275.お任せください
くるりとウェーブした淡い緑の長髪を後ろへ流し、オリアーナ・ペイス伯爵令嬢は口角を上げた。
やや吊り気味の目、つんと尖った鼻。肌も唇も毎日手入れを欠かさない。青みがかった緑色の瞳が一人の女生徒の姿を捉えた。
「ねぇ、あの子今一人よ。」
鼻で笑うようにして言えば、左右に並び立っていた二人の子爵令嬢も笑みを浮かべる。
訓練場にほど近い木陰のベンチに座っているのは、老人のような白髪に、化け物めいた赤い瞳を持つ少女。
どうやったのか双子の王子と五公爵家の令息令嬢に気に入られた平民、カレン・フルードだ。
「うふっ、本当ですわね。あのうるさい男子もいない。」
制服のカーディガンの袖からちらりと覗く指先を口元にあて、ブリアナが言った。
大きな垂れ目はおっとりした印象を与え、暗めの茶髪はツーサイドアップにしてリボンで結んでいる。
「あは。そろそろハッキリ教えて差し上げた方がいいかもしれませんね。」
細い身体を軽く折り曲げ、セアラが楽しそうに笑った。赤みがかった茶色のボブヘアが風に揺れる。はしたない笑い方をしたとばかり口元に手をかざしてはいるが、指先は揃っておらずニヤついた唇が見えていた。
二人の反応に「そうよね」と満足気に返し、オリアーナはカレンの方へ足を向ける。
白髪の少女に近付いていく三人の令嬢を、通りすがりの生徒達が目で追った。
奇異な外見の一年生が平民だという事も王子達と親しい事も、とうに噂になって知れている事実だ。これからひと悶着起きるぞと、遠巻きにわざわざ足を止める生徒までいる。
三人が目の前に立つと、カレンは膝に広げていた教科書から顔を上げた。
相手を知って赤い瞳が僅かに丸くなる。ちらりと周囲を見回す行動を味方探しと察して、オリアーナは馬鹿にしたようにせせら笑った。
「ふっ、ご機嫌よう、カレン・フルードさん?今少しよろしいかしら。」
「…こんにちは。」
オリアーナを真っすぐに見据え、カレンは閉じた教科書を手探りで鞄にしまう。警戒心も露わに鞄の持ち手をしっかりと握り、膝の上に置いた。
三人掛けのベンチの端に座るカレンの隣にオリアーナが座り、ブリアナが背もたれに手をかけて反対隣へ立ち、正面を塞ぐようにセアラが一歩近付く。
逃げる間もない流れるような動きだった。一気に距離を詰められ、カレンは無意識に身体を強張らせる。
「そう怯えないで?わたくし達、少しお話がしたいだけなのよ。」
オリアーナが優雅に扇子を広げて口元を隠した。
くすくすと耳障りな笑い声を上げ、ブリアナとセアラが囁き合う。
「ふふ、縮こまって…ネズミみたいですわ。」
「誰に何のアピールをされてるのかしら…ねぇ?」
「二人とも、冗談はそこまでにしましょう。本気と思ってしまったら可哀想だわ」
カレンは唇をぐっと引き結んだ。
入学して間もない頃、廊下を歩いてきた三人と肩がぶつかった事がある。当時は偶然かと思ったが、今ではあれもわざとだったと理解していた。
オリアーナの瞳に滲んでいるのは蔑みだ。
「貴女、いつまで殿下達に擦り寄るつもりなの?みっともないという事わかっていて?」
「擦り寄ってなんかないよ!……変な言い方しないでください!」
カッとなって言い返したが、すぐにこれがシャロン達の迷惑になるといけないと思い、嫌々ながら敬語で付け足す。三人の目は冷たかった。
「平民の貴女が王子殿下達の傍にいるのよ。ねぇ、それって変じゃありません?」
「ご自覚がないの?うふ、本当に恥知らずだわ」
「皆様のお慈悲を真に受けて勘違いなさってるのかしら……あはっ、まさかご友人だとでも?」
「っ……そんなのは…殿下達が決める事で、貴女達が言う事じゃないはずです。」
パチン。
音を立てて閉じられた扇子に、カレンは小さく肩を揺らした。
オリアーナの顔から笑みが消えている。
「はっきり言いましょうか――……貴方、身の程を弁えなさいよ。」
「珍妙な見た目に同情なさったのね、少しでも共に居させてあげるなんて。」
「殿下達はお優しいですわ。だからこそ《切り時》に悩まれている頃じゃないかしら。」
「…勝手な想像で、皆の気持ちを決めつけないでください。」
「まぁ、怖い!」
芝居がかった高い声を出して立ち上がり、オリアーナは眉尻を下げてカレンを見やる。
「親切心でお伝えしたのですが……殿下達のお慈悲に付け込むような方ですもの。ありがた迷惑だったみたいですわ。」
「嫌ですわね、恥を知らない平民って。」
「自分が特別だとでも思っておられるのね、お可哀想に。」
周りの生徒達に届くよう聞こえよがしに喋り、三人はカレンから一歩離れた。
座ったまま動けずにいる彼女を嘲りの目で見下ろし、ふっと笑う。
「では、ごめんあそばせ。」
踵を返す時には整った令嬢の微笑みを浮かべ、オリアーナ達はその場から立ち去った。
ベンチとは離れた木の影に、サディアス・ニクソン公爵令息がいるとも気付かずに。
「俺も髪真っ白に染めたらさ、殿下達とお近付きになれたりして。」
「ぷっ、馬鹿言ってんなよ。聞こえるぞ」
「確かにあの子はちょっとズルイですよね……私達だって殿下と話したいのに。」
「身分差考えたら普通は近付けないでしょ。声かけるとかありえないし」
野次馬の生徒達は元通りに歩き出し始める。
聞こえないと思っているのか、聞こえてもいいと思っているのか、好き勝手に話をしながら。
カレンは少し俯いていたが、自身を落ち着かせるように一度大きく深呼吸して立ち上がった。校舎へ向かったオリアーナ達とは反対に訓練場の方へ歩き出す。
サディアスが姿を現すより先に、授業を終えて走ってきたレオが彼女を見つけた。
「お?何だよカレン。座ってなかったのか?」
「ううん、座ってたよ。そろそろ終わると思っただけ…シャロンは?」
「先にお前のとこ行ってほしいって頼まれた。なんか心配そうだったぞ、誰かに絡まれないかって」
「大丈夫だよ。シャロンは心配性だなぁ」
カレンは笑っている。
木の幹に背を預けてサディアスは静かにため息を吐き、声をかける事なくその場を後にした。
「っ…シミオン様!」
どこかで聞いたような声に呼ばれ、廊下を歩いていたシミオン・ホーキンズは足を止める。
別段手入れをせずとも艶のある黒の短髪、しっかりと鍛えられた身体は背も高く、振り返った先にいた令嬢とは十五センチ以上の差があった。
精悍な顔立ちをした彼の黒い瞳に見据えられ、くるりとウェーブした長髪を背中へ流した令嬢は恥じらうように視線を泳がせる。彼女が気を取り直すように一呼吸置いて淑女の礼をすると、その後ろにいた二人も慌ててそれに倣った。
「呼び止めてしまい失礼致しました。ペイス伯爵家のオリアーナですわ。ご無沙汰しております。」
「あぁ……久しいな。」
姉の茶会で会った令嬢だと気付き、シミオンの記憶が蘇る。
オリアーナが初めて参加した際、後ろを通ったシミオンの袖口のボタンに彼女の髪が絡んだのだ。シミオンはノーラらしき人影を見つけて急いでいたため、躊躇なくボタンを引きちぎった。目を見開いて恐縮するオリアーナの手に押し付け、そのまま立ち去ったのが初対面だ。
以来、シミオンを見かけると必ず挨拶に来てくれる律儀な令嬢。それがオリアーナ・ペイスだった。
「本当は、入学してすぐにご挨拶できればと思っていたのですが……」
「この広さと人数では無理もないだろう。学年も違う、気にするな。」
「はい、ありがとうございます。」
オリアーナはやや吊り目がちだが、こう無邪気に微笑んでいるときつい印象はまったくない。
リラの街にいるシミオンの姉、クローディアにも既に挨拶を済ませたらしい。わざわざ姉の店に行ってくれたのかと、シミオンは簡潔に礼を述べた。オリアーナが「当然の事です」と笑う。
――今年入ったという事は、ノーラと同じ学年か。何か話を聞けるか?……いや、それは駄目だったな。
「絶対にノーラの交友関係に触れないように」と、クローディアだけでなくフェリシア・ラファティ侯爵令嬢からも再三言われていた。
いっそ何かあるのかと思うほど念を押され、「親しい男がいるのか」と剣呑に聞き返した事もある。どうやらそういうわけでは――ノーラの父であるコールリッジ男爵にも確認を取ったところ、そのような事実は――ないそうだが、ともかくオリアーナ達にノーラの事を聞くべきではない。
「俺はそろそろ行く。またな、オリアーナ嬢。」
「は、はい。シミオン様。また……」
立ち去る背中に手を振るオリアーナの後ろで、セアラとブリアナがちらりと視線を交わす。
見目麗しい王子一行を眺めてはしゃぐのは楽しいし、平民の分際でお近づきになっているカレンは気に食わないが、かといって自分達三人が王子に見染められる事は無いだろうと全員が理解していた。
セアラは、いずれ親が決めた男と結婚する。学園にいる間に見目の良い平民でも見つかれば、愛人候補にしようかと思っているけれど。恋愛ごっこをして遊んだって構わない。
ブリアナはほぼ確定の婚約者候補がいるものの、気に食わないのでずっと正式な婚約を先延ばしにしている。学内で親が納得するワンランク上の相手が見つけられれば儲けものだ。
そして力の弱まってきた伯爵家の令嬢であるオリアーナにとって、有力な伯爵家の長男であり実力も外見も持ち合わせたシミオンは良い相手だろう。
――あの様子じゃ、駄目そうですけどね。
心の中で同じ言葉を呟き、セアラとブリアナは振り返ったオリアーナに変わらぬ笑顔を向けた。
シミオン・ホーキンズ伯爵令息と言えば、どれほど見目麗しい令嬢がいようと眉一つ動かさない無愛想が有名である。本人も姉も顔立ちが整っているので、美人慣れし過ぎてかえって惹かれないのでは、などと言われていた。
「待たせてしまったわね。食堂でケーキセットでも頂きましょうか?」
「素敵ですわ。うふふ」
「是非行きましょう。」
オリアーナを中央に、セアラとブリアナはその一歩後ろを左右に分かれてついていく。
他愛もない話をしながら食堂へ入ると、入口にほど近い席に目立つ二人組が座っていた。
一人はプラチナブロンドのポニーテールをゆるりと巻いた、貴族子女ではまず見ない横幅の女生徒。ヘデラ王国からの留学生、ロズリーヌ・ゾエ・バルニエだ。抹茶のパウンドケーキをちんまりとフォークで切っている。
隣には王女の従者らしい美青年が座っており、生クリームで飾り付けられたショートケーキを食べていた。
三人は目配せし合い、二人の視界に入るようテーブルの反対側から近付く。
ロズリーヌが顔を上げて目が合ったところで、静かに微笑んで淑女の礼をした。
「王女殿下におかれましては、ご機嫌麗しく。」
「はぁ……ご機嫌よう?」
誰かしら、と顔に書かれている。
オリアーナは笑顔が引きつりそうなところを堪えた。入学当初に挨拶は済ませている。ラウルが口元を手で隠し、ロズリーヌの耳元へとぼそぼそ情報を吹き込んだ。こちらは覚えていたらしく、ロズリーヌが思い出したように頷く。
こほんと咳をして、オリアーナはできるだけ綺麗に笑った。
「わたくし達、先ほど殿下を苦しめるあの方に少し、申し上げておきましたので。」
「殿下が気苦労をなさる事が減れば良いのですが……」
「身の程も弁えず、本当に図々しくていけませんわよね。」
「はい……?」
ロズリーヌは薄青色の瞳を丸くし、むにりと首を傾ける。
気苦労が減るという事は、ロズリーヌの悪口を言っていた誰かの話だろうかと想像した。確かにこの見た目と残念なオツムで色々言われているのだろう。苦笑いを浮かべた。
「まぁ、わたくしはさほど気にしておりませんのよ?面と向かってなら別ですけれど…」
「気にするほどの者ではないと!あぁ流石は王女殿下、おっしゃる通りですわ。」
「うふふ、歩く道に小石があるようなものですわね。」
「もちろん殿下のお手を煩わせる必要はありませんから、わたくし達にお任せください。」
三人がペラペラと立て続けに喋り、ロズリーヌはきょとんとしている。野次馬が聞き耳を立てている事も承知の上で、オリアーナは「任せる?」と言いかけたロズリーヌの声が聞こえないフリをする。
「何かお困り事があればお申し付けくださいませ!――ね、ロズリーヌ殿下。」
「……どうもありがとう……?」
いまいちわからないながらもへらりと笑顔を返し、ロズリーヌはパウンドケーキを口へ運んだ。




