292.容赦はしないよ
どうやら、彼らが会った私の所作は令嬢にしてはだいぶ気安いものであったらしい。
それは「親しみやすい」「自分に気を許している」と捉えられ、不自然に思う事はなかったのだとか。チェスターは「恋は盲目って言うよね~」なんて呟いた。
「別人と思って考えてみると、俺が会った子は結構しっかり化粧してたような……」
「全体的にその……いい今、ここにいるシャロン様が一番綺麗です……っ!」
「私もそう思っていたところだ!身を寄せて甘えてくる貴女も大変愛らしかったのだが――」
「コホン。」
「――…別人でした、失敬。取り消します。えー、そう。《彼女》より貴女の方が気品も教養も感じられ…」
ウィルのにこやかな咳払いを受けて、プラウズ様が言い直している。
しかし、それにしたって随分と似ているらしい。
別人だと言われてこれだけ時間が経って、ようやく違和感があったと言い出すくらいなのだから。つまり…
「顔立ちだけでなく、声も私と似ていたのですね?」
三人が頷いた。
声や顔を似せる事はできても、筆跡までは入手できなかった……学園の制服を持っていて、身長も私とそう変わらない。令嬢らしからぬ所作という事は、庶民か、あるいはノーラのように淑女教育が苦手な令嬢か。
それぞれねだられた宝飾品は聞いたけれど、公爵家を敵に回してまで手に入れるほどの物ではない。三人に「秘密よ」と言うだけなんて杜撰なやり方で、バレないと思っていたのだろうか。それとも私本人に知られる事を見込んで別の目的が?
紅茶を一口飲んで考え込む視界の端で、グロシン様が膝に置いた手指をそわそわと動かした。
「後は……腕組んだ時に良い香りがしましたけど、同じかどうか、ちょっと確認――なんでもないです。」
香水の種類でも聞こうとしたのだろうか?
ウィルが小首を傾げた以外、何かあったのかわからないけれど…グロシン様はちょっぴり青ざめて視線を床へ落としている。
「発言は記録しておりますので、それを忘れないように。」
三人を見もせずに冷たい声で言い、サディアスはペン先をインク壺に浸した。
「もしまたカードが届く事があれば、俺達の誰かに報せてくれるかな。」
「で、殿下達にですか…」
「もちろん、こちらの彼にでも構わない。」
プラウズ様が言葉を濁すと、ウィルはダンの方を手で示す。
王子殿下や公爵令息に直接いくよりは、公爵家の使用人相手の方が気が楽だろうという事だ。プラウズ様とグロシン様はほっとした様子だけれど、ロングハースト様は引き続きプルプルしている。ダンが怖いのね…。
「あ、俺から一応聞いときたいんだけどさ」
チェスターが椅子に座ったままひらひらと手を振り、皆の視線を集めた。
「その子を庇いたいとかってある?名前と身分を偽られたとはいえ、恋人なんだよね。」
確かにそれは聞いておくべき事だわ。
ここへ集まって詳しく教えてはくれたけれど、犯人を捕まえるとなったら庇ってこっそり逃がしてしまうかもしれない。
プラウズ様は首を横に振ってきっぱりと言った。
「庇うなど!由緒あるプラウズ伯爵家の次男であるこの私を謀ったのだから――何のつもりなのだ貴様!と、あの愛くるしい顔に言い放ってやる心積もりです!!」
うっかり私を指しそうになった気配を感じたけれど、プラウズ様はなんとか上半身のひねりを利かせて指先をテーブルに向ける。
ぐるんと大げさな動きをしたものだから、隣のグロシン様はひょいと避けてからその腕を叩いた。
「痛ッ!何をするんだ庶民めが!」
「俺も庇い立てする気はないですよ。騙した上にこいつらと浮気までしてたんだから。」
「そうか。ロングハースト、君はどうかな。」
「ぼ、僕は……彼女が騙してたなんて、まだちょっと心の整理が……」
「うん、信じていた者に裏切られたのだから当然だな。ただ俺は第一王子として、身分を偽りこのような騒ぎを起こした…それも、長く国を支えてきたアーチャー公爵家を侮辱する者は許しがたい。別人と知ってなおそちらに協力するのなら、容赦はしないよ。」
ロングハースト様は息を呑み、真っ青になってウィルを見つめている。
先に「庇う気はない」と言った二人も今更ながら《彼女》の罪の重さに気付いたのか、目を見開いてウィルとロングハースト様を交互に見ていた。
「ま、庇ったりしたら俺達の敵だよって事☆」
「問題なくその女子生徒が捕まれば、貴方がたが贈った宝飾品も取り戻せるでしょう。今日の騒ぎを知っている者から何か聞かれるかもしれませんが、下手に話さないように。」
チェスターとサディアスの言葉を大人しく聞き、三人は静かに頷く。
グロシン様が私に向き直り、頭を下げた。
「すみませんでした。俺とこいつらがあんなに騒いだから…迷惑をかけてしまいます。」
「私も申し訳ありませんでした、アーチャー公爵令嬢。口さがない者達が一体何を言うか……」
プラウズ様も低く頭を下げ、ロングハースト様はモゴモゴと唇を歪めてから勢いよくテーブルに頭突きした。悶絶しているわね……皆のティーカップがカチャンと揺れたけれど、多少飲まれた後なので零れない。
私は「顔を上げてください」と声をかけ、二人が姿勢を正してから――ロングハースト様は床で蠢いている――続けた。
「私と貴方がたは被害者同士。騒ぎにならない事が最善ではありましたが、発覚が遅れるよりはよかったかもしれないと思っております。はっきりと真実がわかった際には、周囲への説明にもご協力頂く事になるでしょう。嫌な思いもさせてしまうかもしれませんが……。」
「いっ、いえ!貴女の役に立てるのならばこのアルジャーノン・プラウズ!たとえ火の中水の中風の中ッ!」
「俺でよければ何でもッ!ぜ、ぜひ店にも来てください!今度こそ貴女にその…」
二人が前のめりになって言う横の床で、ロングハースト様は倒れたままぺしょぺしょと泣き始めてしまった…。
さすがに少し声をかけようかと腰を浮かせかけたところで、アベルの声が飛ぶ。
「実は、騎士団から一つ目撃情報がきてる。」
びっくりして、立ち上がるのも忘れて彼を見た。
どうやらウィルも聞いていなかったみたいで、「何だって?」と聞き返す。
「先週の土曜、宝飾店から出てくる君とマシュー・グロシンを見かけたという話だ。その時帯剣していなかった事も、ダンを連れていない事も聞いていた。昼食の時に会えれば伝えるつもりだったんだけど。」
そうか、私はホワイト先生に会うために断ったから……。
だから今朝チェスターがわざわざ声をかけてくれたのねとそちらを見ると、チェスターも「今知った」という顔をしていた。あら?
「お前、それを知っていたならどうして中庭で言わなかったんだ?」
「あのタイミングで僕がそんな情報を持ってるのは、都合が良すぎるでしょ。服装についても、勝手に話題に出していいかわからなかったしね。」
「服装……」
小さく呟いて繰り返しながら、私はその意味に気付いた。そうだわ、ウィル達はまだ知らない。知っているのはあの日一緒に出掛けたカレンとダン、そしてアベルだけだ。
「グロシン様が会った私は、制服のスカート姿だったのですね?」
「え……?そりゃ、もう。はい。」
「どういう事なんだ?俺達が午前中に会った君も、そうだったはずだけれど。」
「支度をしに寮へ戻った時、目立つ事を避けるためにスラックスに履き替えたのです。帯剣する以上は、そうした方が騎士家系の娘に見えて自然ですから。」
ウィルが目を丸くして、青い瞳がパッと輝く。
きっと想像して褒めてくれようとしたのでしょうけれど、今は人前。気持ちを抑えるように小さく頷いて、彼は「なるほど」とだけ言った。
「あはは、そっかそっか。偽物の方も、まさかシャロンちゃんがスカートじゃないとは思わなかったわけだ。」
「…普通は思いもしないでしょう。」
眼鏡を指で押し上げながら、サディアスの声は若干呆れ気味だ。
アベルは私が人目を忍ぶつもりであの格好をしたとわかっていたから、大勢集まった中庭で言及するのを避けてくれたのね。
話は大体聞けたという事で、サディアスがまとめた証言を三人が確認して署名した。
何かあれば連絡すると再度約束して彼らが退室する。
その時、グロシン様は精神的ダメージでふらつきながらもカレンに目を留め――…中庭では嘘つき呼ばわりして悪かったと、謝っていった。
「なんて言うか……やっぱりこういう時の皆は雰囲気が違って、圧倒されちゃうな。」
私に促されてソファに座りながら、カレンが苦笑する。
それを聞いたウィルは一瞬目を見開き、かと思えばシュンと眉を下げて考え込むように顎に手をあてた。
「こ、怖かっただろうか…?どうしても少々その、脅かしておく必要があるんだ。」
「王子サマが揃ってんのに舐められちゃ終わりだからな。」
ダンが揶揄うように笑ってソファのひじ掛けに座ると、チェスターが「そうだねぇ」と間延びした声を出す。カレンはふるふると首を横に振った。
「堂々として格好よかったなって…怖くはないよ。」
「それならよかった。……そうだ、アベル。騎士が偽物を見かけたという件、お前はいつ知ったんだ?」
「土曜の夕方だね。中庭で騒ぎが起きるより前に伝えられれば一番だった。…そこは悪かった。」
「いえ、私が皆との昼食に行かなかったせいだもの。」
「来ていたとしても、魔獣の件が先だ。どの道遅かった」
アベルが軽く首を横に振って言う。
どうやら、皆は食堂テラス席の個室で魔獣の話をしていた時に騒ぎを聞きつけたらしい。
カレンがいまいちピンとこない顔で私達を見回した。
「魔獣って……何ヶ月か前に王都を襲ったっていう、火を出したりする動物?オオカミだっけ…」
「そうそう。シャロンちゃんはこの前の件聞いてる?」
「ブラックリー伯爵領ね。ホワイト先生から聞いたわ」
「ホワイト先生にですか?」
訝しげに聞き返したサディアスに頷き、昼休みに研究室へお邪魔したのだと話した。なんて素晴らしいとばかり、ウィルが青い瞳をきらきら輝かせる。
「いいな。俺も先生とは一度ゆっくり話をしてみたいと思いながら、まだ叶ってないんだ。」
「…ルーク・マリガン様は、人嫌いの気があると聞いていましたが。」
「俺も、研究室行っても追い返されたって聞いたな~。まぁ正直言っちゃうと、それは女の子達の態度がよくなかったんだろうけどさ。」
「お嬢は真面目な話だったからな。あ~でも、貢ぎ物はしてたか。」
「…あれは本当に、買ってよかったわね……。」
私は少しだけ目を伏せてしみじみと頷いた。
カレンがダンの袖を引っ張り、こそこそと「ブラック伯爵って?」「ブラックリー伯爵領だ、馬鹿。帝国との国境」なんてやり取りをしている。
間違えて辛いパンを買っていらっしゃったなんてまるで知らなかったけれど、シュークリームを渡す前の先生は結構お辛そうだった。本当に買ってよかった。
もし今後また行く機会があれば、何かしら甘味を持っていた方がいいのかも。
ふと視線を上げると、こちらを見てはいないもののアベルはちょっと眉を顰めていた。はっきり言わなくてはと、胸の前で両手の指先を合わせる。
「そう、もちろんダンも一緒だったわ。」
二人にはなるなと言われた事もきちんと覚えているし、大丈夫よという気持ちを込めて。
私は朗らかに微笑んでそう言ったけれど……アベルはチラとだけ私を見て、すぐにウィルを見やる。促されたままに私もそちらを見たけれど、「うん?」と優しく微笑み返してくれる、いつも通りの素敵なウィルだ。
彼が小首を傾げると、金色の髪がさらりと揺れる。
「先生からは良い話が聞けた?」
「それはもう!私が考えつかないところまでご意見をくださって、すごく勉強になったの。先生はとても頼りになる方だわ。」
「よかった。シャロンが嬉しいと俺も嬉しいよ」
「ありがとう、ウィル。今回は手を煩わせてしまうけれど……」
「気にしないでくれ、他ならぬ君の名誉のためだ。友としても王子としても見逃せないよ。絶対に犯人を見つけ出して尋問――…事情を聞こう!」
「えぇ!」
ウィルが差し出した手を取り、私達はしっかりと両手で握手を交わした。
チェスターが「仲良しだよね~」と笑い、サディアスは知らん顔で作成した書類の端を整えている。
アベルは「解せない」という顔で目を閉じていた。なにやら考え中らしい。
「…っと、そうだわ、ウィル。」
「何だ?」
「さっき魔法を使ってくれたけれど、何もあそこまでしなくてよかったのよ?私自身にかけたでしょう。」
「ん?俺は場所指定でかけたけど……」
「…いいえ?対象指定になっていたわ。立ち上がったら魔法もついてきたもの。」
でなければ光の膜はそのままで、私は魔法の発動範囲から出られたはずだ。
「そうか…変だな。少し急いだからか……?」
思った通りにできないなんて未熟だなとウィルは笑ったけれど、それでより高度な事をしているのだからすごい話だ。




