27.第一王子の帰城
泣き疲れたのか、シャロンは眠ってしまった。
公爵が彼女を夫人に預けるのを見届けて、俺は深く頭を下げる。
「アーチャー公爵、俺が巻き込んだせいで彼女は危険な目に遭いました。…謝って済む事ではないとわかっていますが、申し訳ありません。」
「……顔を上げてくれ、ウィル君。」
そう言われて顔を上げたが、すぐには目を合わせにくかった。
カッとなって飛び出してしまったのは俺で、シャロンやサディアスは止めようとしてくれていた。どうしても伯爵を問い詰めたいなら、せめて騎士を連れて行かないといけなかったのに。
悔やむ俺と、厳しい表情をしたアーチャー公爵の目が合う。
「君も聞いていた通り、娘は自分が無理について来たと言っている。」
「ここへ行くと彼女に言うべきではなかったし、……俺は本来、来るべきではありませんでした。」
「そうだな。騎士団に任せるべきだった。君はもっと冷静な判断もできたはずだ」
「……はい。」
拳を握って視線を落とした。
だけど、今またあの時に戻って自分を止められるかと言ったら、難しい。
胸の内から頭まで全部が怒りで煮えたぎるようだった。
俺達しか持っていないはずの剣を使って民を殺したこと。
あのアベルが黙って大人しくしているのは、俺やヴィクターのためだということ。
伯爵がした事も、自分の無力さも、不甲斐なさも、許せなかった。
『おれは兄なのだから、アベルをまもるよ。』
ちっとも果たせていない遠い昔の約束を、きっとアベルは忘れているだろう。むしろ忘れていてほしい。
どれだけ学んでもどれだけ鍛錬しても、俺は何もかもが弟より下で。
今回のことだって、アベルならもっと上手く立ち回れたはずだ。シャロンに怪我をさせる事も、サディアスに無理をさせる事もなかった。
――あぁ、情けない。
歯を食いしばる俺の肩に、大きな手が置かれた。
反射的に見上げれば、優しい銀色の瞳が俺を見ている。
「非常にリスクの高いやり方だが、君が事件を早期解決に導いたのも確かだ。」
「…それは、結果論でしかなく、」
「あぁ。だから今回の事を活かしなさい。」
肩に置いた手に、ぐっと一度力を込めるようにして、公爵は強く頷いた。
「考えが足りなかったと思うなら思考し、感情に支配されたと思うならそれを抑える術を身に付ける。実力が足りないならその分強くなればいい。試合と実戦では全く違っただろう?」
「…はい。」
俺は素直に頷き返した。
内密に騎士団に稽古をつけてもらう事もあるけれど、やはりこちらを本気で殺すつもりの相手は違っていた。気迫も、緊張感も、戦えない仲間が側にいる事も。
「娘の首が落ちていたら、さすがに甘い事は言えなかったが。」
公爵が低い声で言った言葉にビクリと肩が震えた。
あの執事が持っていたのはナイフだけれど、ここには敵が持つ剣もあった。一瞬想像してしまって血の気が引く。嫌だ。そんなのは、絶対に。
「君達が必死に娘を守ってくれた事は見ればわかる。この子もまた、自分の行動で君達を危ない目に遭わせたと自覚している。」
それは、でも、やっぱり俺が、飛び出したからで。
思ったけれど言わなかった。話が戻るだけだ。
「良くも悪くも、君はまだ子供だ。――強くなりなさい。」
単に身体の大きさや、剣や魔法の腕だけではない。心の在り方についても言われていると、すぐに理解した。
シャロンに怪我を負わせてしまったのに、公爵は俺に笑いかけてくれる。
「……はい。必ず。」
俺は笑い返す事なんてとてもできなくて、自分の不甲斐なさに眉を顰めたまま告げた。肩に置かれていた手が俺の頭に移り、励ますように撫でられる。
「アーチャー公爵。」
ぽつりと声がしてそちらを見ると、ずっと座り込んでいたサディアスが立ち上がって、ため息をつきながら眼鏡を押し上げた。
「一応、お伝えしますが。……不敬です。」
「ははは!そうだな、護衛騎士の方々も、今のは全部内緒で頼む。」
短い肯定の言葉を発した二人を見て、俺はまた申し訳なさがこみあげてきた。セシリアはにこにこしているが、ヴィクターは疲れ切った表情をしている。
「じきに騎士団の増援が来る。私は先に玄関へ出ていよう」
「ありがとうございました、アーチャー公爵。俺達を助けて頂いて…」
踵を返した背中に慌てて礼を告げる。
公爵は振り返って一度頷くと、そのまま部屋を出て行った。
「……ウィルフレッド様。」
ようやく話す番が回って来た、そう言いたげなヴィクターの声に、身体ごと向き直る。
騎士団長から城内で過ごすよう言われたんだ。一緒に連れては彼らが命令違反だし、ヴィクターはそもそも反対するので説得に時間も必要で、さらにはサディアスも、騎士が一緒ではどこまで自分の情報を話してくれるか怪しい。
セシリアに敢えて見逃してもらい、置いて行くしかないと考えた。
「ヴィクター、セシリア。君達もすまなかった。」
「まったくです。せめて同行を…」
「どうだった、ウィル様!」
ヴィクターの言葉を遮って、セシリアがぱたぱたと俺に駆け寄ってくる。軽く屈んで俺と目線を合わせ、赤紫色の瞳がわくわくした様子でこちらを覗き込んだ。
「今日の冒険は、実りあるものだったか?」
「おい!」
言葉遣いも態度も注意せねばといきり立つヴィクターを、いつも通り苦笑いで止める。
「俺は…本当に未熟だと思い知らされたよ。」
「うんうん、良い事だ。知らなくては何もできないからな。」
「シャロンに怪我をさせて、サディアスにも無茶をさせた。」
「足りない事が多かったのだな。では、次までにもっともっと熟しておこう。目指すは完熟だ!」
セシリアの後ろで、ヴィクターが「言葉選びがおかしいだろ」とため息をついている。
「立ち止まっている暇はないぞ、ウィル様。目指す場所の遠さも、自分の位置も、今までよりはっきりわかるだろう?」
俺を見守るように、けれど、どこか挑むように。セシリアは微笑んだ。
「悩んで足を止めるより、考えながら歩かねば!…というわけで、城へ帰ろう。決して私の腹が空いたからではないけれど、ほら、その剣を見せてやったら、きっとアベル様も驚くぞ!」
彼女の言葉に、ヴィクターは頭を抱え、サディアスはため息をつく。
俺は思わず笑ってしまった。
「ありがとう。…そうだね、帰ろうか。」
玄関へ行くと、ヴィクター達が運んでおいてくれたらしいならず者達が、増援に来た騎士団の馬車に詰め込まれているのが見えた。
こちらに気付いた騎士達が、俺とサディアスに頭を下げてからヴィクター達に手を振る。
「セシリア」
「うん?どうした、ウィル様」
「そろそろちゃんとしとけ。ウィルフレッド様、だ。」
ヴィクターが横から注意し、セシリアは気分を害する風もなく「そうだな!」と言って素直に俺を呼び直した。俺が気にしなくても、他の騎士達の手前よくないからだ。
「貴女の明るさに救われた人は、きっと多いんだろうね。」
そう言うと、セシリアはきょとんと目を丸くしてから、「だといいな」と笑った。
五年前、並び立つ護衛騎士候補の中から彼女を選んだ時と同じだ。
『私でいいのか?そうか、ではよろしく頼む、ウィル様!』
きっと貴女の中で、俺は何も「特別な子供」ではないのだろう。
城の庭で俺達に出会った時のことだって、あなたは「当たり前」をしたつもりで、だから俺が選んだ時に不思議そうな顔をした。
『…なんだ、こんなところにいたのか。ウィル様とアベル様だな?皆探しているぞ。』
『ぼくもうちょっとあそびたい!アベルもでしょ?』
『ん~……うん。』
アベルと手をつないだまま、俺は我儘を通そうと彼女を睨みつけた。
大人は「王子なのですから」などと言って俺達が遊ぶ時間を奪う。でも俺が強く言うと大人は困った顔をするから、少しでも時間を稼ぎたかった。
でも彼女は、けろりとしてこう言った。
『そうか?じゃあまたしばらくしたら来るから。』
『…え、いいの?』
驚いて聞き返した。そんな反応をする人も、俺達にそんな言葉遣いで話す騎士も初めてだった。アベルも同じだったんだろう、首を傾げて彼女の笑顔を見ていた。
『当たり前だ。子供は好きに遊ぶといい。ああでも、夕飯は必ずとるんだぞ。お腹が空くと遊べないからな!』
『ありがとう、きしさん!』
その日迎えに来てくれた後は、まったく彼女に出会わなかった。
もしかして、やっぱりあんな存在は夢だったのかと思ったりもして、けれど護衛騎士候補として現れた。任命後に産休を挟んだりもしたけれど、本人が復帰を望むかを確認して、毎度戻ってきてもらっている。
懐かしい記憶をたどって微笑みながら、俺はひとつ息を吐く。
「クロムウェル団長と話をしないとな…」
置き去りにしてしまった護衛騎士二人には、どうか処罰などしないでほしいと。彼の反応を考えながら、俺は皆と一緒にマクラーレン伯爵邸を後にした。
◇
リビー・エッカートは急いでいた。
仕入れた情報を一刻も早く主に伝えるため、すれ違う王城の人間に短い悲鳴をあげられようと、たまたまいたらしいどこぞの貴族が驚いていようと構わない。
全速力で廊下を駆け抜け、目当ての部屋の前で急停止しながら名乗ってノックする。
「入れ」
「失礼します。」
できるだけ丁寧に、しかし急く心を隠しきれずに中へ入って扉を閉める。
部屋の中央近くに立っている主の下へ進み、その前に跪いて顔を上げた。ちょうど鍛錬でもしていたのか、少し汗ばんだ額を、シャツの袖を捲った腕で拭っている。
努力される姿もなんと神々しい――と見惚れそうだった自分を戒めて視線を走らせれば、椅子の背にタオルがかけられている。リビーは速やかにそれを主の元へ運んだ。
「ありがとう。それで?」
たった一言の感謝でも気持ちが浮ついてしまう。
人前でなければ、たかがタオル一枚渡しただけでも礼を言ってくださるのだ、この方は。それを貴族の阿呆ども――と思考が高速回転し始めたのを無理矢理遮断した。
それで、と聞かれたのだ。本題を失念してはならない。
「此度の事件、マクラーレン伯爵とやらが剣をもう一つ作って起こしたものだったようです。」
「…確定したのか。早かったな」
リビーの主――第二王子アベルは、意外そうに片眉を僅かに上げた。
王子達の剣を作った鍛冶職人がいるのは郊外だ。
馬を走らせても少々日がかかるため、騎士団が彼を訪ね、「剣の設計図が盗まれている。以前、三本目を作れと脅した者がいたらしい」と早馬で第一報が上がったのは昼過ぎのこと。
アベルは知る由もないが、早馬の帰着と、騎士団長からウィルフレッドへの報告――つまり第一王子の失踪は、ほぼ同時だった。
僅か数時間後には職人の周辺を洗った第二陣が戻ってきて、脅してきた連中は既に消息を絶っている事、しかし貴族らしき者がその連中と接触しているところを見た人間もいて、目撃者として新たに連れて来ていた。
そして人相書きだ急げと騒いでいるところへ戻って来たのは、王立図書館の司書長に「アーチャー公爵から火急の用事」とだけ言付けられ、理由も知らずに飛び出していった騎士の小隊だった。
『あ、この人です。』
職人の所へ行った騎士と伯爵邸へ行った騎士とで、互いに「何があったんだ」と顔を見合わせる中で、目撃者たる村人はマクラーレン伯爵をまっすぐに指差した。
馬車からはウィルフレッドとサディアス、ヴィクターとセシリアも降りてくる。
…それを、草陰から覗いていたのがリビーである。
「どうやら、第一王子殿下が直接伯爵を捕えてこられたようです。」
「……何だと?」
あまりに予想外だったのか、アベルには珍しく軽く目を見開いてリビーを見た。
――驚くと少し幼く見えて大変恐れながら可愛らしいと若干思ってさえしまういやいや私などより余程お強いのだからそんな事を思うのは無礼どころか不敬であり死罪に匹敵するかもしれないが心の中で思う分には許されたいところでありつまりは一生を捧げて私が守らねばならない何としても守り抜かねばそのためなら敵を何千人でも皆殺しにする絶対にだ。
「実行犯と思われる男達も一緒でした。」
リビーはアベルを一秒たりとも待たせず返事した。
「あのウィルが……そうか、報告ご苦労。」
「はっ。」
他の者が報せるより先に自分が伝える事ができた。その事実に満足し、リビーは頭を下げる。
元より騎士団が伯爵にたどり着くまでは一日、二日の誤差だろうが、一刻も早く主の無実が証明されるのならそれに越したことはない。
縛られたまま気絶していたマクラーレン伯爵の顔を思い出し、リビーは床に向けた目を細めた。
――ふざけたことを、よくも。
「お前は伯爵に会うな。」
ぴしゃりと言いつけられて、リビーは瞬時に顔を上げた。
なぜですと目が訴えていたのだろう、何を言わずともアベルは答えを返す。
「やりすぎるだろう。」
「し、しかし!くっ…」
自分の気がおさまらないがアベルの命令は絶対だ。リビーが苦悩していると、廊下から急いだ足音が聞こえてくる。
相手を察したアベルが扉に向き直り、リビーは黙って彼の後方へ控えた。
ノックの後、こちらの返事も聞かずに扉が開け放たれる。
そこにいたのは予想通り――…ツイーディア王国第一王子、ウィルフレッド・バーナビー・レヴァインだった。




