277.処刑に至るタイプ
自習室は長机が複数置かれた広い部屋がいくつもあり、六人までなら入れる個室も多く用意されている。友人達と話しながら勉強したい生徒はそちらを使うのだ。
恋人や婚約者と静かに過ごしたくて利用する者もいれば、閉じこもってひたすら昼寝に励む生徒もいるとかいないとか。
放課後の今、自習室のとある個室には三人の生徒の姿があった。
「やっぱり、そういう事があったのね。」
薄紫色の長髪に同じ色の瞳。
困ったように眉尻を下げ、憂いのため息を吐いたのはシャロン・アーチャー公爵令嬢だ。隣には灰色の短髪に目つきの悪い三白眼が特徴の従者、ダン・ラドフォードの姿もある。
二人の向かいに座っているのは、肩につかない長さの紺色の髪に水色の瞳、黒縁眼鏡をかけた公爵令息――第一王子ウィルフレッドの従者、サディアス・ニクソン。
彼はシャロンの言葉に僅か、目を細めた。
「やはりとは?レオも、貴女が彼女を心配していたと言っていましたが。」
「たくさんの生徒が遠巻きにあの子を見ているのは、貴方も気付いていたでしょう?そろそろ直接声をかけてくる人が出ると思っていたの。」
「つーか、カレンがグチグチ言われてんの黙って聞いてたのかよ。」
「レオならともかく、私が庇えば悪化しますよ。」
ダンは気分が悪いと言いたげにサディアスを睨んだが、彼は怯む事なく冷静にそう返した。
ウィルフレッドがあの場面に遭遇したら間に入ってしまったろうから、居合わせたのがサディアスだけでよかったかもしれない。その時はたまたま、ウィルフレッドはアベルと共に訓練場へ少し残る事になったのだ。
シャロンはサディアスから聞いた三人の令嬢の姿を脳裏に思い浮かべた。
伯爵家のオリアーナ・ペイス。
子爵家のブリアナ・パートランド、セアラ・ウェルボーン。
昨年参加したクローディア・ホーキンズ伯爵令嬢の茶会にも来ていた三人だ。その時は男爵令嬢であるノーラ・コールリッジに絡んでいた。
同じ授業を受ける事も多いが、遠巻きにウィルフレッド達やカレンに視線を投げているのを見かけた事がある。
――ロズリーヌ殿下が《三人の令嬢》を連れて、カレンに「生意気」と言うイベント……それが殿下無しに発生したのね。ゲームの令嬢ABCはオリアーナ様達の事だった…?
「……カレンは、何もなかったと言ったわ。気を遣われているわね」
「これで嬉々として貴女を盾にするならば、ウィルフレッド様の御友人には選ばれていません。」
「えぇ、そうね。…お友達として、頼られないのも寂しいものだけれど。」
「自力で解決できねぇってわかったら流石に言ってくるだろ。それとも事前にその三人黙らせるか?」
シャロンは首を横に振った。
人付き合いの中で「牽制」が起きる事自体は珍しくない。貴族が絡めば猶のこと。
サディアスは会話の全てを聞いたわけでもないし、周囲の生徒もそれは同じだろう。
彼女達はカレンに手を触れてもいない。現時点で公爵令嬢たるシャロンが三人を咎めるのは過保護であり、そんな事をすればカレンはますます「特別扱いの平民」として噂されてしまう。
「伯爵と子爵を呼び出してそれとなく教育方針を問い質したいけれど、我慢だわ……」
「おーやれやれ!って言いてぇけど、まぁやり過ぎだな。」
「そのまま我慢していてください。…貴女はどうしてそう、彼女が関わると熱くなるのですか。」
サディアスは呆れた様子でため息を吐き、眼鏡を指で押し上げた。
シャロンはくすりと微笑みを返す。
「あら。貴方だって憤りを覚えたから、こうして私に話してくれたのでしょう?」
「――……憤り、とまでは…」
「ラファティ侯爵家のフェリシア様にもご協力頂いて、令嬢の殆どはわかってはいるはずなの――結局のところ、ウィル達と親しくなれるか否かにカレンは関係ないと。」
誰を友人にするかは王子本人が決める事で、ふさわしい、ふさわしくない等と、親しくもない輩が叫ぶ事ではない。
シャロン達は当然の事をさりげない会話で思い出させるだけでよかった。
賢明な娘ならそれで弁え、周囲も窘めてくれる。不満があってもカレンにぶつけるのではなく、自分が努力すればいいだけのこと。
実際、アベルはともかくウィルフレッドが令嬢達を邪険にする事はない。
ただ心の距離を近付けるには、彼女達はいささか態度に出過ぎているのだ。諦めを抱いて投げやりにひきつった笑みも、獲物を見るようなギラギラした目も、作った甘い声も艶めかしい仕草も、急接近を狙う会話も全て――ズレているのだ、とにかく。
そんな様子ではウィルフレッドが心を許せるわけもない。
彼女達が見ているのは「王子様」だ。
「カレンに直接暴言を吐くような方は、貴族の娘として冷静さも礼節も欠けているわ。落ち着いてあの子を見れば、下心があって自ら近付いたわけではないとすぐわかるはず……呆れもするし、自分のお友達の事とあっては、ちょっぴり熱くもなるというものよ。」
「周囲の不満を煽るような事も言っていましたから、彼女達は事実がどうあれ、カレンを悪者にしたいのでしょうね。」
「ハッ。お嬢達がいねぇ時にコソコソ話しかけてる時点で、どっちが悪いかご自覚なさってそうなもんだけどな。」
「仮にもカレンは王子殿下のご友人。もしこのまま侮辱を繰り返すようなら、こちらも本気でお相手しなくてはね。」
シャロンは目を細めてどこへともない空中を見やる。
気が高ぶってつい一度口が滑った、それだけならカレンの気持ちを汲んで見逃さない事もない。しかし。
――「慈悲に付け込んだ」なんて。ゲームのイベント通り「殿下達に擦り寄る」とも言ったのかしら?それはそのまま、ウィル達を「下心を見抜けない王子だ」と罵るようなものだわ。
「お嬢サマがたのやり方ってのがどんなもんか知らねぇけど、あいつが怪我させられる可能性もあんのか?」
「オリアーナ様達には後ろ盾もないし、そこまで過激な真似はできないはずだけれど……」
ゲームでは、その後ろ盾がロズリーヌ王女だった。
ツイーディア王国の王子の友人に対して、ヘデラ王国の王女とその友人三人が文句をつける。そういう構図だ。
しかしシャロンが今世で見るロズリーヌは控え目で少し変わっていて、カレンを疎ましく思う素振りなどこれっぽっちもない。ウィルフレッドとアベルに対してだけではなく、身分が下のシャロンやサディアスにまで恐縮しきりで腰が低かった。
――フェリシア様は、気を付けた方がいいと言っていた。向こうがどういうつもりでも、他国の王女様に目を付けられたならと。
シャロンは無意識にサディアスをじっと見つめていた。
彼が拾っただけのペンを、ロズリーヌは「家宝」とまで言ったのだ。「ご褒美」だと、「一生大切に致します」と。シャロンに対しても挙動がおかしいのは確かだが、「目を付けられた」というならむしろ――
「…何ですか。」
「こいつの顔面に穴でも開けんのか、お嬢。」
「あぁ…ごめんなさいサディアス。ロズリーヌ殿下の事を考えていたら、つい貴方を見つめてしまったわ……ダン、その呼び方は駄目よ。」
「嫌な連想をしないでください。」
迷惑そうに眉を顰め、サディアスはぴしゃりと言い放った。
ロズリーヌ本人の前では営業スマイルを頑張っていたが、まだまだ警戒する相手なのだろう。
「後ろ盾に使われそうだという意味では、貴女がロズリーヌ殿下を思い浮かべるのは理解できます。ウィルフレッド様に身分で対抗できるのは彼女くらいですし、あれは本人の知らぬ間に利用されて処刑に至るタイプです。」
「しょ、処刑は言い過ぎだと思うけれど……。」
ゲームでもそこまでされやしなかったと心の中で付け加え、シャロンは苦笑いした。
《未来編》でどこぞの牢屋に放り込まれてはいたが、少なくともカレンへのあれこれについて、ツイーディア王国の法律では彼女にそこまでの判決は出ない。今世の大人しさなら猶更だ。
「ただ横にいるラウル・デカルトは、殿下よりは警戒心があるようですから……利用すると言っても、そう簡単ではないでしょう。あの令嬢達にそこまでの手腕は無いかと。」
「確かにそうね……。サディアス、貴方ノーラ・コールリッジ男爵令嬢をご存知かしら?」
「――…ユーリヤ商会の一人娘ですね。彼女が何か?」
眉一つ動かさず、表情をひくりとも変えずにサディアスが聞き返す。
シャロンはそれを意外に思った。
本当にまったく面識もないのであれば、唐突な名前に彼ならば訝しげに眉を顰める。そう予想していたからだ。
シャロンを相手にした今この場で、ささいな疑問も苛立ちも懸念も、サディアスが隠す必要はない。
けれど彼は、ほんの僅かにも乱れなかった。
意識的に表情を変えなかったのだ。「ノーラを個人的に知っているがそれを教える気はない」ということ。
サディアスのルートで発生するイベントを思い返し、シャロンは心の中で納得する。
――ノーラが泣いていたとはいえ、ただの通りすがりでサディアスが令嬢に胸を貸すかしらと不思議だったけれど……二人は元から知り合いなのね。
「…昨年、ある茶会でオリアーナ様達を見かけたのだけれど……」
サディアスが聞き返してからシャロンが話し出すまで、ほんの一秒。
決して不自然ではない間の中で、シャロンはサディアスの目を見つめたままだった。長い睫毛を柔らかく重ね合わせ、彼女は瞳を横へそらしてから話し出した。
その一連の仕草に、サディアスは閉じた唇に軽く力を込める。
どうやら、シャロンは浮かんだ問いを飲み込んでくれたらしい。サディアスは顔にも声にも動揺を出さなかったはずなのに、何が引っ掛かったのか。
知っているかという彼女の問いに言葉を返すまでの間は、思い出す時間として適当だったはずだ。
――時折、妙に鋭い。流石はアーチャー家の娘、ウィルフレッド様が「敵わない」と言う相手、アベル様が唯一認める令嬢。……その察しの良さは少し、苦手ですね。
「つまりそいつら、自分より身分が低い相手に絡んでんのか。」
「その可能性があると思っているわ。」
「貴族には珍しくもない事です。だから多少の口論くらいで圧をかけては、特別扱いになります。事情をよく知らない生徒達からの不満が高まるでしょう。」
「だるいな。第二王子サマみてぇにぶん殴って解決すりゃ楽だってのに…」
「女性でそれは難しいというものよ。淑やかに笑顔で、けれど容赦なく言葉で叩き潰すのだとお母様が言っていらしたわ。」
シャロンは真面目な顔で頷いた。
ダンとサディアスは疑わしく眉を顰めながらも何も言わずにいる。
――母娘揃って暗器忍ばせといて、何言ってんだ……?おまけに帯剣してんだろうが。絶対言葉とか以外にも圧かかってるだろ。
――ディアドラ・アーチャー公爵夫人ですか……いつだったか、「彼女が夜会にいると必ず問題が起きる」と父上が零していましたが……シャロン様はご存知ないのかもしれませんね。
「とはいえ、私がご令嬢に注意するという事は、かなり重い意味を持ってしまうから……願わくば、これっきりにしてもらいたいものね。」
「えぇ、それは本当に。」
揃って疲れたようなため息を吐いた二人を眺めながら、ダンは大きく欠伸をした。




