289.性悪令嬢シャロン・アーチャー
中庭で言い合う三人はヒートアップしており、自分達を囲む野次馬達が誰かに道を開けた事にも気付かなかった。
「騒がしいな。何かあったのか?」
穏やかな、しかし毅然とした声をかけられてようやくハッとする。
輝かしい金色の髪に爽やかな青い瞳――見間違えようもない、第一王子ウィルフレッドだ。隣には従者のサディアス・ニクソンもいる。
話の内容が内容だけに会うのは避けたい相手だったが、三人はさらに後から第二王子アベルと従者のチェスター・オークスまで来ているのを見て顔を引きつらせた。学園の生徒内では位が頂点の四人だ。
「こ…これは、第一王子殿下、第二王子殿下!」
一人が慌てて跪き、他の二人も急いでそれに倣う。彼らの前に来ると、ウィルフレッドは突き刺さる野次馬の視線をものともせずに微笑んだ。
「ここは学園だ、面を上げてくれ。立って、事情を聞かせてほしい。」
「しかし…」
「事情って言われてもな…」
「ぼ、僕は……」
ウィルフレッドに言われて顔を上げた三人だが、膝をついたまま困った様子で互いに顔を見合わせている。
「耳が悪いのかな。」
「「「立ちます」」」
こちらを見もしないアベルからぼそりと言われ、三人は即座に立ち上がった。命は惜しいのだ。
サディアスは三人を見回し、黒縁眼鏡を指で軽く押し上げる。
一人目、ブロンドの長髪を斜めにカットした細身の男子はアルジャーノン・プラウズ。色白で鼻が高くナルシストのきらいがある。王都ロタールに屋敷を持つ伯爵家の次男であり、ウィルフレッド達とも面識はある同じ一年生だ。
サディアスは知らないが、先日シャロンに懸命なウインクを繰り返していた男である。
二人目、毛量の多い茶髪の前髪を目に刺さりそうなほど伸ばしているのはホレス・ロングハースト。自信なく肩を落とし頬には涙で濡れた跡がある。神殿都市サトモスの近くに領地を持つ侯爵家の四男で、影が薄く声も小さい三年生だ。
ウィルフレッドも知らないが、先日シャロンに話しかけたもののダンが怖くて逃げた男である。
三人目、額を出した赤い癖毛の短髪はマシュー・グロシン。学園都市リラの街出身の庶民で、父親は宝飾店を営んでいる。活発に焼けた健康的な肌色に、つり上がった太い眉には短気さがうかがえる二年生だ。
チェスターだって知らないが、先日シャロンとデート中にとうとう呼び捨てを許可された男である。
「それで、何の騒ぎですか。」
「……シャロン嬢の名を、随分と大声で叫んでいたようだけれど?」
《俺の友達の》と強調したい気持ちを飲み込み、ウィルフレッドは笑みを深めた。
サディアスから「落ち着いてくれませんか」とでも言いたげな視線を感じても気付かないフリをする。
「そ、それは……」
アルジャーノンは色の薄い唇を噛んで言い淀んだ。
シャロン・アーチャー公爵令嬢に見合う地位の男と言えば真っ先にこの四人であるし、昨年の女神祭など王都では第二王子と彼女の話題で持ちきりだった。
たとえ今は自分が正当な恋人でも、王子達に面と向かって「は、君達は既に負けているのさ!この私にね!!」などとポーズを決めて言えるわけがない。四人が大人しくハンカチを噛んでくれるなら、一度くらい言ってみたいけれど。
「言えないです、だ、だって秘密だから……」
ぶるぶる震えながらホレスが呟く。
シャロンは目立つのが苦手な自分のために「学園では秘密」と言ってくれたのだ。やっぱり嘘をつかせるみたいで申し訳ないと話をしに行ったけれど、結局は彼女の従者に注目されただけで逃げ帰ってしまった。
「こいつがシャロン…嬢を気安く呼びやがるから、何のつもりだって聞いてただけですよ。」
マシューがホレスを指さして言う。
ホレスが真っ青になってぶんぶんと首を横に振ったが、事の発端は確かにそれだった。
中庭のベンチにいたホレスが空を見上げてシャロンの名を呟き、「今君は私の恋人の名を勝手に呼んだのか」とアルジャーノンが口を滑らし、二人の話を通りすがりのマシューが聞きつけて「誰が誰の恋人だ」と憤慨したのである。
「気安く呼びやがるのはそちらも同じだろう!?私こそが彼女の横に相応しいんだ!」
「はぁ!?お前じゃあシャロンと腕組んで歩いたのかよ!知ってんのかめちゃくちゃ良い匂いするって!」
「犬か君は!紳士らしくエスコートしたに決まっている!あぁ白魚のような美しい手の柔らかさときたら…」
「や、やめてください!僕のシャロン様を汚い妄想に巻き込まないで!」
「「妄想!?」」
「う~ん、地獄絵図かな?」
三人を眺めながらチェスターがからりと笑った。
ウィルフレッドは可哀想なものを見る目で三人を見つめ、サディアスは何が起きているのかと訝しげに眉を顰める。
アベルは野次馬の中に誰かが後方から入り前へ進んでくるのを見つけた。ひょこ、と顔を出したのはカレンだ。シャロンの名前が聞こえてやってきたのだろう。
「三人とも、まずはゆっくり深呼吸をして現実と向き合うんだ。好きな女性への想いに浸るのは自由だが、幻に浸るのはよくない。」
「第一王子殿下、人を妄想の化身みたいに言わないでください!俺は現実ですから!」
「馬鹿な、私こそが真実だ!シャロン嬢は天使の如き微笑みでこの手を握ったのだから!」
「夢みたいな時間だったけど、夢じゃなかったんです!ぼ、僕は確かにシャロン様と…!」
「三人全員がアーチャー公爵令嬢と恋人関係にある、という主張でよろしいですか?」
平坦な声でサディアスが問う。
アルジャーノン、ホレス、マシューの三人は呆気に取られてサディアスを見つめた。
これまでずっと誰か一人が正式な恋人で、他の二人は勘違いという認識での言い合いだったのだ。三人とも正しいなどと、まるでシャロンが気の多い令嬢だというような想定はしていなかった。
沈黙が漂う。
「シャロンがそんな事するわけないでしょっ!!」
声を上げて飛び出したのはカレンだった。隣にいた血紅色の髪の女子生徒が彼女を止めようとしたが、遅かった。
サディアスが真顔で放ったまさかの想定に、カレンは恥ずかしいやら怒りを覚えるやらで顔が赤くなっている。全員の視線が自分に集中したと気付いて、彼女は視線を泳がせた。
「あっ…えと、シャロン様は…そん、そんな事しません!人違いです!!」
「人違いなものか!君、由緒あるプラウズ伯爵家の次男である私を侮辱すると言うのか!?」
アルジャーノンが腰のひねりを利かせてビシッとカレンを指差す。謎の威圧感にカレンは怯んだが、反り返った人差し指をチェスターが手の甲で押しやるようにしてはらった。
「まーまー、落ち着きなよ。女の子に怒鳴るとか良くないでしょ☆」
「ぐ…それはそうですが、この者は私を嘘つき呼ばわりしたのです!」
「そーだよ、よりによって人違いはねぇだろ!あんな美人見間違えるか!」
「ぼぼ僕だって、シャロン様を間違えたりするもんか…!」
「一つ確認したいんだけどさ。」
決して大声ではなかったのに、アベルの一言が全員の耳に届く。
金色の瞳は真っ直ぐカレンに向けられていた。
「君、先週の土曜は彼女といたよね。」
「?うん……あっ、はい!土曜の午後は、シャロン様とダンさんと街に行って」
「はぁ!?嘘吐くなよ!その日は俺が彼女とデートしてたんだ!」
「えぇ!?が、学園からずっと一緒だったよ!」
噛みつくように叫んだマシューの声に驚きつつ、カレンは嘘じゃないと訴える。
唯一離れたのはアベルが現れた時だが、それはここで言うべきではないだろうし、まさかそこでマシューに会っていたとも思えない。
野次馬達は互いに顔を見合せひそひそと囁き合った。
「つまりどういう事?」
「三人全員が、自分が彼女の恋人だって言ってるわけだよな?」
「けどあの赤髪がデートしたのは嘘なんじゃ…」
「第二王子と白髪の女子がグルで庇ってるんじゃね?」
「シャロン様って、まだ婚約者はおられないでしょう。品定め中なのではないかしら」
「純粋そうな見た目しておいて、この様子じゃ結構《お遊び》が激しいらしいな。」
「まぁ怖い。ふふ……そんな性悪だなんて思いませんでしたわぁ。」
「う、嘘だ。特務大臣の娘だぞ?」
「割り切った関係ならまだしも、全員信じきってるみたい。可哀想…」
「おい、来たぞ…!」
さーっと人垣が割れていく。
いつも通りスカートの腰に帯剣ベルトを携えたシャロンが、後ろに控えるダンと共に歩いてきた。言い合っていた三人が目を見開いて固まり、ウィルフレッドは朗らかに微笑んで軽く手を広げる。
「やぁこんにちは、シャロン嬢。ちょうど君の話をしていたよ。」
「こんにちは、第一王子殿下、第二王子殿下。皆さまもご機嫌麗しく。」
細い指の先まで魅せる繊細な仕草で、シャロンは短く淑女の礼を披露した。学園内の生徒同士である事、ここが騒ぎの場であると踏まえての事だ。静かに腰を落として姿勢を戻す間も彼女の体幹が揺らぐ事はなく、ただ歩みを進めるだけの姿すら絵になっていた。
ウィルフレッドは微笑んだまま頷きを返し、サディアスは軽く胸に手をあて目礼する。チェスターはひらひらと気安く手を振り、アベルは視線を返しただけだ。
カレンはほっと息をついてシャロンの名を呼ぼうとしたが、先ほどまで口論していた三人が一斉に顔を赤くして見入っていると気付いて止まる。
艶のある薄紫色の髪がふわりと風に揺れ、長い睫毛に縁どられた目は優しく細められていた。花びらのような桃色の唇は上品な微笑みを浮かべ、きめ細かい肌は白く滑らか。
「かわい…」
無意識にか口を半開きにしたマシューが呟く。
カレンは心の中でしっかりと頷いた。野次馬の中にも見惚れている者がかなりいるようだ。シャロンが向き直ると、三人は飛び上がりそうな勢いで肩を揺らした。
「私の名が出ていたようですので、こちらへ伺ったのですが……一体、」
「ご、ごめんねシャロン様!僕達がアツい関係だって、僕のために内緒にしてくれたのに」
「ねぇシャロン嬢、こうなっては秘密でいられないよ!恋人を騙る男が二人もいるんだ。今こそ声高らかに発表しようじゃないか!君が選んだのはこの私だと!」
「俺だよなシャロン!あのペンダントだって、好きな人の色が良いって俺の目を見て言ってくれただろ!だから俺ッ……」
彼女を取り囲みそうな勢いの三人はダンによって容易く阻まれる。
それでもなお近付こうとする彼らからそれとなく一歩距離を取り、シャロンは制服の内ポケットから取り出した扇子を優雅に広げた。顔を顰める事も怯える事もなくそうしたので、あくまでやんわりとした意思表示ではあるが、この場合においては「距離を弁えてほしい」という事である。
「――…どういう事でしょう、これは。」
シャロンは悩ましげに細い眉を下げ、口元を扇子で隠した。
三人が何を言っているのだか、さっぱりわからない。




