288.記憶にないわね
どれほど暗い夜も、月の女神様の剣が放つ光は進むべき道を照らし、切り開き。
どれほど暗い世も、太陽の女神様の治癒の光は人々の心まで照らし、癒した。
ここまでのホワイト先生との会話を踏まえて――不自然なのはどこか?
私は考えたまま声に出して呟いていた。
「治癒の光…」
「そうだ。治癒の魔法で光は出ない、比喩にしてもおれには違和感があった。ゆえに何らかのスキルが発動したのではと考えた……太陽の女神の治癒能力といえば、どこまでが誇張かわからん逸話ばかりだしな。」
「瞬く間に治した、という表現が多いですね。」
「果たして女神はスキル持ちだったか。おれはそこまで興味が無かったから、当時深追いはしなかったが……神話学者としての意見を聞いてみたらどうだ。魔塔の情報を渡せと言うよりは容易いだろう」
「……!はい、ありがとうございます。」
私が密かに懸念していた事にも道を示してくれた。
ありがたい事だ。やはりこの方は頼りになる。
《未来編》で、カレンは先生の助手として学園に勤務していた。
王都に住む私と時折手紙を交わしながら、アベル皇帝陛下の戦を噂に聞きながら。好きな人の傍で自分も学びつつ、彼を支える暮らしに満足していた。
先生の父親である先代公爵から、一通の手紙が届くまでは。
宰相はサディアスが、爵位は先生のお兄様が継いだ後だった。
手紙には「話がある、すぐ領地へ来るように」と記されているけれど、先生は「どうでもいい」と呟き、手紙をポイと机に投げてしまった。
カレンが何か言おうとした時、街が騒がしいと報せが入る。
教会にあった、神殿都市サトモスへの《ゲート》が破壊されていた。
犯人はわからない。
ホワイト先生は一晩考えた末、父親の指示通り直接出向く事にした。授業はカレンに任せようとしたら頑として「ついて行く」と言い張ったため、臨時の教師に任せて海路で旅立つ。
魔獣との戦闘や陸地に着いてからの野営もこなして――その野営の際、先生は母親との事をカレンに話す――二人はようやく、マリガン公爵領へ辿り着いた。
そして言われるのだ。
『ルーク。お前が陛下を殺せ』
王家の敵を消してきた一族として、今やツイーディア王国の敵であるアベルを、消すようにと。
そんな話がどうしてか、くっついて来たカレンを離席させないまま語られた。
予想していなかった先生は驚いて父親に理由を問う。
答えは簡単だった。
知った以上カレン・フルードは生かしておかない。
ただし大人しく皇帝暗殺の任を遂行するのであれば、彼女の監視を任せると。
「二つ目は何だ。」
ホワイト先生の声に、私はすぐ意識を現実に引き戻した。
辛いパンを最後まで口に押し込んだ先生は、包み紙をぐしゃりと握り潰し、難しい顔で咀嚼している。回復用にまだ半分残されたシュークリームを見て、買っておいてよかったとしみじみ思った。
「はい。もう一つは魔力の暴走と幻覚を引き起こす薬についてです。」
「――違法薬だな。授業ではまだ扱っていないが、どこまで知っ……」
言葉を切って、先生は水をあおった。辛さが喉に来たのね。
流れる汗を拭い呼吸は少し乱れ、暑そうにハイネックの首元を引っ張っている。なんと言うかご令嬢がざわざわしそうな、かなり色気のあるお姿だわ。私はそっと目をそらして口を開いた。
「幾つか種類のある魔力増強剤の中でも、暴走と幻覚……その両方であれば真っ先に《スペード》が挙げられるかと思います。ただ私は、殿下達ご本人が狙われる事のないようにとの懸念をしておりますので――《ジョーカー》のお話を伺いたいのです。」
今年ウィルのルートに備えるにあたって、違法薬についても調べはした。
サディアスは自ら望んで暴走を起こしたわけではないから、葉っぱを噛み潰したりパイプで煙を吸って摂取する、《スペード》が使われた可能性は低いと思う。
だから《ジョーカー》。
ほぼ確実に魔力の暴走を引き起こし、錯乱と幻覚症状をもたらすという。おまけに遅効性で無味無臭……きっと何かに仕込まれて、そうして彼は嵌められた。
「王子に直接か。殺すのではなく継承権剥奪にしたいなら、可能性がなくはないが……おまえ、王子達と言ったか?」
「はい。従者の失態の責を問う形もございますから。」
「なるほど。」
危なかった。
サディアスが狙われる事を知っているのはおかしいから、ウィル達のために警戒している風をとったけれど――ホワイト先生からすれば、魔力の暴走を起こす可能性がある王子はウィル一人だけ。
指摘に対して顔にも声にも動揺は出さなかったつもりだけれど……アベルが魔力持ちだという事に慣れ過ぎているわね、私。気を付けなければ。
「なぜ幻覚にこだわる?」
「単なる魔力の暴走であれば、彼らはある程度自制が利くと思います。その間に他の者が対処する事もできるでしょう。しかし幻覚などで惑わされれば――自らの意思で、強力な魔法を放ってしまうかもしれない。」
「……自制が利く、か。暴走した経験がない者の意見だな。おれも無いが」
パンを食べ終えたダンが軽く咳払いした。
無いのかよ、と言いたかったでしょうに我慢したのね。
「《ジョーカー》について知りたいなどと、この部屋以外で口にしない事だ。…父親に面倒はかけたくないだろう。」
「はい。もちろん自分が入手したいと思っているわけではありません。無味無臭となると、どう警戒したものかと思いまして。」
「あれは材料が希少で、一瓶作るにも相当な金と時間がかかる。第一王子を引きずり下ろすなら別の手を使う方が早い。まず使われる事はないと思うがな」
「…同じように遅効性で、暴走と幻覚を引き起こす物はあるのでしょうか。」
「別々の薬を使えば可能だろうが、無味無臭とはいかない。誰かに盛るには向いていないだろう。」
「そうですか……。」
ふむ、と唸ってサンドイッチの最後の一口を食べる。
ホワイト先生はゆっくりとシュークリームを味わっているようだった。ダンが何を思ったか自分のシュークリームを半分差し出してくれて、決してそういうつもりで先生を見ていたわけではないのだけれど、ありがたく受け取る。
「《ジョーカー》を手に入れる事ができる人など、いるのでしょうか?」
問いの後、数秒の沈黙があった。
目を閉じて静かに咀嚼する先生の睫毛が作る影を眺めながら、私もシュークリームをちょこっとかじる。やがて、赤い瞳がこちらを見た。
「雑談でも授業でも、教師が生徒に言う内容としては度が過ぎている。」
「す、すみません。」
「だから全ては言わんが、少なくともロベリアの協力者は必要だろうな。」
「…ロベリア王国の…。」
呟きながら、無意識に眉間に皺が寄っていたと気付いて力を抜く。
ツイーディア王国には隣接する国が六つもあるのに、ゲームでは帝国以外総じて「隣国」呼びだった。ロベリア王国はどこかに登場していたのだろうか?
――薬学と絡繰りの国。そういえば……喫茶店《都忘れ》は、王都でもこちらでも絡繰りが使われていたわね。建築にロベリアの技師が関わったのかしら。
「《ジョーカー》まで出るかは疑問だが、王子を心配するのはわからんでもない。先日魔獣が出たのがあそこではな。」
「っ、魔獣が出たのですか?」
初耳だ。
思わず目を見開いて聞き返すと、先生は「何だ、まだ知らなかったのか」と事もなげに言った。
「じきに広く公表されるだろうが、ブラックリー伯爵領に数頭出たらしい。」
「そんな……」
何かしらの思惑があって放たれたとしか思えない。
まだ国の地理を覚えきれていないダンが説明を求める顔をしたので、「帝国との境よ」とだけ返した。お父様は今頃忙しくされているかも。
公表されるという事は当然カレンの耳にも入る。
バサム山の件と同様にこれも、恐らくゲームシナリオにはなかった魔獣の登場……。
「昨年、魔獣が最初に襲ったのは王子一行だったと聞く。どこぞの組織が動いているのは間違いない状況だ。手段が魔獣か薬かは別として、学園内と言えど油断しない方がいいだろう。」
スワン先生なら「きっと大丈夫です」と微笑みそうな事を、レイクス先生なら「俺達もいるから安心してくれ!」と言いそうな事を――ホワイト先生は笑わずに、「油断しない方がいい」とおっしゃるのね。
もちろん国も先生方も、ウィル達の入学に際して警備は強化しているでしょうけれど。
それでも彼らは殺された。
従者である公爵令息を加害者にするという、本来ありえない方法で。
殺されてしまったウィルを、アベルを前にして、「誰か先生を呼んでくる」と言って連れてこられるのは……ホワイト先生だ。
「アーチャー公爵家の者として……私にできる限り、殿下達をお守りしたいと思います。」
「好きにするがいい、おれの知った事ではない。」
「ふふ」
「…なぜ今笑った?」
「すみません、つい。」
口元に添えた手を膝の上へ戻す。
先生が「おれの知った事ではない」と言うのは、大抵その後こっそり手伝ってくれる時なのよね。
「お優しい方だなと思ったのです。」
「……馬鹿な。」
ホワイト先生は素っ気ない声でそう言うと、慣れた手つきでゴーグルを装着した。汗も引いて落ち着いたみたい。一つため息をついて、赤い瞳が窓へ向けられる。
つられて私も視線を移した。
なんだか騒がしい声が聞こえる?この先は確か、ホワイト先生が落ちてきた場所だから…
「中庭かしら?」
「どなたか言い合っているようですね。」
ダンが立ち上がり、窓の方へ歩いていく。
わぁわぁと男子生徒らしき声は聞こえるけれど、何と言っているのかはわからなかった。
買い物イベントの翌週と言えば、《兄弟喧嘩勃発!?》というイベントがあるけれど…でもそれは、買ったアイテムへの反応をもらえる日とは違う日だったと記憶している。
喧嘩の理由も、今のウィル達なら喧嘩に至らないでしょうし。
少し首を傾げつつ、私も立ち上がってダンの横から窓の外を覗き込んだ。
広い中庭の手前側で言い合う数人の男子生徒を、通りすがりの生徒が遠巻きな円形に野次馬となっているみたい。
「黙ってろこの勘違い野郎どもが!!」
「荒っぽい言葉はやめたまえ!これだから庶民は嫌なんだ!」
「っぼぼぼ僕だって彼女の事を…き、君達には渡しません…」
「まぁ…なんだか大変そうね……あら?あの方……」
「…お嬢様も見覚えがございますか。俺も、どこかで見たような…」
訝しげに眉を顰めたダンと一緒に目をこらす。
確かについ最近、見た。彼らは廊下やらどこやらで声をかけてきたり、こなかったりした……
「うわぁああん、シャロン様は僕のだぁ!」
「片思い拗らせてみっともねぇぞ!シャロンに近付くな!!」
「何を勝手に呼び捨てにしているんだ君は!私が恋人だ!」
はい?
「………お嬢、いつの間に三人も引っ掛けたんだ?」
「……記憶にないわね。」




