたお父様がにへらっと崩れる。
外では、アーチャー公爵は厳格で恐ろしい人だと言う人もいるみたいだけれど、家で見ている分にはそうでもない。
「私頑張りますね!」
「ふふ、無理はしちゃ駄目よ。」
「はい!」
私はさっそく今日からやらねばと勇み、残りの朝食を上品に、けれど急いで口に詰め込み始める。
「お母様は、暗器も良いと思うわよ~。」
口元にかざした手の中で呟かれた言葉は、私には聞こえなかった。