281.待ってらんねぇ
「彼も元気にしていたんですねぇ、いやァ良かった!」
長い黒髪を低い位置で結った男性が、不思議そうな顔の兄弟に見送られてこちらへ歩いてくる。
ユーリヤ商会の制服に身を包んだ彼は二十代後半ほどだろうか、昼でも女神祭の夜でもサングラスをかかさない、軽い調子の商人だ。
私はゆっくりと瞬いて彼に目を向けた。微笑みを浮かべる事はできているはずだわ。
「お久し振りです。貴方も…こちらへいらしていたのですね。」
「えぇ、それはもう!こう見えて店長なのです、私が!」
「あんまり役に立たないけどねー。」
「ねー!」
「き、聞きましたお嬢様!?ひどいじゃないですかァ~こんなに身を粉にして働いているのに!」
彼はわざとらしく服の袖を目元にあてて泣き出したけれど、パットとポールは肩をすくめた。「そんな事よりお姉さん」と私に駆け寄ってくる。
「フェルとしりあいだったんだね!」
「気を付けてね、もし変な草とかオススメされたら絶対食べない方がいいよ!フェルはその辺が特にダメダメだから。」
「フェル?」
「あぁそうだ、なんやかんやと申し遅れておりました!」
泣くフリをぱっと止め、フェルと呼ばれた男性が雰囲気だけは恭しく、無造作に礼をした。爽やかな笑顔で名乗りを上げる。
「私はフェル・インス!どうぞお気軽にフェルとお呼びください、お嬢様。」
「えぇと、ではフェルさん。」
「ハァイ!この度は当店にお越しくださり、しかもお買い上げ頂き誠にありがとうございます!これからもどうぞご贔屓に――」
「なぜ私だとわかったのですか?」
「なぜとは?」
私の問いに、フェルさんはこてんと首を傾げて聞き返してきた。
何の質問か全くわからないという顔だわ。でも、不思議なの。
「フェルさんがいらした時、私は既に背を向けていたと思うのですが。」
「嫌だなァ、大事なカモ…ごほっごほん、お客様ですから!お声が聞こえて馳せ参じたわけです、なにせ一流の商売人こと店・長なので、私!」
「カモって言った…ノーラに言いつけなきゃ」
「うん、言いつけよう!」
「パット君ポール君、それだけは!あ、飴ありますよ!?」
床に屈んで兄弟の機嫌を取り始めたフェルさんを見つめながら、私は一応頷いた。首をひねりながらではあるけれど。
声が聞こえたなら……そう、よね。声が聞こえたから出ていらした…のね。なるほど。
ダンはフェルさんを見ても無反応だった。
私が二人に出会ったのは同じ日の事だけれど、実はダンはフェルさんを知らない。会う前にアベルがダンを気絶させてしまったし、そこから目覚める前にフェルさんは取調室に連行されていったから。
カレンを一人にするのが心配でとりあえず先に出てもらったけれど、後で説明くらいはしておきましょう。
「そういえば、あのネックレスはお気に召しましたか?」
不意にそんな事を言われてどきりとする。
兄弟それぞれに飴を献上したらしいフェルさんは、よいしょと立ち上がって無邪気な笑みを浮かべていた。
驚いたけれど、考えてみれば当たり前のこと。
私はこの人の前でアメジストのネックレスを気に入って、アベルはこの人からそれを買ったのだ。
「――えぇ、もちろん。」
反射的に逸らしてしまった目を意識的に戻して、令嬢らしく綺麗な微笑みを返す。
フェルさんは嬉しそうに顔を輝かせた。
「良かったァー!えぇえぇ、私全身全霊で丁寧にラッピングしましたからねェ!」
ラッピング?
「お嬢様に気に入って頂けたなら!頑張った甲斐があるというものです!」
「…はい、その節はありがとうございました。」
とりあえず話を合わせておきましょう。
アベルがこのネックレスをくれたのは女神祭の最終日、パーティーの最中だった。ラッピングなんてしたままでは到底ポケットに忍ばせられなかっただろう。
晴れやかな笑顔をしたフェルさんに、まさか「受け取った時は封筒でしたけど」なんて言えるはずもない……。
私はちらりとフェルさんを見上げ、サングラスの奥にある無邪気な瞳を見つめる。
この方は、私がアーチャー公爵家の娘だと知っているのかしら。一応名乗ってはいないけれど……王都でユーリヤ商会の一員だったのだ。後から聞いてはいるかもしれない。アベルが王子だという事もさすがにわかっているでしょうし。
パットとポールは何の話かわからないみたいで仕事に戻っている。
影響の大きさをわかっているのか、フェルさんはネックレスの事を誰かに話したりはしていないのだろう。もしくは、アベルがちょっぴり脅かしているかもしれない。
私は自然な動作で姿勢を正し、困り顔で微笑みかけた。
「今後も、内密に願います。どなたが勘違いなさっても困るのです。」
「大丈夫ですよ、お嬢様。聞くのもこれっきりに致しますから。貴女様が笑顔でいらっしゃるなら、それが一番!」
「ふふ」
わかっているのかいないのか、ニコニコしているフェルさんに私も自然な笑みが浮かぶ。
これきりと言うのなら大丈夫なのでしょう。
私の背後で、カランカランとドアベルが鳴る。
遅すぎてダンが痺れを切らしたかしら。カレンも待たせてしまって申し訳ないと思いながら振り返った。
「「………。」」
フードをかぶった制服の男子――までしか合っていない。
少し癖のある黒髪に金色の瞳をした、おまけに眉間に皺の寄ったアベル第二王子殿下がそこに立っていた。目に見えて不機嫌だわ。
ちなみに、その後ろに私の従者の姿もお友達の姿もない。
……どうして?
カラン、とドアが閉まる。
まったく予想していなかった人の登場に、私は呼吸を忘れていた事に気付いた。息を吸って、名前を
「「でんかー!!」」
…呼ぶ前に、パットとポールがすごい勢いでアベルに突進した。
嬉しそうに彼の腰へ抱き着く二人を、アベルも当然のように受け止めている。もしかして知り合いだったのだろうか。
「いらっしゃいませ!また来てくれたんだねっ!何か買っていきますか?僕達と遊ぶ?」
「おしゃべりでもいいよ!あ、アメたべてもいいよ!どうぞ!」
「ありがとう。ただ今はお腹空いてないから、飴はお前達が取っておくといい。」
「「はーい!」」
すごく懐いているわ……!?
ゲームではそんな姿一度も見なかったものの、クリスといいパット達といい、アベルは結構小さな子に好かれるタイプなのかしら。未来編では最強の皇帝として、大人にはものすごく怖がられていたけれど。
つい、フェルさんと一緒にその光景を眺めた。
なんて微笑ましいのかしら……口元が勝手にニコニコしてしまう。アベルに仕事へ戻るよう言われると、幼い兄弟は素直に従ってカウンターに戻っていった。
彼の視線がこちらに向いたタイミングで、フェルさんが軽く手を叩く。
「ハァイ!いらっしゃいませ、お坊ちゃま。今日はいかがなさいましたか?」
「街に用があっただけだよ。………まさかとは思うけど、余計な事を吹き込んでないよね。」
「まさかァ!なんにも吹き込んでませんよね、お嬢様?」
「え?えぇ…何も聞いておりません。」
私に話を振ると思わなかったので驚いたけれど、そう答えた。
アベルはじとりとした目でフェルさんを見やって「ふぅん」と唸る。やっぱりご機嫌斜めね。話を変えるついでに気になっていた事を聞こうと、私はドアの向こうを手で示した。
「カレンとダンは店先にいた…のよね?私と一緒に来たのだけれど…」
「喫茶店で待ってる。そう言ってた」
えっ?
置いて行かれたの、私。そこまで待たせたかしら。喫茶店ってカレンが話していた、レオお勧めの所よね。恐らくゲームに出てきた店でしょうから外見はわかるし、噴水広場の傍だという事も知っている。一人でも着けるとは思うけれど、何も置いていかなくても……。
あんまりな事実に思考が追い付かず瞬くと、アベルは音のないため息を吐いた。
「…行くよ。」
私と目を合わせてそう言うと、踵を返してドアを開ける。送ってくれるつもりなのね……ありがたいけれど、用事は大丈夫なのかしら。
「「また来てねー!」」
「お待ちしておりますよォー!」
笑顔で手を振る三人に会釈して、私はアベルに続いた。
後ろでドアが閉じる。
「――…いやァ、はは。相変わらずですねぇ」
指で軽く押し上げていたサングラスを元に戻し、フェルは苦笑した。
「本当に、あんな状態でよく――…」
◇
雑貨店を出た私は、まだどきどきする胸を押さえてなんとなく建物を見上げた。
三階建て…上の方はあの可愛い店員さん達の家になってるのかな?
続けてダンさんが店から出てきて、私は二階の窓を見上げたまま、邪魔にならないよう数歩後ろに下がった。どん、と背中が誰かにぶつかる。
「あっ、ごめんなさい!」
慌てて振り返って頭を下げた。
顔を上げると、そこには長い黒髪の綺麗な女性が立っている――独特な雰囲気を持つ人だった。
裾が足首まである真っ黒なドレスは、肩まわりがレースになっている薄手の生地で決して暑さは感じさせない。何より特徴的なのは少しだけ透けた黒いフェイスベールをつけていること。
「まぁ……ふふ。よそ見はいけませんよ。」
「す、すみません…」
レースの手袋に覆われた細い指で、その人は上品に笑う。私よりは絶対に年上だけど、声はまだ若いように感じた。
くっきりと縁どられたアイメイクは植物の模様のようなものも入っていて、彼女の持つ雰囲気をより神秘的にしている。飾りのついた帽子までほとんど黒で統一されてて、肌の白さが際立っていた。
「………。」
「?あの…」
黒い瞳にじっと見つめられて緊張する。
彼女は目元を和らげると、手にしていた小さな鞄からするりと名刺を差し出してきた。反射的に受け取って視線を落とす。お姉さんの名前が書いてあるわけではないみたい。
「占いの館……?」
「えぇ、もし興味があればいらしてくださいね。将来のこと、気になるお相手のことでも、少しばかり先がわかるかもしれませんよ。」
それではね、と薄く微笑んで、彼女は何もなかったかのようにすたすたと歩いていってしまった。
ぽかんとしたままそれを見送る私に、ダンさんが横から近付いてきて首を傾げる。
「今の奴知り合いか?」
「う、ううん。でもたった今知り合ったというか、お店の名刺をもらって……占いの人みたい。」
「占いだぁ?」
ものすごく怪しんでる口ぶりだ。
私は頷いてダンさんの後ろを見たけど、シャロンはまだお店から出てきてないみたいだった。扉は閉まっている。あれ?
「君達、何してるの。」
「うわぁ!」
後ろから声がして飛び上がった。
ダンさんはあんまり驚いてないみたいだけど、私はバクバク鳴る心臓を押さえて振り返る。私達と同じように制服のローブを着て、フードをかぶっているのは……アベル様だった。金色の瞳がちょっと呆れた様子で私を見ている。
「…何で毎回驚くんだ。」
いきなりだからだよ!
なんて王子様に言えない私は、とりあえず深呼吸した。なんて答えよう、えっと――…
がし、とダンさんに肩を掴まれて、彼を見上げた。
その目は私じゃなくてアベル様を見ている。楽しそうに、笑顔で。
「よう王子サマ。」
「二人だけ?彼女はどうしたのかな。」
「店ん中だよ。俺ら先に喫茶店行って待ってるって伝えといてくれるか?別にゆっくりでいいぜ」
「は?」
「ダンさん?ちょっと…」
ぐいぐい背中を押されて、私は驚きつつも歩くしかない。
シャロンを置いていくっていう事?何で?
「まぁお嬢なら、誰かその辺の男が喜んで送ってくれんだろ。どこにかは知らねぇけど。」
「待ってよ、私達がここで待――」
頭をとーんと押された。
痛くはないけど、黙ってろという事みたい。なんで!
「行くぞチビ。珍しく俺が奢ってやる」
「え?え!?」
「――馬鹿、こうすりゃ王子サマがお嬢連れてくんだろうが。」
ぼそぼそ囁かれてようやくハッとした。
この前ダンさんが言っていた事を思い出す。
『坊はな、第二王子とお嬢をくっつけようとしてんだよ。』
――そういう事だね!?
「そっ、そうだね!私!早く喫茶店に行きたいなぁ!」
「お嬢なんて待ってらんねぇよなぁ!じゃ、頼んだぜ王子サマ!」
まるで捨て台詞のように言いながら、私達は駆け足でその場を後にしたのだった。




