273.空気がぴりぴり ◆
お父さん、お母さん、二人とも元気ですか?
学園には貴族の子もたくさんいて、中には嫌な人達だっているけど、私は何とかやっていけてます。二人が驚くような友達もできて……いつか機会があれば紹介したいけど、全員は難しいかも。
私は今、……今……
『王女殿下はまた癇癪を起こしていたのか。こうも続くとたまらないな』
『えぇ。本来は迷惑料に何か…と言いたいところですが、あの溺愛ぶりではこちらの非にされかねないでしょう。陛下にお手間をおかけるよりは、学園に留め…』
『ま~しばらく放っておくしかないんじゃないの、眼鏡君。…ごめんごめん。睨まないでよ。』
『殿下がお相手では、生徒会の方々も対応は難しいわね。いずれ私達に陳情が来るでしょう。』
――双子の王子様や公爵家の人達と、同じテーブルを囲んでいます――……空気が重たいけど、聞いていい会話なのかな、これ……いいんだよね?
つい、少し遠い目をしてしまう。
本当にどうしてこうなったんだろう。私、一生の運を皆との縁で使い切ったのかな。レオもたまたま皆と知り合ったらしく私の隣の席にいるけど、いまいち会話の中身がわかってない顔でお菓子をほおばってる。うん、私達平民が考える事じゃないもんね……。
とはいえ、このすごいメンバーの中で緊張し無さすぎじゃないかな。騎士を目指してるなら、もう少しちゃんとした方が良いと思う。
私はシャロンとはしょっちゅう、ウィルフレッド様達も時々、一緒にお昼を食べている。料理の味がわかるくらいには慣れてきた、かな?
一緒にと言っても……ちらりと、黙ったままのアベル様を見る。彼は滅多にいないし、いたとしても長居はしなくて、食べ終えたらすぐどこか行っちゃう。
今みたいに放課後に皆が集まるのは初めてで、食堂から中庭側に出たバルコニーの中央に置かれた、大きな円卓のテーブルを囲んでいる。個室扱いらしくて他の生徒はいない。
『カレン、君は大丈夫か?』
『えっ!?』
急にウィルフレッド様に話しかけられて、ちょっとだけ飛び上がってしまった。私?目をぱちくりさせると、サディアス様が補足するように言う。
『私達がいない時、厄介な生徒に絡まれたりしていませんか。』
『あぁ…えっと……大丈夫だよ。心配しないで平気、です。』
苦笑いで軽く手を振った。
私の髪が白いせいで、廊下を歩くだけでもヒソヒソされる。それはもう仕方がないから、わざわざ皆に言う事じゃない。フードをかぶってたら少しはマシなんだし。
嫌なのは通り道を塞いで邪魔してきたり、小突いたりしてくるあの三人。
シャロンやウィルフレッド様達が近くにいる時は、見てくるだけで何もしてこないのに。この前なんて噂の王女殿下と話しながら、私の方を指差してた……ように見えた。気のせいだと思いたい。
『何もないなら良いんだが……もし俺達に言いにくいと感じる事があっても、君が苦しい時には頼ってほしい。』
うぅ…!ちょっと困ったようなウィルフレッド様の笑顔が眩しい。
なんだか気持ちがいっぱいいっぱいになりながら頷くと、チェスターさんが「そーそー」と明るい声を出した。
『可愛い女の子には笑顔でいてほしいからね!この中の誰だって――頼りになりそうって思った相手に、相談してくれて大丈夫だから☆』
『あ、ありがとう……?』
お礼を言いながら、ちょっとだけ首を傾げる。
チェスターさんは柔らかく笑ってくれてるのに、何か一瞬違和感があったような……答えを見つける前に、テーブルに置いた私の手にシャロンが自分の手を重ねた。
視線と一緒に意識がそちらに向く。す、すべすべだ…!私は男の子じゃないのに、ちょっとどぎまぎしてしまう。
『どんな事でもいいの、もし困ったら遠慮せずに教えてね。』
『…ありがとう、シャロン。私は大丈夫だよ。』
優しく微笑んでくれた彼女に心が温かくなった。
ここにいる皆は、私の髪が白くても目が真っ赤でも気にしないでいてくれる。あんまり迷惑をかけたくなかった。なんとなく、大事になったら嫌だなって気持ちもある。
心配そうに目を細めるシャロンの手をそっと一度握り返すと、彼女は頷いてから手を離し、薄紫色の瞳を私の隣へと向けた。
『レオ、貴方もよ。』
『むぐ?ん、俺か?』
『口の中の物を飲み込んでから喋ってください。最低限の礼儀でしょう』
『まーまーサディアス君。』
チェスターさんが宥めてくれたけど、これはサディアス様が正しいと思う。レオは急いでもぐもぐ噛んでお水を流し込んだ。ごくん、と音がする。
『俺か!?』
『ふふっ、えぇ。貴方も困り事があれば言って?』
『んー、俺は別にねぇかな。むしろアベル様は毎日みたいに試合受けてて、それも結構一対複数でもやってるからすげぇと思うけど、困ったりしないー…です…のか?』
言葉遣いがめちゃくちゃだ。
ウィルフレッド様が敬語じゃなくていいって言うから、私もレオもこういう場では普通に喋るけど、やっぱり時々は畏まってしまう。
それまでまったく会話に無関心だったアベル様は、話を振られてようやくこちらを見た。
『別に困りはしないよ。大した手間じゃないしね。』
『はぁー……やっぱりスゲー……!』
レオは目をきらきらさせてるけど、チェスターさんは最初からアベル様の答えがわかってたみたいに、微笑みを保ったまま反応しない。サディアス様は眉間と閉じた唇にぐっと力が入った。何か気に障ったのかな…。
少し眉を顰めたウィルフレッド様は、青い瞳をじろりとアベル様に向ける。
『お前…怪我はないんだろうな。』
『さぁ?治癒が使えない奴は医務室ぐらい行ったかもね。相手の具合なんていちいち見てないよ』
『違う。俺は――……いや、いい。余計だった』
苛立ちを抑えるように小さく息を吐き、ウィルフレッド様はシャロンと別の話を始めた。
入学して皆と出会ってから初めて知ったけど、どうも双子の王子様はあんまり仲が良くないみたい。
ウィルフレッド様は優秀だってあちこちで噂されている。
物語に出てくる王子様みたいに穏やかで優しい微笑みは、女の子達の憧れの的だ。当たり前にお行儀が良くて頭も良くて剣の腕も立つし、魔法だってすごいらしい。
反対にアベル様は、目つきが鋭くて態度は冷たい…事が多い。
剣術や格闘術にすごく長けた人、らしい。王家には珍しく魔法がまったく使えないけど、補って余りあるほどの才能の持ち主で、騎士団のお手伝いもした事があるとかなんとか…。
次の王様はどちらか、貴族の人達の間では結構な議論になってるみたい。
だからなのかな?ウィルフレッド様とアベル様が揃うと、空気が少しぴりぴりする。
『多対一って言うと結構危ない響きだけど、この学園でアベル様に傷をつけられるのなんて、レイクス先生くらいじゃないですか?』
チェスターさんの冗談めいた明るい声と笑顔が場の空気を少し軽くしてくれた。
レイクス先生は、入学式の日に街で迎えてくれた声の大きい先生だ。剣術の上級クラスと格闘術を担当している。
アベル様がふっと笑った。
『他にもいるだろうけど、真っ先に浮かぶのはそうだね。』
『…生徒では滅多にいないと思いますが、あまり毎日試合をお受けになるのもいかがなものかと。ここは王都とは違いますから。』
黒縁眼鏡を指で押し上げ、サディアス様が冷たく言い放つ。チェスターさんは「けど受けないのも微妙だよね~」と返して、その笑顔はちょっぴり挑発的に見えた。
王子様の従者である二人も、あんまり合わないみたい。……これは完全に性格の違いだと思う。
『俺も卒業までには、いや三年に上がる頃には上級にいきてぇな。』
レオは四人のやり取りにも全然ハラハラしてないみたいで、そんな事を呟いて背もたれに寄り掛かった。この前聞いたけど、今は中級クラスの中でも下の方らしい。私の視線に気付いてか、琥珀色の瞳と目が合った。レオはニカッと笑って拳を作る。
『レベッカもこれから頑張るだろうしさ、俺も負けてらんねぇ!』
『うん、そうだね。応援してるよ』
『おう!』
レベッカは私達と同じ平民で、生活算術の授業なんかが一緒の女の子だ。いつの間にかレオと友達になってて、挨拶に巻き込まれる形で私とも知り合った。
とても目立つ真っ赤な髪色をしていて、ヘアピンやチョーカーをつけてるおしゃれさん。正義感があって結構強気に物を言う子で、剣術の初級クラスを受けている。
小さく割ったクッキーの欠片を口に入れて、さくさく噛んでから紅茶と一緒に飲み込んだ。
皆、ちょうど話が一区切りついたところみたい。
【 誰かに話しかけてみようかな? 】
私は――ウィルフレッド様を見た。
入学式の日には転びかけた私の腕を引いて助けてくれて……王子様なのに、私やレオと友人になりたいと言ってくれた人。単に平民目線の話を聞きたいなら、もっと他に情報通の生徒がいると思うのに。
やっぱり、私が悪目立ちしそうだから庇ってくれたのかな。
ついぼうっと眺めちゃったみたいで、目が合ったウィルフレッド様ははにかんだ。
『カレン、あまり見られると少し気恥ずかしいよ。』
『ご、ごめん!綺麗だなと思って、つい……ああぁなんでもないです!』
彼を見た時の正直な感想がぽろりとこぼれて、慌てて口元を押さえる。男の子に、それも王子様に綺麗だなんて!本当にただ正直な感想というだけで、なんにも、その!そういうつもりは!
ウィルフレッド様は全然気にしてないみたいで、くすりと上品に笑った。
『ありがとう。俺の髪色は陛下から、瞳の色は王妃殿下から継いだものだ。褒めてくれるのは嬉しい』
ううっ、眩しくて目を開けていられない…!
私は優しい眼差しとか、整った顔立ちも、品のある仕草も全部の事を言ったんだけど……でも、色だけの話っていう事にした方が恥ずかしくないかもしれない。顔が熱い事を自覚しながら必死に頷いた。
隣のシャロンから「微笑ましい」と言わんばかりの、控えめな笑い声が聞こえる。た、確かに私は皆の中で一番背が低いけど、ちっちゃい子みたいな扱いは……!
『俺も――君の髪はとても美しい。そう思うよ、カレン』
『え……』
びっくりして、恥ずかしかった事も忘れてウィルフレッド様を見た。
聞き覚えのある言葉。爽やかな青色の瞳が、優しい光を灯して私を見つめている。どうしてか私は、下町でたった一度だけ出会った、フードを深くかぶった少年の事を思い出していた。
――君の髪はとても美しい。俯く必要はないと俺は思うよ。
そんなわけない、よね?たまたま……そうだよ。シャロンだって同じ事を言ってくれた。貴族の中では割と普通のお世辞なのかも…。
ウィルフレッド様の微笑みはどこか悪戯っぽく見える。きっと気のせいだ。王子様が一人であんな場所にいるわけないんだから。
ヒュウ、と口笛を吹いたのはチェスターさん――……そうだ、皆いるんだった!にまにまと口元を緩めたチェスターさんとバッチリ目が合って、また顔が熱くなってくる。
『ウィルフレッド様、口説くならも~ちょっと人がいない場所が良いんじゃないですか?』
『くどっ…!?な、何を言ってるんだ、チェスター!俺は別に…』
『周囲に誤解を招くような発言は、控えた方がよろしいかと。』
『サディアス、君まで…!?』
『もう少し考えて喋りなよ。ウィル』
『ぐっ……』
悪い事をしたわけじゃないのに、皆の言葉が次々とウィルフレッド様に刺さった。
一番冷たい声で辛辣に言い放ってたのはアベル様かもしれない。言い返せないらしいウィルフレッド様が、しゅんとした様子でまだ何も言ってないシャロンへ身体ごと向き直った。お叱りを待つようなその姿を、ちょっと可愛いな、なんて思ってしまう。
『ふふ。綺麗なものは綺麗と言いたいわよね、ウィル。私もカレンと初めて会った時、つい同じように伝えたもの。』
『シャロン……!』
お花が咲くように微笑んだシャロンにこそ、「綺麗」って言葉が合うと思うな!私は!
と言いたいのに、口がもごもごして声にならない。わ、私は、だってお婆さんみたいな髪で、不気味な……
『そう、俺は純粋に美しいと思っただけなんだ。』
ウィルフレッド様は救いが現れたとばかり明るい笑顔を取り戻している。ま、眩しい!シャロンと並んでどっちも眩しいよ!そんな目で私を見ないでほしい……!
『あはは、わーかってますよ、ウィルフレッド様。カレンちゃんなら早々誤解もしないだろうし。』
チェスターさんはからりと笑ってそう言った。私も勿論そうですとこくこく頷いておく。
サディアス様は黙って紅茶を飲み、アベル様は少し呆れの混ざった顔でシャロン達から目を離し……レオは、幸せそうにスコーンを口いっぱいに頬張っていた。




