291.一旦お預けだ
サディアスが手配してくれたのは、学内のサロンでも最上級の一室だった。
広い部屋の中には、今は火が入っていないけれど暖炉もあり、見事な模様が織られた絨毯に革張りのソファと椅子、重々しい木製テーブルには繊細に編まれたレースのクロスが掛けられ、シャンデリアに灯った火が部屋を明るく照らし、壁に飾られた大きな額縁には女神伝説の一節を模した絵画が納まっている。
これから行われるのは、優しく言えば生徒同士の事実確認。
別の言い方をすると――公爵令嬢へ向けられた不名誉な疑惑について、被害者と目されるそれぞれ侯爵家、伯爵家、商家の息子に対する、王子殿下と公爵令息以下数名を同席証人として行われる――事情聴取である。
「やはり挨拶はまだでしたか。あの三年生はロングハースト侯爵の四男で、名はホレスといったはずです。」
そう言いながら、サディアスは二人用のテーブル席にテキパキと筆記用具を広げた。今回の話し合いの記録係をしてくれるみたい。
私はウィルと二人で三人掛けのソファに座っている。幅広のテーブルの向かいに同じ三人掛けがあるので、彼らにはそこへ座ってもらうつもりだった。
「ホレス・ロングハースト様……ウィル達は話した事が?」
「いや、俺はないな。」
ウィルが即座に首を横に振り、窓際近くに椅子をポンと置いて座っただけのチェスターも「俺もな~い」と言う。サディアスも、本人と挨拶した事はなく情報として知っていただけみたい。
「見るからに人付き合い苦手そーだったろ、アイツ。」
私の斜め後ろに立って、ダンはソファの背もたれに寄り掛かっている。大きく頷く事はできないけれど、そうね、少なくともチェスターほど得意そうには見えなかったわね。
壁際の一人掛けソファに目をやると、お人形のように微動だにしないカレンが緊張した面持ちで座っている。本人の希望と、土曜に私と出かけた証人でもあるので来てもらったのだ。
あの三人との話し合いが怖いなら無理せずと言ったのだけれど、どうやら緊張しているのは調度品が「とんでもなく高そうだから」らしい。動いて壊したくないと座ったきりだわ。
「…カレン、大丈夫?」
「はい…!動きません……!」
「駄目だな、ありゃ。」
陶器が置かれていない場所なので、彼女がちょっと動いたくらいでは何も壊れる心配なんてないのだけれど…。
声をかけようとしたところで、ノックの音が響いた。
ダンが開けた扉からまず入ってきたのはアルジャーノン・プラウズ様。
背中まで伸びたブロンドの長髪を、なぜか前も後ろもきっちり斜めにカットされている。色白ですっきりとしたお顔立ちで、鼻が高いのと全体的に細身でいらっしゃるのが特徴かしら。
廊下で偶然会ったのか一緒に来たのか――いえ、プラウズ様は中庭で「これだから庶民は」などとおっしゃっていたから、きっと鉢合わせて――すぐ後に続いたのは、マシュー・グロシン様。
赤い癖毛は活発な性格に合わせてか短く切られ、前髪を上げているから凛々しい太い眉がよく見える。少々日に焼けた肌はプラウズ様に並ぶとその差は歴然としていた。
「よく来た――座るといい。」
ウィルが座ったまま目の前のソファを手で示して促す。
一度腰を上げて迎えるつもりだった私は、ウィルの目配せによって制止されたので微笑むだけに留まった。
なんと、私の幼馴染みは予想以上にお二方をよく思っていないらしい。目が全然笑っていないわ、ウィル。二人は緊張に喉を鳴らしながら「失礼します」とソファへ腰かけた。
「もう一人はどうしたんだ?」
「さ、さぁ……何せ学年も違うので、私にはわかりかねますが…」
「俺だってわから…わかりません。」
二人が救いを求めるような目でこちらを見るので、せめて敵意はないと改めて伝えるべく、苦笑しつつもゆっくり頷いてみせる。
「どうか緊張なさらずに。私を名乗る方がいたのなら、それをありのまま証言して頂きたいだけなのです。」
ごくり。
今喉が鳴ったのはどちらの方かしら。やはり緊張しているらしいと、私はダンに目配せして準備してあった紅茶を注いでもらう。ロングハースト様の分は、また来てからで良いでしょう。
と思っていたら、間隔が早めのノックが聞こえて、ほんの一秒も無しに扉が開いた。
青ざめた顔で震えながら入ってきたのはロングハースト様、すぐ後ろから来たのはアベルだ。
躊躇うように立ち止まりかけたロングハースト様は、アベルが内鍵を閉める音に小さく肩を揺らして早足にこちらへやってきた。
「す、すみませんお待たせして…こっ校舎の入口までは来ていたのですが……」
「あぁ、まずは座ってくれ。君はホレス・ロングハーストだね?」
「はい」
消え入るような声で返事をして、ロングハースト様はウィルを見る事もできずにソファへ座る。頭の形通りに丸い茶色の髪は、前髪がぎりぎり目に入ってしまいそうな長さだ。すぐに身を縮めるのは癖なのかもしれない。
家柄と年齢で言えば侯爵家のロングハースト様が一番になるけれど、四男という立ち位置と本人の性格のためか、ソファの真ん中はプラウズ様のままだった。
チェスターは自分の椅子を私達の会話にすぐ入れる位置まで持ってきて、ちょっぴり呆けていたカレンもハッとして居住まいを正す。
アベルはサディアスがいるテーブル席のもう一つの椅子へどかりと腰かけた。王子殿下の所作としては少々荒いその音に、三人がぎくりと身体を強張らせる。
紅茶が全員にいきわたると、ウィルは軽く頷いてから口を開いた。
「さて、揃ったところで始めようか。各自の主張は俺の従者であるサディアス・ニクソンが記録し、不正なきよう後ほど君達にも確認と署名を求めるものとする。」
先ほどまでと比べて、ウィルの表情にも声色にも感情的な圧は感じない。きっとアベルが来たからね。三人は彼を怖がっているから、ウィルまで圧をかけたままでは正しい聴取ができない可能性があるもの。
そうして始まった話し合いでは、三人の主張が一致した事がいくつかあった。
親しくなったのは、街を一人で歩いている時に私から声をかけられたのがきっかけ。学園では秘密にしましょうと言われた。それなりに高額な贈り物をしている。彼らから連絡するのは駄目と言われたが、私からは次のデート日時の待ち合わせを書いたメモが届く……ということ。
「そのメモはまだあるか?」
「一応、お持ちしました。本当は、見たらすぐに捨てるよう言われていたのですが…。」
プラウズ様はそう言って数枚のカードを差し出した。
ウィルが受け取り、離れていたチェスターもどれどれと見に来る。絶対に見えない距離なのに、気になるのかカレンも可愛らしく首を伸ばしていた。私も見たいけれど、のぞき見せずに我慢する。
「シャロン嬢の筆跡じゃない。サディアス」
「はい。シャロン様、こちらを」
サディアスが紙とペンを渡してくれる間に、チェスターはカードを一枚借りてアベルに見せに行っている。ウィルの指示に従って、私は《今週土曜の十一時、いつもの場所で待っています。 シャロン》と書いた。
その時点でおかしいのだけれど、今は黙ってウィルがテーブルに戻したカードの横へ並べる。三人は口を半開きにしてそれを凝視した。
《いつも素敵なアルジャーノン様 今週土曜の十一時、いつもの場所で待っています。 シャロン》
そう書かれたカードの文字は、私が書いたものとは明らかに違っていた。
女性が書いたのだろうなと思われる可愛らしい字体で、決して悪筆というわけではない。ただ公爵家の娘が書く文字と比べたら、文字の間隔やバランスが崩れて見えるのは当然の事だった。そしてもちろん、ところどころに見える字のクセも違う。
チェスターが席に戻りがてらカレンにもカードを見せてあげて、彼女はなるほどといった風に頷いていた。
私はカードを眺めながら少し目を細める。
花模様で縁どられた可愛らしいシンプルなデザイン、学園の購買で安く手に入るものだ。仮に私が恋人に出すならこれは不適切だろう。
断りを入れて手に取り、裏面を確認する際に軽く扇いでみたけれど、やはり香り付けもされていないどころか、安物の黒インクの香りがした。静かにカードを戻して姿勢を正す。
「一応、私が他の者に代筆させたという可能性もあるかと思いますが……書かれた時間が問題ですね。」
「ど、どういう意味ですか?僕も、シャロン様とは大体その時間に……」
「週末の午前、彼女は王妃教育を受けている。入学してこれまで一度も休んでいないんだ、この時間に君達と街で会うのは不可能だろう。」
ウィルがきっぱりと言う。
隠しているわけではなくとも、その時間にしているとわざわざ広めたりもしないから知らない人が殆どでしょう。授業をしてくださる先生方の中には学園長先生もいて、証人には十分だ。
「そんな…じゃあ俺といたあの子は……」
「君達が見た彼女、一度も剣を持ってなかったんじゃないの。」
呆然とする三人にアベルの声が飛んだ。
彼はこちらへ向いた椅子に腰かけて尊大に脚を組み、右肘だけテーブルについている。ハッとした様子のプラウズ様達に、私は帯剣ベルトからぱちりと鞘ごと外して愛剣を軽く持ち上げてみせた。
「私が剣術の授業を受けている事、少なくともプラウズ様はご存知かと思います。これは飾りではなく、両親から贈られた実用の剣ですわ。これを置いて、あまつさえダンと離れて出かける事はありません。」
「――そもそもお嬢様が休日に街へ行かれたのは、先週の土曜が初めての事です。」
ソファの後ろに控えていたダンが補足してくれる。
口を挟んだ事に対して一礼して詫びた彼に、ウィルは軽く手振りして気にするなと示した。私は剣を元通りに納める。
「もう一度確認するが、三人とも。君達が見たのはここにいるシャロン嬢と本当に同じ外見をしていたのか?」
ウィルに聞かれて、プラウズ様達は改まって私に目を向けた。
私も一人一人と目を合わせ、どうかしら、と思いつつ言葉を待ってみる。三人は黙って食い入るように私を見つめ、じわじわと顔を赤らめていた。な、なんだか目力があって少し怖いわね。
「宣言。」
「え?」
隣からとんでもない単語が飛び出して目を丸くする。ウィルは真剣な瞳で私に片方の手のひらをかざして唱えた。
「光よ壁となり覆い隠せ。」
理由を問うよりウィルが早口に言い終える方が早く、私の周りにうっすらと光の膜ができあがる。周りから見えないようにされたかしら、これは。
「君達限度を知らないのか、不躾が過ぎるぞ。」
「す、すみませ…」
「申し訳ありません殿下!つい!」
「促したの殿下じゃ…いやっすみませんでした!」
三人が平謝りしている。
顔に出したつもりはなかったけれど、私がちょっと怖がってしまったせいかしら。聴取のために必要な事だったのに申し訳ない。
光の範囲から出ようと立ち上がったら一緒に光が動いた。どうも、発動範囲指定を場所じゃなくて私自身にしたらしい……なにも、そんな高度な事をしなくても。
「第一王子殿下?もう大丈夫ですから、魔法を…」
「少し待っていてくれ。君の姿を見せるのは一旦お預けだ」
お預けされてしまったわ。
ウィルが解かないならもう仕方ないけれど、私は今透明になっているという認識で合っている?立ったままサロンを見回しても、カレンやチェスター達に反応はない。やっぱり見えていないみたいだ。
アベルはどうかしらと思ってもやはり私を見ない。
静かに移動して、彼の前で手を振ってみるけれど反応がない――と思いきや、形の良い眉がぴくりと不満げに動いた。
金色の瞳が滾々と説教を続けるウィルを見やって、立っている私の足元、そして手がある辺りへ移る。目が合わないから見えてはいないはずだけれど、バレている?
「……何でこっちに来るんだ。」
ほとんど唇を動かさずにアベルが呟く。
微かな声ながらもサディアスには聞こえたみたいで、水色の瞳が私を探すようにきょろりと動いた。
「ふふ」
足音は立てなかったはずなのに、動いた時の風かしら?それとも床の絨毯?衣擦れの音がした?
わからないけれど、さすがはアベルね。つい笑みが漏れる。
「戻れ。」
「はい、殿下。」
くすくす笑ってしまいたいのを堪えて、私はそう囁くと悪戯をやめて静かにソファへ戻った。そうっと腰かけて姿勢を正す。
「――いいかな。これはあくまで確認であって、君達の好き放題に見て良いというわけではない。」
「「「はい……」」」
「よろしい。シャロン嬢、お待たせした。魔法を解こう」
「はい、お願い致します。」
私を包んでいた光の膜が砂粒のような粒子となって消え、三人がおずおずと私を見やった。
プラウズ様が咳払いして、気まずそうに口を開く。
「えー…、言うなればその……私が会った時は、姿勢はかなり楽に崩されていました。それをシ…いえ、《彼女》は、素の自分を見てほしいからだと言っていましたが。」




