284.友達でいたいから
喫茶《都忘れ》。
噴水広場近くにあるその店は一階のテーブル席だけでなく、通りに面したテラス席が設けられており、さらには二階に幾つか個室まで用意されている。
美味いコーヒーと紅茶、軽食も楽しめるとあって、学園の生徒だけでなく街の住民にも愛される人気店だ。
そう、なにせ――隣国の王女殿下まで、学園からお忍びで訪れるほどである。
「来ませんねぇ、カレン・フルード。」
「シッ!ラウル貴方、もっと俯きなさいな。わたくし達は今ここにいないのです!」
二人用のテーブル席の一つには王立学園の生徒が座っていた。
片方はプラチナブロンドの髪をフードに隠したふくよかな女子生徒で、限界まで肩を縮めて薄い青色の瞳を周囲にはしらせている。
もう一人は背の高い男子生徒で、優しげな桃色の瞳をちらりと外に向けた。フードの裾を引っ張りながら俯くと、緩く癖のついた緑色の髪がさらりと揺れる。大好きだろう甘いケーキの皿を前にして、彼の主は空いた二人席のチェックに余念がない。
「あのどこかに来るはずです……シャロン様とカレンちゃんが。」
「向こうの席だと話は聞こえないでしょうね。」
「聞きたい…ッ!何をお買い求めになったのか……ハァハァ、できれば、できればヘアピン以外でお願い致しますわ……!」
「殿下、目が血走ってます。俺が見とくんで一旦閉じてください」
「ぐふぅ…!」
ため息とも嗚咽ともわからない声を漏らし、ヘデラ王国第一王女――ロズリーヌ・ゾエ・バルニエはグッと目を閉じた。
《パット&ポールの何でも雑貨店》で買い物を終えたシャロンとカレンがここへ来る事を、彼女は知っている。会話の中で一度だけ、今日カレンが買った物について触れる事も。
「そもそも、二人で出歩いたりしますかね?」
「まぁ!当たり前でしょう、お二人は仲良しなんですのよ。」
「護衛はどうするんです。俺的には、たぶんダン・ラドフォードもいると思いますけど。」
「あ」
忘れていた、とくっきり書いてある顔で、ロズリーヌは目を見開いた。
前世でプレイしたゲームにはいなかった《新キャラ》、ダン・ラドフォード。確かに、学園で彼がシャロンから離れている事は滅多にない。
「そう、ですわね…?いえでも、イベントにまでいるのかしら……?」
考え込むように口元に両手をあて、後半はラウルにすら聞き取れない小声でぼそぼそ呟く。視線を落とした先にあった生クリームの純白を見つめ、静かにフォークを差し込んだ。
噴水広場の隅を横切るようにして、身長差が二十五センチはあろうかという学生の男女二人組が歩いている。
「だ、ダンさん。頭押さえないで…」
フードをかぶった頭に乗せられた大きな手に戸惑い、カレンが小声で文句をつけた。軽く身を屈めたダンもフードで灰色の短髪を隠し、学園ではなかなか見せないあくどい笑みを浮かべている。
「それしっかりかぶっとけよ。髪さえ見られなきゃ、ただのチビとしか思われねぇだろ。」
「え、見られると何かまずいの?」
「馬ァ鹿、俺と二人だぞ?学園の生徒にでも知られてみろ、お前《公爵家の従者を誑かしてる》とか何とか――」
「絶っっ対にバレないように行こう!」
小声のまま強く覚悟を決め、カレンはフードの裾をぎゅうと引っ張り下ろした。
ただでさえ「擦り寄る」だの「慈悲に付け込む」だのと言ってくる人がいるのだ。シャロンが傍にいない今、二人きりで街に遊びに出たと誤解されたら恐ろしい事である。
「でも、ダンさんは身長でわかっちゃうんじゃ…」
「百八十手前なんて三、四年なら珍しくねぇよ。それに、今はなーんも姿勢に気ぃ使ってねぇからな。顔はっきり見られない限り大丈夫だろ。ケケ、楽ったらねーわ。」
「うわぁ…すごく悪い笑顔……」
「おら、見えてきたぞ。お前ほんとに金は気にすんなよ。」
「う、うん。ありがとう」
初めて行く店に緊張しながら、カレンはダンと二人で喫茶《物忘れ》に入った。
後からシャロンと、もしかしたらアベルも合流する事を考えて四人席を選ぶ。他の席からカシャーンとフォークか何かを落とす音が聞こえる中、背の高いウェイトレスに飲み物とデザートを頼んだ。
「そういや、お前さっき何買ったんだ?お嬢はやべぇの持ってたけど」
「えっ!?…と……。」
まさか聞かれるとは思わなかったとばかりにカレンの目が泳ぐ。
ダンは面倒臭そうに眉を顰め、「何だよ」と促した。カレンは言おうか言うまいかもごもごと口を動かし、少し恥ずかしそうにしてダンを見上げる。
「わ、笑わない?」
「ハハハハ!…先に笑っといた。ほら出せ」
「何その理論!?……こ、これだよ。」
カレンは肩から掛けていたポシェットを探り、小さな包みから取り出してみせた。桃色が可愛らしい花のヘアピンだ。
「ほ~ん。」
「心底どうでもよさそうだね…ダンさんが出せって言ったのに。」
「笑わないか聞くから何かと思っただろ。ただのピンじゃねぇか」
「そうだけど、ほら。私こういうのつけた事なかったから……」
「だから何だよ。せっかくなら今したらどうだ?」
軽く返された言葉の意味を理解できず、カレンは数秒固まった。
今、と頭の中で反芻してようやく、赤い瞳を丸くする。
「…え、えぇ!?もう?」
「お嬢が喜ぶんじゃね?知らねぇけど。」
「でもまだその、心の準備がさ…」
「はあ?こんなちみっこいのに準備も何もねぇだろ。ぶっ挿すだけなんだから」
「う……ダンさんが「ぶっさす」って言うと、何だか物騒だなぁ……。」
眉を下げてそう言いながら、おそるおそるヘアピンを手に取った。
おしゃれというものに壁を感じているのはカレンであって、ダンにしてみればそれくらい程度の軽い事なのだ。私が気にし過ぎているだけ、と心で呟いてみる。
こくりと唾を飲み込んで、ヘアピンを前髪に近付けた。
「えっと……あれ?うまくいかな…痛ッ!こ、こうかな…んん?ぶら下がっちゃった……え?」
「ぶはっ、はは……下手過ぎだろ」
「………。」
唇を思い切り尖らせ、カレンは痛くならないよう気を付けてヘアピンを抜く。悔しさと恥ずかしさで頬が赤くなっている自覚はあった。
ヘアピンを握り締めた手に向けて、ダンがちょいちょいと人差し指で引っ掛けるような合図をする。
「拗ねんな拗ねんな。貸してみろ」
「……ダンさんにできるの?」
「そんぐらいは余裕だ。万一のためにってメリルにしごかれたからな」
「めりる?」
「お嬢の専属侍女だ。肘癖が悪い」
「へぇ……?」
がたんと椅子を近付け、ヘアピンを受け取ったダンはカレンのフードの内側へ手を入れる。
どこかのテーブルからガシャンと何か聞こえてきたが、ダンは動揺する事もなくカレンの前髪を一部横へ流し、花のヘアピンで留めた。
手が離れると、自分ではわからないカレンがぱちぱちと瞬きする。
「痛かねぇだろ?」
「うん。鏡見たいな…」
「お、お待たせしました~!」
頼りなく上ずった声を出し、ウェイトレスが二人のデザートと飲み物をトレイに乗せてやってきた。
それがテーブルに並べられていくのをぼんやりと見つめながら、カレンは動かさないよう気を付けてヘアピンに触れる。本当につけているのだという実感が湧いてぎゅっと目を瞑り、一礼して去っていくウェイトレスに礼も言えずにフードの裾を握った。
ダンがグラスを取り、からんと氷が鳴る。
「……何固まってんだ。食え」
「こう…つけてる事に緊張して……!」
「身構え過ぎだろ。まず目ぇ開けろや」
「うぅ………わ、美味しそう!いただきます…!」
「おう」
カレンは目を輝かせてフォークを手に取り、数種類の果実を使ったタルトへそっと差し込んだ。
行儀悪く片足首をもう片方の膝に乗せ、ダンはテーブルに肘をついてアップルパイに直接かじりつく。アーチャー公爵家のランドルフ・グレイアムが見たら、即座に雷が落ちるだろう姿勢だ。
「おいチビ」
「むぁに?」
「お前ほんとに困ってないのかよ。女連中に絡まれたりしてんじゃねぇのか」
真剣な表情と声色に、カレンは口の中の物を早めに咀嚼して飲み込んだ。
これはきっと、シャロンがいないからこそ聞いてきた事だ。爽やかな香りが心地よいアイスティーを喉へ流し、グラスを置く。
「まだ、そんなには困ってないよ。だからシャロン達には言わないでほしい」
「いいのか?」
「私……自分でできることは、自分でしたいんだ。本当に困ったら…苦しくなったら、力を借りる事もあるかもしれないけど……友達だからって何でもかんでも頼るのは、違うから。」
テーブルの上に置いた手で軽く拳を作り、カレンは一つ頷いて視線を上げた。
「友達でいたいから、全部を頼りたくはないって思う。」
きっぱりと告げた彼女の瞳には強い意志が宿っている。
「こんな髪色だから」と自嘲気味に笑っていた頃とは別人のようだった。
「……へぇ。」
「な、なに?」
「別に。いいんじゃねぇの、それで。」
アップルパイを持つのとは反対の手で、ダンはフード越しにカレンの頭をぽんぽんと指で叩く。あからさまな子ども扱いの仕草だ。
「まぁやばくなる前に言えよ。お嬢が拗ねるからな」
「うん。もし大事になってきたら、私じゃどうにもならない事もきっとあるだろうし……」
「わかってんならいい。」
大口を開けてパイにかぶりつくダンから目を離し、カレンは一口サイズにしたタルトをぱくりと口に入れる。とろけるような甘みと果肉の酸味、サクサクの食感が楽しい。自然に口角が上がった。
「いらっしゃいませー!」
ウェイトレスの声に、二人は自然と店の入り口を見やる。
フードで特徴を隠してはいるが、パンツスタイルの制服で帯剣した女生徒と男子生徒、それも見覚えのある背丈に佇まいとくれば間違うわけもなかった。
名前を呼ぶ事はせずにどちらかがカレン達の方を見るのを待ち、軽く手を振る。二人はまっすぐにこちらへ歩いてきた。
「ごめんなさい、待たせ――…っ!?」
カレンがヘアピンをつけている事に気付き、シャロンが息をのむ。咄嗟に自分で口元を押さえたのは正しい判断だっただろう。まるで効果音のように他のテーブルからドターンと椅子が倒れる音がした。アベルはそちらを見やったが、倒れた人物も駆け寄った人物もちょうどテーブルの影に隠れている。
視線を戻したアベルが花のヘアピンに目を留めると、カレンはハッとして頬を赤らめた。
「えっとこれはさっき買って……その。へ、変かな?」
「別に――…」
言いかけたアベルははたと止まり、一度瞬いてから再び唇を開く。
「…髪の色にも合ってるし、いいんじゃないの。」
「っあ、ありがとう……」
王子殿下にさらりと褒められ、耳まで赤くしたカレンは肩を縮めて俯いてしまう。
アベルは冷静な表情のままシャロンを見たが、彼女は口元に添える手つきだけは淑やかなまま、ぎゅっと目を閉じて小さく頷き続けていた。
ダンは怪訝な顔で数秒それを眺め、放置しては駄目そうだと見て「おい」とシャロンの腕をつつく。
「はっ……あぁいけない、あまりの可愛らしさにどうにかなってしまうところだったわ。」
「僕はもう行く。構わないな」
「おー。」
ひらひらと気楽に手を振るダンとは違い、カレンは俯いたままカチコチとぎこちなく頭を下げる事しかできなかった。
「送ってくれてありがとう。」
他のテーブルに聞こえないよう小声で囁き、シャロンは柔らかく微笑みかける。
「またね。」
「……あぁ。また。」
呟くように返して、アベルは店を出ていった。




