296.似てますよね
パット&ポールの何でも雑貨店の裏手に回り、サディアスは躊躇いなく扉をノックした。
ややあって扉が内側に開き、二十代後半の男が顔を出す。
長い黒髪を後ろの低い位置で結い、常にサングラスをかけた元行商人――フェル・インス。
相手が誰か認めると、彼は白い八重歯を見せてニカッと笑う。普段と違って小声で歓迎しながらサディアスを中へと招き入れた。
「いらっしゃいませ、お坊ちゃま。二階でお嬢様がお待ちですよォ~」
「わかりました。店は好調のようですね」
「えぇ、それはもう!先日知恵を頂いた商品も、無事に港の方で人気でして…」
フェルは店番をほとんどパットとポールに任せている。
街の業者組合に顔を出したり、同じユーリヤ商会の人間と打ち合わせをしたり、仕入れの交渉に行ったり、週に幾度かは荷馬車で港まで出張商売をするのだ。
ちなみに店にいても基本的には奥に引っ込んで、まだパット達にはできない事務作業をこなしたり、こなしてなかったり、変な草を食べて倒れていたりする。
身体に何が起きようと味がよければ売り物にしたがるため、パットとポールが毎度止めているのだった。
「パット達にこれを。」
「おやおや、ありがとうございます!二人共喜びますよ。」
途中で買ってきた菓子の包みをフェルに渡し、サディアスはフードを下ろして紺色の髪を軽く撫でつける。少しでも乱れていると落ち着かないのだ。
フェルは扉まで案内し、「お嬢様、サディアス様が来ましたよォ」と声をかけてから去っていった。
「………、ノーラ?」
少しだけ待ったが、返事がない。
サディアスは再度扉をノックして、数秒待ってからドアノブをひねった。
応接用に向かい合わせに置かれたソファの片方で、ノーラ・コールリッジ男爵令嬢が背もたれに身体を預けてすやすやと眠っている。
小花柄のワンピースを着た彼女の膝の上には読みかけの書類、薄茶色の波打つ長髪は今日は編み込まずシンプルに低い位置でまとめ、リボンで結んであった。そばかすを隠すように薄く白粉を乗せた顔に、ややズレた丸眼鏡、半開きの口からちょっぴり垂れているよだれ。
「…はぁ。」
サディアスは扉を完全には閉めず、起こさないよう静かにノーラの向かいへ座った。
彼女が用意しておいたのだろうティーセットで勝手に二人分の紅茶を淹れ、テーブルのこちら側へ置かれていた書類の束を手に取る。
しばらく、サディアスが紙をめくる音とノーラの寝息だけが聞こえていた。
書類にはシャロンの偽物が例の三人と共に回った店のリストに、店員が覚えていたかどうか、どんな様子だったかの聞き取りメモと、また現れた時の対処に同意した責任者のサインが載っている。
今回の件とは別で頼んでいた調査の報告書もあり、全てノーラの字ではない。
彼女はあくまでどんな伝手の誰から何を交渉材料に情報を得るか、サディアスが来る今日までに報告を受け取れるかどうか、その辺りを調整したのだ。
もしカレンに同行を頼まれていたらここには寄れなかったので、一度に済ませられてサディアスとしては助かった。
「んん…」
「起きましたか。」
「うぇ…?はい………、ってサディアス様ぁ!?」
目を見開いたノーラが叫び、反射的に居住まいを正そうとしてテーブルに足をぶつけた。ガッチャン、と食器が鳴りノーラがうずくまり、膝に載せていた書類はバサバサと床に散る。
「い、痛い……痛い…来たなら起こしてくださ……うわ最悪、よだれ…」
「紅茶、どうぞ。」
「はい…すいません……」
本来は自分がもてなしとして出す予定だった紅茶を、ノーラは苦い気持ちで啜った。
カップをカチャンと置いてから床に屈んで書類を集め、ソファに座って膝上で端を揃える。サディアスはちょうど報告書に目を通し終えたようだ。
「えーと、偽シャロン様が売った貢ぎ物は回収できたんですか?」
「問題なく。」
事前情報で確度が高い店を訪れると、そこには確かに偽物が贈られたという宝飾品があった。ただし、マシュー・グロシンが贈ったというペンダントについては、その店では買い取れないと断ったという。
この街でそれを扱えそうな店には今日ウィルフレッドがリビー達と共に向かうので、そちらも見つかるはずだ。
ちなみに、売りに来たのは「貴族から小遣いをもらって代わりに来た」街の少年だったという。人相は確認したが、名前はわからない。
「しっかし、シャロン様の偽物なんて度胸ありますよねぇ。どう考えたってただじゃすまないのに。」
「普通は実刑でしょうね。」
「うぅっ、怖……あ、そういえばサディアス様知ってます?殿下も今週なんか言われてたの。」
「…侯爵家の息子を蹴った話ですか。」
「それです!」
週の半ばを過ぎた頃、アベルが上級生を泥水へ蹴り倒したという話があったのだ。
おまけにそれは被害者の一人、ホレス・ロングハーストだった。目撃した生徒から報告されたウィルフレッドは顎に手をあて、「何か事情があったのだろう。確認しておくよ」と答えていた。
問答無用で斬りかかられたと訴える者達もいたが、ウィルフレッドが詳しく事情を聞こうかと構えると「やっぱもういいです、大丈夫です」と逃げて行った。
「裏庭で蹴っ飛ばして、泥で汚れた水たまりにバシャーンと。殿下の事だから、その人が何か悪い事言ったりしたのかなーとか思ってたんですけど、気が弱い人でピィピィ泣いてたって言うじゃないですか。そんなんじゃ到底うちの殿下に暴言なんて吐けないだろうし…やっぱ、シャロン様の関係で?」
「いえ……そこは関係なかったようです。」
「えっ、じゃあ何で?」
「私も理由は聞いていませんが、ウィルフレッド様はアベル様に事情を聞いて納得されていました。深追いしない方がいいと思いますよ。」
「あ、そうなんですね…」
王子二人が理由を明かさず、側近の従者であるサディアスがそう言うのなら、二度と話題にしない方がいいだろう。藪をつついて蛇が出てきたらたまったものではない。
ノーラは大人しく話題を打ち切った。
本当は、サディアスも理由を知っている。
ホレスは不良生徒達に剣を突き付けられ尻もちをついていたのだ。「治せばバレないからちょっと切ってやろうぜ」などと言う声が聞こえて、アベルはそこへ割り込んだ。これが「問答無用で斬りかかられた」である。予期せぬ強者の登場で彼らは悲鳴を上げて逃げた。
そして立ち上がる物音で振り返ったアベルは、べしょべしょに泣いているホレスのズボンが濡れている事に気付いてしまう。
悲鳴を聞いて駆けてくる野次馬達が辿り着く前に、彼を無言で水溜まりへ蹴っ飛ばして隠してやったのだ。
翌日の放課後、ホレスが震えながらアベル達に声をかけ、消え入るような声で詫びと感謝を伝えてきてようやく詳細が判明した。
「まー、皆それより魔獣ですよねぇ。」
ティーカップを両手で包み、ノーラが言う。
週明け早々に起きたシャロンを巡る中庭の騒動も中々だったが、真面目な人間はそんな浮足立った話より、二日前掲示板に掲げられた国からの公示に釘付けとなった。
アクレイギア帝国との国境である、ブラックリー伯爵領でのオオカミ型魔獣の出現と討伐報告。
「殿下はリラにだって来るかもしれないって言ってましたけど……まさか、教会の《ゲート》なんか使えないですよね?」
「大神殿を制圧するか…発動距離によほど自信があれば、荷物に小型の《ゲート》を紛れさせるか……海路という手もあるでしょう。今はオオカミとクマしか確認されていませんが、もし海洋生物の魔獣が現れたらリラはすぐですよ。」
「そんな未来があるのかなぁ……あたしには全然想像つかないです。」
ノーラは困ったように眉を下げ、自分が淹れるよりおいしい紅茶をこくりと味わった。
「けど、もしリラに魔獣が来たって大丈夫ですよね?騎士団も常駐してるし、学園の先生達だって強いし、何より殿下達がいるんだし。」
「壊滅はしないでしょうが、王都襲撃と同じ数がこの島を襲えばただでは済みません。学園にしか防壁がないですから、オオカミ一匹でも街に入り込まれたら厄介です。」
「そっか、どんどん延焼しちゃいますよね。」
「クマ一頭現れたら建物が幾つか吹き飛びますし、住宅店舗の破壊どころか、瓦礫による人的被害もあるでしょう。」
「……あ、あたしが軽く考えてたなっていうのはわかりました。」
公示を受け、リラの警備体制もさらに見直されている所だ。
孤島リラの所有者シビル・ドレーク公爵、元王国騎士団一番隊長ユージーン・レイクス伯爵の許可を得て、アベルやウィルフレッドも幾つかの会議には出る予定だった。
「貴女が襲われるとすれば街や学園も混乱している時でしょう。もしその時がきたら、見つからない事を最優先に落ち着いて逃げてください。」
「まーあたしじゃ戦力外ってわかってますから、戦おうなんて考えませんけど……来ない事を祈りたいですね。平和なままが一番ですよ。」
「……平和、ですか。」
「サディアス様?」
明らかに思うところがある様子で、サディアスは黒縁眼鏡を軽く押し上げる。
きょとんとして名前を呼ぶと、水色の瞳は探るようにノーラを見た。
「オリアーナ・ペイス、ブリアナ・パートランド、セアラ・ウェルボーン。…あの三人、学園でもまだ貴女に絡んでいるようですが。」
「あー…まぁ、そうですね。」
「問題はないのですか。」
「いやそりゃちょっとはめんどくさいですけど、もう慣れたしぶたれるわけじゃないし…肩で小鳥がピーチク鳴いてるようなもんですよ。あたしが令嬢っぽくないのも確かだし。ほら、本気で嫌なら真面目に令嬢っぽくなればいいでしょ?割と自業自得っていうか。」
ノーラは礼儀作法がなってないし、まどろっこしい会話でそれとなく受け流すのも苦手だ。
三人がニヤついてぺちゃくちゃ話しかけてくるのを、「はい」「そうですね」「すみません」などと返しておく事しかできない。一回数分の我慢である。
「クローディア嬢の茶会で、シャロン様にも見られていますよ。」
「え……あぁ~そっか、あの時何で急に話しかけてくれたのかと思ったけど…割り込んでくれてたんですね。お手間かけちゃったなぁ。」
「よそから押さえる程ではないとわかっていますが……貴女が貶められているのは、あまり気分が良いものではありません。」
「…ありがとうございます、心配してくれて。サディアス様、そういうとこ殿下に似てますよねぇ。」
「……は?」
予想もしなかった言葉にサディアスが目を丸くする。
学園ではお目にかかれないだろう素の表情に、ノーラはにひっと笑った。
「自分が悪く言われるのは気にしないくせに、身内が言われるのは嫌がるとこです。」
「…私はニクソン家に生まれ、覚悟の上で相応の事をしています。アベル様の噂だって…」
「あーそれはやめときましょ!思い出したらいっつも暗くなるんだから。」
「なってません。」
「派閥調整に必要な事、そう言ったのは殿下だし、サディアス様が不本意だったのは皆知ってますから。」
皆というのはもちろん民衆でも貴族でもなく、クローディアやフェリシアなどアベルに仕える者達の事だ。
不機嫌に睨んでくる水色の瞳をまったく恐れずに見返し、ノーラはやれやれと苦笑する。
――なんていうか、自罰的?なのよね……ニクソン公爵家って絶対子育てが超厳しいんだわ。
そんな事を考えながら深く頷いた。
この調子でいくと、大失敗でもした暁には崖から海へポーンと投身しかねない。ノーラは自分が泳ぐので精一杯なので、助けられる相手はせいぜい子供だろう。
「サディアス様、もしいつかおっきい失敗しても、あんまり自分を責めちゃ駄目ですからね…。」
「大きい失敗?…ふっ、既にしましたよ……どれだけアベル様達にご迷惑をお掛」
「パット~!ポール~!遊んでくれるってー!!」
「「ほんとー!?」」
「嘘です!上がってこないように!!」




